要望や指摘がある場合は、メールでもいただければ。
太字は英文のポップアップつき。
Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER
CRACKDOWN Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce
Sterling The Ungentle Giant
自由な文書(ただし商用利用を除く)
優しくなくなった巨人
電話の技術者、エンジニア、交換手、研究者のコミュニティは、サイバースペースでもっとも古いものである。ベテランぞろいで、もっとも進んでいるグループで、豊かでもあり、尊敬されていて、あらゆる意味でもっとも力をもっている。アレキサンダー・グラハム・ベルの時から何世代も経たが、コミュニティは生き残った。つまり曾祖父母が電話システムで働いていた人々が、今日でも電話のシステムのために働いている。その「Telephony」、「AT&Tテクニカルジャーナル」「電話技術と管理」のような専門雑誌は、何十年と続いている。「Macworld」や「PCWeek」といったコンピュータの雑誌は、それからみればアマチュアの新参者みたいなものだ。
電話会社はまた、ハイテクでも目立つ位置を占めている。他の会社の研究開発部門は新しい市場を勝ち取ったが、ベル研究所の研究者は7つのノーベル賞を勝ち取った。ベル研究所で考案されたある有名な発明品、トランジスターは一大産業となった。ベル研究所は「一日に一つ特許をとる」ことでも世界的に有名であり、天文学や物理学や宇宙研究でもめざましい発見をなしとげている。
その70年の歴史を通して、「マ・ベル」は単なる会社ではなく、生き方だった。1980年代の大分割があるまで、マ・ベルはたぶん究極の母親のような巨大企業だった。AT&Tの会社のイメージは、「優しい巨人」であり、「微笑みにみちた声」であり、ぴかぴかに光ったヘルメットをかぶり、ひげをきれいにそった保線夫と、ヘッドセットとナイロン製のストッキングを身につけた穏やかでかわいい交換手の女性のいる、社会主義者と現実主義者が混在した世界だった。ベル・システムの従業員は、堅実なキワニクラブやロータリークラブのメンバーとしてやリトルリーグを熱心に面倒をみて、教育委員会の一員として知られていた。
マ・ベルの長い絶頂期には、ベルの従業員は上から下まで公共サービスの精神で教育されていた。ベルは金も儲けていたが、金儲けの会社ではなかった。つまりベルは広告宣伝はしたが、けっして単なる販売活動を行うようなことはしなかった。人々はベル・システムによい生活をもとめて入社したし、実際によい生活を得た。しかしベルの会社の人々が嵐や地震のなかでも、ぐらぐらする電柱で格闘したり、水が溢れるマンホールに入っていったり、故障した交換機を前にして目を赤くして深夜勤務をやってのけるのは決して単に金のためではなかった。ベルの精神は、郵便配達員の電子版とでもいえるようなものだった。雨が降ろうが、雪が降ろうが、夜の暗闇でもその配達をとめることはなかった。
どんな政治、もしくは社会システムに対してもシニカルでいることが簡単なのと同じで、こういったことにシニカルでいるのもまた簡単なことだ。でもシニカルな態度では、何千もの人々が真剣に理想を抱いているという事実を変えることはできない。そしてまだ真剣に理想を抱いている人はいる。
ベルの精神は、公共サービスだった。それはみんなに満足を与えた。しかしプライベートな力も伴っていて、それもまたみんなを満足させた。会社としては、ベルは極めて特殊だった。ベルには特権があり、国家にすりよっていた。事実、ベルはアメリカでは最大限政府に近い位置にいて、そしてまたきわめて大きな合法的な利益をあげていた。
しかし他の会社とは違い、ベルは粗野な商売上の争いは超越していた。地域の電話会社としては、ベルはアメリカ中どこにでもあり身近で親密だったが、ベルの会社の中心部の象牙の塔は周りから高くそびえたち、隔離されていた。
アメリカには確かに、他にも電話会社はあった。いわゆる独立系の会社だ。大半は地域の電話会社である。小魚のようなものであり、大概は大目に見られていたが、時には衝突することもあった。何十年も、独立系のアメリカの電話会社は、公に認められたベルの独占の恐怖と嫌悪のなかで生きてきた(独占、もしくは「ベルのオクトパス」とマ・ベルの19世紀の敵は、新聞紙上で何回も怒りをこめてそう描いた)。こうした独立系の企業家は、違法だったが、オクトパスとはげしく戦い、その違法の電話ネットワークはベルの職員によって道になげすてられ、公然と焼きすてられた。
ベルシステムの純粋な技術の新規さは、交換手たち、投資家たち、エンジニアたちに、権力と専門知識の深い満足感をもたらした。かれらは人生を、この巨大なアメリカ中に広がっている仕組みを改良するのにささげた。彼らは、何年にもわたり全人生を通じて、その仕組みが改良され成長していくのを見守った。それはまるで技術上の教会のようなものだった。彼らはエリートで、例え他人には認められていなくても、自身でもそれを知っていた。事実、彼らは他人が分かっていない分いっそう力をもっていると感じていた。
このすぐれた技術に深い魅力を感じる感覚は、決して過小評価されてはならない。「技術力」は全ての人に訴えかけるものではない。大多数の人にとっては全く何の意味もないものだが、ある人々には人生の核ともなるものなのだ。少数の人々には、抗いがたく、強迫観念さえ起こさせるものだ。ほとんど中毒に近いものになってしまう。特に賢い10代の少年は、普通は力をもたず、だまされやすいものだが、この秘密の力の感覚を愛し、その力を得るためには驚くほどのことを何もかもやろうとする。エレクトロニクスの技術力は、この本に詳しく書かれているような奇妙な行為の源泉となっている。そうでもなければ、こうしたことの説明はまったくつかない。
そしてベルは、単に資本主義という以上の力をもっていた。ベルのサービスの精神は機能し、しばしばいやに甘ったるく宣伝された。何十年もたつと、人々は徐々にそれには飽きてきた。それから、はっきりと我慢できなくなった。1980年代の初頭には、マ・ベルは、本当の友がほとんどいなくなったことに気がついた。バイルの産業社会主義は、政治的にはすっかり時代遅れになってしまったのだ。ベルはそのために罰をうけることになり、その罰は電話コミュニティの人々に厳しく降りかかることとなる。
PC WEEK:
PC
WEEK→オンライン雑誌 eWeek→ZDNETエンタープライズ(日本では)なんてことになってるみたいだね。特に雑誌の盛衰は、ドッグイヤーを感じるね。