ここでは林巨征が、占術に初めて出会ってから、現在までの道のりを記してあります。思えば、今に至るまでずいぶんと曲がりくねった寄り道をしたものです。
1 占術事始め
最初に占いに興味をもったのは、高校生の時でした。母親が気学を使用しており、五黄や暗剣という言葉がよく耳に入り、高島暦など一部の気学本(題名は忘れた)が自宅の本棚にありました。結果自分でも習得してやろうと、自分にあった書物を探しました。最初に入手した占術の本は文研出版の「五術占い全書」というもので定価が4500円、ずいぶん高価であった印象があります。同本は、全書というだけあって、四柱推命や紫微斗数、断易、奇門遁甲、手相人相印相、漢方など一連の東洋系の占術は網羅してあり、東洋占術の全体像を知るには最適でした。
その後大学へ進学し、兵庫県に移転しました。占術研究の熱意は衰えることなく、様々な専門書を入手しました。印象に残っているものは、神戸の後藤書店で購入した朝田啓郷先生の「推命学の革新」、武田考玄先生の「未来予知学としての四柱推命」、高木乗先生の「新四柱推命学」などです。特に「推命学の革新」は別冊併せて9000円と高価で、アルバイトで貯めた資金を充当しました。但し、どの書も網羅性はありましたが、突破できるものではありませんでした。どうしてこれほど著者によって内容が異なるのだろう、と疑問に思い、結論はいつまでもでなかった印象です。
本格的に勉強を始めたのは、大学卒業後、就職で東京に移転してからでした。会社の寮に入ったのですが、寮の先輩に勉強されている方がみつかり、当時、世田谷区の下北沢にあった易専門の「鴨書店」を教えてもらいました。そこでは主人が大変個性的な人物で気むずかしいそうな雰囲気でした。とりあえず初心者になって、四柱推命を勉強するにはどの本から始めたらよいのか聞いてみました。回答は、まず歌丸光四郎先生の「四柱推命の秘密」を完全にマスターすること、次に中村文聡先生が当時出しておられた専門書にすすみ、加藤普品先生の子平真詮の評釈書がとりあえずの到達点とのことでした。その言葉を信じて、一生懸命勉強したものです。
また神保町の「原書房」にも通い始めたのもそのころでした。鴨書店には台湾書が売られており、国内専門書に比べ値段がずいぶん安く、読みこなすために、必死になって漢文を勉強したりしました。また鴨書店の店主もおもしろい人で、通いこんでいくうち、奥の方からごそごそと珍本奇本を出してくるようになりました。遁甲のおもしろい本があるよ、と出されたのが内藤文穏先生の奇門遁甲真義、奥義、密義でした。手書きガリ版刷りの粗末な本でしたが、それだけに一層神秘的でした。持ち合わせがなかったので、取り置きしてもらうべく自分の名前を記入してきました。そのときはどういう訳だか、購入には至りませんでしたが、この内藤三義には後日談があります。私の名前を記入したそれが、後で登場する東海林秀樹先生の手元にあったのです。先生もどこから手に入れたか不明とのこと。まったくもって不可解なことでした。
2 仲間との出会い
その後、下北沢の鴨書店は閉鎖され、易の専門書店は神保町の原書房だけになりました。昭和六〇年代のはじめ、バブルの声が聞こえてきつつあるときです。そのころ台湾書や香港書が原書房で委託販売されるようになり、何とか委託元を知りたく、店主に尋ねたところ河野世希也先生という方を紹介してもらいました。彼は当時、南青山にて道引術の道場を開いており、訪ねることにしました。ある日電話で約束をして訪ねると、先客がいました。日光にある天台宗の名刹「大慈寺」の林慶仁住職でした。当時彼は早稲田大学で東洋哲学を学ぶ大学院生かつ占術のマニアで、ちょうど河野先生と占術の話をしていたところでした。河野先生は特に紫微斗数を専門的に研究しておられ、四化星を運用する技術に関しては日本一でした。
そこで、月一度、私と林慶仁君とで紫微斗数を習うことになりました。先生のところではとくに正玄山人の紫微斗数全集を基本書として、ほかに李達威の九九紫微斗数や方広居士などの書を学習しました。また、勉強中に突然、重田昭鳳先生が訪ねてきたこともありました。学習を進めるうちに、生徒を募って紫微講習会を企画しました。河野先生が講師で私たちが雑用係です。先生の名前も「夏康節」という名前にして、生徒募集のパンフレットも作りました。このパンフレットにも後日談があります。20年ほど後、福岡の高根黒門先生の手元に、そのパンフレットがあり、「夏康節」という人物について彼から訪ねられたことがあります。
そのころ、田母神信一郎先生がクリアライトマニ先生と共著で、「トワイライトゾーン」誌に東洋占術に関する記事を載せたときで、東洋占術がブームになっておりました。あまり宣伝はしなかったのですが二〇名以上の受講者が集まりました。その中に東海林秀樹先生や上住節子先生の名前がありました。講習会はある理由で一年ほどでつぶれてしまいましたが、人的なつながりはいまでも残っています。最近、田母神先生とご一緒させていただく機会があり、当時の裏話をお聞きすることができました。
その後、河野先生とは疎遠になってしまいましたが、ここで習った紫微斗数は自分にとって大きな財産なりました。また東海林先生は、この紫微斗数にさらに磨きをかけられて、幾度も台湾に渡り、この分野での権威者になられ、最近、東洋書院や学習研究社から専門書を上梓されました。
3 術をみがく
その後、興味の対象は命占より方位占に移り、多くの先生の門をたたきました。また、ちょうど日本全国各地に出張する立場にあり、遁甲などを実証するに都合がよかったこともあり、方位占の技術を大きく進歩させることもできました。特に奇門遁甲、気学、応用気学、金函玉鏡、納音方位術など口伝秘伝を授かり、なおかつ、その効果を身を持って体験できたことは、後ほど本を出版することなったとき、大いに助かりました。このとき習った多くの先生方は、近年物故されました。時代の流れを感じざるを得ません。
1990年代後半からは、電子メールを活用するようになり、遠隔地の人と即時に連絡が取り合えることで、交友の輪が広がりました。とくに福岡の高根黒門先生とは情報の交換を行って、術の向上をはかれたことはよかったです。その後、彼は東京に進出し、奇門遁甲書を東洋書院から出版できたことは、同慶の至りです。この「活盤奇門遁甲精義」は長らく奇門遁甲の基本書として、初学者の教科書となる内容だと思います。
4 仏教とのであい
1999年、付き合いの途絶えていた東海林先生と偶然再会し、一緒に方位術の講習会を開催しようということになりました。金函玉鏡や挨星法などの市販書に公開されていない技法を講習会形式で教授しようということです。受講者は東海林先生があつめてくれましたが、それでも足りなかったので原書房さんの店頭に開催案内を掲示させてもらいました。そのとき、天台寺門宗の僧侶で、大船にある大慈光教会(当時)住職の羽田守快先生が参加され、交流が開始いたしました。
羽田先生は名前の通り豪放磊落な人物で、多くの珍しい動物を飼育する趣味をお持ちです。また宿曜術の第一人者であり、単純な生まれ日占いであった宿曜術を四柱推命や紫微斗数に匹敵するレベルまでに体系化した尊王星流を提唱した人でもあります。四柱推命や紫微斗数の研究者は是非、彼の著書「秘密瑜伽占星法」青山社刊を学習していただきたく思います。宿曜に対して抱いていたイメージが大きくかわるのでは、と思います。天台密教に興味をもち、大慈光教会にも親しく出入りさせていただいているうち、得度を勧められ、これも何かのチャンスと得度することにしました。「天台寺門宗大律師」これが自分の資格です。
羽田先生は著作物も多く、青山社や学習研究社に顔がききました。そのおかげで青山社から「八門遁甲方位術」これは仏家を対象とした少部数出版でしたが、私にとっては最初の出版物になりました。また、学習研究社からはブックスエソテリカ「東洋占術の本」の命占部分の執筆を担当、ムーブックスシリーズからは単行本として「秘占金函玉鏡方位術」を出版することができました。これは本格的な一般書で初版の発行部数は「八門遁甲方位術」の十倍以上にものぼり、読者のみなさまの暖かい支持によりさらに、版を重ねております。また月刊誌のムーでは、単発の記事の執筆が任されるようになりました。前述のように高根黒門先生は奇門遁甲分野で、東海林秀樹先生も紫微斗数の分野で、それぞれ一般書を発刊されており、自分だけでなく占術仲間が出版デビューを果たせたことは占術界の発展にとって大変よいことと考えます。また、私も含め、羽田先生、東海林先生、黒門先生すべて昭和30年代生まれであり、占術界の世代交代が始まった感があります。
5 これからのこと
自分の得意な分野として、長年会社員として勤めてきた経験があり、経営学や会計学を長年研究してきました。これらの経験を生かし、企業経営の分野を専門とする占術家を指向したいと思います。現に、鑑定のお客様では、企業経営者が多く、相談内容も経営に関することが中心です。私のことを占術ができる経営コンサルタントとして、扱って頂いております。自分の持つ企業経営の常識に加え、占術を用いた経営的判断を加えるやり方です。 また、長年研究してきた方位を使用した開運法については、一般の鑑定に用いています。開運についてはどの分野の人にも当てはまるのではないでしょうか。
微力ではありますが、自分のできる範囲で斯界の発展に寄与していきたいと思います。