ワッシャー TRASH
黄色い宇宙の種の年(YEAR OF THE YELLOW COSMIC SEED)



電気(3)の月の月(Electric Moon)
NEW 「有無」




「有無」

電気(3)の月10日【KIN 169】赤い宇宙の月
G暦2005.09.29


時は何かを知っている。それは、時間の経過に身を任せるっていうこと?そういった方法もある。 問題を放っておくと熟成されて、ある種の結果が導きだされる。 ある者はそれを「怠惰」と呼んだ。未来(さき)の首根っこをひッ掴まえて、今に持ってくること。 「時」という発明は、いくらでも亜流を拵えられる。あたかもそこに「時」が在留してるような錯覚さえ 起こす。そして錯覚も真実の側面を晒す。

ふむ、商店は軒並み開店休業中であった。焦点はそんなところになひ。 有無と云えば、ある、ない、ある、ない、ある、ない、ある、ない。 有ると云えば無いし、無いと云ったら有る。 有無は、産む。無いところから生まれ、有るところに育つ。御意に、御意に。

答なんて依然見えてこない。歩いていく先々に自身が必要としているものが見えてくるだけだ。 拾っては投げ、拾っては投げして、何処か見晴らしの良い景観へと辿り着く。 ある時はコテンパンにのされ、ある時は幸せに身を震わす。 物語がどんどん書き上げられる。価値体系が出来上がる。政治や闘争、美意識や自尊心、 僕らの防壁が築かれる。歩かなきゃならない。

そうしてみると、きっと最初に持っていたものに辿り着く。 生きていくために武器とか策略とか防衛術とかを学んできたと思っていたのに、実はそれが何かを妨げていたことに気付く。 何も持っていなかった時が、何者をも寄せつけない強さであったかも知れない。 最初の時、それが一番、純粋で神々しかった。 戻りたいけれども歩みを止めるわけにはいかない。 自分自身の源は内に包まれていて、拡がろうとしている。 宇宙が膨張して収縮するように伸ばすだけ触手を伸ばし、拡散する寸前まで拡がったらまた戻っていく。 いやはやまったく大風呂敷。 身をまかせて歩いていこう。眺めが良いところまで。


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