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Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER
CRACKDOWN Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce
Sterling In Defense of the System
自由な文書(ただし商用利用を除く)
システムの防衛
厳しい商業上の競争下で、1990年の1月15日のような事故はAT&Tには大きな困惑の種となった。それは彼らが長い間大事にしていた信頼性の評判を直撃した。事故から数日で、AT&Tのボブ・アレン社長は公式に、深く傷つき屈辱にみちた表現でこう謝罪した。
「AT&Tは、大きなサービスの中断を先の月曜日に起こしました。われわれ自身のサービスの水準を満たさないばかりか、みなさまの期待にも応えることができませんでした。それはまったく明らかなことです。これはわれわれにも、そしてみなさまにも容認できるような事態ではありません。われわれも、どれほど多くのみなさまがAT&Tのサービスを信頼してくださっているかは分かっています。だからわれわれAT&Tベル研究者の科学者やネットワーク・エンジニアたちは、再発防止のためにできうる限りのことを全て行っているところです。われわれは、この問題がみなさまにもたらしたご不便を埋め合わせる方法がないことも承知しています」
アレンの「顧客への公開状」は、全国紙へと豊富に広告された。ウォールストリートジャーナル、USAトゥディ、ニューヨーク・タイムズ、ロスアンジェルス・タイムス、シカゴ・トリビューン、フィラデルフィラ・インクワイアラー、サンフランシスコ・クロニクル・エグザミナー、クレバーランド・ディラー、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション、ミネアポリス・スター・トリビュート、セント・ポール・パイオニア・プレス・ディスパッチ、シアトル・タイムス/ポスト・インテリジェンサー、タコマ・ニュース・トリビュート、マイアミ・ヘラルド、ピッツバーグ・プレス、セント・ルイス・ポスト・ディスパッチ、フェニックス・リパブリック・ガゼット、そしてタンパ・トリビュートに。
他のプレス・リリースでは、AT&Tはこの「ソフトウェアの欠陥」はMCIでも同じように起こるかも知れないとほのめかそうと苦心していた。実際は起らなかったのだが(MCIの交換機のソフトウェアはAT&Tとは全く違ったものだった。だからといってより安全というわけでもないが)。AT&Tは、またバレンタインデーには事故の埋め合わせに、サービスの割引をするという計画をアナウンスした。
「全ての利用できる技術上のリソースを、それにはベル研究所の科学者やエンジニアたちも含まれますが、再発しないようにすることにつぎ込んでいます」と喧伝し、さらに引き続いて、「再発の可能性は小さく、このような大規模な問題は以前には全く起こっていません」と保証していた。
しかしながら、一方警察や会社のセキュリティは「再発の可能性」について、そしてなぜこの大規模な問題が、一見したところ何の理由もなく起こったのかという本当の理由について疑いつづけていた。警官やセキュリティは、前例のないほど技術力の高いハッカーたちが、法を犯して侵入し、あるデジタル交換機のプログラムを書き換えたのだと確信した。交換機にウイルスが隠れていたとか、秘密のロジック爆弾がしかけられていたという噂が、AT&Tの苦境をあざわらうかのようにアンダーグラウンドの至るところにはびこっていて、そして影の天才ハッカーのせいであるという根拠のない憶測も乱れとんでいた。警察への通報者をふくむ何人かのハッカーたちは、お互いにあいつが事故の真犯人だと指さしあっていた。
電話会社の人間は、こうした可能性を考えたとき、客観的に平然としてはいられなかった。その可能性はあまりにあからさまで、やっかいなものだった。ひどく傷つけられ、それについて話をするのもつらいことだったのだ。
電話システムにも、盗みやごまかしといったようなものは常に存在した。ライバルの独立系の会社とや地域回線にもトラブルはあった。しかしシステムのコア、長距離交換機にこのようなトラブルがあるのは恐ろしいことだ。電話会社の人間にとって、台所でごきぶりを見つけるのと、寝室で大きな忌まわしいどぶねずみを見つけるくらいの大きな違いがあるのだ。
外側からみると、普通の市民にとって、電話会社はまだ巨大であり非人間的に思える。アメリカの大衆は、電話会社をなにかソ連の共産党のようなものとみなしている。電話会社が会社として市民にふさわしい役割を精一杯果たす、つまりマグネットハイスクール(特定の科目を重視する高校)に援助したり、公共放送のTVのニュースのスポンサーになったとしても、大衆からは疑いの目を向けられるだけだった。
しかし内側からみると、様相は全く異なって見える。熾烈な競争があり、法律、そして政治の仕組みは、実際には電話会社の利益に反するものではないときも、当惑させられ、またうんざりさせられるようなものだった。モラルが失われ、優位さがすっかり損なわれているという根深い気持ちがあった。技術的な変化は、データと収入を失い、他の新たな伝送形態へと移行する原因となっていた。そしてどろぼうが、新たな形をとったどろぼうが存在し、だんだんスケールを大きく、そしてずうずうしく知識を洗練させていた。これらの要因がからみあい、大きい電話会社も小さい電話会社も、口々に不満を言いたてるのは、なんら不思議なことではなかった。
1988年の終わりから1989年を通して、電話会社の代表の不満の声は大きくなっていった。不満の声の相手は、電話会社のいうことを理解しようとする仕事についているアメリカの法を施行する役人で、その数はきわめて少なかった。電話会社のセキュリティ担当者は、アンダーグラウンドのコンピュータ・ハッカーを見つけていて、そこにすみからすみまで侵入し、その専門知識が増大することに大きな危機感をいだいていた。ここに彼らはむかむかするだけではなく、明らかに反撃できる標的をみつけたのだ。
これらの激しいライバルたち、AT&T、MCI、Sprint、そしてベビーベルの一団(パックベル、ベルサウス、サウスウェスタンベル、NYNEX、USWest、それにベル研究共同体のベルコアも加わる)、そしてその他の独立系長距離回線業者、ミッドアメリカン、すべての会社は、1990年の一大ハッカー取締りにおいてそれぞれの役割を果たすことになる。何年ものあいだ叩きのめされ、こづきまわされたあとで、電話会社は少なくとも少しは、再びイニシアティブを握ったのだ。何年もの騒動のあとに、電話会社と政府の役人は、システムを防衛するために再び協働するようになった。楽観的な見通しがあらわれ、熱狂がうずまいた。復讐の見通しは甘美なものだった。