ワッシャー TRASH
黄色い太陽の種の年(Yellow Solar Seed)



倍音の月(Overtone)
「∞」 |
「休みの国」 |
「Escape」 |
「Slowness」 |


「∞」

倍音(5)の月27日【KIN 82】白い自己存在の風


昨日NHKスペシャルで宇宙の話をやっていた。宇宙は膨張し続けてるんだってさ。そうすると、星や銀河の密度は薄くなるから、星と星の間、銀河と銀河の距離も遠くなってしまう。今まで真空には何も無いと言われていたのだが、そこに未知のエネルギーがあり、それが宇宙を広げているらしい。 そのエネルギーは減ることはなく、むしろ宇宙が広がるとその割合も同じだけ増えていくらしいから、さらに膨張は加速していく寸法だ。しかし、その宇宙の包有している物理的な割合は時間と共に消費されていくだけだから、いつかこの宇宙には何も無くなり、真空だけが支配する。太陽も膨張してそのエネルギーを放出し終えるから、勿論、地球などはとっくにひからびちゃうし、太陽が無くなったら銀河はお仕舞いだし、星も寿命を終えるとバラバラの塵に戻るか、ブラックホールになり、それも消滅する定めだ。そうやってただの真空が何も無い宇宙空間が ただ膨張していくだけ。けれど、そこにも救いがあって、ワームホールという時空の歪みから別の宇宙へと行けるトンネルを、その真空のエネルギーを使って広げれば、そちらへ渡れるかも知れない。以上、何万億年先の話でした。それに備えて、コロニー計画とか、DNA操作で不定形生命体になり宇宙空間でも生きていけるような代物を創ろうってんだから、すごいものだ。もう人間とかいう有史以来の物語は、 違った新しい形、倫理へと移行していく時期に差しかかっているような気がする。 通用しないんだから、覚悟しなくちゃならない。もし死が克服されたら、そこから逃れられる道があるとしたら、およそ今までの文明は破棄される運命にある。なんてね、単純なんだから。一つの戦争でさえ、どうにもならない人間が、生命を操るなんて真似、桁が違い過ぎるよ。人間は宇宙を計測し、生命を計測し、どんどん膨張し容量を拡張していくが、それが賢いとは思えない。なぜなら、真空にあると思われている未知のエネルギー、そいつもそうやって増えていくように(なにしろ宇宙が膨張すれば、その分それは増え、増えるとまた膨張するスピードは加速するというねずみ算なんだから)知識が増えれば、問題も同じように増え、その問題が違った問題を生むという、まさに加速的に進行していく無限奈落なゲームだから。 けれどもそれを知っていても止まらない、欲望もまた加速して身を滅ぼすまで膨らんでいく種類のエネルギー。失敗できるうちはいいが、次があるうちはいいが、、、。

なんか薄気味悪いんだよね。まるで誰も、自分自身が何であるかを説明できる者など居ないのだから。 それでも、飯は喰うし、眠るし、排便するし、交尾し種は蒔くといった生命活動を繰り返す。 でも動物とは違う。未熟なまま産まれた猿は考える。便利さ快適さ、攻撃、その方法、安心、奪う術、 未知なる力、それにまた挑戦して克服する。真実は、別段、どこにもない。在るのは知覚できるものだけ。考えられないものは考えられず、例えば宇宙の先、宇宙空間は途方も無く広いが計測出来る範囲までが果てである。広がっているというのならば、それはずっと永遠に追いかけっこをしなければならず、無限である。無限という概念、それは未来も同じく、過去も同じく。人間が居ようが居まいが、 であるが、計測する知的生命体が居なければそれは実体は無い。というか、無限という概念自体、不必要だ。うわ、こいつは大風呂敷だ。収縮〜。その領域へ行ってしまうと、詰まり、人間は共同体ということ。独りでは生きられない生物なのだろう。足を引っ張ったり引っ張られたり、誰かに嫉妬したり、笑ったり泣いたり、怒ったり怒られたり、間違ったり発見したり、教えたり教えられたり、そんな伝達ゲームに興じて、生を全うしていくこと。 その他には何にもないよね。宇宙が膨張しようと収縮しようと、この刹那を真剣に生きていくことしか。自分が好きな人達と。



「休みの国」

倍音(5)の月23日【KIN 78】白い宇宙の鏡


グレゴリオ暦が関係無いなんてことはない。それは何も見えていないのと一緒だ。そこに依然として現存し、 それに支配され、時計で時間を測り、追われて、終電を気にしたり、カップ麺に湯を入れて3分待ち、月末には支払いがあるし、クリスマスもやってくれば、お正月の三が日はどこの店もお休みで新年を祝ったりしなければならない。一斉にそれをやるわけだから、影響を受けずにはいられないし、知らん顔をしたって期日には 取り立てがやってくるようになっている。皆が従っているものに叛旗をひるがえしても、そいつが便宜上、既存のシステムであるのだから、今までと同じく歩調を緩めるわけにはいかない。離脱する時は、この世界と無縁の場所へ行くか、このシステムに頼らないものを構築するか、、、ああ、そんな事はオマエなんかに云われなくたって、至極、ご尤も当然の話でございましょう。「ふん、悪かったわね」と、こまわり君だったら、尻を剥き出し左右に揺り動かしつつ、悪態をつくことだろう。こまわり君はいいな。なにせアナーキストだからな。非常識は素晴らしい。しかし、そんなの、例えばチンチン曝して闊歩していたら、やっぱり狂人扱いされて精神病院送りで、カッコーの巣の上で状態で、チーフに息の根止められなきゃならない。ハハ、 閑話休題。問題はどうやって擦り合わせるかということだろう。グレゴリオ暦と協調して、新しい時間を生きるんだ。それは、こうやってこの世界と関わった我々の責任。誠実に、素直に、本当の自分自身を探り当てなくちゃならない。否、強制ではない。何の疑問も軋轢も生じていないのであれば、そのままでいいだけの事だから。

変わるかな、変われるかな、そんな微妙なそれこそ危うい瞬間、躊躇したり、常識に足を引っ張られたり、 恐怖を感じたり、もう一歩、踏み出せずに引き戻される。この世界は至る所に高次元な、三次元なこの世界から逸脱できる因子が紛れ込んできていて、願えば、感じれば、そこへ侵入できる活路がたくさんあるんだ。 特別じゃなくて、誰でも行けるとこ。それだから、念いが一番大切になってくる。 最近はそれ以外があまり重要じゃなくなってきている。何もしないこと。僕は実際には何もしなくたって、 空も飛べるし、地球の中心核にある水晶にだって行き着ける。だから、きっと休みの国にだって行ける。



「Escape」

倍音(5)の月16日【KIN 71】青い律動の猿


ワダチが張り切っていた。青猿の日だから仕方なし。最近は、無意味に反抗するし、我を通したくてウズウズしていて、また何でも口の中に放り込む。沖縄では石を喰うようになったら神隠しに逢う予兆だという。 グレゴリオ暦の月末は気が重くなるようにできている。支払いが主な原因なのだが、例えばこれが13の月の暦で皆が生きていたとしても、月末の気重さは解決されやしないだろう。問題はこのシステムに潜んでいる。 そう、物質文明。云うは容易い。もう、すっかり物質まみれでございます。そしてそれが商売。 だから何だってんだ。言ってみれば、他人が捨てた物を拾って稼ぐんだから、それはエコロジーな思想であり、消費するな、物を大切に、といった非常にこれからの時代に大切な、、、まぁいいや、そんなコト。 さっきまで、店の天井に棚上げされていた遺物を整理していたら、どっさりと水槽器具が発見されて少しブルーになった。それで、1ヶ月ぐらい前に家の掃除をやった時に発見された機器を、たっぷり捨てた事を思い出し、もっと落ち込んだ。パワーフィルターて知っていますか?エーハイムのやつ。買えば3万円ぐらいするやつ。それのモーター部分を捨てちまったんだけど、今回、見つかったのはそれの濾過ケースなんだよね。 それが対で完全体。ケースだけじゃ役立たず。ふぅ。一時は、120cm水槽ニ層、90cm水槽、45cmが2つと狂っていて、パワーフィルターも3個ぐらいあって、水の重さで床が抜けそうだったんだよね。 海水魚だったから塩代もバカにならないし、水換えも阿呆みたいにやらなきゃなんないし、その上、バッタバッタと落ちて(落ちるとは死ぬってこと)いくし。あれがバブルなんでしょうか? それで、猫が居て、フェレットが居て、観葉植物だらけで、車なんかも持っていて、オマエはいったい誰なんだ。不毛時代。途中で歯止めをかけなかったら、大変な事になっていただろう。 結局、金が続かなくなり、飽きてきて、そうして生活が転換すると手放して、自暴自棄にぶち壊すことで麻痺した感覚を取り戻すんだ。誰でもない自分への帰還。所詮、裸の猿。どうしたもんかねぇ、これ。 たまにはこんな逃げの一手も面白かろうが、月末も師走も年末も全然、関係無ひのれす。 この暦では5月16日で、まだ一年の半分も過ぎちゃいない。



「Slowness」

倍音(5)の月07日【KIN 62】白い惑星の風


テレビ画面の中で繰り返し観た映画の場面が、飽きもせずにエンディングへ向かって進んでいく。 そのテレビの上には、沖縄へ行った友達からのお土産のマングローブが新しい葉を出そうとしていた。 さらに、その上には、一枚のポスターが張ってある。ヤシの木に囲まれた海岸で一服する骸骨と、海の向こうにはデッドでお馴染みのSkull& Roses が浮かび上がっている。それを、テレビと対峙して、こちら側から眺めている自分自身が居た。それぞれの時間が、あるものにはゆっくりと、あるものには急いで、進んでいく。 隣の部屋では、時々思い出したかのように、子供の夜泣きだ。そこにも、一定のリズムがある。 映画はフェリーニの「8 2/1」独特のテンポで、主人公の妄想なのか、映画の撮影なのか、劇中劇なのか、監督の意図なのか、混乱させるような散らかった情景が繰り広げられる。昔から、あのハレムの場面には思わず噴き出してしまう。それまでの全ての女性の登場人物が一堂に会して主人公に奉仕するのだが、そこには暗黙の掟があり、ある年齢に達した者はそこから去り2階へ追いやられなければならない。反乱を起こす老女、しかしそれもそこでは劇中劇に過ぎない。主人公の監督役の苦悩はフェリーニの苦悩なのか、といったような 下衆な勘繰りも当然、その映画には織込み済みであった。マングローブは、それこそまるで人間には感知の出来ない速度で時を刻む。ポスターは止まったままだ。同じように海を眺めた骸骨が煙を吐き出している。 何も求めず、欲しがらず、ただ黙ってそれらを眺めて、それに気を許し、依存しているとまるで自分がそこに存在していないような不思議な気分になる。テレビの中の物語、植物の物語、ポスターの中の物語、隣の部屋の物語、主観は消え客体化された自分がいたるところに顔を突っ込み、そうしてその物語には無関係に浮遊していると、まるで神にでもなったかのような驕った傲慢さが擡げる。それぞれの物語の主人公は、それぞれの世界で活躍し、勝手に眺めている自分はそれを取り込み、心の中で再構築して、新たな関係を築いてほくそ笑む。絵でも描くように、配置を与え、配色し、関係性を憂慮したりして、不必要な題材は2階へ追いやってやるのだ。

And in the end the love you take is equal to the love you make.




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