L change the WorLd ロングランへの道日記8 

2008年4月13日


L change the WorLd ロングランへの道日記8 今回は、二週間近くのご無沙汰となってしまいました。ロスの、気の利いた場所で、こちらの仕事仲間たちとのスナップを撮ろうと思いながら、何やかやと忙しくて、それも果たせぬまま、明日の帰国となってしまいました。写真は、二週間近く泊まった、ウエスト・ハリウッドのホテルのベランダの夕景ですが、ロスらしさはどこにもありませんね、トホホ。
今回は、今までのように沢山のミーティングをこなすというよりは、ごく少数に限って、人に会いました。それ以外はホテルの部屋で、シナリオを読んだり、ジムで毎日運動したりと、かなり禁欲的な生活でした。でも、香港に行った意義も、ここに来て大いに出てきて、ここらで馬力をかけて、次の企画を具現化していきたいと思っています。
日本に帰国したら、その香港でピッチをした企画の脚本打ち合わせ、また、自主ドキュメンタリーの本編集、音楽打ち合わせが待っています。
17日はイタリアのウダイ映画祭に向けて出発です。同映画祭のオープニングを飾る作品として、Lchange the WorLdが選ばれたのはたいへん光栄なことです。(デスノート前後編も、プレ上映されます)この映画祭は「リング」をヨーロッパで初めて上映してくれたところだそうで、イタリアは一番好きな外国ということもあり、どんな人たちに会えるか今から楽しみです。



ホテルのベランダにて。なんか少し表情も黄昏れてますね。微笑んだつもりでしたが。



L change the WorLd ロングランへの道日記7 

2008年3月29日


またも一週間のご無沙汰となってしまいました。実は今日から、ロサンジェルスに来ています。香港から帰国して、一週間ほどで、こちらに参りました。映画の企画、脚本についての打ち合わせのためです。慣れているとはいえ、今回は約一年ぶりの渡米です。何かロスの、カラッと乾ききった空気、強い日差しに、少し戸惑っています。でも、明日からの怒濤のシナリオ読みでホテルの部屋に籠らねばならぬので、お気に入りのスーパー、Whole Foodsで、しこたま自炊用の食材を買ったところで、こちらのリズムを思い出しつつあります。思えば、昨年こちらに来たときは、L change the WorLdの初稿を上げるのに、皆で四苦八苦していたときでした。オリジナルのストーリーを創造する産みの苦しみの最中でした。
さてさて、3月22日に行った、新宿バルト、(初日を含めるとここでは三回目でした。また映写フレームについての意見も、劇場の方にさせていただきました。他作品でも同じ指摘があったとのこと。改善していただけることを願っています)、渋谷アミューズCQNで、チームデスのメンバーとトークショーを行ってきました。どちらも30分ほどの予定だったのですが、「松山クンがいないと分かって来て下さっているお客さんだから、沢山裏話をして、楽しんでもらおう」というこちらの思いと、また皆さんからの、実に鋭く、また時として超マニアックな質問もあり、どちらも小一時間行ったのではないでしょうか?
渋谷では、お客さんがお帰りのときに、私自身がポスターを渡したり、ロビーにいらっしゃる方々と、写真撮影を沢山させていただきました。佐藤、田中(モジャファンの方から素敵な花束を貰ってましたね)、そして小杉さんたちは、ファンの方々と和気あいあいと歓談されていましたね。 渋谷では、例の、前後共にサイン入りのTシャツが展示されていて、人だかりができていましたね。 二週間余りロスにいるので、またこちらから日記を書きます。



1)新宿バルトにて。間もなくトークショー開始で、気合いを入れる四人。

2)フムフムさん、こっそり入場中。でもあとで来ているのをバラされていました。

3)元さんから、「固いよー」と評されてしまいました。

4)和気あいあいのQ&A

5)渋谷に移動中。並走するタクシー二台。

6)Tシャツ、堂々と展示中です。

7)Lレンジャー、もうこのサインもお手のものです。

8)こちらでのトークショーもとてもアットホームでした。

9)撮影中の私の物まねです。

10)ファンの女の子と。

11)佐藤プロデューサーも大人気。

12)あれ、私だけサインをせずにお澄まし顔でした。





L change the WorLd ロングランへの道日記6 

2008年3月21日


昨日まで、香港に行っていました。HAF(中国語では、香港亜州電影投資會)で、ロスの私の会社で働く、ジェニファー・フカサワのオリジナル・ストーリーの「Gensenkan(源泉館)」をこちらの企画マーケットでピッチ(売り込み)をするためです。彼女が一年前に書き始めた企画ですが、本番一週間前から、ピッチの練習を繰り返し、行いました。まだ脚本ができていない段階ですが、ヨーロッパやアジアを中心に、20社を上回る各国の製作、配給、代理店などの人たちに、ジェニファーと私は、自分たちのアイディア、ストーリーを、写真などビジュアルも用いて、懸命に真摯に伝えました。手応えは上々ですが。これから脚本作りをしてから、本格的な話し合いに移ることになります。 さて、前に書いたように、香港では、AFA(アジア映画賞)の最優秀脚本賞のプレゼンターを務めてきました。目の覚めるような、深紅のドレスのヴィヴィアン・スーさんと共に、自分で考えた英語のスピーチを行い、本場アカデミー賞よろしく、カードの封を切って、私が受賞者の名前を読み上げて(このお二人はあいにく欠席したので)代理の方が壇上に来られました。さ、あとは彼女のスピーチだと、少し後ろに下がると、代理の方が困ったような顔になります。国際会議も開かれる巨大な場内に『?』の間が、3、4秒流れます。「あっっ!」と私は叫びそうになりながら、目の前の演説台の上のトロフィーを手にし、代理の方に手渡します。すると、場内から「むははははははっ」と笑いが起きました。スピーチが上手く行って、すっかり安心して、その後の、当然行われるべき、トロフィー授与をすっぱずしてしまいました。イヤー恥ずかしかった!でも、かなり受けたことは確かです。なぜか、「可愛かった」との、肯定的なコメントをいただきました。 この日は、その後の食事会で、台湾のホウ・シャオシェン監督と隣り合わせで夕食を取ったのが、とても嬉しかったです。緊張した私は、ほとんど話もできませんでしたが、世界の優れた監督たちと出会えるのが、こういう映画祭に参加する、醍醐味ですね。 HAFの授賞式(優れた企画二作品には、賞金を出す、非常に立派な会でした)に参加した後、HAFのスタッフたちと、皆でLサインで記念撮影をしました。 さて、明日22日には、ムーブオーバーを記念して、新宿と渋谷でトークショーを、佐藤さん、田中さん、小杉さんと行います。皆さんにポスター(今日ワーナーで、すべてのポスターにサインをしてきました)とポストカードが渡されるということですね。どのような方々が来て下さるか、ワクワクしています。



1)HAFのピッチ練習中のジェニファー

2) HAFのブース前にて 。

3) 今回のアレンジをしていただいたJ-Pitchの中崎さんと。
4) HAFのスタッフのエスターと。

5) 若き香港スタッフたちとLサイン。



L change the WorLd ロングランへの道日記5 

2008年3月14日


我々が、翌3月13日になっても待っていたのは、もちろん我らがL、松山ケンイチでした。クランクインしたばかりの作品の撮影中にも拘らず、この日の祝う会には、必ず来たいという彼の思いは強かったと思います。というのは、私も参加しての、ある「サプライズ企画」が遡ること三週間ほど前の、2月23日、弾丸ツアー初日の深夜に、スタートしていたからです。このサプライズの言い出しっぺは松山クンで、「デスノート、デスノートthe Last name、そして今回の、L change the WorLd、と三本の映画を、いろいろな局面で先頭に立って、各方面で闘い、自分たちキャスト、そしてスタッフを先導してくれたのは、佐藤貴博プロデューサーです。その彼に皆の思いを込めた御礼をしたい。弾丸ツアーで着ていたTシャツの背中側に、我々のメッセージを入れて佐藤さんにプレゼントしたい。そして、「感激屋の佐藤さん」をボロボロに泣かせたい」という思いからでした。この「佐藤さん泣かせプロジェクトは」私は1月に札幌に最初にプロモーションに行った時から、松山クンから聞かされていました。初日の新宿ジョイシネマでも、佐藤さんへの謝辞を二人で述べて、ウルウルはしてもらっていたのですが、やはり佐藤さんの十八番の「号泣」が見たいということで、この企画は深く、長く、静かに進行していました。
ただし、2月24日が、あのようなことになったので、すでに背中側に書かれていた我々のメッセージを佐藤さんに見られてはまずいと、松山クン、牛田さんは着替えのときに必死に隠し、ファン代表の方々のメッセージで表側が一杯になってきたときに、佐藤さんが「まあ、背中もあるから、そっちに書いてもらえば」と言ったときは、私も慌てて、「いやー、やっぱりみんなに見える、前側に書いてもらった方がいいよね」と必死でした。
13日、午前一時近くに、松山クンが現場を終えて、二次会場に現れました。そして、すぐに佐藤さんをねぎらうコメント、花束贈呈が行われました。ここでも、最大限佐藤さんの涙を誘う進行がなされたのですが、「やりすぎて、泣けないよ」とご本人からツッコミを受けました。
ははは、ここまでは言わばカモフラージュでした。そして松山クンがあの秘められたメッセージが書かれたTシャツを取り出し、「全国のファン代表からのメッセージが詰まったTシャツは、皆を引っ張って来てくれた佐藤さんが持っているべきです」と手渡し、その時点で佐藤さんはもう感激していたと思いますが、さらに、LとLレンジャーのメッセージの書かれた背中側をくるりと見せると、白糸の滝のような涙と鼻水で佐藤さんの顔の表面は床上浸水状態でした。そしてダメ押しとして、それぞれのメッセージを佐藤さんにマイクで音読してもらい、「こんな号泣を生で見るのはいつ以来かな?」と、私に思わせるくらい、佐藤さんの号泣ぶりはすごかったです。そして、それが実にさわやかなので、また驚きました。エモーションをここまで自由にリリースできるのは、見事というほかありません。いいものを見せていただきました。佐藤さんありがとうございます。佐藤さんにこのことを伏せていた3週間は、私の「ああ、言ってしまいたい」病がうずうずしていたのですが、目標を最高の形で達成でき、松山クンとがっちり握手した時には、ああ、良かったとホッとしたのでした。 ファンの皆さんと我々のメッセージの記されたあのTシャツは、佐藤プロデューサーがずっと大切にしてくださると思います。ファンの皆さんにも改めて感謝申し上げます。



1)松山ケンイチ登場。



2) 松山クンと佐藤さんは一週間ぶりの再会を喜び合いました。

3) 佐藤さんへの感謝の気持ちをストレートに話す松山クン。


3) 男たちの抱擁、その1。

4) 男たちの抱擁、その2。私も参加。

5) メッセージ音読始まる。

6) 感極まって・・・。

7) 止めど尽きせぬ涙と、さわやかな笑顔が同居してました。

8) 背中の我々のメッセージ。

9) 全国各地のファン代表の方々のメッセージ。



L change the WorLd ロングランへの道日記4 

2008年3月13日


昨日3月12日に、日本テレビにて行われた、製作委員会の方々が集まっての、作品のヒットを祝う会に参加しました。映画の興行はまだまだ続きます(ちなみに3月22日からは、ムーブオーバーと言って、同じ地域で上映館が変わったりもするので、皆さん、チェックのほどよろしくお願いします。でも、まだまだ多数の映画館で上映していただけることを聞き、たいへんうれしく思っています)が、この作品に出資をして下さった各会社がさまざまなアイディアで、この作品の成功に寄与してくださっている、そのことを互いにねぎらう主旨の会で、たいへんなごやかな雰囲気で行われました。日本テレビの奥田エグゼクティブプロデューサーが、「デスノートから含めて三本、製作委員会の各社がそれぞれできることをこれだけ最大限にやってくださった作品もまたとない」と仰りました。私もプロモーションに全力投球し、またワーナーでの宣伝のための会合にも一度出席させてもらったので、奥田さんのこのお言葉は、胸に沁みました。
また、この日は脚本の小林さん、共同脚本の藤井さん、工藤さんんと共演していただいた日本テレビの豊田順子アナウンサーたちと、楽しくお話させていただきました。また、俳優部では鶴見辰吾さんに参加していただきました。 写真にあるように、お札を貼った全国地図をバックに、皆さんにご挨拶申し上げました。44回もの舞台挨拶は、この後なかなか抜けないだろうこと、また公開後、ぎゅうぎゅう満員の劇場で観客の皆さんと自分の映画を見るのは、監督冥利に尽きることなどを話しました。
参加者皆さんの、おだやかな笑顔が心に残る会合でした。でもでも、一次会では話足りない人たちが沢山いることは明らかです。二次会もちゃーんと用意されていました。そして、この二次会は日付をまたいで深い、深い、夜まで行われました。誰かを待っていたのですが、それが誰かを書くのは、明日のココロだぁ。



1)奥田さんを始め、プロデューサーチームと。後ろでダブルのLサインをしているのは、脚本の小林さん。
2) 憧れの豊田順子アナと。ご出演あるがとうございました。思わず微笑みが。
3) 弾丸ツアーのお供の地図も参加です。 4) お手を拝借して三本締め。
5) 二次会場で鶴見さんと。花粉症仲間です。



L change the WorLd ロングランへの道日記3 

2008年3月11日


現在、私は来週末から始まる、香港映画祭と同時に開催される映画企画マーケット(HAF= Hong Kong Asia Film Financing Forum)に参加するための準備を、しています。ロスの私の事務所で働くスタッフによるオリジナルストーリーを、二人で推敲しています。香港で20社を超える人たちとのミーティングが待っているので、二人とも気合いが入っています。PITCH(売り込み)と言って、ハリウッド流に、企画の掴みや狙い、ストーリー展開、イメージするキャストなどを、口頭で10分から15分くらいにまとめつつ、説得力を持たせて企画の魅力を訴えるのは、たやすいことではありませんが、私はプロデューサー、脚本家と一緒に、ハリウッドで何回もこのPITCHをしたことがあるので、「気楽に楽しむつもりで」と思っています。私には、香港映画祭の、授賞式(ASIAN FILM AWARDS)のプレゼンターとしての出席の役目もあるので、(松山クンのスタイリストの牛田さんに、このときの服を見立てていただきました。ありがとう、元さん!)しっかりやりたいと思います。

Lをご覧になっての感想を、沢山の方にいただいています。ありがとうございます。写真は、あの怒濤の全国御礼ツアーの記念品というべき切符です。小杉さんからいただきました。事故、小山駅のスタンプが押してあるのが生々しいです。途中下車した駅が(名古屋はなぜかなかったのですが)克明に印字されていて、(仙台行きながら、この切符ではそこまで辿り着けませんでした)あの、たぐい稀なるプロモーションツアーを、しかと思い出させてくれます。

そういえば、旭川のラーメン屋さんで、松山クンたちツアーメンバー全員に、私自身の結婚の報告をしたのも、良き思い出です。「苦節46年と5か月、独身を貫いて来ましたが、この度、結婚をすることになりました」と、気恥ずかしさと緊張を抑えつつ述べました。いやー、みんなびっくらこいてました。松山クンは、なぜか、「監督に先を越された気がする」としみじみ。その目で、その時の写真を見るとまた面白いですね。 L change the WorLdで、私は新たな地平を見通す場所に立たせてもらったと思っています。そして、個人的にも、未知なる領域に入っていきます。この映画を作ったときの合い言葉、ワクワクドキドキ感を、実人生でも体験していきたいですね。 そして、前を見据えながらも、この映画をまだまだ多くの方に見ていただくために、プロデューサーチームとプランを練っておりますので、請うご期待!


L change the WorLd ロングランへの道日記2 

2008年3月9日


これを書いているのが、3月8日の土曜日です。今日から5週目に突入ですね。次は、私は丸の内プラゼールで鑑賞してみようかなと思っています。前に書いたように、私にメールを下さるファンの皆さんの中には、試写会から数えると、そろそろ10回に届こうかという方々がいるので、私も負けていられません。沢山の映画が公開される、春休み興行を走り抜くべく、私の映画館探訪はまだまだ続きます。
写真は、札幌のシネマフロンティアの控え室です。思えば、12月に映画が完成してから、家族同然のつきあいをしてきた我々です。この図は、昼夜を問わず、八面六臂の大活躍だった小杉宣伝プロデューサーの労をねぎらっているのか、MCをずっと務めた彼の、その進行のあり方の反省会をしているのか、どっちだったかなあ。





L change the WorLd ロングランへの道日記1 

2008年3月6日


一昨日、新宿バルトで3回目の鑑賞をしました。写真にあるとおり、女性軍団6人とです。この方たちは、「ガラスの脳」以来、時節集まっては、食事会などをしています。いつも私以外はすべて妙齢の女子なので、飲み屋さんの店員さんから、「羨ましいっ!」と言われます。でも、彼女たちに「この会ってどう見えるのかな?」と尋ねたら、「大学のゼミの先生と学生の同窓会」と言われてしまいました。
今回は、私の渡米以来となる久しぶりの会でしたが、バルトのビルに入っている料理屋さんで速攻で食事した後、午後7時50分の回に入りました。終映は夜10時半近くなる回にも関わらず、予告編上映中、また本編が始まってからも駆け込んでくる方々(場所柄、時間帯から、若いカップルが多かったですね)がかなりいて、嬉しかったです。 今回は、スクリーン3と小さめですが、音の迫力は十分でした。前に書いた通り、音のクオリティはこの劇場、きっとどのスクリーンでも最高レベルですね。(対して、映写フレームに、同じような難がありました。劇場に直接お願いしてみるつもりです) 観賞後は、もう遅く、皆さん翌日の仕事がありますから、新宿駅への道すがら、少し話したのですが、言葉少なめでした。「どうだったのかな?」と心配しましたが、リーダーの女性から、「みんな、もっと監督と話したかったと言ってましたよ。私は最後の方、涙がやばかった」とメールを下さいました。ガッツポーズです。
ロードショーは四週目に入っていますが、いまだ300を超えるスクリーンで上映されています。また私宛にファンメールを下さる方は、もう7回くらい観ている猛者の方々が揃っていて、驚くやら、頭が下がるやら、嬉しい限りです。これからも、ロングラン興行を目指して、この日記を更新していきますので、どうぞ宜しくお願いします。




L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記7 (北海道リトライツアー、札幌編) 

2008年3月4日


いよいよ、全国「御礼参り」(BY松山ケンイチ)ツアーもここ札幌で終了です。でも三劇場、五回の挨拶がありますから、しんみりしている余裕などありません。札幌駅に到着してから、雪のために悪路になっていて、最初のスガイ札幌劇場には、ぎりぎりの到着となりました。ここでは、「ガラスの脳」のときに舞台挨拶させてもらった劇場で、どことなく昭和っぽい懐かしい雰囲気がある空間でした。
次の、ユナイティッドシネマでの挨拶の後には、松山クンの発案で、観客の皆さんと共に写真を撮らせていただきました。今回、初となる試みで、皆さんとても楽しそうでしたね。 最後のシネマフロンティアも、「怪談」で舞台挨拶を行った劇場です。こちらでは、前回我々を待って下さっていた、観客の皆さんからの寄せ書きを頂き、松山クン、私、そしてLレンジャーたちは感激しました。大きな紙に、目一杯に皆さんそれぞれの思いを書いていただいていました。これは大切に、東京に持ち帰りましたので、皆さんご心配なく。
そういえば、「数奇な運命」を辿った地図は、青森八戸駅から、直接札幌入りしていました。今回は、小杉さんが奮発して、9回の挨拶全てて、「大ヒット御礼」の札をファン代表の方に貼ってもらうことにしたので、旭川と札幌、それにオホーツク&日本海で、映画は大ヒットしていることとなりました。(写真参照) 夕方6時40分に、今回のツアーはグランドフィナーレを迎えました。松山クン、私、Lレンジャーは、まさに、「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ負ケズ」(BY松山ケンイチ)全国ヒット御礼ツアーを完走しました。しかも、挨拶の回数を増やして。これが実現できたのは、松山クンの、この映画を観て下さる観客の皆さんに、御礼をしたいという真摯なる思い、Lレンジャーの、佐藤さん、田中さん、高梨さん。小杉さんたちの、新幹線ストップ、高速道路閉鎖という困難があってもそれをリカバーする力、また松山クンの支度を整えて下さった、牛田さん、勇見さん、そして観客の皆さんへの説明、再トライの環境を整えてくださった、劇場の方々のご尽力の賜物です。映画は、製作のときにも多数の人が関わりますが、こうして公開されるときには、(何せ今回は400館近いスクリーン数でスタートしましたから)さらに多くの皆さんが、この映画を支えてくださっています。本当にありがたいことです。
最後にLレンジャーの皆さんをスクリーン前に呼んで、揃って皆さんに御礼を述べ、すべての行程を終えました。しかし、最初に書いたように、しんみりする余裕などまったくなく、松山クンは実はこの時点で、出発までギリギリとなっていて、飛び出すように劇場を後にしました。
そうそう、松山クンのとても嬉しいコメントがありました。「監督、また一緒の仕事待ってますから」です。挨拶の途中に、しっかり私の目を見て言って下さり、私は最高に嬉しかったです。プロデューサーを始めとするスタッフの皆さんから同じことを言われるのも嬉しいし、俳優さんからも、その思いがストレートに伝わってくると、「ああ、映画監督やってて良かった」と思います。今回は、お客さんの前ですからね、格段でした。
そういえば、先日放送された、「おしゃれイズム」の中で、Lの役に徹底的にこだわり、われわれにもずけずけ意見をいいながらやった。もし当たらなかったら、辛かっただろう、だから今のこのヒットを素直に喜びたい、という旨の松山クンのコメントがありました。同じことを、今回のツアーが始まる前夜、福岡で私に伝えてくれました。思いは、まったく私も同じです。デスノートがあれだけの大ヒットをしたこと、今回独自のストーリー、月の相手役ではなく、完全なる主人公として、見せなければならないLの感情面や行動を、お客さんたちはどう評価してくれるだろうか、ということは気になっていたからです。デスノートでは露ではなかったLの内面、変化を描いたこの作品を、多くの方々に観ていただいていて、劇場から出てこられる方々の表情を見るにつけ、松山クンと同じような、安堵と充実感と、次に向かう勇気が湧いてきます。
私たちが、公に劇場でのプロモーションを行うのは終わりましたが、このブログでの個人的レポート、そして劇場探訪はまだまだ続けます。どうぞお楽しみに!映画を観て気に入っていただけた方々には、回りの方々への推薦などさらなる応援していただけたらとても嬉しいです。


1) スガイ札幌劇場にて。凝ってますね。


2)  札幌のファン1号は、お祭りの法被を来た女の子。


3) 1246)ユナイティッドシネマ札幌にて。いよいよ書くスペースが無くなりました。

4) 札幌ファン代表2号の方。

5) 観客の皆さんとLサイン。盛り上がりました。

6)シネマフロンティアにて。いよいよグランドフィナーレ間近。


7) 就職面接帰りの、清楚な雰囲気の学生さんでした。



8) 特に北海道で大ヒット!?


9) 最後に近いので、WでLサイン。

10) 待って下さった方々の寄せ書き。感激しました。

11) 自主的に、代わりにやってます。

12) 全国のファン代表の方々のメッセージで埋め尽くされました。

13) グランドフィナーレのファン代表は、彼女と・・・、

14) カップルで来てくれた彼。

15) 好感度満点カップルのお二人。私もはしゃいで、足でもLサインやってます。 16) LとLレンジャー、皆さん本当にお疲れさまでした。



L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記6 (北海道リトライツアー、旭川編) 

2008年3月3日


旭川ツアーについて書く前に一言。明日、友人たちと私自身三回目となる、全編鑑賞をしてきます。四週目に入ってますから、一週一Lに追いつかなきゃね。(札幌では、すでに6回観た猛者の方がいて、松山クンもびっくりしてましたね)映画祭などを除けば、こんなに一般の劇場で自分の作品を繰り返し見るのは初めてです。なぜそうしたいかと言うと、やはり、実際のお客さんたちと上映中に、映画のエモーションを共有したい、また上映後の、彼らの満足げな笑顔を見ていたいからです。「映画は自分の子供のようなもの」ですから、映画が公開され、もう自分の手から離れてお客さんのものにはなっているけれど、「外の社会で活躍する我が子を陰ながら応援する親の気持ち」に近いでしょうか? さて、旭川です。実は、佐藤、田中、両プロデューサーと私とは前日の28日に入りました。万が一今回も、という事態に備えるためでしたが、「松山クンが来なかったら、三人でコントでもやらないと」と冗談をいいつつ、内心は三人とも、「マツケン、絶対飛んで来てよー」と祈ってました。この夜、三人でつついた、北海ちゃんこ鍋の美味なること!痛風持ちの私は、おっかなびっくりながら、そのコクのあるスープをゴクゴクといただいたのでした。三人で思う存分祝杯をあげました。 翌日、いよいよ旭川2劇場4回、札幌3劇場5回の舞台挨拶は始まりました。当初は5回だったものを、劇場側も気合いを入れて下さり、より多くのお客さんにということで、特別編成でスクリーンを調整していただきました。そして、肝心要の松山クンも無事飛んで来てくれました。ガッツポーズです。 ディノスシネマ旭川では、ファン代表(実は旭川ファン代表は挨拶のたびに選出しました。他の都市の方に申し訳ないのですが、これもお待たせしたことへのお返しです。)は、客席の一番後ろにいた、男子の学生さんと、上品な雰囲気の大人の女性でした。私が彼女をエスコートするときに手を握ったとLレンジャーは沸き立っていましたが、彼女が手を差し出されてからです、はい。 ボリューム満点の旭川ラーメンをいそいでかき込むと、次のシネプレックス旭川での二回のご挨拶。こちらでは、ワーナーマイカルシネマズ名取エアリと同様、控え室に歓迎の飾り付けをしてくださり、また松山クンへの誕生日祝いのケーキが用意されていましたね。 こちらでは、女性をお二人ファン代表として選ばせていただきました。ここでも、確か割と奥めの席まで行きましたね。前の方の人ばかりにならぬようにしました。旭川から札幌へのL特急(LがL特急に乗る、これはカッコいい)に乗り込んだのは、出発直前でした。前日、あまり眠られなかったので、列車の中でよく寝ました。


1) 前夜に到着した旭川市内は一面の銀世界。


2) 私の顔、真っ赤っかですね。


3) ディノスシネマ旭川ファン代表、NO.1の方と。

4) 劇場スタッフの方と。

5) Tシャツもメッセージでぎっしりです。

6) 彼女はVサインになってます。


7) 昼食のラーメン屋さんで。皆、いつもより盛り上がってます。


8) シネプレックス旭川にて。皆さんの視線が優しげでホッとしました。


9) 旭川ファン代表、NO.3の方と。

10) 劇場スタッフの方と。
11) 旭川ファン代表、NO.4の方と。

L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記5 (仙台への道、後編) 

2008年3月1日


MOVIX仙台は、映画公開前の全国キャンペーンで、松山クン、高嶋さんと三人で挨拶を一度させてもらっています。恒例の劇場スタッフさんたちによる、ホワイトボード一杯のメッセージは、今回は松山クンへの熱いメッセージで埋め尽くされていましたね。
前の回にも書いたように、こちらでは、宇都宮からはるばる私たちを仙台へと送り届けて下さった、貸し切りタクシーのドライバーの野尻さんに、登壇していただき、劇場の観客の皆さんは大喝采でした。野尻さんも、「映画をみんなに見てもらうということは大変なことなのですね。私もいい勉強をさせていただきました」とどこまでも謙虚でいらっしゃり、頭が下がりました。 この劇場で選ばせてもらった。ファン代表の方は青森から来られた女性でした。会場には、愛知から来られた方もいて、皆さんの思いの強さが伝わりました。
イベントのクライマックスは、松山クンのマネージャーのフムフムさんによる、「1、2、3、ダアーッ」で、熱く締めくくられました。会場の皆さんは、8時間遅れの舞台挨拶にも拘らず、ほとんど全員がまた来て下さって、本当に嬉しい限りです。
帰京する松山クンを見送り、我々スタッフは、食事に出かけましたが、佐藤プロデューサーは、翌朝のズームイン用の取材テープの編集をしに、出かけました。いつも夜遅くまでお仕事する佐藤さん、毎度どうもお疲れさまです。
次回は、いよいよ2月29日に無事行えた、北海道の旭川と札幌で行った、9回!(もともと5回の予定だったのですが、リトライすることになって、ほぼ倍の9回に増えていてびっくりでした)の御礼舞台挨拶の模様を旭川、札幌と分けて(何せ写真も盛り沢山なものですから)お届けします。


1) 8時間遅れですが、MOVIX仙台の舞台挨拶開始です!


2) 松山クンもとても嬉しそうです。



) 恒例の、ファン代表、Tシャツ・メッセージ入れをしたのは・・・。

4) 青森から来た、ひょっとこのお面をした彼女です。


5) フムフムさんの「元気ですか1?」の第一声に、予感が走ります。


6) そうです。これです。ブレてますが、三人とも気持ち良さそう。


7) 場内は高揚感に包まれました。私たちも、発散させていただきました。


8) 劇場スタッフの皆さんからのメッセージ。


9) 劇場スタッフの皆さんと。

10) 改めて、野尻さん、たいへんありがとうございました。

L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記4 (仙台への道、中編) 

2008年2月29日


宇都宮駅に着いた我々を待っていてくれたのは、貸し切りタクシーの運転手、野尻さんでした。白いカバーのついた制帽を被った彼は、本当に実直そうな方でした。ひとまずは、「腹が減っては、仙台には行けぬ」ということで、昼食を取るため、駅近くの居酒屋兼レストランへ。まだ12時前で空いてていいなと思いきや、板前を兼ねるご主人が孤軍奮闘状態で、昼食に、かなりの時間を要してしまい、これが、結果としてワーナーマイカル名取への到着が、ぎりぎりになる演出をしてくれました。
さて、あとは東北自動車道で一路仙台までビューンのはずが、(予測されたこととは言いながらもショックだったのが)同自動車道が、矢板=白河間はやはり強風のため、閉鎖されているとのこと。野尻さんは会社や高速道路案内と電話でやり取りして下さり、白河までは4号線をまっすぐ北上すべしという方針になりました。この一般道が混むこと、混むこと。夕方の挨拶だから、まだゆうに4、5時間あるからと安心していましたが、まず名取での挨拶を小杉さんが5時に設定したときから、我々の中に、ギリギリ感が一挙に増大しました。名取で4号線に向かって降りてきた車列との合流やら、道にドライブインなどの大きな看板が落ちているための除去など、幾多の障壁にぶちあたりながらも、野尻さんはしっかりとハンドルを握って、堅実に北上を続けます。一回のトイレ休憩以外はずーっと、前進あるのみです。白河から高速に乗れたのは、もう4時近かったと思います。標識を見ると仙台まで、110キロとあり、めまいがしました。ここから横風は受けるは、私たち後ろの席から無言の「何とか間に合わせて!」というプレッシャーを受けるは、本当に野尻さんにはご苦労をかけました。その思いから、名取では「いえいえ、私のようなものが」と辞退された、野尻さんのご紹介を、MOVIX仙台では何とか口説き落として、登壇していただきました。何と言ってもこの移動の主役は野尻さんでした。
ちなみに、この宇都宮からのハラハラドキドキジリジリの4時間走行のうち、その大半を、松山クンは最後部席で、ぐっすりと眠っていました。大物です。名取の降り口で「L」のカードを掲げながら、長らく待って下さっていた、ワーナーマイカル名取の支配人の先導のもと、田園風景の中突如現れる、アメリカのショッピングモールに負けない、巨大な名取エアリ。そこに到着したのが5時2分くらいだったでしょうか。松山クンと私が、トイレに行く間に、小杉さんが、MCとして場内を暖めてくれました。
ここの劇場は、控え室の飾り付けや、スクリーンまでの劇場通路がすべてL一色に染まっていて、支配人と劇場スタッフの方々の、歓待ぶりが本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
さらに、ここでの舞台挨拶には嬉しいサプライズがありました。ひと足早いですが、松山クンの誕生日祝賀会です。大きなケーキが登場し、(私はこっそり聞いていましたが)松山クンはびっくりし、また少しホロッときているようでしたね。私の音頭で、場内全員でハッピーバースデーの歌を歌いました。また、こちらの会場では、Q&Aタイムを作って、観客の皆さんとのやりとりをしました。私の心に残っているのは、就職したての男性の保育士さんが、「就職おめでとうを言ってもらっていいですか」と言うものでした。すごくなごやかな雰囲気の中、ここでの舞台挨拶を終え、MOVIX仙台への移動となりましたが、我々を先導して下さったのは、ワーナーマイカルの支配人で、離れているとはいえ、一応ライバル館の劇場に先導して下さることに、私は、いいなあ、劇場スタッフの皆さんに支えられて、私たち映画人は、観客の皆さんと結ばれているのだなあと感じ入りました。


1) 我らがヒーロー、野尻さん。


2) 野尻さんの温厚なお人柄とシュアーな運転に助けられました。


) ワーナーマイカル名取エアリの歓迎飾り付けには目を奪われました。

4) ファン代表行事はドキドキものですね。

5) Lサイン、決まってます。

6) まだ23回目か、いいなあ。。。

7) 松山クンは大感激してました。目も潤んでいたような。
8) 劇場の皆さん、本当にありがとうございます。そして、長らく私たちを待っていてくれた観客の皆さんも、どうもお疲れさまでした、そして本当にありがとうございます。

L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記3  

2008年2月28日


2月24日
7時に集合した私たち(松山クンは、仙台で支度する時間はまったくないために6時から準備して)は東京駅でクイックにスタンディング蕎麦(ルーさんふう)を食し、新幹線ホームに。佐藤プロデューサーの回す取材用ビデオカメラに向かって、「御礼ツアー二日目、これから仙台に向かいます。何が待ち受けているか分かりませんが、しっかりやりまーす」などど言った覚えがあり、その後の事態を考えると、妙な符牒でした。
さすがに、前日の九州から東京への小刻みかつ大移動が応えたのか、松山クン、私を含めてLレンジャーたちは、新幹線が動き出すと眠りにつきました。新幹線の揺れは安眠に最適です。アイマスク、耳栓をして、気持ちよく眠っていると、スーッと新幹線が止まりました。耳栓のため、うっすらとしたアナウンスが聴こえてきます。外すと、「強風のため、新白川駅と××駅間で運転を見合わせています」とのこと。このときは仕方ないな、と再び眠りにつきましたが、だんだんと時間が経過するにつけ、今日は3都市だとは言うものの、7回の挨拶を組んでいて、この遅れを吸収する時間的余裕が無いのは明白です。佐藤、小杉両氏を中心にデッキで対策会議です。そのうちに、仙台でスケジュール通りに舞台挨拶することはもはや不可能な時間となり、また北海道へのフライトに間に合うように仙台空港に辿り着くのも絶望な状況となってしまいました。まだ停車から1時間もたっていなかったと思いますが、それだけタイトなスケジュールが組まれていました。 新幹線はこの先どのくらい停車し続けるか分かりません。
この時点で残る可能性は、仙台に何としても辿り着き、時間は変更になるが、二劇場での挨拶は行うということ、両方の劇場の支配人によれば、それがお客さんたちの願いであることは伝わってきました。運良く、われわれの新幹線は小山駅に停車していたので、また車掌室からも「旅行を中止されるお客様は、車掌室まで」のアナウンスがあり、降車できることが分かり、「とにかく前進あるのみ」のLとLレンジャーたちは、果敢に新幹線を降りました。方針としては、レンタカーを借り、自分たちが交代で運転して、仙台まで行っちゃう!というものでした。さすが、Lレンジャー、非常事態への対応が早い!と思いきや、小山駅には仙台まで行って乗り捨てできるワゴンタイプのレンタカーは無く、では、ひとまずは、宇都宮まで普通のタクシーに分乗して行き、そこにチャーターのジャンボタクシーをスタンバイしてもらう、ということになりました。
宇都宮に向かうこのタクシーの中で、私は深い感銘を覚えました。というのは、この日行けなくなってしまった北海道の旭川、札幌の5劇場には、翌週に佐藤、中田で行こうと新幹線の中で決めてはいたのですが、松山クン、マネージャーの高梨さんは、「楽しみに待ってくれていた北海道の皆さんをがっかりさせたままでは申し訳ない。近々に再度舞台挨拶を行いたい」と、次の仕事で多忙を極めているのにも拘らず、その調整をして下さり、宇都宮までのタクシーの中で、29日に松山、中田、そしてLレンジャーそろい踏みで、再度の挨拶を行う調整は開始されました。フムフムさんの、スピーディかつ丁寧なスケジュール調整を真横で聞いていた私は、ありがたい気持ちで一杯でした。私たちLとLレンジャーズたちは、この映画を愛してくれている全国の皆さんに御礼を各劇場で直接述べたいとこのツアーを決めたのだから、北海道も必ず行くのだという思いで、一致団結しました、進めーっ!
そのころ、もう一台のタクシーに乗っていた田中モジャさんは、アーッ!と奇声を上げていました。というのは、・・・ここには書きづらいのですが、前日、各地ファン代表の皆さんに、「大ヒット御礼」の札を貼ってもらった、日本地図を、新幹線の車両の棚に忘れてしまった!!!のです。私はしばらく後で知りましたが、緊急事態発生の中、ああ見えていつも冷静な田中さんが、このようなことをしでかすとは!仙台の皆さん、ごめんなさいね、実は一つイベントがお休みになってしまっていたのです。モジャさんは、内心相当ヘコみながらも、JRに電話をかけまくり、無事地図を青森八戸駅で見つけてもらい、無事われわれの元に戻ってきましたので、北海道の皆さんはご安心を!あれれ、宇都宮に着かないうちに今回は、時間切れです。明日も何とかアップしたいと思いますので、仙台への道、中編(前後編の予定でしたが、三回以上に分かれそうです)をお楽しみに。中編のヒーローは、宇都宮からのジャンボタクシー運転手さんの野尻さんです。彼がいなければ、夕方の仙台の挨拶も危うくなるところでした。では、次回をお楽しみに!


1) 宇都宮から乗った、貸し切りジャンボタクシー車内。何となく、緊迫感が伝わるでしょうか?


2) 田中モジャさんが、窓に頭をもたせかけて、眠った後。窓外の風景もモジャってます。彼は、内心、地図が無事戻ってくるか気が気ではなかったはずですが、良く寝てましたかね。


L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記2  

2008年2月26日


京都駅から四条河原町のMOVIX仙台に向かう車の中で、降り始めた雪を眺めながら、私の気持ちは20年以上前、この地で映画のキャリアをスタートしたときにフラッシュバックしていました。歴史ある、大映(今の角川映画の前身)太秦撮影所で、まだ学生だった頃に助監督見習いをしたのです。頭デッカチの映画マニアですから、右も左も分からぬまま、撮影現場のお荷物だったと思いますが、目にすることが全て新鮮でした。京都のスタッフは、厳しくかつかぎりなく優しい人たちでした。
さて、京都で驚かされたのは、悪天候にも拘らず、劇場の前に集結した、松山クンのファンの皆さんの多さでした。今回の映画の、銀座や駅での「群衆シーン」に負けない多さでしたね。皆さんの「松山クンに会いたい!」という気持ちの強さがひしひしと伝わって来ました。劇場に着くと、間もなく、屋外からの入場となりました。ここでは、佐藤プロデューサーが回しているビデオカメラを松山クン自身が持って登壇しました。観客の皆さんは、松山クンに撮られているわけですから、びっくりしたでしょうね。慌てて、鏡をチェックした人もいたかも知れません。
私は、上記の、思い出をこめて、「映画の街、京都でこんなに皆さんに歓待を受けることを光栄に思います」と話し、松山クンも京都の撮影所で仕事したときの話をしていましたね。もちろんこちらでも、ファンの選出を行い、地図への満員御礼ステッカー貼り(これを前回書くのを忘れてました)を始めとする、イベントで盛り上がりました。劇場を出るときには、雪は大きな牡丹雪に変わり、四条河原町が真っ白な世界に変貌していました。
新幹線で一路名古屋へ。駅の外に出ると寒い!京都で雪を降らせた寒波が西から移動しているのでしょうか。巨大ビルの中を歩いて、名古屋ミッドランドスクエアシネマに辿り着きました。こちらの控え室で、松山クンのそしてわれわれ全員の大好物である、蓬莱のうなぎ釜飯おにぎりが、我々の到着を待っていてくれました。海苔と美味なるおしんこ付きで。夕食のミソカツ弁当があるのを知りつつ、一人、二個以上ほおばりました。
さて、舞台挨拶で何より私の頭を悩ませる、ファン代表選出です。方法を、名古屋と浜松では変えてみようと思い、ここでは、私と同じ誕生日の人!とアナウンスし、数名の方が上げられましたが、後ろの方で、お母さんと白いシャツの小さな男の子が手を挙げたので、「あのお子さんへ、譲って下さいね」とその子とお兄ちゃん、お母さんに前に来ていただきました。お母さんもLの大ファンらしく、二人のお子さんは、われわれの来ているシャツと同じように、銀色の大きなL文字をあしらったお手製のTシャツを着ていましたね。そして僕と同じ誕生日の弟くんは、Lのように、飴を終始口から離しませんでしたね。ファン代表の、Tシャツ文字入れも、お兄ちゃんに代筆してもらいました。
エネルギーを一杯使っているのか、あれだけおにぎりを食べても浜松に向かう新幹線の中でミソカツを頂きました。暖かくておいしかったです。さらに、到着したTOHOシネマズ浜松で、ごちそうになった、チョコレートドリンクが、美味でした。
静岡には、公開前のキャンペーンで私は来ましたが、松山クンは初めてです。もう夜9時台と、かなり遅くの挨拶でしたが、皆さん、元気一杯に、また暖かく迎え入れてくださいました。松山クンも言っていましたが、松山クンに会いに皆さん来ていて、幸せな、元気な気持ちになってくれるとは思いますが、逆に松山クンも私も、皆さんの「映画を満喫した」というお顔を見ることで、すごく勇気づけられ、次に進むことができるのです。本当にありがたいことだと思っています。
浜松でのファン代表選出は、座席番号で行いました。それはLの1番!前半戦、どうしても自分が目視できる前列の方から選ばせてもらったので、名古屋と浜松では、劇場の後ろの方からの選出とさせていただきました。選ばれた彼女は、東京の1回目の試写でも観ていたとのことでしたね。
さ、これで福岡から浜松まで、7都市7劇場での挨拶は終えました。東京に戻る新幹線の中では、みんなぐったり・・・、と思いきや、松山クンたちは、新幹線を降りるぎりぎりまで、カードゲームUNOを楽しんでいました。エネルギーあるなあ!確かに、私が思っていたより、ハードさはあまりなく、分刻みの移動も挨拶もとてもスムーズでしたし、楽しかったです。それは、上述したように、各会場で観客の皆さんからポジティブなエネルギーをいただけるということと、ワーナー映画の小杉宣伝プロデューサーをはじめとする、スタッフワークのおかげだと思います。東京駅近くのホテルについて解散したのは、ちょうど深夜12時ころでした。小杉さんと今日、牛田さんが撮ってくれた写真をメディア配信用に選別して、ぐっすりと眠りにつきました。このときには、翌日の日本映画プロモーション史に残るであろう、波瀾万丈の旅のことは、誰も夢見なかったに違いありません。



1) MOVIX京都では、松山カメラマンに変身。


2) 大ヒット御礼の札貼りも5回目です。



3) サインはL

4) 名古屋ミッドランドスクエアシネマにて。うなぎ釜飯のおにぎりを食するの図。牛田さんの顔が全てを語ってます。


5) 私と誕生日が同じ、名古屋Lファン代表は、可愛い男の子。

6) チョー可愛いので、もう一枚。


7) Tシャツへの文字入れはお兄ちゃんの代筆で。

8) TOHOシネマズ浜松で、Lの1番に座っていた方。

9) 7都市めの札貼り。


10) 初日の行程は無事終了。皆さん、ありがとうございました。

L change the WorLd 全国ヒット御礼ツアー日記1  

2008年2月25日


2月22日夕方に福岡入りした我々は、福岡名物のモツ鍋をたらふく食し、翌日からの、まさに分刻みの弾丸ツアーに向けエネルギーを蓄えました。
23日は朝8時集合で、ユナイティッド・シネマ・キャナルシティ13へ。段取りの説明を小杉宣伝プロデューサーから受け、「今日の各挨拶は、原則10分。松山クンのお話、ファンとの交流イベントのために、自分はコンパクトに喋ろう」と決意したのでした。
松山クンが挨拶に来るとあって、チケットは各会場完売と聞いてはいましたが、朝8時台の舞台挨拶に、満員のお客さんが来てくださっていることには、ただただ感謝です。
大声援の中、会場へ。松山クンの誠意のこもった、御礼の挨拶に、観客の皆さんからの暖かい拍手があり、そして、今回の御礼行脚の目玉イベントと言える、各地のファン代表を一人選んで、1)松山クンサイン入り「L福岡ファン代表」のたすきをかけてもらう。2)御礼ツアー日本地図に、「大ヒット御礼」の札を福岡の所に貼ってもらう。3)松山クンのスタイリスト、牛田さんが特別に仕立ててくれた、松山クンが着ている、LのTシャツに、名前、メッセージ、都市名を書いてもらう。4)サイン入りグッズプレゼント(福岡では、熊のぬいぐるみ)、の盛りだくさんイベントを行いました。これだけの特典があるので、ファンの代表を選ぶ使命を担った私は相当なプレッシャーです。小杉さんが、「この中から一人を選んで」と言った途端に、劇場の大半のお客さんが手を挙げます。うわあ、こりゃ本当に大役だわ、と思いながら、顔を紅潮させて手を挙げていた、二列目の端の女性に目が止まりました。いやはや、彼女も緊張しただろうけど、私もキンチョーしましたです。
きっちり10分で御礼の挨拶、およびファン交流イベントを終えた私たちは、車で博多駅へ。この日はこの後、ひたすら駅到着、車で劇場へ、10分ほどの待機で、挨拶とイベントを行い、車で駅への繰り返しでした。昼食も夕食も新幹線の中での「移動メシ」というものです。
二都市目は、広島。広島バルト11。新宿と同じく、バルトゴールドシアターシステムを採用していて、そのスクリーンで上映してくれていれば、ここも音はいいだろうなあと思いつつ劇場へ。前にも書いたと思いますが、私は岡山県出身なので、ここは一発と思い、岡山弁(広島弁との共通点も多い)での挨拶を行いましたが、長らく話していないお国言葉のため、最後の方がグダグダになってしまいましたが、皆さん温かい目で見守って下さり、クスクス笑いも起きて嬉しかったです。広島では、小学生(だと思います)の女の子を選ばせてもらいました。彼女はおとなしそうな印象でしたが、ドキドキしながら手を挙げているのが良く分かり、前にも書きましたが、「この映画のテーマにも繋がる、小さい子たちにもこの映画を観て欲しい」という思いからも、彼女を選ばせてもらいました。ここのグッズプレゼントは、Lのクリアファイルでしたね。ちなみに、このグッズプレゼントは、全国的にグッズが品切れ状態になっている中、「その劇場でまだ在庫に余裕のある」ものを選んでます。(笑)広島から神戸への移動の新幹線の中で、穴子飯とお好み焼きの昼食を取りました。
三都市めは、神戸国際松竹で、です。ここでは、映画にも二回、印象的に出てくる、Lの串刺しお菓子をオリジナルで作って販売されているそうで、撮影中に何をどこで食べるかにこだわった松山クンは、とても感心していました。 挨拶中に、神戸のお客さんの印象を尋ねられ、何か劇場内から出てくる『気』のようなものが、関西の明るい雰囲気とともに、上品で洗練された感じが、フッとよぎったので、そう答えました。そういえば、私が日活で作った、「ガラスの脳」のときに、原作の手塚治虫さんの出身地である宝塚で、小さな上映会をしたのですが、そこでのお客さんの品の良さと似通った空気を感じました。
さて私にとってのメインイベントである、代表選び。それまで、自分から見て、左側のお客さんを二回選んだので、今回は右を見ました。そこで挙手しておらず、またどきどきしている感じがすごく良く伝わってくる、帽子の女性を選ばせていただきました。 さて、新幹線で15分足らずの移動で、新大阪です。梅田ピカデリーは、外から見るからに大きそうな劇場でした。また、公開前のキャンペーンはこの大阪の地から始まり、上映後のお客さんたちの顔を見られたのも大阪でした。そのことを話したり、また大阪の元気一杯のお客さんたち(松山クンがファン代表とのやりとりのときに、私に向かって「監督ぅう」と声援を下さるので、私で良ければと、手を振って答えさせていただきました。このノリも大阪ならではだったと思います。ちょっとした間があったら、それを笑いに変えて楽しむぞという、ポジティブなエネルギーがありました。
さて、大阪でのファン選出に先立って、「松山クンの挨拶を見たい方たちは、女性が大半。でも、男性もちらほらいてくれるので、ここでは男子を選ぼう」と思っていました。最初の自分の挨拶を終えると、あとは、逆光の中の客席に目を凝らし、男の子たちの姿を確認。今回は、客席深く入り込んで、まっすぐ手を挙げた男の子を選びました。壇上では、緊張したのでしょう、松山クンから、「このTシャツに名前とメッセージと場所を書いてくれるかな」と聞かれて、首を横に振ってましたね。それがまた可愛らしく、会場の方たちから笑い声が起きていました。
また新幹線に乗ること15分で、5都市めの京都到着。駅からの移動中に、みぞれが雪となりました。「監督が雪男で決定でしょう」という松山クンの裁定にうなづきつつ、河原町のMOVIX京都へ。京都は、私がまだ学生時代に助監督見習いをした私の映画人生の原点たる思い出の地。その懐かしさに少し浸りながらの舞台挨拶の模様は次回のこころだ。
以前に、この映画の企画・プロデュースの佐藤貴博さんの漢字を間違って表記した箇所がありました。すみませんでした。訂正いたします。また松山クンが3月2日に出演する番組は、おしゃれイズムでした。こちらも訂正いたします。



1) ユナイティッド・シネマ・キャナルシティ13にて。いよいよヒット御礼全国舞台挨拶ツアーのスタート直前。緊張感が走ってます。


2) Lファン、福岡代表の方と。


3) この全国マップを持って、各劇場を回ります。

4) 広島バルト11にて。「一人壇上に上がっていただいて」とアナウンスすると、場内は沸き立ちます。

5) 選ばれたのは可愛らしい女の子。

6) スタイリストの牛田さんは、今回のオフィシャル・カメラマンでもあります。アングルがかっこいい!

7) 神戸国際松竹にて。劇場オリジナルの串刺しスイーツ。

8) 神戸まで辿り着きました。

9) Lファン、神戸代表の方と。

10) 大阪、梅田ピカデリーにて。松山クンの姿が見えると、場内は興奮のるつぼです。

11) 女子の皆さんごめんなさい。男の子を探していました。

12) 客席に入っていくと、こんな感じになりました。

13) 選ばれたのは彼。緊張してるかな。

14) 上手に貼ってくれました。

15) 真剣そのもので名前を書いてくれてます。

L change the WorLd ロードショー日記8  

2008年2月22日


昨日は、TOHOシネマズ府中で、17時50分の回に行きました。駅からビルまでは徒歩30秒!京王線沿線の方々には非常に便利な劇場ですね。ここには、昨年の8月4日(今回の映画がクランクインして、初めての撮影休日でした)『怪談』の初日に、有楽町での舞台挨拶を終えて来ました。友人のフランス人女性とです。彼女は、“L change the WorLd”で、ワイミーズハウスの秘書のような立場で、出演しています。Lのマックの画面の中ですが。ボーイからの電話を中継する役ですね。日本語をほとんど解さない彼女ですが、『怪談』の世界にどっぷりと浸ってくれ、映画が終わったときには、泣きはらした顔でした。きれいだったなあ・・・。
ここのスクリーン2は500席ある大きな空間で、席もゆったりしていて、THX認定の音の環境がいいところでした。少しだけ惜しむらくは、若干ですが、音圧感が足りないような気がしました。またも生意気を申しますが、劇場の方、基準値まで上げていただけると、たいへんありがたいです。 その後、夜には調布で、メインスタッフたちと、祝杯を上げました。それぞれ次の仕事で多忙を極めていますが、急な招集にすっと応じてくれ、声をかけたメンバーは全員参加の賑やかなものとなりました。皆ヒットを喜んでくれ、撮影裏話や、各専門分野から見た分析、どの場面がお気に入りか、など 楽しく、でも時として真剣に話しながら、飲み交わしました。私にとって、スタッフは自分のイメージを的確に、時に私が目を見張るクオリティで具現化してくれる、たいへん大切な恊働者(コラボレーター)たちです。彼らと集まって、楽しく飲み交わすのが、私にとっては最良の娯楽タイムですね。
もうすぐ福岡に向け出発です。松山クン、Lレンジャーの皆さんとの、弾丸ツアーです。私にとっては、プロモーション活動はこれで最後となるでしょう。気合いを入れます。(松山クンは「おしゃれイズム」などの放送がまだありますね。)劇場で皆さんとお会いするのを楽しみにしています。また、この週末に、試験を終えた多くの生徒さんたちをはじめ、全国の皆さんがこの映画を観ていただけることを願いつつ。


1) わが敬愛する、スタッフの面々です。皆で、Lサイン、のはずが、別のポーズになっている人もいますね。右下隅に見える人の顔は決して心霊ではありません。スタッフが正体を無くしているのです。


L change the WorLd ロードショー日記7  

2008年2月21日


さて、この週末はいよいよ、ヒット御礼、全国舞台挨拶ツアーを松山クン、およびLレンジャーの面々と行います。Lレンジャー・ユニフォームも新調されるということで、私も「今度はどんなのだろう!?」と興味津々です。 トム・クルーズも真っ青の時間ギリギリミッションなので、俊敏性が増すトレーニングをして、臨みたいと思います。
今日は、これから次回作(自主ドキュメンタリー映画です)の「ハリウッド監督学入門」(鋭意編集中です)の配給会社での打ち合わせ、そしてTOHOシネマズ府中へ出向き(明日、レポートいたします)、その後に、今回の現場のメインスタッフの人たちと、ヒットの祝杯を上げようと思っています。 全国縦断ツアーの様子はLレッドの小杉さんが、映画のサイトに速報をアップすると思いますが、私はおもしろ裏話をなるべく早くにお伝えしますので、お楽しみに。


1) タイ、ナコンラチャシマー空港にて。私は、演出中、俳優さんと「同化」するくせがあります。この格好は、Lと一緒に(自分の気持ちでは)「飛んでいる」ところでしょうか。映画をご覧になった皆さんは、どの瞬間かお分かりかと思います。

2) タイ、クワイ河近く。野山を開墾して、遺跡跡を丸ごと造りました。矢内美術デザイナーと、タイの佐々木アートディレクターの指揮のもと、「本物にしか見えない」精巧かつ巨大なオープンセットが出来上がりました。「コブラに気をつけろ」と言われたのには肝を冷やしましたが。タイの美術スタッフの優秀さは、村のオープンセット(村全体を、映画用に全て建てた後に、爆破しました)や、ブルーシップグループのアジト、ビオトープのセットを観ていただければ、一目瞭然かと思います。

L change the WorLd ロードショー日記6  

2008年2月18日


平日の劇場の様子も見てみたいと思い、我が家から比較的行きやすい、渋谷シネパレスに出かけてみました。コンパクトながらこちらも、渋谷駅から徒歩3分くらいと絶好の立地ですね。ここでは最近では、「花よりもなほ」を観たり、また「怪談」の宣伝で、落語家の五街道雲助師匠と、昨夏、こちらの事務所で対談したり、劇場内で紙面用の写真を撮らせていただいたりしました。
夕方17時半の回、ぎりぎりに行くと、小学生の男の子とお母さんが息せき切って、エレベーターに乗ってきます。こうした親子連れを見ると、何か嬉しくなってしまいます。
川崎チネチッタに大勢いた小学生たちを見て、ふと「Lはなぜこんなに子供たちに人気なのか?」と考えました。もちろん、絶大な人気の原作漫画、また記録的な興行成績を上げたデスノート前後編の映画のおかげであることは間違いありません。でもそれを超えて、松山ケンイチ演じるLに、まだ思春期にも達しない子供たちが、強く反応してくれている気がしています。
松山クン演じるLの魅力は一言では言い表せません。眉をほぼそり落とし、独特のアイメイク、その長い手足、一流のギタリストかピアニストのような長い指などなど、フィジカル面だけとっても、枚挙に暇ありませんね。
私自身が、映画が公開されて、子供たちと一緒に見て思ったのは、松山Lには、パントマイム・パフォーマー(道化、ピエロと呼び変えてもいいかも知れません)的魅力が備わっているなということです。ピエロは何の言葉を発しなくても、また表情を大きく変えなくても、子供たちは、自然と惹き付けられます。台詞や表情でなく、「日常の人たちとは明らかに違う」存在感や、「常軌を逸した動作、しぐさ」が、子供たちの柔らかい感性に訴えているのではと思います。
例えば、Lが真希に串刺しお菓子を差し出す場面、真希に首を振られ、思わず自分で食べるLの芝居は、何かサイレント映画の人物のようですね。そこはかとないペーソスも漂います。この種のペーソスを醸し出す天才は、そうチャップリンです。ご存知の方も多いと思いますが、松山クンはチャップリンを敬愛しています。そんな彼の思いが無意識に出ていると言ってもいい場面かと思います。
笑わないという意味では、もう一人のサイレント喜劇王、バスター・キートンとも共通項があります。デスノートではあれだけ表情を変えない故に、観る方が「今Lはこんなふうに感じているのかな?」と想像力を逞しくしていたと思います。そして、今回はこすいたスラップスティック喜劇王たちに負けないアクションも見せるL。松山クンが、デスノートから、「Lと共に考え、感じ、呼吸してきた」からこそ達成できた、映画的な膨らみを持った人物像だと思います。「松山ケンイチと仕事をしてみたい」と思った私の直感は、間違っていなかったなと、最近つくづく思います。


L change the WorLd ロードショー日記5  

2008年2月17日


映画のサイトをチェックしている皆さんは、ご存知かと思いますが、ヒットのお礼を兼ねて、松山クンと、2月23日、24日の両日、九州、福岡から、北海道、旭川まで、14劇場!!!での舞台挨拶に参ります。いやはや、考えるほうも考えるほうですが、やるほうもやるほうです。初日に、「私にもできることがあったら」と言ったら、すぐにこのツアーに組み込まれていました。先ほど、移動のタイムテーブルを見ましたが、すごいです。何かの手違いがあったら、いやないでしょう。やりきってみせます。もちろん、初日に結成したLレンジャーの面々は同行しますので、お楽しみに。
さて、昨日、新宿バルト9で14時20分の回を観てきました。二週目に入ったにも拘らす、ここで最大のシアター9が、またもほぼ満員でした。新宿三丁目という立地でしょう、ファミリー層が多かった川崎チネチッタとは好対照に、大学生世代を中心に、20代のお客さんが多かったように思います。
この劇場、特筆すべきは、音響システムです。劇場のホームページにも書かれていますが、独自のシステムで、われわれが映画のサウンドトラックを作ったオリジナルの音に近い状態で聴けるとのこと。今回、これだけ音にこだわって、劇場にお願いの手紙まで配布した身としては、期待にわくわくしながら、本編の始まりを待ちました。結論を言うと、素晴らしいの一言です。きっと音量も私の要望通りの基準値を出してくれていると思いますし、5.1チャンネルのデジタルサウンドが、なるほど圧縮感なく、迫力を持って迫ってきます、特に、左右のステレオスピーカー(音楽)後ろのサラウンドの効果音などが、くっきりと立体的です。また、ラストシーンの弦とピアノの音楽が非常に伸びやかです。このバルトゴールドシアターシステムは、どういう音響技術なのか、尋ねてみたいですね。
とにかく、このシアターで、映画を見てくれたお客さんは、ある意味とても幸運だと思います。今回、私は日本全国、およびアジアでの劇場音響チェックを20カ所ほどしましたが、バルト9の音響は、間違いなくトップクラスです。
手前味噌ですが、映画の上映中、サウンドトラックの豊かさに、観客の皆さんがエモーションを揺さぶられているのが、私にはよく分かりました。ラストシーンが終わり、エンドクレジットにレニー・クラビッツのボーカル(素人ながら、私が訳詞させてもらっています)の雰囲気に浸り、最後にあの短いエピローグが。その余韻で、劇場全体が数秒間静寂に包まれます。そして、明かりが場内に入って、皆さんが席を立ち始めるときには、それぞれのお顔に、充足した感じの微笑みが宿っています。カップルの方、友人同士の方、それぞれに何か話しています。一つ一つの会話の内容は聞けませんが、2時間の間、この映画にどっぷり浸かっていただき、そのエモーショナルな時間を満喫していただいたのは、よく伝わってきます。何度でも書いてしまいますが、こんなときこそ、映画監督になって良かったと心底思えます。そして、この豊かなリアクションを得るために大いに貢献してくれているのが映画のサウンドトラックです。
ここで、あえて苦言を少しだけ呈します。音響は最高水準にあると思いますが、画の方が少しだけ難ありです。映写フレームが、少しだけ余分に黒幕に掛かっていて、画が狭くなっています。また、少し光量が足りず、暗く黄色っぽい感じでした。この点を修正していただければ、間違いなく、関東でいや日本でトップクラスだと思います。(劇場の方、もし読まれたら、生意気を言ってすみません。もしも改善していただけたら、お客さんにも、作り手にもベストの環境なので、よろしくお願いします)
バルト9は、もと新宿東映、東映パレスなどが入っていた土地ですね。沢山の東映作品、また私の大好きな「陽の当たる教室」、学生時代には、キンフー監督などの「台湾映画祭」もここであったと思います。東映パレスは、お世辞にも音がいいとは言えなかったですが、このように素晴らしい劇場に生まれ変わったのは、わがことのように嬉しいです。これからよく出かける映画館になりそうです。
さて、零号試写から数えると、完成した映画を通して観るのは今日で8回目です。約二月の間にですから、「一週一L」のペースは守ってます(笑)。さて、次はどこに行きましょうか。


1) 香港にて


2) 台湾にて

4) 台湾にて




L change the WorLd ロードショー日記4 最終舞台挨拶は新宿ジョイシネマで!  

2008年2月15日


ここの劇場は、デスノート後編で、藤原さん、松山クンで、初日の夜に突如舞台挨拶し、お客さんたちが、もう興奮のるつぼと化した、伝説の劇場とのこと。この日は、夕方からの雪で、どれくらいのお客さんがいるかと危ぶまれたものの、ゴーサインが出て、いざ現地へ。
劇場の、非常口から入り、秘密の待機場所で、チームデスの解散式(?)などを行いつつ、本番に備えました。いやはや寒かった。さあ、いざ場内へ乱入と思いきや、隠しドアふうの小さなドアが開かない!押しても引いても!松山クンも僕も、あれには焦りました。ドアを必死に叩いた末に、中から開けてもらい壇上へ。お客さんも、再びの伝説を信じて、居てくれた人もいましたが、皆さん、びっくり、少し遅れて悲鳴、歓声が上がりました。
松山クンは、ここでは佐藤プロデューサーに対して、「彼がいつもいろんな局面で闘ってくれたから、デスノートも、今回の映画もある」と最大の謝辞を佐藤さんに表明、私も負けじと佐藤さんへの感謝を表明しました。松山クンのコメントで、すでに表情を崩していた佐藤さんも壇上へ。実は松山クンと、「佐藤さんを泣かせる作戦」を札幌から始動していて、もうここでやらずば、という最後の最後で、松山クンがカードを切ったのでした。冷静を装いつつも、佐藤さんのトーンはうわずり気味で、壇上に上がる前に、「ひと泣き」したのが分かりました。松山=佐藤の才能ある映画人と一緒に仕事ができた私もとても幸運なことでした。
この日は、このあと藤村さんのバーにお邪魔し、みんなでお疲れさまをしました。藤村さんが、すばらしい食事とドリンクで歓待してくださいました。ありがとうございます。
これを書いているのは2月15日。オープニング3日の成績も出ました。この映画を応援してくださる皆さまのおかげで、たいへん順調なスタートが切れました。ただし、これに油断することなく、まだまだこの先のプロモーションも、私にできることはやっていきます。劇場にも(東京以外にも)足を運びます。皆さん、どうぞよろしくお願いします。


1) 新宿ジョイシネマ。秘密の入り口にて。

2) 終映後、すぐ飛び出せるようにスタンバイ。

3) 呆気に取られるお客さんですが、松山クンと壇上に。

4) ご挨拶。

5) 佐藤プロデューサーも壇上へ。

6) 連日連夜のプロモーションお疲れさまでした!
7) 佐藤さんんとガッチリ握手。
8) 好調スタートのお祝いをワーナーから頂きました。



L change the WorLd ロードショー日記3  

2008年2月12日


初日の後半戦の地は池袋です。この地も深い思い出があります。「リング」の初日、当時西部池袋線沿線に住んでいた私は、池袋ジョイシネマ(当時)の初回のお客さんの様子見に行こうと、サンシャイン通りを歩いていました。しかし、もしもガラガラだったら立ち直れないな、昼のマリオンでの舞台挨拶に響くなあと、不安で一杯でした。劇場入り口まで来たものの、通りを挟んだ劇場には、「タイタニック」に並んだ長蛇の列を見て、重圧感を覚え、トボトボと駅の方に引き返しました。少し歩いたところで、元気のいい女子高生の一団が、「ああ、もう遅れるよ!どこだどこだ、劇場は!?」と叫びながら向うから走ってきます。私は、きっと「タイタニック」だなと思いつつも、もしやと思い、彼女たちが走りすぎた後、その後を追って一緒に走りました。そして、彼女たちは、「ああ、ここだ、ここだ」とジョイシネマ内へと駆け込んで行ったのです。それを見て、私は、あんなに期待してくれて、一回目を観に来てくれる子たちがいたことに感激したのでした。その、「タイタニック」をやっていたのが、今回ノリノリの舞台挨拶をさせてもらった、シネマサンシャインだったような気がします。 池袋のお客さんは、熱狂的ノリを見せる、と聞いていましたが、車でビル内に入る時、出る時は、かなりのフィバーぶりでしたね。 川崎からの移動中と、待ち時間で少し休めた私は、「私もL、Tシャツを来て挨拶するので、皆で壇上に上がりましょう!」と、佐藤プロデューサーたちを説得し、写真のような展開となりました。お客さんたちにも、大いに受けて嬉しかったです。松山クンも大いに楽しそうでしたね。 新宿への移動中に雪がちらつきはじめました。バルト9は、私は初めて入ったのですが、あの絶好の立地で、新しい映写、音響設備で、若い人には大好評のようですね。私は劇場からいただいた、いろんな味のたこ焼き?さつまあげ?が、おいしかったです。 これで計、9回の挨拶を終えるのですが、完全サプライズの新宿ジョイシネマへは、降りしきる雪の中の大移動となりました。その最後の挨拶の模様は、次回に。


1) 池袋に、Lレンジャーズ見参!


2) サインはL。(Wバージョン)

3) Lレンジャーズ、そろい踏みに、シネマサンシャインのお客さんたちは大受け。

4) 場内は熱かった!

5) LとLレンジャーズたち。

6) 新宿バルト9にて。いよいよ8回目のご挨拶。

7) その2。9回め



L change the WorLd ロードショー日記2 初日、7館10回の、舞台挨拶を詳細レポートその1 

2008年2月11日


初日のレポの前に、本日(2月11日)川崎チネチッタの15時10分の回を観てきましたので、そのご報告を。チネチッタは過去に来たことはあるのですが、初日の舞台挨拶で「すごく観やすそう、聴きやすそう」な劇場(ここで最大のスクリーンのチネ8で上映中です)だと感じ、また支配人の方(私の多くの作品をチェックしてくださっている様子でたいへん光栄でした)と、例の「音量のお願い」話をしたところ、「監督のご要望のとおりにしてあります」とのことで、「ここなら、満喫できるだろう」と踏みました。 (上映館の関係者の皆様、音量に関するお願い、どうぞよろしくお願いします)
今日は、朝から晴天に恵まれて、お客さんの出足も悪くないかなと思いつつも、内心はドキドキです。映画そのものの力が試される場です。実は、12時10分の回を観ようとして、30分前に行くと、もう空席が僅かとなっており、いい音で聴きたいので、次の回にしたときは、3時間空いてしまったものの、軽くガッツポーズでした。
そして、次回もほぼ満席状態の場内へ。中には、自分が想像した以上に多くの親子連れの方々が。しかも、小学生、中学生たちが、そうですね、全体の4分の1くらいを占めそうな勢いでした。その一方で、私より一回り上の世代の方々もいらっしゃり、まさに「老若男女」さまざまな方々が、いてくださり、もう私の気持ちは小躍り状態でした。
こうしてお客さんと、一緒に映画を見ると、彼らが映画に集中してくれているかどうかは如実に分かります。その点でも、私は大満足でした。映画が終わった直後は、エンドロールの後に、あのようなラストメッセージがあるので、お客さんはその余韻を引きずって静かでしたが(私の臨席の少女は泣きはらした顔でした)、場外へ出て行くお客さんたちの顔を見ていると、そこには、それぞれの微笑みが宿っている(私にはそう思えました)ようで、これにも大いに励まされました。
プロモーション日記にも書いたように、稀代の天才、変わり者、しかし、ワタリに救いを求めて来た子供たちを守るL、そのLと行動を共にする、真希やBOYに感情移入してもらいながら、小中学生に観てほしいと思っていましたから、映画が終わった後の、彼らの生き生きした表情を見ると、「この映画を作って良かった!」と心底思いました。満員の観客と自分の映画を見させてもらって、監督冥利に尽きます。ありがとうございました。 グッズショップも大混雑でしたね。

さてさて、初日です。丸の内プラゼールの二回の挨拶は、私は、プレミアの轍を踏まぬよう、初日を迎えて感じていることを、そのまま素直に言おうと決めました。前日観た、デスノート後編の、Lの死の瞬間が、自分が記憶していたよりも、ずっと控えめな、僅かな微笑みを口に宿し、しかし一旦首をうなだれると、死に顔さえ見せないL、だからこそ切なさが残るあの瞬間に向けて、今回の映画は作ろうと思ったこと。Lとワタリ以外は、われわれがオリジナルストーリーとして創造した人物像たちで、彼らの思いを描ききったことを誇りに思うこと、また、そのオリジナルストーリーを、こちらにフリーハンドで任せてくださった、原作の大場先生、小畑先生に感謝したいことなどを話しました。
二回目の挨拶ののち、近くのレストランで、製作、配給に関わった皆さんとの、初日を迎えての乾杯の会に出席し、皆でそれぞれ労をねぎらいました。 松山クンと私は、その会も早めに切り上げて、我々は川崎へ。 川崎では、チネチッタ、TOHOシネマズ川崎、109シネマズ川崎の三館で挨拶を行いました。三館すべてでというのは、どうやら初めてのことのようです。 舞台挨拶を観たくてというお客さんが多いと知りつつも、それぞれのお客さんの層が少しづつ違っていて、非常に興味深かったです。今日は、チネチッタに参りましたが、TOHOシネマズも、109シネマズも、私は普段よく利用させていただいています。
TOHOシネマズは、舞台挨拶待機場所が、ビルの屋外(7、8階部分の)になっていました。これは私も初めての経験でした。小杉プロデューサーは、初日を迎えて張り切っていて、「川崎の皆さん、元気ですかあー!」と屋上から叫んでいましたっけ。
川崎での三回の挨拶を終えると、この日五回分したことになり、丁度半分。残るは、池袋一館二回、新宿二館三回です。池袋からは、「ハジケてやるぞ!」ということで、急遽(わらわれの)チームLを編成することになりました。その様子は、次回に。


1) L掴みで初日を迎えた喜びを!乾杯!


2) CINECITTA(チネチッタ)にて。その1

3) CINECITTA(チネチッタ)にて。その2

4) TOHOシネマズ川崎にて。

5) 109シネマズ川崎にて。

6) 池袋シネマサンシャイン控え室にて。ここらへんで、われわれはじけます!





L change the WorLd ロードショー日記1 初日、7館10回の、舞台挨拶を詳細レポートその1 

2008年2月10日


そして、幕は切って落とされました。有楽町で2回、川崎の三劇場で3回、池袋で2回、新宿2劇場(最後の新宿ジョイシネマは、完全サプライズでした)3回の舞台挨拶は、私にとっては前代未聞、でもここまでやれば「プロモーションやりきったぞーっ!」という、達成感がいや増すはずです。 早起きして、舞台用衣裳を手に、私は新宿に向かいました。新宿ジョイシネマの朝一番の回は9時からで、これなら、お客さんの様子を見させてもらってから、ワーナーでの朝10時からの、南海放送の生ラジオ出演にぎりぎり間に合うなと踏んだからです。今を去る10年前、「リング」で、池袋、新宿、渋谷の劇場を回ってから、有楽町に向かった体験からの、ゲンかつぎです。
2月9日の天気予報は、雪か雨という、映画興行にとっては、厳しいもので、私も内心ヒヤヒヤしていましたが、朝の空は思ったより明るく、「これなら大丈夫だ!」と勇気づけられました。新宿ジョイシネマ(ここの館は、「リング」の本興行後のムーブオーバーをやっていてくれた劇場(同じビルの上の階だったと思います)で、またも何かの縁を感じました)内に入ると、朝9時(ということは、前日の金曜日の夜からのつながりの方、当日朝だとすると、かなりの早起きで来てくださった方々)にも関わらず、自分の予想の倍くらいの方々がいて、感謝感激でした。支配人の方にご挨拶および、音量のお願い(微笑)をして、ワーナーへ。
ワーナーで最初にご挨拶をしたのは、ワタリ役の藤村俊二さんでした。映画を試写でご覧頂いて、「素晴らしい作品だった」と、お褒めの言葉を、あのナイスな笑顔で下さり、私はすごく、すごく嬉しかったです。日本のエンターテイメント界でこれだけ長く活躍され(私も、子供の頃、その軽妙洒脱な話芸、また洗練された身のこなしに目を奪われていました。)てきている大先輩に、そう言っていただけるのは、光栄なことです。 福田響志くんとの3ショットを撮らせてもらいました。実は藤村さんとは、この日の深夜またお会いすることになるのですが、この続きは次回に。なるべく早くにまたアップしますので、請うご期待!


1) 2月7日、ジャパンプレミアより。その1


2) その2。Lサインの息もバッチリです。

3) その3。チームL

4) その4。チーム、ブルーシップ

5) 2月9日、朝。藤村さん、福田くんと。

6) 撮影のころに生え変わった前歯が急成長中。

7) 丸の内プラゼールにて。「本番」の挨拶は皆、真剣そのものでしたが、藤村さんと、南原さんには、笑いをふんだんに盛り込んでいただきました。




L change the WorLd プロモーション日記14 いよいよよ公開前夜! 7日のジャパン・プレミア大特集! 

2008年2月8日


明日2月9日の、初日怒濤の6劇場9回の舞台挨拶に備え、自宅で体力温存中です。私も、松山クンと同じく香港の寒さにヤラれてしまいました。しかし、明日はこの映画を心待ちにしてくれていた、お客さんたちと対面できることもあり、気分は高揚しています。ちなみに明日の朝一番、都内のどこかの劇場に入って、お客さんたちの反応を見せてもらってから、丸の内プラゼールに向かうつもりです。こちらのほうも、ドキドキです。(また、明日以外も、映画館に行きます。この四角い顔を発見したら、どうぞお気軽に声をかけてください) 今朝、まだ布団の中で、「スッキリ」出演中の松山クンを見ていたら、「アントニオ」さん話になり、いつもその物まねで、自然な笑顔を引き出してくれるフムフムさんが、画面に登場!寝床で、飛び上がって拍手喝采していました。フムフムさん、いつもありがとうございます。
では、昨日の様子を。実は、私は東京国際フォーラムに入るのは初めてでした。お昼過ぎに、恒例の、そして最後となる音量チェックに行きました。裏側のドア口の方に、もう既にお客さんたちが、200人くらいいらっしゃいます。私に気づいて、握手を求めてくださる方、私が向けるカメラに元気な笑顔を振りまいてくださる方々、大阪、名古屋などの遠方からの方々、本当にどうもありがとうございます。
一階席3500人、二階席1500人収容のAホールは、まさに国内最大ホール。ハリウッドでも、スポーツ施設以外にこのような人数でプレミアをやることはありません。「でかいなあ」としばし圧倒されました。しかし、その巨大さゆえに、音響がどうなのかという心配はありました。録音の小松さんと、普段より時間をかけ(何せ二階席に上がるだけで時間がかなりかかります)、音響を確認させていただきました。結論を言うとすごく良かったです、専門のスタッフの方が、最新機器で、音量だけでなく、音質の綿密な調整をしていただいて、私としては大いに安心しました。ちなみに、音の面で言うと、この会場は二階席の前方がベストの場所でした。
一旦、ワーナーに引き上げて、取材を一つ。このインタビュアーの方も、私の作品を鳥瞰図的に調べ上げてくれていて、楽しく流暢にお話ができました。ジャーナリストの方との相性って大きいなあと再確認しました。そういえば、各地の新聞に配信していただいている、共同通信の記者さんとのインタビューもベストの一つです。(「魂を揺さぶられた」などの見出しがついているものです。)私の、この映画への思いが率直に出ていると思います。(手元にある同記事掲載紙は、河北新報、岩手日報、四国新聞、北国新聞などです)
夕方五時に、再びフォーラムに到着。このプレミアは、俳優部9名と私という総勢10人で、今まで私が行ったお披露目で最多でした。プロモーションではお会いしていない俳優さんたちと、「お久しぶりです!」と同窓会のような、挨拶が自然に出てきます。中でも、プレミアに参加された方々はお分かりかと思いますが、BOY役の福田響志くんは、瞬く間に(撮影現場と同じように)みんなのアイドル化していました。
舞台挨拶の前のファンの皆さんとの、サイン&握手イベントも、新鮮でした。松山クンと私だけ、後から、二階上からのエスカレーターに乗ってレッドカーペットに降り立つという趣向で、「こっ恥ずかしい」感じですが、やるときはやるしかありません。その後のサインも、30分近く、書きまくっていました。松山クンも今回は、最近対面したジョニー・デップを見習って、とことんサインしていましたね。会場内でも、握手、Tシャツプレゼント、サインとファンサービス全開でしたね。
そして、舞台挨拶です。福田くんが、「挨拶って。何を話せばいいの?」と聞いてくるので、「何でもいいんだよ。今の自分の気持ちを素直に言えば。何か気の利いたこと、笑かしてやろうと思わなくていいんだよ」と言っていた私が、まさに「策に溺れた」のでした。
締めの一言なので、今までとは違うことをと思い、「国内外のジャーナリストからの共通した質問として、Lのように自分の命があと23日で尽きるとしたら何をしますか?と問われ、今までは、「往生際悪く、世界中の医者巡りをして何とか生き延びようとする」と答えていたのを、昨日まじめに考えると、「自分の作った映画を日々観ながら死にたい。(それなら、Lのように死の瞬間、微笑が浮かべられるかも知れない。もちろん、まだまだですが)そして今日からスタートなら、「L change the WorLd」を(明後日の公開から毎日、21回観て)見続けたい。「一日一善」ならぬ「一日一L」といきたい」と言って、ここで、場内からのくすくす笑いを期待していたのですが、私がすごくまじめなトーンで前半しゃべったせいか、会場はシーン、5000人近い方々にシーンとされると、もうオロオロです。でもそこで南原さんの助け舟が入り、ホッとさせられました。「一日一L」がキツければ、「一週一L」、「一月一L」でも、と、少しでも回復を狙いました。いやー、恥ずかしかった。でも、松山クンは、「面白かったっすよ」と言ってくれました。優しい人です。
松山クンの最後の方のコメント、「デスノートで、Lはライトに「お前は中に籠ってばかりで、世の中のことを知らない」、と批判される。本当にそうなのかは分からないが、この映画では、Lが外に出ることによって、(社会と人と)どう関わったか、分かると思う。僕もそういう(中に籠る)時期があったけれど、外に出ることで、学ぶこともあると思う。これから中学を出て、高校に入学するとか、就職とか、他の場所に行くとか、外に出て次のステップに行く人に見てほしいと思います」には感銘を受けました。前にも聞いていましたが、プレミアで改めて彼が言ったので、その思いの強さがストレートに伝わってきました。
Lはまさしく、人生のターニングポイント、最期の節目にいて、最も自分の能力が発揮できる場所を、ワタリを頼ってきた子供たちのために捨てます。子供たち二人と一緒に居て、(自らも子供のようなふるまいをしますが)この子たちを守り、世界を守る。その言動は決して押しつけではなく、ワタリの遺志を継ぎ、やるべきことをやるといったもの。23日を走りきる彼の姿は、真希やBOYのこれからの人生に大きな影響を与えるでしょう。卒業、就職、転校、別離、出会いといった人生の節目の人にもLの生き方に共鳴していただけるところがあれば、作り手としてこの上ない喜びです。
今日は、昨夜の余熱、またいよいよ明日からだという興奮から、長くなってしまいました。以下、プレミア写真をお届けします。 いざ、開幕です!


1) 開場の何時間も前から、長蛇の列が。素直に、嬉しいです。


2) 私に気づき、元気な笑顔を振りまいてくれた方々、ありがとう!

3) 田中モジャさん、大人気。あなたは何者?

4) 福田響志くんとは年末以来の再会です。笑顔がこぼれ落ちます。

5) 怒濤のサイン会

6) ファンの方々は私にも優しかった!

7) フムフムさんのおかげで破顔一笑。生放送デビューおめでとうございます。

8) 5千人収容の会場は、ほぼ満杯でした。

9) デスノート・シリーズの金子監督もプレミアに来てくださいました。日活撮影所の先輩です。面識はあったのですが、緊張しました。

10) 響志くんは、挨拶が終わってリラックス顔。久々に、ド緊張した挨拶でした。



L change the WorLd プロモーション日記13 

2008年2月7日


2月6日、今日は、12月下旬からのプロモーション活動のため、ほったらかしになっていた室内の整理などをしています。窓外の、雪(なのかみぞれなのか)が寒そうですね。台湾から帰国した日の前日も、関東地方は雪だったとのことで、そういえば、雪男伝説は結局誰なのか、これだけ降られると、結論が出ませんね。今日は、明日のジャパンプレミアに備えて、早寝します。小杉さんに負けぬよう、プロモーション写真日記の落ち穂拾いをお届けします。


1) 札幌、雪景色その1。昼食をいただいたお寿司屋さんの庭。


2) 札幌、夜の雪景色。寂しい風景に惹かれてしまいます。

3) 韓国、松山クンに接近遭遇したファンたちは感激の様子。

4) 韓国、ホテルで、福田さんと二人でインタビュー

5) 韓国、ケーキ入刀。各国、各様のイベントが興味深かったです。



L change the WorLd プロモーション日記12 台湾編

2008年2月6日


2月5日、三泊三日半の弾丸プロモーションツアーから帰ってきたのも束の間、翌日にはワーナーブラザースで、北海道、秋田、富山、愛媛のラジオ局の電話インタビューを受けました。生放送あり、収録ありですが、(前も書いたかも知れませんが)ラジオへの出演は、リラックスでき、自分の考えも落ち着いて話せるように思います。若い方々にはピンと来ないかも知れませんが、自前の「トランジスタラジオ」を持ち、ラジオの深夜番組や、海外放送などを聞くのが、カッコいいとされた思春期を送ったからでしょうか。ラジオは今でも大好きですね。「ながら」仕事がしやすいのがいいですね。 この日は夕方の宣伝会議にも出席し、皆さんの熱意をひしひしと感じました。いよいよ公開まで、あと三日足らず。今日は、静かに部屋にこもっています。明日には、日本内外の、プロモーションツアーでの写真、未公開のものをアップしますので、請うご期待!





L change the WorLd プロモーション日記11 台湾編

2008年2月5日


香港から、僅か2時間ほどのフライトで到着した台北は、小雨混じりでかなり寒かったです。台湾は二度目。「ガラスの脳」という作品で来たのはもう8年くらい前でした。飲茶やウーロン茶が抜群においしいという印象を持っています。
台湾の記者さんたちは、香港に比べて非常に肩の力が抜けていて、カジュアルな感じの質問が飛んできます。この作品はホラーでも何でもないのに、「撮影中に心霊現象などは?」というのが結構多く、私は苦笑していましたが、松山クンは、「それが心霊現象と呼べるかどうか分かりませんが」と前置きした上で、「監督はいつもタオルを鉢巻きのように頭に巻いていて、それを本番直前に、ぎりぎりと、頭の血管が破けるのでは?というほど締め上げます。役者が本番オーケーで、監督のタオル縛り待ちになったこともありました」と答えていました。松山クンのこうした、硬軟自在に使い分ける、頭の切り替えには脱帽です。でも、記事になるとき、どうなるのかな?
プレミア会場で驚いたのは、台湾でのこの作品のポスターが、日本のものと全く同じ(松山クン単独の、真顔でこちらを見据えているもの。キャッチコピーは、L、最期の23日間)だったことです。キャッチコピーから何から、一切中国語に変換せず、ひらがな混じりの日本語のままでした。漢字の中に。ひらがな、カタカナの混じった日本語が、台湾の(特に若者)人から見て、「かっこいい」「かわいい」というイメージがあるようだ、と聞きました。イベント会場では、日本語で書いた、松山クン、福田さん(香港、台湾では彼女の追っかけファンが沢山いました)への日本語メッセージの、字の上手さに驚きました。
今回のアジアキャンペーンには、日本テレビの夜のニュース番組、NEWS ZEROの取材チームが同行しています。昨夜も放送され、韓国の漫画文化(その多くが日本の漫画の翻訳)を紹介し、デスノートの大ヒットの原因などを探っていましたね。2月8日の公開前日の番組内と、2月9日午後の、公開記念特番では、今回のアジアプロモーションの密着取材特集を放送してくださるとのことで、私もたいへん楽しみにしています。特に、私の映画の音響へのこだわり、香港、台北でも敢行した、試写会場(実際のシネコンです)での音量チェックをきちんと取材カメラで押さえてくれました。この作品を上映してくださる、日本の劇場関係者の方々にも、是非見ていただければと願っています。
この日は、夜は早めにすべての行事が終了し、皆で、海の幸、山の幸に舌鼓を打ちました。福田さんとも、隣合わせで食事をして、とても楽しそうな彼女の様子を見て、私もなんだか嬉しくなりました。和気あいあいとした雰囲気の中、本作品のヒットを願って、一本締めをして、私にとっては、10都市、2週間てんこもりのプロモーションを終了しました。いやはや、本当に密度の濃いプロモーションでした、最初に訪れた大阪が、もう一年前のようです。撮影中にもよくありますが、集中して24時間をフルに使う日々を送ると、時間の感覚がこのようにズレてきますね。
とは言っても、今日の各ラジオ局からの電話取材、7日のジャパン・プレミア、9日には、6会場、9回(!)の舞台挨拶があり、気を抜く間もありません。今は、いよいよラストスパート状態です。皆さんどうぞ、応援のほどよろしくお願いします。


1) 台湾での囲み取材。やたら目立っているのは、日本からの記者でしょうか?台湾レポーターたちが、マイクをわれ先に突き出すのに負けずにがんばっていました。

2) 食事も取材も円卓で、これが台湾流かな?

3) 取材陣、ファンの方々、熱烈歓迎ながら、落ち着いていて、日本に近い印象でした。

4) 定番のLサイン。




L change the WorLd プロモーション日記10 香港編

2008年2月4日


ソウルから一路、香港へ。約4時間のフライトは、睡眠不足を補うのに格好でした。香港、台湾の配給会社は、ゴールデン・ハーベスト。「燃えよドラゴン」のプロデューサーでもある、香港映画界の立役者、レイモンド・チョウ氏らによって創立された、大手の映画会社。そのせいなのか、お国柄の違いなのか、空港での出迎えは、ソウルとは違って実にスムーズでした。移動中に混乱がないようにと、警護のメンバーが、翌日の出発まで誘導してくれました。
香港はこれで三回目の訪問です。6年前に、「仄暗い水の底から」のプロモーションに来たのと、20年(!)近く前に、助監督として、撮影に来ました。この作品では、私は内トラ(スタッフがエキストラを演じること)として、香港の目抜き通りで、町行く人の注目を浴びながら、オープントップの二階建てバスの上で、演技をしていました。光陰矢の如しです。
絶景のビクトリア・ハーバーを見下ろす、ホテルの会見場での、松山クン、福田さんとの写真撮影の後、香港の新聞インタビューを受けました。ここでは、香港の活字ジャーナリストたちの、イギリス流の成熟、洗練を感じました。今回の映画を観て、独自の視点で鋭く切り込んでくるのはもちろんですが、特に、サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙の記者は、私のフィルモグラフィーをドキュメンタリーも含めて調べ、L change the WorLdが、私が作ってきたすべての映画の中で、どういう位置を占めるのかと、鳥瞰図的なやりとりができました。「ホラーの中田」という固定観念から離れ、自由に話し合うことができたのは、とても嬉しかったです。
夕方には、青森放送のラジオ番組に生出演しました。みっちり、15分は話したでしょうか、カジュアルに、落ち着いて話ができました。松山クンは青森出身なので、親近感もひとしおという感じでした。
円卓での、おいしい中華料理の夕食をいただき、巨大ショッピングモールの会場での、ファンとの交流イベントは、とても華やいだものでした。最初に、私たちに歓迎プレゼントを手渡してくれた、チャイナドレスの子供たちが、キュートでした。松山クン、福田さんも「可愛い!」と感激していました。最後に、チャイニーズクラッカー(大型!)の紙吹雪が舞い、バラエティに富んだイベントが締めくくられました。
香港の地でも、私のライフワークの(笑)、音量チェックを敢行しました。ここのシネコンでは、基準値の7でそもそも上映しているとのことで、私としても大満足でした。深夜までのインタビューを終え、この日はホテルに戻ってバタンキュー。(古い?)


1) ビクトリア・ハーバーを見下ろす、優雅な部屋でのインタビュー。サウスチャイナ・モーニング・ポストの記者には感心させられました。

2) 青森放送に生出演中。携帯の音量が小さく、鶴田浩二ふうになっています。

3) 美味なる広東料理。とても食べきれません。企画・プロデュースの佐藤貴博さんと。自分の作品に心血を注ぐ、尊敬できる映画人です。ちなみに、私の家なき子スタイルは、ここでは暖房がなかったためです。

4) イベント会場で、キュートな香港の子供たちと。

5) ファンの皆さん、日本語がとても上手です。

6) イベントのクライマックスは、紙吹雪。

7) 松山流ズームイン、決まってます。




L change the WorLd プロモーション日記9 韓国編

2008年2月3日


2月1日朝、今回のアジア各国弾丸プロモーション(三泊三日半で、三か国を巡る)班、松山クン、福田麻由子さん、私、プロデューサーの佐藤さん、田中さん、はじめスタッフ一団は、羽田空港に集結し、一路ソウルへ。2時間余で到着して、われわれを待っていたのは、韓国流の熱烈歓迎でした。 到着ロビーに出た途端に、彼の到着を待ちわびていた松山ファンの大歓声。平日で、学校が試験期間中だから、さほど来ないのでは思われていましたが、100人ほどはいたでしょうか。でもここは予想範囲内です。また、そのあとの、テレビカメラに向かっての(私も入っての三人での)スマイルも。しかし、その後、外で待っている車に向かおうとすると、松山クンに、ファンの女性たちが360度から押し寄せ、「巨大な押しくらまんじゅう」状態になってしまいました。私たちも、一緒にいくはずでしたが、どうがんばっても無理。松山クンは、ごくゆっくりと出口に向かう、その巨大まんじゅうの中心にいて、身体がもう浮き上がっていました。それでも、福田さんを気遣って、こちらを振りむきながら、「ままゆ(福田さんの愛称)は!?」と、叫びます。私は「一緒にいるから大丈夫」と微笑むと、彼の姿は、まるで濁流に飲み込まれる天災映画のヒーローのように、私たちの視界から消えました。その彼の悲壮な(?)顔、その状態は、私の脳裏に映画的に焼き付き、そのときの興奮が冷めぬうちにと、ここに記しています。
韓国は、今回の三カ国の中で、最も落ち着いた対応(あくまでメデイアのですが)と思っていたので、さて、このあとがちょっと心配です。でも、これも皆さんの期待感の大きさの証左かなとも思います。
午後、ホテルの部屋で、三人の、私個人の、また福田さんと二人でのインタビューを受け、現在に至っています。これから夕方のイベントに出かけてきます。

ただいま、イベントおよび夕食から帰ってきました。このイベント、韓国のテレビで生中継されていたのですね。日本でもうご存知の方がいて、びっくりしました。韓国の女性たちの熱狂の渦の中にいると、日本の松山クンファンの歓声、悲鳴が、少し懐かしく感じます。明日は香港です。


1) 空港の外、松山クンの乗った車はあっと言う間にファンに囲まれてしまいました。

2) 福田さんとツーショットでのインタビューは今回初めてです。楽しく、かつハッとさせられることも。

3) 夕方のインタビュー会場は、「狂熱のライブ」の様相

4) Lサインそろい出し、その1

5) その2

6) なかなかいい構図です。



L change the WorLd プロモーション日記8

2008年2月2日


松山クンと別れた高嶋さんと私は、翌朝再びFM局へと出向き、収録。また、新聞の取材をみっちり受けた後、一路静岡へ。この地も思い出深い。もう20年も前、助監督として映画「ビーバップハイスクール」シリーズのロケで静岡、清水は何度も来ました。ここで、私に瓜二つの女子中学生が、仲村トオル君の追つかけをしていたのだが、彼女よ今何処?
静岡では、三年前から静岡県民となっている、工藤さん、そして佐藤めぐみさんが再度合流し、高嶋さん、私とともに、テレビ局とFM局の取材を受けました。
この日、一番笑わせてくれたのは工藤さんでした。夕方の生放送番組に四人で出演中、Lchange the WorLdの予告編が紹介されると、彼女が間髪入れず、「おもしろそーうっ!」と、元気一杯に言ったのです。「えーっ、自分で出ていて、そう来るか!?」と一同、芸人さんのようにずっこけさせてもらいました。いやー、工藤さんは、本当に天真爛漫な方ですが、このコメントは、予告を見るのはまったく初めてだったからでした。
地元の映画館、オリオン座での舞台挨拶を終え、一旦東京戻りで、明日は早朝出発で広島かあ、ふぅ、と思っていると、小杉宣伝プロデューサーから、相談があるとのこと。明日、広島が大雪との予報があり、広島空港が閉鎖になるやも、と。そこで、高嶋さんと私たちチームは、急遽、深夜の広島入りを決定。しかも5人という小人数。仲間が減った旅芸人一座のようなちょっとセンチメンタルな気分で、高嶋さん差し入れのおいしいスープとお弁当で腹を満たしました。ところで、雪は確かに福山駅通過のころに降りしきっていて、「雪男」の称号は、高嶋さんか私ということに?プロモーション中、行く先々三カ所も雪とは!のべ2週間にわたるこの旅はとても思い出深いものになりそうです。
広島市は、隣県育ちと言いながら、一度も降り立ったことがありませんでした。深夜の到着で、翌朝午前中はフリータイム。よし、原爆記念館に行くかと思ったのですが、この日記を早く皆さんにお届けせねばと、ホテルに籠っていました。
川に浮かぶお店での、おいしい牡蠣づくし昼食を堪能した後、地元メデイアの皆さんとのインタビュー。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、かなり濃厚な取材をしていただきました。高嶋さんと意見が一致したのは、広島のメディアの方々が、この映画を、それぞれ個性的な視点でしっかりと観て、独自に評価してくださり、熱意のこもった質問をしてくださるな、ということです。ジャーナリストとしてたいへん真っ当な好奇心と、真摯な態度に感銘を覚えました。また皆さんのお顔を見ていると、広島独特の暖かみとシャイさとを感じました。高嶋さんは、「原爆投下の地として、取材対象を掘り下げる、独自のジャーナリズムが発展をしたのでは?」と、鋭い洞察をなさっていました。
そう、高嶋さんのこうした直感力、洞察力には本当に脱帽です。今回のプロモーションで初めてお聞きしましたが、敵役である的場のイメージ作りで、「かつて南太平洋の海中で出会ったサメの目」を参考にされたそうです。これには、私もなるほど、あの場面は本当にそんな目だったなと、思い当たりました。
役の本質をグッとわしづかみにするような、高嶋さんのセンスには、「この役をやってもらって本当に良かった」と感じました。高嶋さんが、俳優として今まで見せてこなかった面を、この映画で、存分に出してもらっていますから、皆さんご期待を!
ワーナーマイカルシネマズ広島での\舞台挨拶を終え、若さ溢れる劇場スタッフの皆さんと記念撮影を終えると、一路広島空港へ。 出発時間ぎりぎりになりそうなので、車中でお好み焼きを皆でほおばりました。 高嶋さんとは、最初の大阪から、今日まですべてご一緒し、撮影のときにも増して、よくお話をし、まるで昔からの知り合いのようになりました。彼がクランクアップのときに言ってくれた、「また是非呼んでください」という言葉を思い出します。松山クンとも同じ思いであることを確認しましたが、監督が、一緒に仕事をしたキャスト、また、プロデューサーをはじめとするスタッフたちと、「またぜひ一緒に!」と言い合うときこそが、「映画監督になって良かった!」と心底思える瞬間です。そんな幸福な思いを共有した旅でした。
さて、次回は三泊三日半で、韓国、香港、台湾を巡るアジアンツアーのご報告をします。


1) 深夜12時に広島駅に降り立った私たち。さすがにお疲れモードです。でも、明日の朝はゆっくりだ!

2) 川面に浮かぶ牡蠣料理店前で、お世話になる、広島テレビの方々と。皆さん、とても快活な方々で、広島の伸びやかな文化性を感じました。

3) ワーナーマイカルシネマズ広島のスタッフの皆さんと。若いっていいなー!

4) 高嶋さんとの7都市巡りもここで最後です。本当にお疲れさまでした。また、2月7日の5000人試写会でお会いしましょう!




L change the WorLd プロモーション日記7

2008年2月1日


さて、いよいよ全国キャンペーンも後半戦に突入です。札幌から、朝一番の飛行機で飛び立ち、次の目的地は中部日本の大都市、名古屋です。名古屋とは、縁があるような気がします。学生時代の友人が、長らく働いていた街で、助監督時代によく降り立ちました。また、映画のプロモーションで、小さな作品であっても、是非にと呼んでくださる方々がいて、監督したほとんどすべての映画を、この地で宣伝させてもらっています。また映画のマーケティング調査においても、都会性と地方性とが混在していて、「名古屋の数字を何十倍すると全国の数字に」というデータがあるようです。
お昼の、うなぎ釜飯に舌鼓を打ちながら(おみやげで、うなぎ握り飯もいただきました)各テレビ局を回って、松山クン、高嶋さん、私のトリオで、インタビューに答えていきました。アナウンサーの皆さんが、熱心に質問してくださるので、我々の回答にも弾みがつきました。
FM局での生放送では、可笑しいハプニングが。放送中に、レトロな調子の電話呼び出し音が鳴りました。音源は、松山クンの携帯でした。大恐縮しながらも、「思わず出てみようかと思いました」と大胆なことを言ってました。大物です。私の「ラストシーン」という私の映画の中で、似たような場面があるので、それを思い出して(局の方々には失礼ながら)吹き出しそうになっていました。
夕方の、愛知県勤労会館での試写は、仙台と並んで1400人規模の最大級のもので、松山クンの登場と共に、ここでも「アマゾンの川下り」的、悲鳴を聞くことができました。いやー、中部日本も熱かった!松山クンとの、(東京以外の)全国プロモーションはこれで最期となるので、舞台挨拶後、皆で、記念撮影。松山クンとがっちり挨拶した高嶋さんは、「何か、生身の彼が少し分かったような気がする。瞳の奥がとても優しく、嘘をつけない人だ」と評していました。


1) 札幌、名古屋と三人でインタビューを受けることが多く、和気あいあいです。

2) 松山クン、ひとまずはお疲れさま。またアジアンツアーで会いましょう。スタッフの皆さんも、お疲れさまでした。静岡、広島は任せておいてください!

3) 名古屋コーチン鍋をつつきました。小杉宣伝Pと、絶妙のコントを繰り広げる、お店のお姐さん。




L change the WorLd プロモーション日記6

2008年1月31日


仙台での吹雪で、はしゃいでいた私たちはまだまだ甘い、北国知らずでした。 次のプロモーション地、札幌の近くの新千歳空港に到着すると、快晴で気温マイナス11度とアナウンスされ、「さぶそう!」と、まだ余裕があったのですが、札幌市に入る頃には、既に積雪80センチという、一面の雪景色でした。思わずはしゃいで車窓ごしに、写真を連写しました。 あとになって、ふと気づいたことは、仙台初日が吹雪、二日目快晴、札幌が大雪の荒れ模様が、飛び石でやってきたことです。仙台二日目に、東京に戻っていたのは松山クンで、「ひょっとしたら、松山ケンイチは、雪男か!?」と、舞台挨拶でも話題になりました。昔風に言えば、「嵐を呼ぶ男」でしょうか。
さて、今回、各試写会場でやらせていただいている音響チェック。札幌の昼の回の会場となった、STVホールでは、本来の基準値である、数値7で元々上映されており、それを映写技術担当の沢田さんが、事前に作品をご覧になって、「7.3くらいに上げてやっていいのでは?」とおっしゃってくださり、私は大満足でした。各劇場、試写会場、音響の状態はすべて違うことは承知の上とはいえ、「迫力満点のオリジナルに近い状態で聞いてもらいたい」という作り手としての切なる思いからすれば、おしなべて、低いレベルで上映することが多いようです。でも、この作品では