ワッシャー TRASH
黄色い太陽の種の年(Yellow Solar Seed)



水晶の月(Crystal)
「言霊」 |
「天国への階段」 |
「戦士の旅」 |
「地上歩行」 |



「言霊」

水晶(12)の月23日【KIN 014】白い磁気の魔法使い


言葉、言葉、言葉に溢れ返ってる。余りにも、その洪水にあてられて、失語症になってしまった。 しかし、その状況を説明するために、言葉を行使しなければならないという矛盾。 「からっぽ」という概念、何も思考できない状態。 何にもしたくないという無意志の状態は、その人が健康だからである。 ペエンレッスの状態。健康とは、満足せる豚。眠たげなポチ。(by.太宰) そうすると、そろそろ浮気の虫が騒ぎ出す。退屈になってくる。さあ、どうしよう?

昨日行った、新宿ロフト・プラスワンで聴いたTUT-SUNの話。断片的に、覚えている。 YOSHIMIさんのアロマで、すっかり夢遊状態で、頭の芯がいまだジンジンと痺れが残ってる。 言葉が、実体を持って迫ってくる。催眠のように心地良く浮遊してる。その音楽を、説明しようという虚しい 努力はいらない。言語遊戯は、凄いトリックであり、ハメられもするし、鍵にもなる。 言葉と念が合わさった時、とてつもない魔法が起こる。 そして、あのトーク・ライヴというものは、言語が飛び交い、捕まえたり逃したり、思い出したり忘却したり、時間軸が狂ったりするので、とても疲れてしまった。 人の数だけ個性があって、その数だけ独自の言葉があって、意志を疎通させるために言葉を駆使する。 そこにタイミング、シンクロニシティが加わり、壮大な物語を形成する。 まさに、赤い宇宙の空歩く者の世界が在った。

始めに、「あ」が在った。次に「い」が在り、「愛」になる。「逢い」そうして「合う」。 「い」は天地に開き、「こ」は横に開いている。「こ」は「こ」と連なり、「個々」と「此所」を造っていた。言霊の世界。そこに、物語を持たせた場合、何処までも広がり、迷宮の中に迷い込む。 その迷宮から脱するには、その秘密を自分なりに解釈しなければならない。言葉で開けた扉は、言葉でしか 閉じることは出来ない。 普段、なにげなく生きていた世界は、こんなにも楽しくて危ない穴が、幾つも開口していることを知るべきだ。

敏感になれば気付き、鈍感でいれば見逃す。踏み付けられる蟻、道端に咲く花、空泳ぐ不定形な雲。 動けば動いただけの力が漲り、止まれば風景は止み、風は吹かない。 そいういった知識も、言葉と同時に、体験を通して血となり肉にならなければいけない。 もうひとつ、逆説的ですが、言葉を使わない、言葉の無い世界に憧れる。 言語は偉大な発明だけど、そのお陰で、回り道をしているような気になる時もある。 サングラス越しの海、窓越しの山々、そういった、景色と自身の間にワンクッション置いてしまうような、 そこで、静止してしまうような、云い尽くせない感懐もあった。 しかし、言葉以外に術を知らない。音楽を奏でられる者は音楽を、絵画を駆使できる者は絵画を、各々の路を 模索していくしかないのかも知れない。 今日、パカル・ヴォタンとボロン・イクが出会った。天上歩行の始まりです。



「天国への階段」

水晶(12)の月15日【KIN 006】白い律動の世界の橋渡し


人は弱っている時に、つけ込まれる。それは、借金の誘いだったり、浮気の虫だったり(据え膳喰わぬは、、 であるから悪かないけどね)、宗教であったり、占いだったり呪いだったり、スポーツであったり、 音楽であったり、芸術であったり風俗であったりするかも知れない。それは、ある意味、文化を象徴していた。 現状をどうにかしようともがき苦しみ、何かに縋ろうとしたり、捨てようとしたりして、 最後に自分自身の心の奥深くへと分け入ったり、異性へと分け入ったり、何らかの方法を見つけ出すもんだ。 良いも悪いもあるもんけ。誰も地獄へなんか行きたくないから、何処かで天国を見つけだす。 その天国が、仏像だろうが、宝石だろうが、快楽だろうが、薬物だろうが、他人の知ったこっちゃない。 こうして、また扉を閉め、新たなマッチを擦る。

やって来るのは請求書ばかり("Life Goes On#1" by.NAVAJO!!)。 催促されるは、借財ばかり。 お金に無頓着になればなるほど、狙いすましたかのように、隙間から侵入してくる。 おい、忘れた振りをしてたって、こちとらお見通しなんだよ、オマエが生きれば生きる程、 借財は増えていくコトになってるんだよ、歩けば税金、どこもかしこも罠ばかり、 オマエがお金を見なくたってお金はオマエばかりを追っていく。憑いては離れない。攻めても得点は得られず、守っては落される。 拝金主義。生めども生めども、生んだ以上に、支払いは続く。まあ、いいさ、次の部屋へ移行。

『NAVAJO!! CD 』とても評判が良いので嬉しい。そう、理屈では無く、今から15年前にそんなコトが 起こったのだ、という存在なのである。 人が通った跡を轍という。 その時の、興奮や絶望や汗や希望がいっぱい詰まった、パンドラの箱である。 その忘れかけた遠い記憶が、なぜかしら今とリンクするところに面白味もある。 もう少し手当てが遅ければ、初期NAVAJO!!の音源は失われていたかも知れない。 油とカビに侵されたオープンリールは、寸でのところだったのだ。 少し羨ましいところもあった。自分もその頃は、其処と同じ世界に居たのだ。鳥渡、立ち止まって考えてみると、 好きな事を好きな時に好きなだけやっておくべきだというコトが判る。 もう取り返せない時間を悔やんでからでは遅く、立ち止まった者、辞めた者、消えた者、 その者達に同じチャンスは巡ってこない。動き続けた者だけに下る評価。 その決断、見極めを、咎める権利は誰にもない。絶えず、漂うしかない。 だから、転石苔ムサズ、とは、人生のコトであり、ROCKのコトであり、世界のコトであり、宣言である。 錆びるな、腐るな、朽ち果てるな。身体が軋みながら、動き続けるんだ。 負けない人間は、きっと最後には笑う。

自分自身との闘い。心との格闘。妄想、幻想、真実、虚飾、見栄、欲、様々なバランス。 マルデクを通過して、木星に辿り着く。同じ景色、ヴィジョンの共有、それが果たせた仲間が離れることはないと思う。 住む世界は変化しても、何処かで同じになるはずだ。



「戦士の旅」

水晶(12)の月07日【KIN 258】白いスペクトルの鏡


大家から家賃の催促をされ、家の玄関の扉を引っ張ったら、ドアノブが根こそぎもげて、 ああ色んな事がうまくいかないのだ。ここが、正念場であることは、間違いないようだ。 だからって、どうした的な話だけどさ。ぐだぐだ云ってる暇があったら、なんとかしろー。はぁ、すいません。 外じゃ、ゴロゴロと雷が鳴っている。そんな日常なのね、そうなのよ。

もうすぐ、ワダチ・レーベルより『NAVAJO!!』CDが発売されます。 今回の入れ物については、本当に好き勝手にやらせてもらった。今まで、関わった全ての自主制作CDには、 思い出深い愛憎がたっぷりあるが、今回はその集大成的な趣があった。 "NAVAJO!!"との馴初めは、はるか十数年前、90年代初頭に始まる。丁度、たいら氏は"NAVAJO!!"を離れ "ゴールデン・モップス"というバンドを結成していた。トリオ時期の"NAVAJO!!" (DISC-2) との出会いは、また自身のバンド活動との終止符でもあった。その時期、たくさんのものを教わった。 それが、"なに?"と云われても「何なのだろふ?」としか云えないが、今より十数年前の20歳前半戦の私は、 感度抜群だったのであろうし、直撃も受けるし、玉砕もされる。 3人ナバホは、カッコ良かった。その当時のカセットテープは、いまや伸び切ってしまってる。 ブリティッシュ一辺倒だった自分に、野太い骨太アメリカン・ロックが侵入してきた瞬間だった。 イーグルス、ドゥービー、ジェイムスギャング、バンド、そして、デッドまで辿り着くゴールデンロード。 バーズ、ニール・ヤング、はっぴいえんど、ディラン、オールマン、、、そこで止まってしまった感もあるのだが、 こうして、93年原宿ルイードで "Nail`s Done"を目撃する事となる。いわば、ニール・ヤング&クレイジーホースであり、 ディラン&ザ・バンドでもある。 ま、それは、エリック・バードン&アニマルズでもいいし、ヴァン・モリスン&ゼムでもいいかも知れないが、 やはりこの場合はニール先生が当てはまりそうだ。 それは、ヘヴィネスだった。今聴くとポップな感じもするが、その当時の印象は重かったのである。 残念ながらそのリユニオンは、2度のライヴで自然消滅し、たいら氏は"Willie`s Apple"結成へと至る。 (その貴重な音源が、今回のDISC-3に収録されています。) そして、今回、私は初めて第一期"NAVAJO!!"の音源を耳にしたのである。たいら氏が歌い始めた頃の、 未熟さ残るが、荒々しい楽曲の数々を。1曲目「境界線から」で、モロ手を挙げて降参だ。「Life Goes On#1」 を聴くこともできる。「サンダンス」「草競馬」「アマンダ」などお馴染みの曲もある。 しかし、ここはやはり、「転石苔ムサズ」である。断じて、それだ。ここに全ての源流がある。 何かを動かす力がある。それが、"なに?"と云われても「何なのだろふ?」としか云えないが、それを決める のは、あなた自身だろう。て、云うか、そんなの、ベヘイだ、風に聞け。 それで楽曲に解説なんていらない。あるのは、それと対峙する自分自身しかない。 これらの楽曲を委ねてくれた"NAVAJO!!" の面々に、感謝いたします。 次に、この曲達が誰の手許に行くのだろうか、楽しみです。

さて、遠目に目をこらしてみても、先が見えない時勢でありますが、やれるべきコトをやるしか手段無し。 見えなきゃ見えないで、手探りでも、匍匐前進でも、前へ進むのみ。前だか後ろだか判らないけど。 それが、猿から二足歩行まで成り上がった人間共に、できること。 まだ、地球上なり。



「地上歩行」

水晶(12)の月05日【KIN 256】黄色い太陽の戦士


混沌の中にも秩序はある。昨日は、ジェリー・ガルシアの誕生キン。 様々な関係性、因縁、翻弄されながら、それでも自分自身の道を模索して、開拓して、己の足でこの地球 上に立つ。流される。歯を喰いしばって立つ。また、流される。その繰り返しだ。 水晶の月は、「協力を捧げ」「普遍化する」ことがキーワードとなる。円卓の月。 これまでの月の総仕上げであると同時に、次の宇宙の月へ連なる、架け渡しをする最後の月でもある。 水晶のあらゆる側面が、その人を表す個性であり、あらゆる方向へとそれは向いている。 対象を映す鏡だ。その側面と向かい合い、その背後にある、もう一方の面も知る。君は全部を、生まれた その時に、すでに、手に入れていた。これまでの人生は、持っていたものを手放す作業でしかなかった。 パズル。それは完成したものなのに、区切ったピースで、バラバラに切り離す。

ぶっつけ本番。そいつに賭けていた。そいつに甘えてもいた。焦って用意しても、不意に襲ってきても、 やれるべきことは、そんなに沢山ない。出来ることしか出来ないのだから、その不意を、 待ってやる必要はないんじゃないのか。

それでも、出来うることを措定してしまってはいけない。宇宙は無限であるのと同じように、個人が所有する エネルギー量も無限である。その力を区切ってしまった時点で、その力は半減してしまう。 言葉で以て表現してしまった対象は、その範疇から逃れるべき術を失ってしまうんだ。 永遠性を会得するためには、固く口を閉ざし、想像を膨らませていくしかない。降り注ぐものを必死で受け止めて、 動き続けるしかない。それが止まるまで、息の音が消えるまでは。

借財、保険、保障、泥棒、それらは皆、今、ここにないものを先から奪ってくる行為だ。 未来に見えるかも知れない景色を、根こそぎ引っこ抜いて、前倒しにしているに過ぎない。 先にあるかも知れないものは、養分を失い、どんどんと枯れていき、歪みが生まれ、自身とその進むべき道と のギャップが広がっていく。そんな考えに、傾倒していた時期もあった。 でも、先は誰にも見えていないし、知り得ないのだから、今、この場に、想像しただけの量の幻想が出現する という景色は、壮観に違いない。大金を想像したものが、あらゆる手段を講じて金を掻き集め、現実としたのであれば、 それが未来から引っ張ってきたのかどうか知り得る者はいないのだから、その人の先に絶望が待ってるのかも知れないし、 さらなる幸福が待っているのかも知れないし、結果だけでそれが証明されるものでも ないし、判らないのだ。大概の人間は、重圧に堪えかねて、没落するというだけなのかも知れない。 ジョニー・ディップの「ブロウ」という映画は、あまりにも辛い物語だったが、あれも一つの事例に過ぎず、 もっとやれる人間はもっとやれるんだ。他人の未来さえ、錬金術で、自分のものとしてしまう。悪怯れもせずに。 そしてこれも、大概の資産家はその系譜に位置しているに違いない。

「信じているものを疑う前に、疑っているものを信じろ」て、逆にしただけじゃん。 「見る前に跳べ」は名言だけど、狡猾になってくると、「跳ぶ前に見て」表向きは、見ずに跳んだと宣う。 「さよならだけが人生だ」これだけは信じられる。ほんとに。まったくご尤も。 また少し、飲み過ぎたよう。これだから、地上の者は下劣でいけない。体液まみれで、酒臭い息で、犬畜生にも劣る。 うそつけ、犬と一緒だ。(by.太宰) 地上歩行。明日から、自由意志を発揮して、戦士の旅が始まる。 まだ、地球上で短波放送。ずるずる、足が重たく、お腹はちゃぽちゃぽ、だけど、もっと飲ませろ。 後悔したりないんだ。


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