ワッシャー TRASH
黄色い太陽の種の年(Yellow Solar Seed)



惑星の月(Planetary)
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「鈍行」

惑星(10)の月21日【KIN 216】黄色い銀河の戦士


無為こそ過激、テーゲー、Born to loose、ぼちぼちいこか、急がば回れ、数々の言葉で焦燥感を打ち消そうとしてきたが、なぜだか早歩きで後ろを顧みようとはせず、ただ忙しなく、ただけたたましく、歩調を緩めようとはしない。そろそろと息切れがしてくる。走ったって歩いたって、その距離に大差は無いだろうに、どうしたって先を急いでしまう。もう草臥れた。倦怠感と徒労、気ばかり焦って失敗ばかりし、運動能力は日に日に低下していく。そうやって終わりを迎えた時、お迎えが、高級車だろうが、リヤカーだろうが、どちらだって構いやしない。死して屍、喰らう者なし。どうしたって、人はその人の通りに生きていくしかないんじゃなかろうか。これだけ長いことやってきて、それでもまだ、自身の生き方を模索している。 この分でいけば、やはり死ぬまで後悔をして、反省をして、勉強をして、不用意にヘマをやらかすんだろう。 仕様がないね。悟りはやって来ない。悟ったところで、解脱なんかしやしない。けれども、それが何処かしらで息潜めているに違いないと、想像することだけはできる。かくれんぼ。鬼が見つける頃には陽が暮れる。

鼻が詰まっていて味覚がない。風邪が長引く。味覚がないと、食事を取っても面白くも何ともない。 退屈なんだな。ダウンタウンの「ごっつエエ感じ」のビデオを借りて、転げ回って笑った。笑いは同時代でないと解せないんだろう。現在、十代の若者はコレを見て笑えないんだろう。ざまあみろ。 で、やつら若者の笑いを、自分は理解できないんだろう事は否めない。仕方なし。いつでもそうさ。 こうやって放屁してる毎日、アフガンではざっくざくと人が殺されていく。自爆テロで血まみれの子供の映像がテレビで流れた。アメリカの武力報復がこんな形で波紋を広げているんだ。 パレスチナのテロ、イスラエルの武力制圧、力が力を呼び、血で血を洗う、凄惨な光景が日常化していく。 白いベッドのシーツが、顔面を吹き飛ばされ子供の血と透明の分泌液で、パレットで混ぜ合わせたように赤く染まる。嗚咽。殺し合い。歴史が、何重にも幾重にも厚い層を形成して、怨念や諦念が絡み、そしてこのタイミングでアメリカの馬鹿な武力行使に共振してしまう民族、反撥する民族、言葉は泥にまみれ、弱者は踏みにじられ、銃を持つ者は行使する。審判の日、近し。全ての宗教は兄弟であるはずなのに、他者の幻想を攻撃して止まない。それぞれの幻想(宗教)が否定された時、それは自分が勝手に幻想していたような立派な人間では無かったことを認める態度、そこに真実を探究する姿勢が生まれる。キリスト教の教えである。 人生そのものが宣言する「言」 それは、はじめから在ったものであり、可能性についての「言」である。 (1)人生のすべては良い。(2)おまえは絶望の状態のままで、すべて受け入れられている。(3)したがって過去の全ては承認済みである。(4)したがって、未来はすべて開かれている。これは、あらゆる人間に対しての存在の許可であり、過去の赦免であり、未来に向かっての自由の賦与である。

全ての宗教は、根本的には正しいと思うし、肯定的で救いある希望に満ちた幻想である。 仏教も、イスラム教も、キリスト教も、それは道でしかなく、始まりから終わりまで連なる幹線道路である。 そのような大きな道を通らなくても、空を飛び越えて行こうが、穴掘っていこうが、車で行こうが、バイクで行こうが、徒歩で行こうが、歩こうが走ろうが、やがて皆が辿り着くところは同じである。 道程は各々、好きなように、自由意志で行こうじゃないか。ゴールは一緒なのに、行程が違うからといって、 殺すなんて真似は利己主義でしかない。急くな。




「AHEAD!」

惑星(10)の月13日【KIN 208】黄色い宇宙の星


52日周期「与える黄色い南の城」が今日で終わる。13のウェイヴスペルが4回繰り返されて52日、城(52日)が5回繰り返されて、260日周期ツォルキンが一巡する。KIN1が今年の電気の月2日(G暦2001.9/21)だった。それから城は、「回転の赤い東の城(KIN1-52)」「交差の白い北の城(KIN53-104)」「燃える青い 西の城(KIN105-156)」と動き、そして今日終える「与える黄色い南の城(KIN157-208)」 明日からは最後の「魅惑の緑の中央の城(KIN209-260)」を迎える。この260日暦『ツォルキン』と、13ヶ月28日+時間を外した日1日=365日の『13の月の暦』が歯車のように交差して、様々な時間の多様性を生み出すんだ。 暦が時間を生み出すわけではなく、それぞれの人間の意識が、それを際立たせてみせる。 主体はいつでも我々、個々の念い、決断、考え方の多様性、自由意志だ。インラケチ!

数日間、久し振りに風邪にやられた。丁度、一年ぐらい前にやられた時に、身体に休息を与えるのではなく、薬漬けにして逆に酷使し、それを生活の所為にした。金を稼ぐため、休んでなどいられないという理由だ。 二度あることは三度ある、またしても同じように休息より仕事を選んだ。そうなんだ、そんなタイミングで 奴はやってくるもんなんだ。えい、ままよ、こうしてくれる、えいえいえい、どうだ。 どうもこうもない。今回の奴は手強かった。じわりじわりと、なぶり殺し、生煮えな感じだった。 そして、自分のサディスティックな部分が強調される。当たり散らす、悪態をつく、どいつもこいつもFUCKでSHITでBITCHであった。自暴自棄、聞く耳持たぬ、カレンダーなんかクソくらえ、大音量でニルヴァーナ、吊るしちまえ、殺っちまえ、犯っちまえ、、、無差別テロ無差別テロ。それも自身の一部分。 怒りを常に含んでいるのに、そいつを表に曝さないように抱え込んで、後生、大事にしまってある。 生真面目ならイカれて、芸術家なら利用して、小市民なら自殺して、してしてして、熱にうなされた季節を終えりゃ、サウナみたいなもん。

欧米人の意見というものは、オセロゲームのようなもの。白と黒がはっきりしていて、どれか一つがひっくり返ると、あっという間に黒一色になったりする。そういった白黒の決断というものは、そのタイミングで決定 されたもので、その時点までの答でしかない。日本人は、灰色だ。ギリギリまで決断を延ばし、最後には白にも黒にもなることができる。というようなことを、テレビで云っていた人が居て、成る程と思った。

自分は何かを書かなければならない、という脅迫観念に捕われている。 思い付いたこと、くだらないこと、与太話、説明、夢想、何でもいいけど楽しい時は楽しい。 それに、書けない時だって、マゾな部分が刺激されて、その苦しさがたまらない快感になる場合だってある。 やりたいことをやる自由を阻害する権利は何者にもない。反対に、人間はその自由という鎖に囚われている。 一方の意見のその裏には、対抗する意見が無ければ、問題提議は成立しないと。ハハ、調子にのってなにを 出しゃばってるんだ。「黙して語らず」に憧れるから。ジミヘンのMC、あれこそ、ロック! (勿論、音楽の上に附随するものとしての) さあ、思い煩うな、さらば、いけ。GO AHEAD!!




「everything」

惑星(10)の月07日【KIN 202】白い共振の風


雑談。言葉に宿る様々な神性、心、邪気。言葉は、我先にと、突破口を見つけ、吐息に乗って、現出れる。 無邪気に発せられた言葉で、人は、はっと息を飲み込んだ。言葉は行き場を失う。 呼吸を乗り物にして、言葉はやってくる。それで、何処かに着地点を探す。風にのる種子と同じように。

隠匿。雲隠れしちまったら、気楽になるかと思ったけれど、どっこい気落ちしてしまった。 数字ではない。容量や体積、比重などは関係ない。要領や堆積、美醜などの問題だ。YESとNOの対比でそれを表現するとしたら、40%が「はい」、60%が「いいえ」であった場合、結局、YESとNOが合わさらない限り100%にはならない。片方だけで、それを表現することは出来ない。 比較はもういらない。非核は必要。どちらも同じ事を云わんとしているのであれば、どちらも正しいが、しかし、その表現しようとしたものを区切ってしまい、表現力が半減されてしまうではないか。 主義、主張を推す剰りに、そのような跛な状態になってしまうのならば、いっそ唖になってしまうか、全部をそのまま丸ごと受け入れてしまうか、そのものに自身がなってしまうしかない。 陰陽は光と影が融合して、世界を表現している。

「うまくいかない」ということは、欲しい望みに反撥する力を感じた時、それをそう表現して、その強い力が 少しは手加減してくれるよう促していたり、口に出してそいつを逃がしてやっていたりする。 嘆くなかれ、それは、うまくいきつつある一歩手前であるかも知れないのだ。

店はなかなか軌道に乗らない。絶えず、何かしらの挫折があり、頓挫があり、へっぴり腰になる。 出来ることは目前にあるひとつのことだけしかない。ここ一ヶ月で成し遂げたことは、服掛けを拵えたことだけであった。成城にある東宝大工センターへ通い、組み立てては、服の重みでひしゃげたコト2回、部品が足りずにまた出直し、やってる間に違うアイデアが浮かび急遽予定変更、仕舞いにはこれが仕上がるまで他の仕事は一切しないと意固地になったり、自分は馬鹿じゃなかろうかと訝しげになったり、たかが服掛けに右往左往して過ごした。で、それが自分であることに気付いたわけである。何でもない。Tシャツはそこにぶら下がっている。それだけのこと。やっと気付いたか、はいやっと築きました、無能の者。 狭い店内で、あっちへ移動、こっちへ移動、どかした荷物に邪魔されて立ち往生、無造作に積み上げた書籍が崩れ落ち自責、もうどうにでもなれと放置、鼻をほじって放屁、同時に用をこなすことが出来ない事に苛立ってみても、それは分相応。そうして、仏頂面のできそこないが、大人の振りをするのである。嘘つけ、とっくに年寄りじゃねーか。わざわざ。

everything=何でもみな、何もかもことごとく、万事、あらゆるもの。

其処にすでにあるものを、他のものに置き換えない。人、空気、木、山、土、空、陽、存在しているものは、存在を続ける。しかし、疑念が生じた場合、存在を証明するために躍起になる。 普段、箸にも棒にも引っ掛けないそれらの事物の輪郭を、懸命に探す。 時に、愛てやつは、様々な形で人を裏切る。その度に、模索して、新たな形態に姿を変えてみせる。 実体などは無い。everythingだからだ。さらにeveryday、everybody、everywhere、every-oneであった。それは、平和夫作「Nobody」と同じ視点に立つ。否定も肯定もなく、それは在る。 人はそれに検索を試みるとしたら、そいつに裏切られるしかない。真実は、人に存在を直訴するために、そうやってアピールする。そうでもしない限り、放置されたまま、気付いてもらえないからだ。 詩にならないもの、それを詩にした時、やっぱりそれは気付かれないで放っておかれるのだろうか? それとも、賞賛で以て迎えいれられるんだろうか?

今月は惑星(10)の月。「現れを仕上げ」「生み出す」


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