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Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER
CRACKDOWN Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce
Sterling Landslides In Cyberspace
自由な文書(ただし商用利用を除く)
サイバースペースでの地すべり
ふつうの市民にとって、電話といえば、もちろん、話しかける機械の電話のことになる。でも、電話会社のプロは横柄にも、電話それ自体はほんの「一部分」にすぎないと思っている。あなたの家にあるその「一部分」はおまけみたいなもので、中央の交換機の神経の末端にすぎないと。中央の交換機はヒエラルキーのそれぞれの段階に位置していて、その頂上が長距離通話の電子交換機であり、それらは地球上でもっとも大きいコンピュータでもある。
たとえば、コンピュータが導入される前の1925年の電話システムがよりシンプルで、まぁ理解しやすいものだったときのことを考えてみよう。あなたたちは、レティシア・ルーサーで、1920年代のニューヨークでマ・ベルの架空の交換手だとしてみよう。
基本的に、あなたたち、ルーサーたちは「交換機」だ。1万もの金属の枠がある穴、ジャックが開いている大きくそびえたつ、つやのある木製の交換台「コードボード」の前に座っている。エンジニアたちは交換台にもっと穴をあけることもできただろうが、1万というのが、実際に椅子から立ちあがることなく手がとどく最大の数なのだ。
1万の穴には、それぞれ小さな電球「ランプ」がついていて、きれいに数字のコードが印刷されている。
長い間の習慣で苦もなく、あなたがたは交換台で点灯しているランプをさがしている。勤務時間の大半はこれをやってるので、すっかりそれには慣れっこだ。
ランプがつくと、それはその線につながっている電話がフックからはずれたことを意味する。つまり受話器がフックから外れたら、電話機の中の回路がつながって、地方局、つまりあなたがたに自動的に知らせるようになっている。だれかが電話したいのか、それとも単に受話器がはずれただけなのか、あなたがたにとっては関係ない。最初にすることは、記録帳にすばらしきアメリカ公立教育の成果である手書きで、その番号を記録することだ。これは最初にやらなければならない、なんといっても料金の請求のために必要だからだ。
そこでヘッドセットに直接つながっている応答するためのコードのプラグを手にして、ランプのついている穴にさしこみ、「交換台ですが」と応答する。
交換手の講習では、この仕事につく前に、すべての不測の事態への対応がつまった交換手の厚い手引きが配られていて、それを記憶しなければならない。また発音や声の調子に方言やなまりがない標準語になるように訓練がほどこされる。顧客にむけてとっさに言葉をかけることはほとんどない。そして事実そのような行為には、まゆがしかめられる(地方局は除く。地方局では人々には時間があり、ありとあらゆるいたずらが行われている)。
ききとりにくい声で電話の向こうの利用者が番号を告げる。すぐにその番号を記録帳の、すでに記録した電話をかけた人のとなりに書きとめる。それからこの利用者が言った番号が、実際に自分の交換台にあるかどうかを見て確かめる、たいがいはそこにある。というのはたいていは市内通話だからだ。長距離通話は費用が高いので、あまり使われない。
それから交換台の下にある棚から電話をかけるコードを取り出す。これは長い伸縮自在のコードでリールのようなものに巻かれている。だからプラグを抜くと、勢いよくもとにもどっていく。そこには沢山のコードがあって、その束を全部いっぺんに外に出したら、まるでへびの巣みたいなふうに見えることだろう。交換手の女性のなかにはそのケーブルの穴の中には、虫がすみついていると思っているものもいて、それを「ケーブルダニ」なんて呼んでいる。その虫は手をかみ、傷つけると思われているのだ。あなた自身は、もちろんそんなことは信じちゃいない。
電話をかけるコードの先をつかんで、電話をかける先のジャックの金具に巧みに先端をいれる。ただし、全部はさしこまない。触れるだけだ。もしカチッカチッという音が聞こえたら、通話中で電話はかけられないということだ。もし通話中なら、電話をかけるコードは通話中のジャックに入れなければならない。電話をかけた人には通話中の音が聞こえるだろう。そうすれば、自分で電話をかけてきた人に話さなくてもすむし、人ならいいたくなるような不満をなだめたりしなくともよい。
しかしその回線は電話中ではなかったので、コードを全部差し込む。交換台の接続回路が、遠くの電話を鳴らす。もし誰かが受話器をとれば、通話が開始する。応答するためのコードを引っこ抜いてなければ、その通話を聞くこともできる。実際のところ、そうしたければ会話を全部聞くことさえ可能だ。ただし会社からはひどくにらまれるし、正直言えば一つでも聞いたことがあれば、全部聞いても同じことなのだ。
電話をかけるコードの棚の下のランプの光で、会話が続いているかどうかは分かるようになっている。会話が終れば、プラグをひっこぬき、電話をかけるコードは元の位置におさまる。
こんな作業を何百万回とやってきたので、てきぱきとこなせるようになっている。実際プラグをさしこみ、接続して、接続を切るのを、10、20、40は同時にできる。それは実際全く見事な職人芸であり、まるではたおり機で織物をしているようなものだ。
長距離通話が来たときには、手順は違ってくるが、全部が全部違うわけではない。通話を自分の交換台でつなぐ代わりに、ヒエラルキーを上り、「本線」という長距離通話のところまでいかなければならない。通話がどれほど遠くまでかによるが、何人もの交換手を経由して、しばらく時間がかかって通話ができるようになる。電話をかける人はこの複雑なプロセスが、国を横断してがやがやとうるさい交換手によって完了するまで、受話器をあげて待ちはしない。電話を切り、交換手が通話がつながったら、かけ直すのだ。
この仕事を4,5年やると、結婚して仕事をやめなければならない。これが1920年代のアメリカの女性のふつうの生き方で、電話会社は代わりの人を訓練しなければならなくなる。たぶん2名を、なぜなら電話システムはその間もいくぶんかは大きくなってているから。これには金がかかる。
実際、人間を何らかの形で交換機としてつかうのは非常に高くつくことだ。8千人のレティシア・ルーサーたちでも十分悪いのに、25万人ともなると軍隊の規模の問題で、オートメーション化による財務上の恩恵はかなり大きい規模になる。
電話システムは現在でも成長を続けているが、電話会社にやとわれている人の数は、何年ものあいだ一貫して減りつづけている。電話の交換手はいまや緊急時の対応のみを行い、通常時のオペレーションは機械が肩代わりするようになってきている。その結果、電話会社の交換手は現在ではかなり機械っぽくなくなり、声のアクセントや質はずっと人間らしくなってきている。今日人間の電話交換手につながれば、その交換手はレティシアの時代よりずっと人間らしい。しかし一方、電話システムで最初に人間につながることはめったになくなっている。
20世紀の前半を通して、電話システムには、複雑化をます「電気機械式」交換機が注意深く導入されていった。導入の遅れた地域では、いまだに混在したシステムが使われていることもある。しかし1985年以降は、電話システムは完全に電子化されてきており、現在では電子化がはるかに優勢になっている。
電気機械式のシステムの「クロスバー」や「ブラシ」といった部品やその他の大きな機械式の稼動部品は、もちろんレティシアよりは早くて安くあがるが、まだまだ遅く、かなり急速に消耗してしまいがちだった。
しかし完全に電子化されたシステムは、シリコンチップに刻まれているだけであり、スピードはとてつもなく速く、非常に安価で、きわめて長持ちだ。もっともよい電気機械式のシステムより、ずっと維持費が安くあがる。そして場所も半分しかとらなかった。年を経るごとに、シリコンチップは小さく、速く、安くなっている。とりわけ自動電子機器は24時間働いて、給料や健康保険なしだ。
しかしながら、コンピュータチップの使用には極めて不都合な点もいくつかある。いったんダウンすると、いったいなにが悪いのか解決するのが気のめいる作業となるのだ。昔の交換台が壊れたのなら、大概は目に見える問題がある。チップが壊れても目には見えない、非常に小さな欠陥なのだ。そして不良品のソフトウェアの欠陥は事実上、神学上の問題ほど些細なこともある。
もし機械式のシステムで何か新しいことをしたければ、該当の場所のところまでわざわざ行って、その一部分を引っこ抜いて、新しい部品をとりつける必要がある。これには金がかかる。でももしチップで新しいことがしたければ、そのソフトウェアを変更するだけでいい。チップを見ても、変更したとは思えないだろう。Xというプログラムが乗っているチップとYというプログラムが乗っているチップは、外見上は全くかわらない。
適切なコードと手順、そして特別な電話線にアクセスすれば、どこからでもアメリカ中の電子交換機システムの変更が可能なのである。
そして誰にでも可能といえる。もしどうやってやるかを知っていて、やりたければ、物理的な痕跡は全く残さずに、特別の電話回線経由でマイクロチップに忍び込み、それをいじることができる。もし交換手のいるところに押し入って、レティシアに銃をつきつければ、それはあまりに明らかだろう。もし電話会社のビルに押し入って、工具ベルトをして電気機械式の交換機を目指したら、少なくとも多くの痕跡を残すことになる。でもキーボードを打つだけで、全く同じような驚くべきことがコンピュータの交換機に対してできるのである。そして今日キーボードはどこにでもある。この脆弱性は根が深く、見通しは暗く、範囲が大きく、理解を超えたものだ。またこれは、ネットワークにつながったコンピュータにとっても、基本的かつ根本的な事実である。
セキュリティの専門家たちは、過去20年にわたりしだいに切迫さをましてこう主張してきた。この基本的なコンピュータの脆弱さは全く新しいレベルのリスク、よくわからないが明らかに恐ろしい社会への潜在的脅威を示していると。
電子交換機は、レティシアがしていたことの大部分をしている、ただしナノセコンドでずっと大規模に。ルーサーの1万のジャックと比べて、初期の1960年代の1ESSの交換機でさえ、12.8万の回線をもっている。そして現在の AT&T で使われているシステムは、途方もない5世代機の5ESSである。
電子交換機は、その機械の「ボード」に乗っている全ての回線を10分の1秒でスキャンできるし、それを何回も何回も疲れを知らず24時間できる。目の代わりに、"ferrod scanners"を使って市内回線と遠距離回線の状態をチェックする。手の代わりに"signal distributors," "central pulse distributors," "magnetic latching relays," "reed switches,"を使って、通話を接続したり、切断したりする。脳の代わりに、「中央演算装置」をつかう。手引書の代わりはプログラムになる。記録と料金請求のための手書きの記録の代わりに、磁気テープが使われる。そして機械は誰にも話しかけなくてもいい。顧客がするすべてのことは、直通ダイヤルの電話機のトーンボタンを押すことである。
電子交換機は話しこそできないが、いわゆる雇い主と意志を疎通させるなんらかの手段、つまりインターフェースが必要となる。このインターフェースは「主管理センター」と呼ばれている(このインターフェースは、主管理センターというよりはむしろただの「インターフェース」と呼ばれる方が適当だろう。というのも実際には、通話を直接「管理」しているわけではないからだ。しかしながら「主管理センター」のような用語は、いわば電話会社の保守エンジニアたちやハッカーたちに満足を覚えさせるようなレトリックのようなものだともいえる)。
主管理センターを使えば、電話エンジニアは市内回線と遠距離回線がきちんと動くかテストできる。エンジニア(たいがい男性だがまれに女性もいる)はいろいろな警告の表示をチェックしたり、該当回線のトラフィックを測定したり、電話の使用記録やそれらの会話への請求を調べて、プログラムを変えることができる。
そして、もちろん主管理センターに遠くから侵入する人はだれでも同じことができる。もしハッカー(たいがい男性だがまれに女性もいる)がその方法をなんとか探り当てたら、いやもっとありそうなのは、どうにかして既にその方法を知っている人からそのやり方をかっぱらうことなのだが。
1989年と1990年には、ある特定のRBOC、特別に不安を覚えたベルサウスは、自ら主張するには120万ドルをコンピュータのセキュリティーにつぎ込んだ。全ての費用を考え合わせると、200万ドルつぎ込んだと考えるものもいる。200万ドルでさえ、電話のコンピュータシステムによる大幅な費用削減効果からしてみれば微々たるものといえるだろう。
不幸にも、コンピュータは愚かなものでもある。人間とは違って、無生物として本質的に根本的な愚かさを秘めている。
1960年代、コンピュータ化が拡大していくことに最初にショックをうけた時点で、このようなコンピュータの愚かさについては語るのはずっと簡単だった。コンピュータがいかに「ただプログラムに従うだけか」、そしていかに「命令されたことだけを」黙々とやりつづけるかなどである。コンピュータがチェストーナメントでグランドマスターを取ったり、他にも多くの明らかに印象的な賢さを示しはじめると、コンピュータの愚かさについて話されることはかなり少なくなった。
しかしながら、コンピュータはまだ本質的にもろく愚かなものである。コンピュータは、単にそのもろさと愚かさをとらえにくいものにしているに過ぎない。1990年代のコンピュータは、初期のコンピュータにくらべれば、その構成部品ははるかに安定している。しかしまた、より複雑なことを、より能力が試される条件下で行うようになっている。
基本的な数学のレベルでは、ソフトウェアのどの一行一行もなんらかのしくじりを起こすことがありうる。ソフトウェアは動いているときに、じっとはしていない。それは「走る」し、自分自身に影響を受け、その入力や出力と相互に影響を与えあう。アナロジーを使えば、パテがありとあらゆる形や条件にのびたりするようなもので、あまりに多くの形をとるので、宇宙の寿命全部を使ってでさえ、全ての形を完全にテストすることはできない。パテはちぎれることさえある。
われわれが「ソフトウェア」と呼ぶものは、人間社会で考えられているようなものではない。ソフトウェアは機械のようなもの、数学のようなものであり、言語のようなものでもあり、思想、芸術、情報ともいえるかもしれない...しかしソフトウェアは実際はそのどれとも違う。ソフトウェアの変幻自在な性質は、その魅力の大きな要因の一つであり、ソフトウェアをとても強力にもすれば、とてもとらえがたい、予期できないような、とてもリスキーなものにもしている。
ソフトウェアにはひどいバグだらけのものあるし、「頑丈な」「防弾」とさえ言えるようなものもある。よいソフトウェアは、大勢のユーザーによって様々な異なった条件で、何年にもわたってテストされてきている。するとそれは、「安定」していると言われる。これは、そのソフトウェアに非のうちどころがなく、バグがないということではない。たいていそれが意味するところは、バグはたくさんあるが、そのバグがしっかり確認されていて、内容もよくわかっているということである。
コンピュータに欠点がないことを証明する方法はない。ソフトウェアは数学だが、数学の定理のように証明することはできない。ソフトウェアはどちらかといえば言語のようなもので、もともと曖昧なものであり、定義も異なれば、前提条件も違う、そしてぶつかり合うような様々なレベルの目的を含んでいる。
人間はだいたい言語を操れるが、その理由は要点をつかむことができるからだ。
コンピュータは、何年もの「人工知能」での努力にも関わらず、なにかの「要点をつかむ」ことは全然ダメなことを示してきた。ほんの些細な言葉の一言が、もっとも強力なコンピュータをダウンさせることさえある。コンピュータのプログラムにとって、もっとも恐ろしいことの一つは、それを改良しよう、より安全なものにしようとする試みだ。ソフトウェアの「パッチ」は、新しい、試験がされていない「不安定な」ソフトウェアということで、定義上、さらにリスクがあるものとなる。
現代の電話システムは、完全に引き返せないほどソフトウェアに依存してきている。そして1990年の1月15日のシステムの故障は、ソフトウェアの「改良」によって引き起こされたものだった。いやむしろ改良「しようとした」というべきか。
あいにく、問題それ自体は、つまり問題は本質的に、このようなものだった。電話会社のソフトウェアはC言語で書かれていた。C言語は、電話会社のソフトでは標準的な言語である。C言語のソフトウェアには「do...while」という構文があって、それには「switch」文が含まれていた。「switch」文には「if」節が含まれていて、その「if」節には「break.」が入っていた。その「break」は、「if節」を「中断」させるものだったが、そうではなく、「switch」文を中断させたのだった。
それが問題であり、1990年の1月15日に受話器を取った人が他人に電話がかけられなかった本当の理由である。
いや少なくとも、その問題は微妙で抽象的な、サイバースペースへの問題の原因となった。これが、いかにして問題がプログラミングの領域から実生活の領域へと姿を現したかである。
AT&Tの4ESSの交換機のSystem7のソフトウェア、「汎用44E14中央組織交換機ソフトウェア」は、徹底的にテストされていて、非常に安定していると考えられていた。1989年の終わりには、全国のAT&Tの交換機のうち80が新しいソフトウェアでプログラムされていた。注意深く、34の局は遅くて機能が少ないSystem6で走るようになっていた。その理由は、AT&Tは新しい前例がないほど複雑なSystem7の慣らし運転に問題があるかもしれないと疑っていたからだ。
System7の局は、何か問題があったときにはバックアップのネットワ―クに切り替わるようにプログラムされていた。しかしながら1989年の12月の中旬には、高速化とセキュリティを高めるソフトウェアの新しいパッチが4ESSの交換機に配布された。それは、切り替えをより速くできるようにするもので、System7のネットワークのセキュリティをより高めるためのものだった。
不幸にも、その4ESSの交換機の全てが、些細だが根本的な欠陥をもつことになった。
ネットワークを運用するために、交換機は他の交換機の状態を監視しなければならない。システムが立ち上がって動いているか、それとも一時的にダウンしているのか、過負荷で助ける必要があるかなどである。新しいソフトウェアは、他の交換機からの状態通知を監視して、この記録機能を管理するのを助けるものだった。
故障した4ESSの交換機は4から6秒で、全ての通話を遮断して、一時的にシステムをダウンさせ、最初からソフトウェアを再起動する。最初から起動すれば、交換機からシステムが動いている中で起こったソフトウェアの問題を取り除くことが出来る。このプロセスで発生したバグは、一掃される。これはなかなかいいアイデアだ。この最初からの自動復旧のプロセスには、「通常障害復旧手順」という名前がついている。実際にはAT&Tのソフトウェアは異常なほどに安定性が高いので、システムはほとんど最初から「障害復旧」のルーチンに入ることはない。しかしAT&Tは「現実の世界」での信頼性をいつも豪語してきたし、この戦略はベルトとサスペンダーを同時にするようなものといえる。
4ESSの交換機は新しいソフトウェアを利用して、他の交換機がダウンから復旧したかを監視している。他の交換機が復旧して回線がつながったら、OKのシグナルが交換機に送信される。交換機は自分の「状態表」にそのOKを記入して、他の交換機が復旧して準備OKになり、通話を送って通常通り働くと認識する。
不幸にも、状態表に書き込むのに忙しいときに、新しいソフトウェアのわずかな欠陥が作用する。その欠陥が、利用者からの通話がくると、4ESSの交換機に微妙だが強烈な相互作用をおこさせたのだ。もし、もしもだが2つの通話が100分の1秒のあいだに同じ交換機にくると、データの一部分がその欠陥で改ざんされてしまう。
しかし交換機は、データになんらかの障害がないかを常に監視するようにプログラムされている。交換機はデータが少しでも改ざんされたとみると、ダウンする。そして迅速にソフトウェアを復旧させようとする。他の交換機には、それ以上仕事をよこさないようにシグナルを送る。4秒から6秒かかる故障−復旧のモードに入るのだ。それから交換機は復旧し、「OK、準備完了」というシグナルを送信する。
しかしながらこの「OK、準備完了」のシグナルこそが、最初に交換機をダウンさせたそのものだった。そして全てのSystem7の交換機は、状態表のソフトウェアに同じ欠陥をもっていた。他の交換機がOKだと記録するために動作を止めると、2つの通話が100分の1秒の間にくるというまれな事象に弱い状態になるのだ。
1月15日(月)の東部時間2時25分くらいに、AT&Tのニューヨークの長距離通話料金の交換システム4ESSの一つが、実際に、あるささいな問題を起こした。障害−復旧手順に入り、「ダウンする」とそれから「復旧した、OK」とアナウンスを行った。この陽気なメッセージは、ネットワークを通じてその他の多くの4ESS交換機へとばらまかれた。
多くの交換機は、最初は障害をまぬがれた。それらの幸運な交換機は、100分の1秒の間に2つの通話が重なるという偶然が起こらなかったのだ。それらのソフトウェアは、最初はダウンしなかった。しかしアトランタ、セントルイス、デトロイトの3台の交換機が不幸にも手一杯になってしまった。3台の機械はダウンし、ほとんどすぐに復旧した。そして致命的なメッセージ、つまり再び「OK」になったとばらまきはじめた。それによって、他の交換機にまだひそんでいたソフトウェアのバグを発生させたのだ。
だんだん多くの交換機がわずかな不運に陥り、停止していくにつれ、だんだん通話は残った交換機につめこまれ、負荷に悲鳴をあげた。そしてもちろん通話がつめこまれていけば、交換機はより100分の1秒に2回の通話を受けやすくなっていく。
一台の交換機が復旧するには、4秒ほどしかかからないし、結局、交換機にはなんら物理的なダメージはなかった。物理的には、交換機は完全に動いていた。その状況は、ソフトウェアの問題に「すぎなかった」のだ。
しかし4ESSの交換機は4から6秒ごとにダウン、再開始をくりかえし、全く狂ったような機械ならではの愚かしさで、その波がはげしくアメリカ全土へと広がった。交換機は、広がって行く「OK」のメッセージでお互いにお互いをノックダウンした。
その連鎖反応でネットワークを麻痺させるには、10分ほどしかかからなかった。その後、一定間隔で幸運にめぐまれた交換機は通常業務を再開しようとした。多くの通話、何百万通話が処理された。しかし何百万通話は処理されなかった。
System6を使っていた交換機は直接影響をうけなかった。その旧式の交換機のおかげで、AT&T の全国のシステムが完全にダウンするのからまぬがれたのだ。またこの事実は、エンジニアにとってSystem7に原因があるということを明らかにした。
ベル研究所のエンジニアたちは、ニュージャージー、イリノイそしてオハイオで大わらわで、最初に全ての標準的なネットワーク対処法を機能不全に陥ったSystem7に試みた。しかしもちろん、このようなことは電話システムにはかつて起こったことがなかったことだから、その対処法は一つとして効かなかった。
エンジニアたちは、バックアップの安全用ネットワークを完全に切り離して、発作的な「OK」メッセージを半減させることができた。そして、連鎖反応は落ちついてシステムは回復し始めた。1月15日(月)の11:30までに、深夜勤務の汗まみれのエンジニアたちは最後の交換機を処理してほっと一息ついたのだった。
火曜日までには、エンジニアたちはすべての新しい4ESSのソフトウェアを引き上げ、System7の前のバージョンにもどした。
もしこれが、コンピュータが動いているのではなく人間の交換手だったら、そのうちだれかが叫ぶのをやめただろう。状況がOKではなく、常識がものを言うのは明らかだったのだから。人間には常識がある、少なくともある程度は。コンピュータには常識がない。
一方、コンピュータは1秒に何百通話も取り扱うことができる。人間にはできない。もし全てのアメリカ人が電話会社に勤めても、デジタル交換機に匹敵するパフォーマンスをあげることはできない。デジタル交換機は、デジタル直通通話、三者通話、短縮ダイヤル、キャッチホン、番号通知、その他デジタル化の恩恵の宝庫をもたらしている。コンピュータを交換手でおきかえることは、もはやできない相談だ。
われわれはまだ、時代遅れにも、人間が電話システムを動かしていると思っている。イニシアティブと管理する力の大部分を非常識だが力をもっている機械へと明渡したことを、われわれが理解するのは困難なことだ。電話が故障したとき、われわれは誰かに責任があってほしいと思う。文句を言う相手がほしいのだ。
1月15日の故障がおこったとき、アメリカの大衆は、この故障のようなサイバースペースでの大規模な地すべりが起きても、特別だれのせいでもない、などということは理解できなかった。だれか邪悪な意志をもったもの、あるいはグループが、われわれに対してこういうことを仕掛けたと信じる方がたやすい、あるいは全く奇妙なことにそう信じた方がほっとするのだ。「ハッカーたち」がやった。ビールスやトロイの木馬、ソフトウェア爆弾をつかって、なにかひどい陰謀があった。人々はこのようなことを信じるのだ、それも責任ある立場の人々が。1990年に、人々は自分たちの心で疑ったことの確証を必死でさがしもとめた。
そして多くの場所を調査した。
しかしながら1991年になり、明らかに新しい現実が霧のなかから姿を現しはじめた。
1991年の7月1、2日、電話交換機のコンピュータソフトウェアの欠陥が、ワシントンDC、ピッツバーグ、ロサンジェルス、そしてサンフランシスコでサービスを停止させた。ふたたび、一見ささいな保守上の問題がデジタル交換機のSystem7を麻痺させたのだ。7月1日の事故では、1200万の人々が影響を受けた。
ニューヨークタイムズはこう書いている。「電話会社の経営陣と連邦当局は、コンピュータハッカーたちによる妨害工作の可能性を除外しないが、もっともありそうなのは、問題がネットワーク上のソフトウェアのまだわかっていない欠陥から起こっていると考えることである」
そして確かに、その週のうちに、赤面しながらテキサス州プラノのソフトウェア会社、DSCコミュニケーションは、DSCがベルアトランティックとパシフィックベルのために作った「信号の中継ポイント」ソフトウェアにわすかな欠陥があることを認めた。7月1日の事故の直接の原因は、一文字の打ち間違い、ソフトウェアの一行の一文字の打ち間違いの欠陥だった。一行の一文字を打ち間違えただけで、一国の首都から電話サービスが奪われたのだ。このささやかな欠陥が見過ごされたのは、別に驚くべきことではない。普通のSystem7は、1000万行のコードからできているのだ。
1991年の9月17日(火)には、もっとも大規模な停電が起こった。この場合はソフトウェアには何ら欠陥がなかった。少なくとも、直接には。そうではなく、ニューヨークのAT&Tの交換機の一群が停電し、ダウンしたのだ。バックアップのバッテリーも働かなかった。自動警告システムがバッテリーパワーの消耗を警告するはずだったが、自動システムも同様にダウンしていた。
今回は、ケネディ、ラ・ガーディアン、ニューアーク空港で全ての音声、データ通信がともに切断された。このおそるべき出来事は、まったく皮肉なことだった。空港のコンピュータへのハッカーの攻撃は悪夢のシナリオで、コンピュータのアンダーグランドを恐れていたコンピュータセキュリティの専門家が警鐘を鳴らしていたものだ。悪賢いハッカーたちが、空港のコンピュータを破壊するハリウッドのスリラー映画「ダイハードU」さえあるくらいだ。
今回は、AT&T 自身がコンピュータの不調により空港を麻痺させてしまった。一つだけではない、三つ同時にだ、それも世界中でもっとも混みあっている空港を。
大ニューヨーク圏への空路は遮断され、500便以上がキャンセルされた。その余波はアメリカ中、ヨーロッパにさえ波及した。またさらに500便以上が遅延し、合計85000人ほどの乗客に影響を与えた(その乗客の一人が、連邦通信委員会の議長だった)
ニューヨークとニュージャージーで立ち往生した乗客は、家族や仕事の同僚に遅れている理由を説明する長距離電話がかけられないと知ってさらに憤慨した。
事故のおかげで、約450万の国内通話と50万の国際通話が通話不能になった。
9月17日のニューヨークでの事故は、前の事故とは違って、「ハッカー」の犯罪がささやかれることはなかった。その代わりに1991年には、以前はハッカーに向けられていた中傷を、AT&T自身がこうむることになる。議員たちは不平をもらし、州、連邦の役人も報道機関もまけずおとらずだった。
電話業界では、昔からのライバルのMCIが、ニューヨークで「次にAT&Tがダウンしたときには」ぜひわが社の長距離通話をご利用ください、という卑しい一面広告を出した。
「AT&Tのような格式のある会社は、このような広告はしません」とAT&Tのロバート・アレン会長は抗議したが、説得力はなかった。ふたたび新聞にAT&Tの一面の謝罪「弁解のしようもない、人と物両方の大失態」が掲載された(しかしながら今回は、AT&Tはその後の通話に割引を行わなかった。口の悪い評論家たちは、AT&Tは電話の事故による財政的な損失の払い戻しの前例ができることを恐れているとほのめかした)
業界誌は、公然とAT&Tは「交換機の前で寝てるのか?」と問いかけた。アメリカの目指したハイテクの信頼性の驚異である電話ネットワークが、18ヶ月の間に3回もダウンしたのだ。フォーチュンでは、9月17日の事故を「1991年のビジネスでのもっとも愚かな失策」とした。残酷にもその記事のタイトルは、AT&Tの広告のパロディだった。「AT&Tはみなさんにもどってきてほしいと思っています(無事に着陸できれば、神のみぞ知るが)」
ニューヨークの交換機システムには、どうして電源が供給されなかったのだろう? その理由は、その理由は、人間が警告システムに対応していなかったということだ。どうして警告システムは自動的に鳴り響いていたのに、誰もそれに気づかなかったのか? その理由は、警告を聞いてなければならなかった3人の電話会社の技術者が電源室の持ち場を離れていたからだ。そのビルの別のフロアで、訓練に参加していた。その訓練は、なんと電源室での警告システムについてのものだった!
「システムの故障」はもはや1991年の後半には、前例のないものではなくなった。その反対で、珍しいものでもなくなった。1991年には、世界中の全ての警官を集めても、電話システムを故障から守ることはできないことが明らかになった。今までで最悪の事故でさえ、システムが「自分自身」に対して起こしたものなのだ。そして今回もこれが偶然の出来事だとか、二度と起きないだろうとか自信をもって断言できる人はどこにもいない。1991年にはシステムを守る者たちは、漠然とした敵に相対することとなった。その敵とは、システム自身だった。