ワッシャー TRASH
白いスペクトルの魔法使いの年(YEAR OF THE WHITE SPECTRAL WIZARD)



律動の月(Rhythmic Moon)
「ONE」
「前略」
「The CARRIER」
「MIRACLE」
「Extension」



「ONE」

律動(06)の月28日【KIN 061】赤い銀河の竜
G暦2004.01.09


リチャード・バック著「ONE」を読んだ。古本屋で100円で買って、そのまま本棚に突っ込んだままだった。 タイミングというやつには驚かされる。今月の最初に触れた「かもめのジョナサン」の作者、彼の本を 何気なく掴んだ偶然。偶然と同時に、必然というやつも感じられる。 出会うために、選び取る。選び取ったから、出会う。出会ったら始まり、始まったら終わることを予感する。 この本には、今月、いろいろと熟考した事柄がすべて詰まっていた。 つまりは、全部、知っていたことばかりだった。 けれども、アイデアを通り越し、この本を先に読んでしまっていたら、また意味は大きく変わってしまう。 自身が考えた末に辿り着いた場所に、この書籍があったことに、大きな意味があり感謝したいのだ。

僕らが、この瞬間、同時に存在していること。Parallel World(併行世界)という観念。 もしあの時、その道を選ばなかったら、いったいどうなっていたのだろう? 選ばなかったという世界も存在する。それは選択によって枝別れしていき、放射状に拡散されていく。 「ONE」では、大きな海の波の揺らぎとして視覚され、主人公はその波の揺らぎへ飛行機で着水し、 違う世界とチャネル(繋がる)する。自身の内面の海へと潜る。 僕と君が出会っていないという選択、そのアイデアに気付かなかったという選択、夢を殺した選択、 あらゆる可能性がその海では揺らぎとして表出する。 僕らは、どのようにもなれる。その気にさえなれば、どのようにだって夢へ近付き、そしてそれになることが できるということが判る。今、在る自分は、その選択の結果というだけだ。 大海原や、果てない大空と同じく、無限の可能性が誰にでも存在している、という話だ。 それは、"Limitless" であり、変幻自在であり、どこまでも続く。 選ぶということを放棄してもいい、戦争に参加したければすればいい、好きな人を嫌いだと言ってもいい、 それはすでに全てが其処にあって、全部の因子が育まれていて、それを発芽させるのは自分自身だけなのだ。 つまり、過去に選択して辿り着いた現在、それから現在とは違った選択をしたという現在、さらにこれから先 未来も同じように選択しながら続くまだ見知らぬ自分、全部がひとつであるということ。 繋がっているということ。それは、僕以外の君にも見い出すことができるということ。 "In Lakechi" = あなたはもうひとりのわたし、ということ。

今日で今月も終わり。また間の悪い時に、風邪を煩ってしまう。 正月明けの虚ろな隙間に、するりと侵入してくる。 僕は、僕の通りに、ここへ辿り着いたのだろうか?流されてばかりじゃなかったろうか? 暗喩が至る所で狼煙を上げた。また最後に、タイラさんの「1 (ONE)」の詩を載せよう。 今月もどうも有難う。 In Lakechi

1 (ONE)

I am not the "1" but only, You are not the "1" but only lonely

ロックバンドのこんな歌にさえ生まれたワケがある  
アスファルトに馴染めない石コロさえ存在を許されてる
その気になれば見えもしないものまであると言い切れる
僕は僕として 君は君として 約束通りに出会おう  
いくらチンケでいたって 取るに足りなくったって  
オレはONLY EVERYBODY'S ONLY!
I am not the "1" but only, You are not the "1" but only lonely

ロックバンドに何が出来るだろう
眠た気な街で歌う事以外  こんな時代に何が言えるだろう
あきらめと上っ面の成れの果て
だけど繋がってるだろう 何か言いたいんだろう   
何が言いたいのかは音楽に聞け
考えるのは止めて 感じた方がいい 
なにが聞きたいのか 己れに聞け  
いくら繋がってたって 出会わなきゃ駄目だって
それはONLY EVERYBODY'S ONLY! 
I am not the "1"  but only, You are not the "1" but only lonely

(C)Song Writer: TAIRA as SAME OLD HEAVYZ




「前略」

律動(06)の月24日【KIN 057】赤い倍音の地球
G暦2004.01.05


謹賀新年。水到りて渠成り。大晦日に実家の名古屋へ行き、本日帰還なり。 実家で正月を迎えるのは、何十年ぶりである。と、実家、実家と言っているものの、幼稚園年長から 小学校6年間を過ごしただけの名古屋だ。ここには母親が居る。3歳年下の妹は3年程前に結婚して離れ、 13歳年下の弟も去年に子供を設け家を出ているので、数年間、お袋独りで住んでいる。 長男という立場の自分は、放蕩息子である。たまにスネかじりに舞い戻る。 いちいちサイドストーリーを拵えないと成立しないような詰まらないテレビ番組を肴に、大酒を飲み、 愚痴をたれ流しながら、それでもテレビにかじりついて年を越す。 除夜の鐘が寂し過ぎ(by.はっぴいえんど)ベランダで煙草をふかしながら、お寺を見下ろす。 実家は9階のマンションの一室で、すぐ前には日泰寺という大きなお寺が広がっている。 四国88ケ所巡りお遍路のミニチュア版地蔵が、ここら一帯に配置されていて、四国まで行かずとも日泰寺の 敷地を巡れば、参拝できるという。弘法大師が来られた寺でもあるらしく縁日がよく行われ、 とにかくもうここら一帯は、全部この寺の敷地で、昔このマンションのすぐ横に姫ヶ池という大きい池が あったのだが、今はもう埋め立てられ駐車場になってしまっている。 ここでよくアメリカザリガニを捕獲したもんだ。捕獲したザリガニを餌にして、またもう 一匹捕まえたりして。お墓のマンションというのも、確かこの寺が日本初ではなかったろうか? 元日にふらりと昔通った幼稚園へと散歩したが、すっかりお墓に埋まり、隅へと追いやられてる。 山の高台にあって、雑木林が広がり、幼稚園まで続く坂が子供心に神秘的だった小道も、区画整理されて しまっていた。「大きな木が欲しい」という絵本にあるような基地を作った大きな木があった場所は、赤茶な土が剥き出しになっている。裏山は水道局の敷地で、ここもよく勝手に侵入して探検した。 蔓植物に覆われた高い水道塔、廃屋がたくさんあって、小さな身長で背伸びして飛び下りた崖、苔に覆われた コンクリートの塀に捨てられた成人雑誌、 漫画「20世紀少年」のような景色が其処にはあった。 僕がその時に見ていた景色は、色褪せながらも、じっと息を潜めている。 過去の決壊が起これば、次々と押し寄せてくる。僕にしか見えないし、聞こえないのだ。

用意したことは、全部、ダメだった。持ってきた「前略おふくろ様」のDVDを見る時間もなかった。 話したい事の半分も言えなかった。そして、過去へと遡ったので居場所を失った。 心ここにあらずで、始終、気持ちが四方八方へ向かう。誰かの事を考える時、その人と交信しているからだ。 でも、母親とゆっくり時間が持てたのだから、それで良かった。 ここで生活している人達にはそのリズムがあり、無理に摺り合わせる種類のものではない。 そういったタイミングでいえば、全てはうまくいった。どこに居ても、月は綺麗だった。 2日に母親のお袋さん、つまり僕のお婆ちゃんの墓参りに行く。 妹が生まれる時、自分が3歳位の時、暫くお婆ちゃんと過ごした。 新聞紙で作った兜を冠り、お婆ちゃんが曵く乳母車(というか子連れ狼のような籐で出来た箱車) で買い物に連れられ、欲しいと泣けば、ほいほいとその籠へと玩具を放り込み、買ってくれた。 亡くなった時、葬式というやつに集まる慇懃無礼な輩に憤りを感じ、一人で腹を立てたけれど、どうやら それも冠婚葬祭のある側面であることに気付いた時、赤面した。 家督を継ぐ者が居ないため、もうすぐお婆ちゃんの住んでいた家は売却される。 最後にその家の前を通った。すでに査定が始まっているとのことで、中には入れなかった。 お爺ちゃんは自分が物心つく以前に亡くなっていたが、かなり豪傑な人で、一代で財を為し、そして一代で それを喰い潰し、粋に死んだ。長く漆黒の塀、玄関の引戸をくぐると大きな土間、その奥はお勝手で 大きな冷蔵庫にプラッシーが飲み放題、さらに土蔵へと続く橋、下は溝川が流れてた。 玄関脇すぐ左側が皆が集まる茶の間で、部屋はいくつもあったが、あまり覚えてはいない。 2階もあったと思うのだけど、確かいつも電気がついていなくて怖くて行けなかった。 それと白土三平の漫画が並ぶ本棚だ。すごく可愛がってくれたお婆ちゃん、また幼少の頃へとタイムスリップした。

3〜4日まで、伊勢の鳥羽石鏡で一泊温泉旅行。初めて兄妹弟の家族が勢揃いした。 お袋にとっては、きっとすごいイベントだったに違いない。僕にとっても、緊張あり、道化ありの不思議な 旅行となった。弟の嫁さんとは初対面だったし、妹の旦那とは結婚式以来だ。 宴でひとしきり盛り上がった後、弟と妹の旦那とカラオケをした。3人で2時間、歌いまくりだ。 もう酒は浴びるように飲んだ。飲まなけりゃいけない、そうしないといけない、と呪文を唱えながら飲った。 宴で隠しておいた刺身を持って、ロビーで飲った。気付いたら、自分一人だけだった。 それでも、どうにか月は綺麗だった。

グレゴリオ暦2004年、正月の景色。「こころ」は、「此所」にある「炉」だ。 たくさん放り込んで、盛大に燃やしてやれ。PASSION だ。 何処から眺めたって、月は綺麗だった。同じように月夜の許で、同じように足を鳴らして、 たくさんの思惟、引金、閑とした空気、白い吐息、予兆、過去と現在と未来を貫く線、戸から見る雲、 言葉じゃない何処か、小さくなった母親、云々。草々。

月ひとしずく

人にまかせて 僕らはいこう
人にまかせた 人生だから
何を言う 何も言うな
今夜の月も綺麗だね

人の言葉で そのまま来たら
とても疲れて 身体に悪い
当たり前 当たり前だ
それでも月は見ないとね

夜のとばりの香りが 何て素敵
雁が飛び行く眺めに 月ひとしずく

人の心は 移りが早い
浮かれていたら バカを見るけど
気にしない 気にはならない
今夜の月も綺麗だね

夜に寄り添う気分は 何て素敵
夜風に雲が流れて 月ひとしずく

人にまかせて 僕らはいこう
人にまかせた 人生だから
何を言う 何も言うな
今夜の月も綺麗だね 綺麗だね 綺麗だね

 (C)Song Writer: 井上陽水/奥田民生/小泉今日子




「The CARRIER」

律動(06)の月18日【KIN 051】青い水晶の猿
G暦2003.12.30


「人は弱さ、洒落た言い方をすれば、肩の木の葉の跡とおぼしき箇所に、射込んだふうの矢を真実と呼んで ほめそやす。けれども、そんな判り切った弱さに射込むよりは、それを知っていながら、わざとその箇所を はずして射ってやって、相手に、知っているなと感づかせ、しかも自分はあくまでも、知らずに しくじったと呟いて、ほんとうに知らなかったような気になったりするのもまた面白くないか。」 これは昔から好きな太宰の言葉。「やさしさ」や「思い遣る」気持ち、それを人は持っている。 その気持ちの中でしか通用しない言葉ではない物語、よしんば言葉を用いたとしても、 その台詞に真意は留意せず、またそれとは違った方向を読み取ることが出来る。 それができるようになれば、その関係は確固としたものなのかも知れない。 愛は言葉、であると同時に、実体をともなわないお化けでもある。 見える人には見えるし、疑う人の前には姿を表わさない。 言葉は、ただその表層を、輪郭を、側面をなぞっているだけなんだ。

上も下もない、右や左もない。すべての事柄は、放射状に拡散していっている。それが四次元の世界。 瞬間にそれを掴んだ時、即座に次のステージが表れる。と、同時に、過去とも未来ともリンクする。 此所でやってる自分と、過去にやっていた自分、未来にやるべき自分、すべて同列に、それを選択した瞬間、 繋がる。だから我々は、この現在と呼ばれ、一方向に流れていく時間軸だけの存在ではない。 が、しかし、選択を出来るのは、今、僕らが存在している世界だけでしかできない。 多分、きっと、そうだ。そんな事を了解できるならば、積極的な言葉と消極的な言葉は、磁石のS極とN極と 同じく、ただ分断されただけの、結局は同じ根から派生した仲間ではないだろうか。 上昇も下降も同じこと。時間が球体であるとしたならば、その球のどの位置に留まっているのか、 それを明らかにすることが求められている。それが、我々の存在理由でもある。 「人生は石鹸。使えば使うほど、なくなっていく。」とゴダールの映画で、吃りの老人が呟く。 とてもカッコいい言葉だと思ったが、ただそれだけのことでしかないとも思った。 もうそんな美学はたくさんだった。お互いに顔を見合わせて、「ね」と言う時、「ね」は「根」を表わし、 深くルート(根)から繋がり、判りあえる。「な」ではなく、「ね」だ。 それ以外の言葉は、もういらない。新しい時代の能力。たくさんの言葉を列挙するのでもなく、「ね」で 了解する超能力。僕らの子供たちの世代は、きっとそうなっているはずだ。ね。

こうやって手を変え品を変え、毎度同じような議題の側面を、違った角度から眺めている。 答えは無数にある。でも知っていることは、ひとつだけ。それも、生まれた瞬間、自分自身で知っている。 その役割が、年数を経て、細胞分裂と同じく、無数に散らばっていく。答から質問が生まれる。 それから質問がまた答を生み、その答は質問を生む。僕の「白い魔法使い」というKINは、出力の時間セルを 持っている。表現することが役目。通路の地球家族であり、根であり、送信する真実の氏族である。 入力、保存、処理、出力、母体を役目に持っている人もいる。 皆、同等にそれでバランスをとっている。満たし、思い出し、練り上げ、表現し、自己制御する。 知ってか知らずか、感覚で生きている人も居る。僕の神秘KINであるタイラさんのKINは「青い手」 保存の時間セルを持ち、思い出し、中核の地球家族であり、心であり、変換する血の氏族だ。 彼は自らを、"CARRIER" と言う。たくさんのものを背負い、運んでいる。 太宰治とタイラさんは同じKINを持っていることを、僕は知っている。 彼のこの曲が、今回の長ったらしい文章の答だ。それを彼は、音楽で運ぶ。そして簡素に語る。 僕は僕に出来る方法で、絵を書ける者は絵を書き、話せる者は話を聞かせ、守れる者は守っていけばいい。 君の夢は、きっと君の役割だから、ね。

The CARRIER

What do you get upon your shoulder,
 What makes you sad, makes you cry
What will you carry a long long time,
 Love is still waitin' everywhere

すべてが終わり すべてが始まるのなら
きっと君を連れてく 見知らぬ人達に会いに
真っ暗な空 星一つ見えなくても
生き延びてやるさ 君に出会えるその日までは

 鏡の向こう 誰かが笑う プレゼント持って
 手を振りながら お別れを告げる

What do you get upon your shoulder,
 What did you take, did you try
What will you carry a long long time,
 Love is still waitin' everywhere

いつかどこかで 出会えた人達に
お礼を言うよ 明日がやって来なくても
これから出会う まだ見ぬ兄弟達へ
運び続けるさ 遠く離れていたとしても

 すべてが終わり そして始まる そして繰り返す
 手を振りながら 挨拶を交わす

 (C)Willie's Apple/Song Writer: TAIRA as SAME OLD HEAVYZ




「MIRACLE」

律動(06)の月16日【KIN 048】黄色い太陽の星
G暦2003.12.27


「骸骨がケラケラ笑ってこう云った、どうせみんなくたばって、俺らみたいになっちまうのさ」と歌ったのは 岡林信康。幸いなコトに、まだ骸骨までには時間がある。 たくさんの音楽が頭の中に去来する。「うまくやってるかい?」と尋ねていく。 前に訪ねてきた時とは、少しばかり調子が違っていたりもする。 自転車を漕ぎながら、それらの曲を確かめる。みぞれが降ってきた。東京、初雪。 「どうにかなるさ、何があっても、先のコトなどわからない QUE SERA QUE SERA QUE SERA」と 昔、自作の日本語詩で歌っていた彼のコトを考える。やっぱり凄い人だ。 ワダチ・レーベルは自然消滅してしまったが、残された数枚のCDを久方ぶりに聴いてみたら、背筋が ゾクゾクした。タイラさんの詩の選択は、見事なタイミングだ。 選び取られた言葉の裏には、数万語の捨てられた言葉があり、それらをも成就させ、昇華させた曲たち。 そう思ってくれる人達が、今だにそのCDを手元に置き、きっと思い起こしては聴いていてくれる。 それは、少しでも製作に携れた者にとっても無上の喜びに違いない。東京、発行き。

奇跡は、一方通行では起こらない。すべてのタイミングが、ピタリとハマった時に、天地がひっくり返る。 恋ならば、求めて求められ、そしてバラバラになっていた事柄が統合され、ピタリと一つに合わさる。 バシャールはかつて、瞬間移動もその原理に基づいていると云った。 此所にある物体を、彼所に移動させる事は容易い。物体を転位させるのではなく、空間を転位させる。 それにエネルギーはいらず、人の想念が動力源であり、それが可能になれば距離、空間、時間を越えて 旅行をすることが出来、彼等自身もそうやって地球にやってきていると説明した。 引き(惹き)付けること、それに引き離すこと。自然のリズムが感知出来るようになれば、 ローリング・サンダーと同じタイミングで人を癒すことだってやれる。 それで、いまだにこの世界が不自然に見えてしまう人は、自分自身で、今奏でられている曲と違うリズムで 独奏してしまっているんだ。「13の月の暦」を使い始めて2年弱、そのテンポに少しでも近付きたくて、 暦を使ってリズムキープをしている。グレゴリオ暦のリズムでは、ズレが生じてしまうからだ。 自由意志の自由は、人を不安にもさせる。サルトルの云った「人間は自由であるように呪われている」という 実存主義的境地でもある。これは諸刃の剣でもあるが、自由に束縛されていると考えてしまえば、なるほど、 その通りでもあるが、結局は瞬間の行動でしか実存できない生物が人なのではないだろうか。 自由には制限はない、というのも真理だ。そこに制御を掛けてしまうのは、いつだって自分自身だけだ。 自由は渾沌の海、どこまで潜っていけるのか、深くなればなるほど恐怖心が芽生え、先が見えない先にまた 恐怖し、息苦しくなっていく。潜るのを諦めたからって、自由を制限したのはその本人だ。 ジャック・マイヨールのように、先の先にはもう帰って来たくないぐらいの心地良い世界があるのかも 知れない。わからない、不明瞭さに、人は怯える。結局、僕らはまだ骸骨までには時間があるんだ。

BAR営業を開始して4ヶ月。G暦今年12月25日で、HERE SCENESという屋号で営業を開始して丸6年。 石(意志)の上にも3年と云いますが、あっという間の6年でした。 光陰矢の如し。そうなって、やっと了解したことばかり。たくさんの人との出会い、新たに知り合った人、 それに古い友人、全部が交差して、また新たな色で重ね塗り。モノクロよりも虹色がいい。 考える前に跳べ、という声がする一方、オマエは低能だ、という声もする。 いろんなものが別々のピースに分かれ、綱引きをしている感じ。 それでも、You're Gonna Carry That Weight!  道は何処かへと連なっているので、歩いていこう。 Life Goes On だ。「I Need Miracle Everyday」 と歌ったDEAD と一緒に、 Ship Of Fool に乗り込もうか。なにしろ、Eye Of The Warld は、僕の目でもあるし、 君の目でもあるのだから。毎度ありがとう、In Lakechi

Que Sera, Sera  (Whatever will be , will be)

あれはまだガキの頃 そっとママに聞いてみた
格好イイ金持ちになれるかしら
She said どうにかなるさ 例え何があっても
未来の事など 大丈夫
 Que Sera, Que Sera, Que Sera

恋人ができた時、彼女にも聞いてみた
これからの生活はうまく行くの
She said どうにかなるさ 例え何があっても
未来の事など 大丈夫
    Que Sera, Que Sera, Que Sera 

真っ暗な空 1人ぼっち 星1つ見えなくても
明日になれば気分も少しは変わるかしら
どうにかなるさ 例え何があっても
イイ加減なモンだな 世の中なんて
 Que Sera, Que Sera, Que Sera 

 (C)Song Writer: TAIRA as SAME OLD HEAVYZ




「Extension」

律動(06)の月03日【KIN 036】黄色い惑星の戦士
G暦2003.12.15


上昇したら下降しなければならない、というわけではない。 ずっとあがっていったっていい。「かもめのジョナサン」はそんなヤツだった。 錬金術は、無いところから有るものを引っ張り出す。魔法は、信じられた者だけに降ってくる。 どうだろう?自身の信じた夢以外の未来は、あまり見ない方がいいような気がする。 どんなふうに考えたからって「今」を着地点にしなければ、どの方向にだって跳ぶことは出来ないのだから。 過去は、冷たく沈澱しているだけ。かき混ぜれば、舞い上がり、水を濁す。 「心を乱すな」フォースを使うジェダイの戦士は、それを信じている。敵は、自分自身だけなのだ。

心の領域が、何か問題が巻き起こる度に、拡張されていく。そうすると、次に同じような事態が起こった時、 前と同じようにその問題に溺れることはなく、それを飲み込んでまだ余りあるぐらいに領域を確保することが できる。それはどんどんと大きくなる。 苦しいことや、辛いこと、残傷や悔しさ、それは次の領域のための通過点に過ぎない。 その機会を与えてくれた問題に感謝する。気付き(築き)たい者は気付き、見たくない者は見なければいい。 歩きたい者は歩き、止まりたい者は止まったらいい。すべてが、自分自身の選択だ。 人にすがりたければすがればいい、巻き込みたければ巻き込むがいい、質問を発したければ発せばいい、 ただその疑問が芽生える時、すでにその人は答えを自分自身で知っている。 持っている答えを分離して、他者に投げかけているだけだ。 それさえ、分かっていれば、そこにきっと愛があるはずだ。そんなアジテーション。

もう周囲を見渡しても若者ばかりだ。好き勝手にやってきて、同じようにやってみても、どうしたって ギャップは埋まらない。もう一つの世代、僕らの世代、さらに僕らより上の世代、不思議な心持ちだ。 いつも年下でいた自分が、気が付けばそこでは一番年上という事態に、もう馴れなければならない。 かといって、無理に迎合するわけでもなく、敵意をむき出しにするでもなく、普段と変わらぬわけなのだが、 少し不安もやってきたりする。 確実に生きている年数が違うという事実、見えている景色は同じなのだろうか? 馬鹿な溜息を漏らしたものだ。それだから、気持ちはすぐにでも伝える必要に駆られる。 やれる時間が限られているからだ。それを意識しはじめて、また20代とは違った焦燥感に襲われる。 今月、律動の月は、他者へ自身の思いを拡張させる月だ。独り善がり、自己満足だけに終わらず、 他者をも巻き込んで広げていく。キーワードは「同等を組織し」「つり合わせる」こと。 倍音から始まった「行為のリズムを拡張する」という流れ。 今まで、いつも一人だけで独走してやってきたように思える。 誰の伴走もしない。 混ざる必要もなかった。そうして自分一人でやれているような気になっていたが、勿論、それは正しくない。 いつも誰かの協力が必要だったし、味方が傍に居てくれて、自分のエゴが成立していた。 でも勝手に走り去りたくなる時もある。うまく言えないけれど、辛抱できないことも多い。 それに対して落ち込む、または旧い質では自己嫌悪という便利な言葉がある。 欺瞞や犠牲、批判、それを自身に対して行うことを、下降意識という。太宰が愛用していた代物だ。 その彼から、まだ抜け出せない自分も居る。弱音を吐きそうになり、また自虐に逆戻りする。 それを引き戻すように、友達が居て、暦があって、心の領域を拡張させる。 繰り返しだ。駄目になりそうな時、傍に居てくれる人は、大切な人だ。 そうやって助けられるから、脳天気で日和見で楽観的な顔をしていられる。 だから、僕も、誰かの傍を伴走して応援したいこともあるのです。 成可く、悪しき言葉を自制する。 もっと、受け止められる領域を大きくしたいと思うのです。

もうグレゴリオ暦では年末風情。クリスマスやら大晦日やら、街も賑やかです。ふと、街はパレードか。 最初に書いたように、上がったら下がらなければならないという法はない。 決められるのは自分だけだ。バランスさえ失わなければ、いつまでだって飛んでいられるし、 どんなに遠くにだって行ける。 バビロン・システムに迎合したっていいし、アルケミストにだってなれる。 できることなら、夢は、殺さない方がいい。 自分自身を殺さないためにも。ありがとう、In Lakechi


Copyright(C)ICCH