ワッシャー TRASH
白いスペクトルの魔法使いの年(YEAR OF THE WHITE SPECTRAL WIZARD)



倍音の月(Overtone Moon)
「Timing」
「I-I Me-Me Mine」
「願」



「Timing」

倍音(05)の月20日【KIN 025】赤い水晶の蛇
G暦2003.12.04


自分は低温な人間だと思っていた。特に若い頃は、熱くなるなんてことはあまり多くなかった。 いやそう装っていただけかも知れないが。皮肉屋なジョン・レノンが好きなのである。 ジョニー・ロットンのシニカルさと、ルー・リードのような(特にV.U時)目をサングラスで隠し本心を 悟られない、無機質なものに憧れた。 人には無関心。自分には毒づき。飄々と世間を渡っていけるもんだと思っていた。 ニューウェーヴや、サイバーパンクな時代を通ってきたからなのかも知れない。 ところが、案外、そうでもなかった。いや、むしろ、"ROCK"と真顔で言える自分が其処に居た。 しかも、居酒屋の末席で、唾を飛ばしながら、熱く語ってしまったりするのである。 そこら辺は、歳を喰う毎に、どんどん加速していってる気さえした。 脳天気な饒舌さだけが、浮き彫りになる。だからって、それがどうした、というだけのことだ。 「本当のことなんか言えない、言えば殺される」と歌った清志朗。 「この世は金さ、金が全てさ」と歌ったすぐ後に、「金儲けのために生まれたんじゃないのさ」と歌う。 真剣なのが悪いのか。そんなことはありません。もうあまり衒う必要が無くなってきたのだ。 惚れたが悪いか、と太宰だって熱くなる。子供から大人を通り、また子供に帰っていくのだ。 子供の頃、たかが草野球で、アウトだ、セーフだと喧嘩が始まる、あのくらいの温度は必要なのかも 知れない。

今、イタリアから友達のCinziaがやって来ている。10代の頃に友達が電車で声を掛けた。 下北沢のホームで電話番号を聞いて、すぐにたくさん遊ぶようになった。 それから19歳頃にイギリスへ行き、ベニスに居るCinziaのところへ遊びに行った。 Veneziaの仮装祭り、あの体験は凄かった。船で橋を渡し、祭りの為に島へ渡り、 花火を見物した。 誰もが思い思いの仮装をして、僕や友達も化粧をして参加する。 霧がかった水の都に様々な衣装の人々が行き交い、時間も場所も何処か違う次元へとばされ、 "グラッパ"という酒を皆で回し飲みして、彼女の仲間連中と夜通し街を徘徊し、ヘベレケになって 「ベッティーナ」と叫んだ。その意味はもう忘れてしまったけれど。 それで3日間の祭りからイギリスへと戻るとオーバーステイで強制送還、来た所へ戻れと、またイタリアへ 逆戻り。それから約一ヶ月あまりも、面倒を見てもらった。 あの自分自身が存在しないような時間、たくさんのものを貰った。 その頃の彼氏だったベン、その妹のステフィー、イギリスを毛嫌いしてるオスカル、ピッピにルカ、 リカルト、マリアンジェラ、皆親切に気遣ってくれた。日本へのチケットを手配してくれたのも彼女だった。 それからまたCinzia は、Monicaという友達と日本に留学し、やっていたバンドのレコーディングで イタリア語でジャンケンをしてる声を録ったりもした。 23歳頃、その当時に付き合っていた彼女と、例の悪徳バイトで稼いだ金で、2ヶ月間遊びにも行く。 ベニスからローマ、フィレンチェ、Cinziaの田舎アオスタへも行った。 そして音信不通になってしまったのだけど、3年前に友達へ手紙が届き、また日本で再会を果たし、 今回へと繋がった。うまく説明出来ないけれど、時間を越えて、一緒に共有した何か(それはその時の空気 なのかも知れない)それを共通項にして繋がっていられる確かさ。 これからまた連絡が取れなくなってしまったとしても、大丈夫な気さえした。 何処にいたって、あの時の自分が居て、そして消えることのない感情が在り、それはずっと不変だろう。 HERE SCENESで行ったパーティーも、それを如実に表現していた。始まったことには「それから」がある。

言いたいこと、やりたいことを、その時、その瞬間、確実に表現すること。 それがタイミングだ。シンクロニシティ(共時性)を味方にすれば、描いた夢はすべて実現可能なんだ。 そして、共時性は特別なことなんかじゃなく、どこにでもあって、日々、何気なく通っているあらゆる道に、 生活に、行動に、それは在る。その人と出会ったのは、偶然なんかではない。 求め、求め合って、惹きつけて、惹きつけ合って、渡して、渡し合って、まるでエネルギーの循環と同じく 巡り巡って届いていく力。ただ、始めなければ、それは始まらない力でもある。 近道は、念ったこと、願ったこと、考えたことを素直に表現していくこと。 そいつに気付くのに35年も掛かってしまった。粋がったり、恥ずかしがったり、気後れしたり、 照れ隠しに怒ったり、そんなことで気持ちを捩じ曲げているうちに、それは違った質に置き換えられてしまった。 そうして用意されていた道を通ることなく、今この道を歩いている。 それに対して後悔はないし、通らなければ気付かなかったともいえるが、新しい大系にその衒いは必要無い。 しかしもう一人の自分が、まだ旧い質に気遣っていることも確かだ。 熱くなる前に制御を効かせ、冷却ファンが自動回転する。タイミングを外そうとする。 「愛」なのに「愛」とは言えず、言葉を駆使してそれを何かに置き換える技巧。言葉の遊戯に迷い込む。 子供の時に持っていなかった嘘が、年輪を経て、僕を錯綜させる。単純に戻ればいいだけなのに。 答えは其処にある。気付かないかも知れないけれど、すぐ側に、その傍らに、君を待っていてくれる。 後は、自分の気持ちに正直に、そいつを掴むだけだ。

Love is answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it, you got to let it grow
(愛こそが答え、君も手応えを感じるだろう。
愛こそ君を立ち上がらせる、美しい花)MIND GAMES @ John Lennon



「I-I Me-Me Mine」

倍音(05)の月10日【KIN 015】青い月の鷲
G暦2003.11.24


昔、寺山修司の本だったと思うのですが、「100語したいことを書こう」というようなことが載っていた。 とにかく100語、「・・・したい」と羅列する。 夢や願望、やってみたいこと、つらつらと並べたてるのだ。 まだ親許に居た頃で、中には「独り暮らしがしたい」やら「ギターが弾けるようになりたい」やら、「恋人が 欲しい」から、「宇宙へ行きたい」とか、「空を飛びたい」など実現不可能な事柄まで並んだ。 さすがに100語は骨が折れ、最後の方は「ビートルズを再結成させたい」とか、 「E.クラプトンと共演したい」とか、「ここに書いた事を叶えたい」など無茶苦茶になってしまった。 そうして、幾つかの事柄は成就され、幾つかの事柄は叶わぬ夢となり、幾つかの事柄はもはやどうでも よくなり、幾つかの事柄は未来へと持ち越されている。 その時に於ける、自身の存在、地図、磁石、目的など、航海に必要な事柄が、そこに書きこめられた。

自意識過剰、という旧い質。相手を自身のフィルター越しにしか見ていない頃の名残り。 懐かしい友達に再会したような感情。嫉妬、それも懐かしい。嫉妬という感情を意識して、 独り、ほくそ笑んでいると、本当に可笑しくなる。それを抑制している自分が愛おしくなってくる。 ここにも、まだ消えていない友達がいた。軽く握手。再会を喜ぶ暇もなく、颯爽と姿をくらます。 その後に、間延びした影が忍び寄る。長く長く連続する袋小路。まっすぐな道は迷宮だ。 まっすぐな道をひたすら進んでいけば、また同じ場所に戻ってしまう。なぜなら、地球は球体だから。 随分前に好きだった人に、その当時の気持ちを今語ったら、ただ微笑するだけだろう。 完成品の思い出を、もう一度、復元する作業など、誰もやりたがらない。その時は、その時にしか、 やってこない。あまりにも年月を重ね過ぎた気持ちは、錨を下ろしたまま放置された船のよう。 いい魚達の住処になっている。錆つく前に、動き続けなければ、いけない。

どんな時でも、僕は僕、でしかあり得ない。「自分の事しか言えないのね」と言われても、当然、 自分は自分の探究者でしかないので、研究成果を発表するだけだ。 相手の心を想像することはできても、何一つ、確証などは得られない。分かり得るのは、自身の心だけだ。 辻褄合わせ、言い訳、思い違い、忘却、どれも起こり得るが、その時点の気持ちに虚言はない。 それを知り得るのが、また、自分自身のみということに、この言葉の世界の難しさがあった。 見抜け、としか言い様がなかった。

今月は倍音の月。音が倍になって響いていく。反響し、そして、自分自身の宣言の通り、 前月の形をより明確にして、動いていく。「輝きを授け」「(自身に)命じる」
Flowing More Freely Than Wine, All Thru' the Day I Me Mine. (ワインよりも滑らかな流れ。1日を通して、わたしはわたし。)by.George Harrison



「願」

倍音(05)の月07日【KIN 012】黄色い水晶の人
G暦2003.11.21


資本社会はエネルギーの奪い合いだ。威圧、怒り、罵倒、叱咤、そうやって攻めたてる。 畏縮した瞬間、相手は待っていましたとばかりに、奪い取る。そうすると気力が無くなり、元気が出ない。 睡眠を充分として、食事を採り、また他の媒体から「気」を分けてもらい、ようやくと元気になってくると それを嗅ぎ付けてくるハイエナ共が、またあらゆる手段を高じて吸い取ろうと企てる。 それの繰り返しだ。言葉が、その移行を容易くしている。 敗北感を味わうと気力は減り、優越感を得ると気力は高まる。病気の時に優しい言葉をかけてもらうと、 少しだけ元気になり、汚らしく罵られると死にたくなる。「アガったね」と声を掛けられ、その言葉に アゲられる。優しい人は、元気が無い人に、エネルギーを分けてくれる。それは言葉で為される治癒。 「気」を自ら創りだせる人は説法をし人を励まし、画家は「絵」という魔法で人を癒し、音楽家は「音」で 高揚させ、文筆家は「文」で無かったものを作り出す。 言葉が発明された世界は、それを精神だけに止めて置かず、紙幣にも変換した。 元来、この世界に存在するもの(見えるもの、見えざるもの一切合切)すべてはエネルギーの差異で成り立っている。 何処にも移動はせず、此所にあるものは此所にあり続け、消えやしない。移動は言葉で以て為される。 瞬間移動したエネルギーを奪い合う遊戯。だから、たくさんの力を持っている人はそれを貸してあげれば、 自身が弱った時にまたきっと戻ってくる。巡り巡って、僕らは生かされているんだ。 それぞれの役割、役目、この星の目的。空からは、黙って優しく見守る目が在る。 陽は昇り、一方的にエネルギーを降り注いでくれた。何の見返りも求めずに。 怒っている人はエネルギーの飢餓状態の人で、笑っている人は反対に飽食気味なのだろう。 欲してるものを得られた時、そこからまた新たな我欲が生み出される。

そうして僕らは言葉が存在しない世界にも住んでいる。目配せや握手、抱擁、愛撫、風、波、雲の流れ、 吐息、夢の中、酩酊、美しいもの、香り、決して言葉では言い尽くすことのできない広大な世界。 人工物はその名の通り、誰かのイメージが具現化され、都市を構成し、その誰かの発明と想像と創造の中、 いい夢を見ているか、または見させられている。 「マトリックス」ではないが、プラグが抜かれた時には、ただの裸の猿がそこには居るだけだ。 願えばそれを具現化させる能力を持ちつつ、イメージを貪って、果てどもなく言葉の遊戯を続けていくばかり。 人間てのは、いったいどんな生物なのだろうか?

そうやって「言葉」を考えていた時、言葉のない世界を教えてくれた友達が居る。 自分が喋っていない時、その瞬間を見てくれる人も居る。そこにも、僕の真実が在るはずだという。 いつか言葉がいらなくなって、思考は直接に以心伝心し、あらゆる操作や疑念の入る余地もなく、そうすれば 丸裸の猿一匹が、気持ちを渡したり渡されたりして、みんな一緒に行きたいところまで行って、 隔絶することもなく、共有される「イマジン」の世界がやってくるはず。 でもまだ学ばなければならないことが、たくさん残っているから、此処にいるんだ。

いい夢を見続けていこう。願えば叶う。僕らが住んでいるのは、過去の人達の想像力が作り上げた世界。 今、僕らが思い描く夢は、未来の人達が住んでいる世界。怖がることなど何一つなく、信じた通りに、 茎が陽の方向に伸びるように、葉を広げて、空からの恵みを甘受しよう。
「今がサイコ〜と言えるようになろうぜ、今がサイコ〜と生きていこうぜ」by.江戸アケミ


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