エッセイ


目次



中上哲夫詩集「甘い水」の定価について

 「手」 富田庸子詩集

声をあげて泣いた 十亀わら詩集「燃える野」について

川端進詩集「釣人知らず」書評 心にやさしい詩集

矢島信明遺稿詩集「詩藻」を読んで

春に大橋政人の「秋の授業」を読む

詩をよもう!「十秒間の友だち」(大橋政人著)を読んで

大橋さんは猫である 「十秒間の友だち」を読んで

詩は詩人の中に 「詩学」2006年11月号 特集「現代詩における現代詩」から 



中上哲夫詩集「甘い水」の定価について
        金井 雄二


 私などにも詩集を送ってくださる方々がいて、ぼくはそれらのすべてに必ず眼をとおして、返事を書くように心がけている。(書けなかった方、ごめんなさい)今年、と言っても三月までの中で、とびぬけて良かったのが、中上哲夫さんの釣りの詩ばかりを集めた「甘い水」という詩集だ。とにかく詩が素晴らしいというのは言うにおよばず、定価五百円、四十ページという薄さが気にいった。詩集を評価するのに詩のことを書かなければいけない、という法もない。この定価の安さを考えることから、ぼくははじめたいと思う。

 ペーパーバックにして、定価五百円という安さは、それはそれで中上哲夫さんの意図があったものなのだろう。つまり、誰しも思うことだが、今発行されている詩集の定価はやはり「高い」のだ。他の本に比べてどうしても手がでない。読みたい詩集があっても、二の足を踏む。自分の座右に置いておきたい、と願う詩集ならいざしらず、興味はあるが、少し読んでみたいというものはなかなか買えないというのが現状だ。読む人が少ないから、発行部数が減る。発行部数が減れば値段が高くなる。値段が高くなれば買う人はますます少なくなる。出版社も流通も採算などあうはずもなく、詩集はどんなに著名な人も(あるひとにぎりをのぞいて)まず自費出版か、あるいはそれに近いものにならざるを得ない。

 では、詩集が安い値段で買えるなら、どうなるだろう。やはり買う人は多くなるのではないだろうか。詩人は安い詩集を出すべきだ、と考えを改めたほうがいいのではないだろうか。今、詩集は豪華な本が多すぎるような気がする。現代詩が文庫として思潮社から出た当時、たぶんかなりの反響、支援があったはずだ。今だって、詩人を通読できる文庫は魅力的で、ぼくはこれに頼ってしまう。

 自分の詩集を広く読んでもらいたいと願うなら、まず、良い作品を書く事と、詩集の値段を安くすることだ。むろん安くてもセンスのいい本を作るのが条件である。付け加えて言うならば、流通の問題がある。人目に触れる場所に置かれることが望ましい。まっ、そう言っても時代の声もあることだし、一言ではくくれない、難しい問題なのではあるが。

 それから、もう一つ。「甘い水」ぐらいの重さならば、どこでも気楽にもっていけそうだ。それこそ電車の中ででもラクに(恥ずかしくなく)読める。ジーパンのお尻のポケットにも突っ込めそうだし、釣りに飽きたら、これを読めばいい。この本の形態は肩肘張らない詩集なのだ。フットワークがいい。

 安い詩集の、内容までもが安いと思う人は安易だ。この詩集を読んでみれば、そのユーモア、やさしさ、そしてその抒情性にハッとするだろう。釣りをする人もしない人にも、オススメの一冊なのだ。

 この詩集に収められている最初の二篇を、ぼくは「木と水と家族と」からずっと、何度も読み返しているが、読むたびに気持ちがジュワッとするのはなぜだろう。中上哲夫さんの抒情詩人としての一面を見たおもいである。最初の詩を引用してみよう。

初 雪

川に釣り糸をたれていると

気温が急激に下がり

川面から水蒸気がたちのぼるとともに

暗い空から白いものが落ちてくる

竿につもる雪

ぴくりとも動かない浮子

鳥も鳴かないし銃声もしない

家族や友人たちの顔をひとつずつ思い浮かべながら

つめたいサンドイッチをほおばり

コッヘルで湯をわかし

熱いコーヒーをすする

家にとじこもってばかりいては

なんにも経験できないよ

川に落ちてぬれ鼠になったり

とつぜん詩の一行がひらめいたり

こんな日もあるさ

かじかんだ手をポケットにつっこみ

つもり始めた雪を靴先で蹴りながら

家路につく

 中上哲夫さんの新詩集「甘い水」は、今出回っている豪華な詩集への立派な挑戦である。

 しかし中上さんのことだから、金井は何を言っているかと笑うかもしれない。安い詩集をだしたのは、たんに高い詩集が作れなかっただけだよ、と言って。


 「手」   富田庸子詩集

 富田庸子さんの第一詩集「手」には、つややかな言葉と、背筋がピンと伸びた精神がある。読み返すたびに、まずその言葉のつややかさに眼がいった。

 日本には大和言葉というものがある。万葉や、古今ではこの大和言葉が使われていて、今でもそれは立派に生きているのだ。「日本語のこころ」渡部昇一著(講談社現代新書)という本を読んでいたら、漢字を「訓読みをしている限り、どんなむずかしい漢字が使ってあっても、それは原則として大和言葉なのであり」という個所にぶつかり非常に驚いた。この定義をまともに受けると、「手」という詩集はすべて大和言葉で書かれた詩集になってしまうような気がした。同時に、なぜこんなつややかな言葉が紡ぎだせるのだろうかという疑問に一気に答えてもらった気もしたのだ。

 もちろん、漢字を訓だけで読ませているわけでもないし、富田さん自身に万葉やら古今やらの素養があるかどうかもしらない。(国文卒とはなっているが。)ただ、日本の、魅力ある言葉を選ぶことのできる詩人の一人である事には間違いないと、この詩集が証明してくれた。

 三つに分けられたパートの最後は、自身被爆にあった広島をモチーフに書かれている。被爆を通じて自分の生を考えている作品は、正義を押しつけたり、ただ事実を伝えるだけのものでもない。そこには富田さんの詩でしか言えない気高い精神がすっくと立っている。

 装丁も渋くて中身も濃くって、玉露のような詩集になりましたね、富田さん。

声をあげて泣いた

  十亀わら詩集「燃える野」について       金井雄二

 少女から大人への過渡期、泣き虫の涙と、薄暗い廊下。一筋の光を求めてあえいでいる人間がここにいる。十亀わらという才能のある、若い詩人に対するぼくのイメージだ。そんな彼女の詩がぼくは大好きだ。

 第一詩集の栞や解説や帯というのは、名の通った大家のセンセイに書いていただき、その後光に授かろうとするのが常かもしれない。だとすると、十亀さんがぼくに書いてほしいと言って来たのには別の意味があるのに違いない。

 ぼくは平成十一年から二年間、詩の雑誌「詩学」で投稿欄の選者をしていた。大橋政人、関富士子、宮地智子といった顔ぶれのなか、いかに投稿の詩を読みこなし評するかという仕事に明け暮れた。発言の多くは、自分の詩への根幹にも通じるところがあり、負けられないという気負いもあった。そんな中、十亀さんの詩作品は閃光のようにぼくらの眼の前を通過していったのだ。

 当時の投稿欄には木村恭子、沢田英輔、斉藤圭子、日和聡子、蜂飼耳、寺田美由紀、金井裕美子、北川浩二など他にも実力者が多数いた。十亀さんは最初、鈴木わらというペンネームで詩作品を送ってきていた。ぼくが鈴木わらさんの詩に注目したのは「ひかりのまど」という作品だった。詩集のなかでは「わたしの一部となるのだった」という作品に改稿されていて、投稿作品よりも数段、完成度が高くなっている。

 窓を通して差してくる光がまぶしい

 分厚いガラスに両手のひらを

つづいて体を押しあててみる

 そうすると 窓はわたしの両手となって

 廊下はわたしの意識となって

 そこは

 わたしの一部となるのだった

(「わたしの一部となるのだった」後半部分)

この作品は、大きく改稿されたにもかかわらず、後半部分だけは投稿されたときの初期形とさほどかわっていない。やはり終連が十亀さんの痛みなのだろう。光が差し込む大きな窓に融合し、暗い廊下に帰還していく意識感覚は、想っていても言葉として表すのはむずかしい。十亀さんの、どうしても言わなければならない皮膚感覚がそこにある。

「わたしの一部となるのだった」一篇をとってもわかるように「燃える野」には、微妙な意識の触れあい、気持ちの襞、抜けるような悲しみがギュウとつまっている詩集なのだ。

 詩集「燃える野」は二部構成になっていて、一部が投稿時代から詩学新人に推薦されるまで、二部がそれ以降らしい。

 なるほど一部での作品はどれも読んだ記憶があり、「詩学」誌上で合評したときの様子まで思い出す作品もある。その中でいまでも忘れられないのは、「アンタイトル」という作品の最後「声をあげて泣いた」という一行のことだ。ぼくとしてはもう、そんな一行は絶対捨てるべきものだと言ったのだが、残すべきだという意見が多かった。作品の完成度をめざすなら、すでに大泣きしている作品の最後の最後にまたわざわざ「声をあげて泣いた」なんて書かなくても、とぼくは今でも思っている。だが、詩集の中にこの作品が溶け込むと「十亀わらさん、そこで泣きなさい。」とぼくは言いたくなってしまうのだ。情けとか、哀れみではない。それがきっと真の姿かもしれないし、作品はただ、完成度だけを求めるものでもない。作者が予想もしない展開が生まれる「詩」という生き物には、赤裸々な「声をあげて泣いた」というその言葉が大切なのかもしれない。今ぼくはこの詩を読んでそんなふうに感じている。

 二部に入ると成長した姿が垣間見え、余裕さえ感じられる。

 説明されなくても

 見ればだいたいのことは分かる

大人になるっていうのは

 たぶんそういうことだ

(「夜」一連)

 休みますと店に電話を入れる

 こうして木々がゆらいで

 もとにもどるまでの時間が

 以前よりずっとゆっくりに思える

(「次の日曜」三連)

 どの作品にも、以前とは少し違った自分がそこにいて、かならず自分に対して問いを発し、自分自身で答えをさぐっている。それは十亀わらという個人を通り越して、一人の若い女性、いや、人間の営みとしての生が描かれている。だからこそ「朝・二月十一日ノート」のような作品が生まれるのだろう。一時間、一分、いや一秒を生き抜きたいという欲求がそこにある。

 一人の人間が成長するという、一種の典型として詩作品を読むことはないにしても、十亀さんの目は自分を客観的に見ることに成功しはじめている。詩集のタイトルにもなった「燃える野」という作品にはとくに顕著だ。

覗き込んだ鏡の中の顔を見て、「共にいきていると思うのは、見当違いだという気がした」というところや、「自分を表すものと自分自身とは、たぶんそんなに強く結ばれていない」というところだ。また、「だけどあなたを表すもの以外に/あなた自身なんてどこにもないのよ/既に過去になりかけているわたしが囁く」という詩句には、はっきりとした別の十亀さんがいることに気づく。しかしこの作品はそれだけのものではない。迫りくる野火に追いかけられるイメージから、来るべき春の野が存在するのを感じている。過去の自分への決別の詩と読むこともできるだろう。

 詩集から話はそれるが、「詩のボクシング」という企画が毎年おこなわれている。地方予選があって、勝ち抜くと全国大会出場となり、日本チャンピオン誕生となるわけだ。なんと十亀さんは、二〇〇二年の全国大会出場者であり、ぼくはテレビでしっかりと見ていた。「詩のボクシング」にチャレンジするなんて、とっても勇気あるなあ、と思ってしまうのだが。見るとなかなか立派な朗読だった。もちろんずばり直球の正統派で、おもわず「頑張れ!」とテレビに声をかけていたんだけど、ぼくの声、聞こえたかなあ?

 「詩のボクシング」だけではない。俳句も作っていて、その俳風はなかなかの腕まえらしい。才能はいたるところで開花中なのだ。

 十亀さんはこの第一詩集とともに、教師というまた新しい人生の一歩を踏み出す。詩集出版とともに祝福したい。仕事を続けながらもまた、詩を書いていってほしい、とせつに思う。言葉を育むことは、人生をも豊にすることに違いないのだから。

 この詩集を手に取られた方は、どうぞゆっくりとページをめくってほしい。そして小さいことではあるけれど、一人の人間がどんなことに感じてきたのか、その成長の軌跡をたどってみてほしい。十亀わらさんの詩にはそれにこたえるだけの繊細さが詰まっている。

最後になってしまったが、なぜ十亀さんがこの文章をぼくに頼んできたのかが見えてきたような気がする。たぶんぼくが、十亀さんのように声をあげて泣いたことを、どこかで知っていたのだ。類(涙)は友を呼ぶ?か。それとも「頑張れ!」の声が本当に聞こえたのかもしれないな。

さあ、また、詩を書こうよ!

 川端進詩集「釣人知らず」書評

心にやさしい詩集           金井 雄二

 川端進さんの詩集「釣人知らず」は、今年の横浜詩人会賞をとった。釣りのことばかりを書いたユーモア詩集だ。佐伯多美子さんの「果て」と同時受賞とはいえ、神奈川県の詩集賞といえるこの賞をとったことは、日本の詩の未来も明るいのではないかと思う。

 日本の詩の未来…、とたいそうなことを書いたが、川端さんの詩集に何らかの評価がくだされなかったらつまらないとぼくは思う。

 広く、詩の中には、難しい詩があってもいい。しかし難しいものだけであってはならない。言いかえればやさしい詩がなくちゃいけないのだ。川端さんの詩のように、心にやさしい詩がなくっちゃ。

 週末になると/ぶつぶつつぶやき/仕事が

 手につかなくなる/釣新聞をひろげてみた

 りする/釣道具のカタログをみたりする/

 ひとの言葉が耳にはいらなくなる/釣仲間

 にひそひそ電話をかけたりする/仕事仲間

 に嘘をついたりする/親兄弟を危篤にした

 りする/あるいは殺したりもする/治療法

 はないけれど/命に別状はなく/処置はあ

 る//こころよく/釣に行かせてやる/こ

 とだね(「釣狂病」全行)

 たぶんこの詩は、人として心の休養がどこかに必要なときの、個人の資質を考慮した、人間のエクリチュールとアイディンティティを適確に表現する…、川端さんはそんなことはまるで考えていない。釣りに行きたくなった男の状況を書いているだけなのだ。

 そして、この詩集はいろいろな読み方ができる、と言おう。釣りを別な言葉にしてもいいし、立場をいろいろな人に置き換えて読んでみてもいい。すべて釣りに姿をかりてはい

るが、いく通りにも読みとれる詩ばかりだ。一篇の詩、一冊の詩集を読んで、ひとつの解釈しかゆるさないものなど二度読むにあたいしない。「釣り人知らず」は笑いとともにいつまでも読者に想像を与えつづけてくれる詩集なのだ。それが一番の、読むものにとってのやさしさではないだろうか。

 ぼくは、川端さんとは音上郁子さんを通じて知りあった。二人は夫婦で、ある詩のグループの仲間だったらしい。音上さんはもう亡くなられたが、なかなか鋭い社会批判を含んだ詩を書く人だった。ただ、ぼくが音上さんと出会ったとき、川端さんは詩の世界に復帰していなかった。ぼくが未知の詩人、川端進さんのことをたずねると、きまって、「あの人は漁師だから」という返事が返ってきたものだった。「漁師だからいずれは詩も釣りあげるだろう」と思っていたのか、そうではあるまい。たぶん、「釣りばかりしていて詩など書かない」と言いたかったのだろう。でも音上さん、井伏鱒二、中上哲夫に勝るともおとらない、こんな素適な釣りの(人生の)本ができちゃったんですよ!

 横浜詩人会賞の選考委員たちが、「釣人知らず」を捨てられず、釣り上げたのは当然と言えば当然の結果のようにぼくには思える。

矢島信明遺稿詩集「詩藻」を読んで    金井雄二

 「焔」誌とは多少のご縁もあって、再び勉強させていただくよい機会を得た。

 「焔」の同人ならば、たぶん矢島信明氏(以下敬省略)のお名前は皆がご存知のはずであろうと思う。しかし、わたしはまったく初めて見る名前であった。したがって御作品を拝見するのも初めてなわけで、初めての詩人にお会いするのはとても緊張する。まずはそんな気持で詩に接していった。

 この遺稿詩集を通読しての最初の想いは、人間愛と自己愛、そして、家族愛と師弟愛である。矢島信明がどのような愛を持っていたか、それは本人が生きていたのなら確かめることもできよう。しかし、今提示されているものは詩というテキストだけであり、ぼくらはそれを頼りに読み解くしかない。ただ、矢島の詩の中に、わたしの抱いている「愛」が感じられたのは確かである。

 さて、矢島の「愛」に移るまえに、まずこの遺稿詩集のアウトラインを記しておかなければならない。

 A5版ハードカバー、一五二ページ。二男の杜夫氏が、父信明の「遺書」にかかれてあった「詩集を出してほしい」という意志を受け、すでに分類、整理されてあった詩原稿をまとめて出版したものである。単発の詩集としてだしてもけっして少なく無いと思われる詩篇が、六詩集分まとめて入っている。その上、矢島信明が師と仰ぐ福田正夫をめぐるエッセイも掲載され、また、福田正夫の四女である福田美鈴氏が矢島信明の考察を綴っている。著者略歴、詩作品の出典リスト、二男杜夫氏のあとがきも添えられ、遺稿詩集とはかくあるべきか、という整った詩集である。発行元は福田正夫詩の会、二〇〇〇年三月の発行、装丁は福田達夫氏。著者の肖像、他スナップ写真もある。

 著者の矢島信明は大正四年横浜市生まれ。小田急電鉄に勤める傍ら、詩作品を同人雑誌などに発表。生前二冊の詩集を持つ。平成十年二月に没。生涯、民衆派の大詩人、福田正夫を師と仰ぎ、多くを学んだようだ。まずは詩作品を見てみる。

 生きる日に恥じることはない/地に立つ

 伸びに/人間像をはめる空間/星が飛ぶ

 さまよいのはては解けない//風よ 光

 りよ/七色の彩に秘める/雲の橋のあり

 かは知らない/霞を食う 神々は居るで

 あろう/地に求める人間に、人間は現れ

 ない  (「生きる日に」第一、二連)

 全部を掲載できないで申し訳ないが、これだけでものびやかな感性がみうけられる。そして、自分自身への自負が第一行にある。その自負は自分を卑小の者として考えてはおらず、世界のなかの人間として表している。矢島の作品に共通している感覚はこの自分自身をめぐる、人間たち、または家族等との距離のはかり方である。

 ある作品ではその距離はグーンと伸び、全世界を覆ってしまう。また、あるときその距離は自分自身だけに内包されつづけ、凝縮の呈を装うのだ。

 福田美鈴さんが「矢島信明さんのこと」と題してこの遺稿詩集の終りにすばらしい考察を符しているが、その中にこのような文があった。「難解詩ではないが、具象詩とも言い切れない。対象を生来の鋭い感覚でつかむ素質が、いく分の抽象的表現につながったと思える。その上に、具象的に表現しようとする方法論も感知できる。」と書いている。つまり、矢島が表したい詩世界の距離のとりかたは、抽象的でありながらも常に具象を目指していたのではないだろうか。本人の生理としての問題もあるだろうが、矢島の作品がすべて具象に傾かず、きわどい意志を保っているのは混沌たる人間の本質を常に書きたいと望んでいたからではないだろうか。わたしはその人間の本質を愛という言葉に置き換えてもよいと思う。矢島の距離は、自分の内面に向かって行くほど、それはストレートな詩語となる。

風をつかもう てごたえが一瞬にしぼむ揺れにあろうと前途にひらく海のひろごりが始元にある 私は所有されていない 飛び立とう(「私は所有されていない」第一連)

 それにしてもこの自己愛は何だろう。「飛び立とう」と書くその意識は「飛び立てない自分」がどこかにいるからだ。感覚が自分の中に居座るとき、詩人は無意識の内に言葉によってその解放を露呈する。矢島が「私は」と書くとき、すべてのベクトルは内に傾いている。それは自分であったり家族であったり、師であった福田正夫にあったりしたものだ。だが、それが悪いこととはわたしは考えない。彼の意識は常に人間愛に徹しているから、つまり、自分の意識をどこかで人間というところに返そうとしているから、矢島の詩はしっかりと地に足がついているように語られるのだ。

 ここまできて、わたしはハタと気がついた。矢島信明の詩神を語ろうとすることは、同じく福田正夫を語ることになるのではないだろうか、ということだ。福田正夫の素朴さ、熱っぽさ、そしてヒューマンな作品群はそっくり受け継がれている。ただし、それはもちろん矢島信明というフィルターを通した言葉がそこに存在するのではあるのだが。

 わたしは冒頭に、初めて見る名前であった、と書いたのだが、もしわたしがもっと注意深い人間であるならば、矢島信明という人の名が「福田正夫全詩集」刊行会発起人としてしっかりその名があったことを、思い出さねばならなかっただろう。

 春に大橋政人の「秋の授業」を読む         金井雄二

 住む場所が変わったり、職場での仕事の内容がかわったりで、詩を書くための物理的、精神的環境も前とは違ってきた。そんな時に、ちょっと気になる詩集がきた。

 春まっさかりに届いた詩集のタイトルは「秋の授業」(詩学社刊)という。著者は大橋政人さん。大橋さんとは「詩学」の関係でいろいろと親しくなった。だからだろうか、詩にたいする係わり合いと、その作品との関係がぼくにはとても興味がある。詩人論に関して言えば、「現代詩における大橋政人」(愛敬浩一著、紙鳶社刊)という本がだされている。この本は真っ向勝負の考察がなされていておもしろい。できればそちらも読んでいただきたい。

 さて、ぼくはずっと大橋さんの詩を読んできているが、とくに最近の作品はとても好きだ。一人の詩人とその作品との付き合い方がとってもいい。

 大橋さんは、早々に実社会から引退して、「新隠居論」なんていう詩集までだして、なんて、いい身分なんだろうと思っていた。実際、そんなふうに暮らしていたら、生活から出てきている詩はだめになるんじゃないか、とも思っていた。これでもうお終いかな、と。「ノノヒロ」「昼あそび」のような作品はもう読めなくなると思っていた。だが、そうでもなかった。今の大橋さんはいい。ぼくが、いい、というのは作品が洗練されていて、つまり、その洗練された詩は、生活と詩の関係が自然であるからこそ、生まれてきたものに違いないと思ったからだ。大橋政人という人間が、詩というものを書くうえで、どんな状況が一番いいのかを模索した結果がここにある。その作品は「秋の授業」という詩集に載っている作品群が方向をしめしている。

 枯れ草の中の赤茶けた線路の上に

 小さな猫がうずくまっている

 私はいま

 吹きさらしの

 東武相老駅のプラットホームにしゃがみ込んで

 小さな猫を見ながらタバコをふかしている

     「相老駅のプラットホーム」から

 それでは、詩人は何をどのように求めたのであろうか?
 まず最初に、詩に対するひたむきさがある。真摯な態度がある。だがそれは、詩をいつまでも追い求めてはいるが、修行僧のような悲惨さがない。追い求めることは、待つことにある、と言っているように。次に、自分に嘘をついていない。別に確かめたわけではないので本当かどうかはわからないのだが、ぼくが想像するかぎりではそのようにみえる。つまり、眠いときに寝て、食べたいときに食べる…ような、そんな自分の欲求に忠実だということだ。(起きているときも寝てるような、細い眼をしてるけど。)そして、物理的に静かな生活を送っていること。言葉をほとんどしゃべらない生活をしているらしい。これは「あとがき」にも書いてある通りだ。たぶん、事実だろう。勘違いしないでほしいのだが、こうすればいい詩が書けるとか、そういうことではない。

 自分に与えられた環境をすべて自分の意のままに変えられる人はいない。ただ、だれしも現在の環境はすくなからず自分の意思が反映されているものなのだから、その上で詩を書かざるを得ないものなのだ。

 自分にあった、詩の書き方、自分を見つめ直すのに最適な環境やスタイル、精神的なものも含んで、それは何であるかを自分で知ることはとても大切なことだ。大橋さんはまず、その作業を実行してきた。もちろん、喫茶店でモノを考えるとか、机に向かって書くとか、それは人様々でいいことなのだが、きっと詩を生みだすためには、静かな環境、隠遁的な生活が必要なんだと「大橋政人」は納得したに違いない。大橋さんの気持ちの中で、自分の作品を見つめる意識の作業と、作品の完成度とは完璧に一致している。その意味において「秋の授業」の完成度は高い。

 ぼくが思うに、「秋の授業」の作品は、すべてを悟った仙人がひとりポツンと呟いた言葉みたいな気がする。それはもう、神の域(不可解な新興宗教みたいだが)に近づいてきて、このままいったら言葉がなくなってしまうんじゃないか、と思いながら読んだ。現代の詩の枠などを関知しない、自分らしい詩、何も具体的事件は起こらないが、確かに何かが起こっている詩、言葉の意味を飛び越えたところにある詩、そして、なによりも詩を書く技術を追い求めるよりも、詩を生む根源を考えた詩、「秋の授業」はそんな詩集なのではないのだろうか?

詩をよもう!

   「十秒間の友だち」(大橋政人著)を読んで        金井雄二

 今では信じられないことだが、数十年前には詩のブームがあった。大手の出版社がそろって詩の全集をだし、詩人と呼ばれた書き手たちの個人全集も数多く出版された。北原白秋や島崎藤村、中原中也や萩原朔太郎などはその定番といっていい詩人たちだ。詩の全集の最終巻あたりには、だいたい現代詩集と銘打たれ、今ではもうすでに過去の人物になってしまった田村隆一や鮎川信夫などがいたものだった。子どもの世界でもその名を知らぬものはない谷川俊太郎なども、このころの新進気鋭の詩人として、いたるところのアンソロジーに入っているのである。現在これらのブームはどこへやら、詩なんてつまらない、という声がそこかしこに広がっているようにも見うけられる。図書館のカウンターで貸出しをしていても、一般の人たちでさえ「詩集」を借りていく人はあまり多いとは言えない。ましてや子どもたちが率先して、詩を読もうという気にはならないらしい。詩の現状は厳しいと言わざるを得ない。

 さて、そんな今の声を打ち破るかのように、大日本図書からすばらしい詩のシリーズが出された。「詩を読もう!」と題されたそのシリーズは、現役で詩を書いている詩人たちと、それに驚いたことには糸井重里などもいて、それはそれでとても楽しいシリーズになっているのだ。ちなみにどのような詩人が詩集を出しているのか列挙してみよう。「いつもどこかで」新川和江、「みんなやわらかい」谷川俊太郎、「今日からはじまる」高丸もと子、「空への質問」高階杞一、「かさなりあって」島田陽子、「ほんとこうた・へんてこうた」阪田寛夫、「またすぐに会えるから」はたちよしこ、「おなかの大きい小母さん」まどみちお、「十秒間の友だち」大橋政人、「詩なんか知らないけど」糸井重里、「五つのエラーをさがせ」木坂涼、「もうだいじょうぶだから」木村信子。

 現代詩に少しでも興味を持っている方なら、かなり面白いと思えるメンバーがそろっている。どの詩集も楽しく読め、子どもたちに読んでもらうのに申し分ないと思う作品ばかりである。

 その中でもぼくが一番に押したいのは、大橋政人の「十秒間の友だち」である。

 この詩集では、植物、犬、ネコ、人間、すべてを肯定した著者の伸びやかな視線がある。そして、今の子どもたちにとっての、失ってほしくないものがここにある。

一本のサクラの木に

何千か何万か

いくつのツボミがあるのかわからないけど


いろんな性格の

いろんなツボミがあって


あわてんぼうのツボミもあれば

のんびりやのツボミもある

ということだったんだ

              「三分咲き」後半部分

 どんな小さなものもすべて同じものはなく、誰にでも個性というものが備わっているのだということを、サクラのツボミをつかってとても素直に語っている。このような詩は書けそうでいて、簡単には書けないものなのだ。

 今の時代、言葉の重要さが薄れていると感じているのは私だけだろうか。もともと本は言葉で書かれているものである。書き言葉と話し言葉との違いはあるにせよ、伝達を使命にしていることに変わりはない。その言葉の存在意義をしっかりと身につけていない書物は、おのずと深みのないものになってしまうだろう。私は娯楽として楽しむものを否定しているわけではない。もちろん読書の第一には楽しみがあるのだ。特に子どもが読むものに関しては楽しくなければならない。ただ、その楽しさというもののなかにもある種の深さがなければ、楽しさ自体が成立しないと思うのである。

 そして、言葉に関することでもう一つ感じていることは、美しさ、である。子どもにしたって大人にしたって、すべての人は美しいものを求めている。美しいという概念にもいろいろな範疇があって一概には言えないが、すべての芸術は「美」に向かって進んでいるはずである。子どもの本にいたっては、常に心がはずむ、楽しいものが美しさのひとつなのではないだろうか。

 「十秒間の友だち」の一つ一つの作品は「言葉」というものがなんであるか、をしっかりと捉えている。言いかえるならば、言葉の可能性を自在に使いこなしていると言えるだろう。「おわりだけではわからない」という詩では、言葉が移り変わって行くという自然の過程を楽しく表現しているし、「タテとヨコ」という詩では、目線を変えると違う発想になることを表している。人間にとってわすれてはならないやさしさを冒頭の「サクラがいっぱい」では感じるし、「春」という詩には希望の声が聞こえる。

 表題作の「十秒間の友だち」には人生の悲哀さえ感じる。 子どもの詩に人生の悲哀を盛り込んでどうなるのか、と思われる方もいるかもしれないが、子どもが読めばそれはそれで一瞬の出会いを感じさせるだけのオモシロイ作品なのだ。まず、子どもの読者としてはそれで良いのだ。詩が詩として成り立つか否かは、その深さにある。深く考えられている作品は、何らかの形で心に残るはずなのだ。大橋政人の「十秒間の友だち」には、子どもだからといって気を抜いているそぶりはまったくなかった。いや、この「詩を読もう」というシリーズ全体にそのような怠惰さがみつからなかった。ぼくは久々に、子どもに読ませるに耐えうる詩作品が揃ったと感激している。

 最後にひとつだけ、表紙と挿絵(本作り全体もまじえて)について書いておきたい。シリーズ全体を見渡せば、表紙絵も挿絵もなかなか良いとはおもうのだが、はたして、このような絵を子どもたちは本当に欲しているのだろうか、と少し疑問に思った。詩人と詩作品とを考慮して、それなりに画家の方たちも工夫を凝らしているし、力もはいっている。ただ、常に、本を手渡すということを仕事にしている以上、マンネリにおちいったものは選びたくないし、手渡したくもない。今回のこのシリーズの絵も悪くはないが、やはり従来の子どもの本(詩集)となんの変わりも無い。絵が命である絵本は斬新な企画がいっぱいあるのに詩集にはない。本を出すといことは、新しい出来事だ。そして、引き締まった詩のシリーズに新しい絵があれば、それは子どもの詩の世界に新しい風が巻き起こったに違いない。たぶんそれは、ぼくの欲というものかもしれないが。

大橋さんは猫である

   「十秒間の友だち」を読んで             金井雄二

 ここのところずっと大橋政人さんのことを考え続けている。顔が浮かんでは消え、詩が浮かんでは消えしている。そして、ひとつの結論めいたものが、フッとぼくの頭にあらわれた。それは、「大橋さんは猫なのだ」という、ぼくの想いだ。

 大日本図書からだされた、「詩を読もう」というシリーズは、まどみちおや谷川俊太郎、新川和江や木坂涼といった詩人を揃え、ずいぶんと豪華な顔ぶれになった。その中の一冊として大橋さんの「十秒間の友だち」も発行された。

 子どものために書かれた詩を少年詩というが、そんなネーミングは必要ない。詩は詩なのだ。「十秒間の友だち」は子どもが読んでも大人が読んでも楽しい。もともと大橋さんの詩は、大人も子どもも飛び越えている。それにしても「十秒間の友だち」はのびやかでさりげなく、そして生き物を(人間を含む)基本的なところで肯定しているのはなぜだろう。

一本のサクラの木に

何千か何万か

いくつのツボミがあるのかわからないけど

いろんな性格の

いろんなツボミがあって

あわてんぼうのツボミもあれば

のんびりやのツボミもある

ということだったんだ

              「三分咲き」後半部分

 桜は、一時期にそろって咲きはじめるのだから、たしかにいっせいに咲くのであるが、個々のツボミはひとつひとつ咲くのである。全体だけで判断して、その「個」を忘れてはならない。ツボミにだって、いろいろなツボミがあるのだ。真新しいランドセルを背負った一年生はみんな同じだが、みんな違うのである。個性の尊重を、桜のツボミにたとえてさりげなく提示するところは、この詩人のやさしさだ。もちろん、小学生でもすんなりのみこめるだろう。

 大橋さんとは雑誌「詩学」で投稿詩の選者・合評をしている関係で毎月お会いしているし、作品も「ノノヒロ」からほとんど拝見している。合評では、大橋さんはあの細い眼で関富士子さんを見、激論を闘わし、ぼくはそれを煽るでもなく中和するでもなく意見を述べている。ぼくがお見受けしたところ、大橋さんはものすごく真面目な人で、いつもキッチリとものごとを理論立てて考える方である。いつぞやの「詩学」の合評の時、大橋さんがトイレに立った隙に、投稿原稿の余白を覗いてみたら、発言をするときのメモがビッシリと書きこんであった。重要と思われる個所は赤ペンで書かれてあって、ぼくみたいに一言二言書きこんで冷や汗ものでしゃべっているのとは大違いだなと感じた。

 少々余談になってしまったが、とにかく大橋さんの詩の魅力は、構成をきちんと考え、人の考えている、あるいは人が感じている深い部分を、やさしい言葉でさりげなく表すところにある。特に読ませる部分はその行間にあって、すっ飛ばして読んでしまうと真意がくみとれない。ゆっくりと、二度三度と読んでみたらいい。一行一行が全体へとリンクしているのがわかるから。そこまでを表現する詩の方法は、大橋さん独自の努力の結晶だと言えるだろう。計算され尽くした一行は、少しでも真似をしようものなら、痛い目にあう。性格からきている詩の書き方かとおもいきや、ずいぶんと考えぬかれているのである。

 群馬には素晴らしい詩人がたくさんいるが、ぼくが個人的に忘れられない詩人・評論家として愛敬浩一さんがいる。なぜ忘れられないのかは別として、愛敬さんが大橋さんのことを「力いっぱいスローボールを投げる詩人」とどこかで書かれていたのを記憶する。この言葉は妙にぴったりとしていて、うなずけるのだ。

 去年大橋さんは「春夏猫冬」という詩集を出した。タイトルのとおり猫を中心とした詩集だ。面白く読んだが、個人的には「十秒間の友だち」の方が好きである。「十秒間の友だち」は「花」「猫・犬」「ふしぎ」「まいにち」と項目だてて数編づつ作品が並んでいて、すべての作品に気負いがない。たぶん、どこにも大橋さんが顔を見せていないからだろう、と思う。もともと、自分の存在を見せないように書いてきた詩人だが、この「十秒間の友だち」では、大橋さんの存在自体が、生きているもののすべてのなかに解けこんでいるような気がして、そこが心地よい。大橋さんの中の人間大好き、犬、猫大好き、植物大好き、生きているもののガンバリ大好きという、日向性がにじみでている感じがするのである。

 猫は寒い冬の日には、どこが一番暖かい場所か知っている。夏の暑い日にも、どこが一番涼しいのかを分かっている。そして家人が餌のカンズメでも開けようものなら、どんなにグッスリと寝こんでいてもすぐに起きて寄ってくるのだ。作品のなかにもあったが、見知らぬ人が来るとすぐに身を隠す。自分をよーく知っていて、自分が何をしたいのか知っている。大橋さんは、そんなネコの習性みたいなものを「詩を書く」ところに応用したようなところもあって、ネコのように音もたてず「十秒間の友だち」という詩集をぼくらの前においていってくれた。そんなこんなでぼくは、もしかして大橋さんはネコなのではないか、と思った次第なのである。

 でもね、大橋さん、そんなに老けたトシでもないのに隠居なんかしてたら、知らぬ間に本当にジジイになっちゃうよ。オウム事件で、おかしくなっちゃった吉本隆明をズバッと斬ったときのように、ずっと眼の覚めたネコでいてください。

犬とちがって

ネコは

なでてやってもよろこばない

      「ネコのなで方」部分




詩は詩人の中に

                  金井雄二

 現代詩を体験した、と自分のなかで思う時期があった。現代詩における「現代」とはそもそも何であったのか。私の少ない詩的経験の中から考察してみたい。

 独りの個の内面に合致する、絶対的な言葉がほしかった。今思い返してみると、そう言わざるを得ないような気がする。まだ若かりし高校時代、空虚な、淡々とした日常から抜け出すには、決定的な重みがほしかった。私が求めたのはそのような言葉だったはずだ。だが、求めるものはどこにもなかった。自分で感情をコントロールすることができず、ただやみくもに詩を探すことしかなかったのかもしれない。それもあさはかな知識だけで。私がむかったものは宮沢賢治でも中原中也でもなく、ましてや、当時活躍していたであろう既存の詩人でもなく、北原白秋であった。なぜ白秋なのか自分でもわからないが、ひとつの言葉を求めていたことだけは確かだ。これから先、詩を書いていくだろうとはこれっぽっちも思わずに、それでもただ、詩を求めていたことを私はなぜか不思議に思うとともに、今は少し誇りに思う。薄暗い学校図書館の隅にあった詩歌全集には北原白秋の重い言葉があった。

 

 われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。

 黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、

色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、

南蛮の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍酡の酒を。

(「邪宗門秘曲」第一連)

詩の感動と重みをこのような美文に求めて、何がわかるというのか、私は表に出ている言葉の意味さえわからずに、詩を知ろうとした愚か者であった。今となっては笑うしかない出来事だが、自分の詩の記憶として忘れることはないだろう。この詩の体験が、白秋ではなく、一線で活躍中の現代詩人の作品であったら、私の詩における態度、考えもずいぶん違っていたと思う。それから約十年後、めぐりめぐって私は現代詩とよばれる一連の詩作品にぶつかることになる。

鮎川信夫、田村隆一、黒田三郎などに代表される「荒地」グループの作品、または少し左翼の匂いが離れない関根弘、長谷川龍生、菅原克己などの「列島」グループの作品であった。また、それらとは離れてはいるが私にとっては一緒くたになっていた清水昶や、佐々木幹朗などの諸作品に驚かされていた。

一篇の詩が生れるためには、

われわれは殺さなければならない

多くのものを殺さなければならない

(「四千の日と夜」田村隆一、冒頭)

私は言葉の恐ろしさみたいなものを感じた。一行一行がそそりたつ、そんな感触だった。あまりの格好よさに、うかうかしていてはいけない、とも感じた。また言葉の奥底から、その時代がまざまざと反映されてくる、佐々木幹朗の「死者の鞭」などの詩篇にも驚きをもった。

ナロードの祈りに似た

ねばい朝のミルクの

垂れてくる安堵の色つやをながめ

冴えわたる胸腺一杯に

死の行為は重く

耳朶は光をおおい

噛み切られたひとすじの黒糸のような黙禱のなかで

単眼は精神の円卓を巡る

(「死者の鞭」佐々木幹朗、冒頭)

 もう一篇、私にとっての現代詩体験を言わせてもらうなら清水昶がいる。「少年」という詩はこんな感じだ。

 いのちを吸う泥田の深みから腰をあげ

 鬚にまつわる陽射しをぬぐい

影の顔でふりむいた若い父

風土病から手をのばしまだ青いトマトを食べながら

声をたてずに笑っていた若い母

そのころからわたしは

パンがはげしい痛みでこねられていることを知り

あざ笑う麦のうねり疲労が密集するやせた土地

おびえきった鶏が不安の砂をはねながら

火のように呼ぶ太陽に殺りあがる一日の目覚めに

憎しみを持つ少年になった

(「少年」清水昶、冒頭〕

この言葉使い、まだ詩を何も知らない私はただただ驚愕するしかなかった。どうしたら、こんな詩が書けるのか、不思議でならなかった。まず三編の詩を載せたが、これらに代表される詩が私にとっての現代詩体験なのだ。つまり六〇年代、七〇年代、詩が学生、一般の間で読み継がれ、ひとつの思想として機能していたそんな作品群だ。

戦後、日本の詩は同人雑誌によってその針路を導いてきた。戦後を表に出し、新しい今を演出するには、思想をバックボーンに持ちそれを武器として言葉を先導していかねばならなかった。また、それだけの価値があり、言葉は世の中の立役者となった。だからこそ、六〇年代、七〇年代、詩は人々のあいだで読み継がれてきたし、影響力を持ち指示されてきたのだ。古い抒情を廃止し、イデオローグを持った斬新な表現方法が求められた。それが、当時の「現代」であったはずだ。詩はその時代に乗ることが出来た。現代詩がしばしば戦後詩と同一に呼ばれるような錯角におちいるのもそのためではないのか。詩という文学ジャンルに、当時必要とされていた思想を盛り込む。思想は今を物語って離さない。必要不可欠になった詩作品は当時の現代を表す象徴となり、世間での支持を得る。現代詩はそうして裏側に社会的思想を持つ個人の言葉に取って代わられた。つまり、時代の象徴となったのではないだろうか。

現代という言葉が持つ不可思議性はそれだけではない。現代という言葉は常に「今現在」を指し示す言葉でもあるから、ある特定の時期、時代だけを反映しない。つまりいつの時代に書かれようとも、それは「現代詩」であるという言い方も出来るわけだ。そこが曖昧になる所以なのだ。白秋がいた時代も書かれたときは現代であるという言い方も可能なのだ。一般に現代詩というと、すなわち戦後詩と捉えがちだが、今と昔とを分けるという観点からはなんともすっきりしない。むしろ、近代詩の時代、つまり明治大正期の文語詩の時代から考え、口語自由詩という素晴らしい切り口で文語を打ち破った萩原朔太郎の「月に吠える」(大正六年)あたりにまでさかのぼり、そこを現代詩の始まりにしたらどうかと私などは思うほどである。つまり戦後書かれた詩だけが「現代」詩ではないのである。

さて、戦後詩の終わりが叫ばれ始め、一九九三年には三浦雅士が「現代詩の終焉」を書き、ますます「現代」詩は混沌としてきた。そのひとつの原因に時代の変化があげられよう。戦後の詩が時代背景を基にし、思想の裏付けを検証しながら進んできた、そんな形相を示していたが、八〇年代に入り、詩、そのものの性格上、個人の思想なくしては成り立たないことが露呈してきたのである。戦後すぐに書かれた詩に個人がないというのではなく、逆に個人が時代に勝ってきたのだ。社会より自分。詩人も外にではなく裡に入る方向に変化してきたのだろう。アイデンティティーなる言葉がはやりだしだしたのもこの時期ではなかっただろうか? また個人の進出とそれにもまして、大きな変化といえるものがある。時代の多様化だ。イデオロギーの多様化は詩を拡散させていった。詩の書き表し方も様々な工夫が凝らされていく。世の中が単純ですまされなくなったぶん、複雑になればなるほど詩の言葉は難解にならざるを得なくなったのだ。詩のあるべきところは、時代によって変化していったのかもしれない。

ここまで、筆を進めてきて、ふと疑問が生じてきた。詩は時代によって書かれてきたのだろうか? 現代詩という呼び名のもと、詩は現代を背負って時代性の中で書かれてきたのであろうか? 一見それは正解のようには見えるのだが、やはりそれは違う。詩は時代性だけによって書かれるものではないのだ。では詩は何によって書かれるものなのだろうか?

詩はやはり各詩人の中にあるべきものだからだ。

清水昶は私の大好きな詩人だ。日本の詩の歴史に残る詩人だと思う。先ほどの引用詩においても、画期的な言葉を使い、新鮮な詩を書いていた。ただ、清水昶が時代の寵児であったことは悲劇的な事実である。もしかして、その時代の中でしか生きられなかった詩人なのだろうか。いや、その答えはまだでていないのだ。詩人はその時代を享受して、詩人自身のなかで言葉を発する。時代がどのように変化しようとも、その空気に敏感に反応し、時代を飛び越えた「今」、すなわち「現代」を書くことができる、それが詩人であろう。そして、「現代詩」はそのように書かれていくべきであろう。清水昶は詩人だ。これから先、俳句ではない、真の、「現代詩」を書くはずだ。私はそれを読んでみたい。

また、「現代詩」の持つ「現代」という言葉は、新しいという意味も含まれている。先端をいくという感覚だ。詩には常に新しさが要求され、詩人はそのむずかしさに常に挑戦している。そういう中から、いろいろな形式が生まれてきた。それはそれで「現代詩」のひとつの手柄だといえるかもしれない。形式の獲得。文学ジャンルにおける、形式を確立することは作品を完成することに等しい。ただ残念なのは、小手先だけの形式が新しいことと思い込み、今の手法はこれしかないと信じ、必然性が何も感じられないのに、句読点を無視したダラダラ散文詩や、やたらと行を上げ下げしたりして書き続けている人もいる。「現代」という言葉を変に勘違いしているのだ。こういう書き手も「現代詩」のなかの「現代」という言葉に惑わかされているのではないだろうか。

さて、現代詩に魅せられ、現代詩を読み、現代詩を書いてきた私としては、今までここに書いてきたことを踏まえ、これからは「現在詩」を書いていこうと思っている。「現在詩」という言い方は群馬の詩人大橋政人、岐阜の伊藤芳博らが言っていたと記憶するが・・・。時代に左右されて時代におぼれるのではなく、時代を多く受け止めながら、自分の詩を探していこうと思う。それは「現代」を書くことではなくて、今の自分を書くこと。つまり「現在」を書くことにほかならない。

                                                  初出「詩学」2006年11月号






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