TRASH倍音(05)の月20日【KIN 025】赤い水晶の蛇
G暦2003.12.04
今、イタリアから友達のCinziaがやって来ている。10代の頃に友達が電車で声を掛けた。 下北沢のホームで電話番号を聞いて、すぐにたくさん遊ぶようになった。 それから19歳頃にイギリスへ行き、ベニスに居るCinziaのところへ遊びに行った。 Veneziaの仮装祭り、あの体験は凄かった。船で橋を渡し、祭りの為に島へ渡り、 花火を見物した。 誰もが思い思いの仮装をして、僕や友達も化粧をして参加する。 霧がかった水の都に様々な衣装の人々が行き交い、時間も場所も何処か違う次元へとばされ、 "グラッパ"という酒を皆で回し飲みして、彼女の仲間連中と夜通し街を徘徊し、ヘベレケになって 「ベッティーナ」と叫んだ。その意味はもう忘れてしまったけれど。 それで3日間の祭りからイギリスへと戻るとオーバーステイで強制送還、来た所へ戻れと、またイタリアへ 逆戻り。それから約一ヶ月あまりも、面倒を見てもらった。 あの自分自身が存在しないような時間、たくさんのものを貰った。 その頃の彼氏だったベン、その妹のステフィー、イギリスを毛嫌いしてるオスカル、ピッピにルカ、 リカルト、マリアンジェラ、皆親切に気遣ってくれた。日本へのチケットを手配してくれたのも彼女だった。 それからまたCinzia は、Monicaという友達と日本に留学し、やっていたバンドのレコーディングで イタリア語でジャンケンをしてる声を録ったりもした。 23歳頃、その当時に付き合っていた彼女と、例の悪徳バイトで稼いだ金で、2ヶ月間遊びにも行く。 ベニスからローマ、フィレンチェ、Cinziaの田舎アオスタへも行った。 そして音信不通になってしまったのだけど、3年前に友達へ手紙が届き、また日本で再会を果たし、 今回へと繋がった。うまく説明出来ないけれど、時間を越えて、一緒に共有した何か(それはその時の空気 なのかも知れない)それを共通項にして繋がっていられる確かさ。 これからまた連絡が取れなくなってしまったとしても、大丈夫な気さえした。 何処にいたって、あの時の自分が居て、そして消えることのない感情が在り、それはずっと不変だろう。 HERE SCENESで行ったパーティーも、それを如実に表現していた。始まったことには「それから」がある。
言いたいこと、やりたいことを、その時、その瞬間、確実に表現すること。 それがタイミングだ。シンクロニシティ(共時性)を味方にすれば、描いた夢はすべて実現可能なんだ。 そして、共時性は特別なことなんかじゃなく、どこにでもあって、日々、何気なく通っているあらゆる道に、 生活に、行動に、それは在る。その人と出会ったのは、偶然なんかではない。 求め、求め合って、惹きつけて、惹きつけ合って、渡して、渡し合って、まるでエネルギーの循環と同じく 巡り巡って届いていく力。ただ、始めなければ、それは始まらない力でもある。 近道は、念ったこと、願ったこと、考えたことを素直に表現していくこと。 そいつに気付くのに35年も掛かってしまった。粋がったり、恥ずかしがったり、気後れしたり、 照れ隠しに怒ったり、そんなことで気持ちを捩じ曲げているうちに、それは違った質に置き換えられてしまった。 そうして用意されていた道を通ることなく、今この道を歩いている。 それに対して後悔はないし、通らなければ気付かなかったともいえるが、新しい大系にその衒いは必要無い。 しかしもう一人の自分が、まだ旧い質に気遣っていることも確かだ。 熱くなる前に制御を効かせ、冷却ファンが自動回転する。タイミングを外そうとする。 「愛」なのに「愛」とは言えず、言葉を駆使してそれを何かに置き換える技巧。言葉の遊戯に迷い込む。 子供の時に持っていなかった嘘が、年輪を経て、僕を錯綜させる。単純に戻ればいいだけなのに。 答えは其処にある。気付かないかも知れないけれど、すぐ側に、その傍らに、君を待っていてくれる。 後は、自分の気持ちに正直に、そいつを掴むだけだ。
Love is answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it, you got to let it grow
(愛こそが答え、君も手応えを感じるだろう。
愛こそ君を立ち上がらせる、美しい花)MIND GAMES @ John Lennon
倍音(05)の月10日【KIN 015】青い月の鷲
G暦2003.11.24
自意識過剰、という旧い質。相手を自身のフィルター越しにしか見ていない頃の名残り。 懐かしい友達に再会したような感情。嫉妬、それも懐かしい。嫉妬という感情を意識して、 独り、ほくそ笑んでいると、本当に可笑しくなる。それを抑制している自分が愛おしくなってくる。 ここにも、まだ消えていない友達がいた。軽く握手。再会を喜ぶ暇もなく、颯爽と姿をくらます。 その後に、間延びした影が忍び寄る。長く長く連続する袋小路。まっすぐな道は迷宮だ。 まっすぐな道をひたすら進んでいけば、また同じ場所に戻ってしまう。なぜなら、地球は球体だから。 随分前に好きだった人に、その当時の気持ちを今語ったら、ただ微笑するだけだろう。 完成品の思い出を、もう一度、復元する作業など、誰もやりたがらない。その時は、その時にしか、 やってこない。あまりにも年月を重ね過ぎた気持ちは、錨を下ろしたまま放置された船のよう。 いい魚達の住処になっている。錆つく前に、動き続けなければ、いけない。
どんな時でも、僕は僕、でしかあり得ない。「自分の事しか言えないのね」と言われても、当然、 自分は自分の探究者でしかないので、研究成果を発表するだけだ。 相手の心を想像することはできても、何一つ、確証などは得られない。分かり得るのは、自身の心だけだ。 辻褄合わせ、言い訳、思い違い、忘却、どれも起こり得るが、その時点の気持ちに虚言はない。 それを知り得るのが、また、自分自身のみということに、この言葉の世界の難しさがあった。 見抜け、としか言い様がなかった。
今月は倍音の月。音が倍になって響いていく。反響し、そして、自分自身の宣言の通り、
前月の形をより明確にして、動いていく。「輝きを授け」「(自身に)命じる」
Flowing More Freely Than Wine, All Thru' the Day I Me Mine.
(ワインよりも滑らかな流れ。1日を通して、わたしはわたし。)by.George Harrison
倍音(05)の月07日【KIN 012】黄色い水晶の人
G暦2003.11.21
そうして僕らは言葉が存在しない世界にも住んでいる。目配せや握手、抱擁、愛撫、風、波、雲の流れ、 吐息、夢の中、酩酊、美しいもの、香り、決して言葉では言い尽くすことのできない広大な世界。 人工物はその名の通り、誰かのイメージが具現化され、都市を構成し、その誰かの発明と想像と創造の中、 いい夢を見ているか、または見させられている。 「マトリックス」ではないが、プラグが抜かれた時には、ただの裸の猿がそこには居るだけだ。 願えばそれを具現化させる能力を持ちつつ、イメージを貪って、果てどもなく言葉の遊戯を続けていくばかり。 人間てのは、いったいどんな生物なのだろうか?
そうやって「言葉」を考えていた時、言葉のない世界を教えてくれた友達が居る。 自分が喋っていない時、その瞬間を見てくれる人も居る。そこにも、僕の真実が在るはずだという。 いつか言葉がいらなくなって、思考は直接に以心伝心し、あらゆる操作や疑念の入る余地もなく、そうすれば 丸裸の猿一匹が、気持ちを渡したり渡されたりして、みんな一緒に行きたいところまで行って、 隔絶することもなく、共有される「イマジン」の世界がやってくるはず。 でもまだ学ばなければならないことが、たくさん残っているから、此処にいるんだ。
いい夢を見続けていこう。願えば叶う。僕らが住んでいるのは、過去の人達の想像力が作り上げた世界。
今、僕らが思い描く夢は、未来の人達が住んでいる世界。怖がることなど何一つなく、信じた通りに、
茎が陽の方向に伸びるように、葉を広げて、空からの恵みを甘受しよう。
「今がサイコ〜と言えるようになろうぜ、今がサイコ〜と生きていこうぜ」by.江戸アケミ
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