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Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER
CRACKDOWN Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce
Sterling
Steal This Phone
自由な文書(ただし商用利用を除く)
この電話を盗め
その日は、1990年の5月9日だった。ローマ法王はメキシコへと旅をしていた。メデリンカルテルからの詐欺師たちは、フロリダのブラックマーケットでスティンガーミサイルを買おうとしていた。マンガでは、ドゥーンズベリーのキャラクターのアンディがAIDSで死につつあった。それから、その新奇さと計算されたレトリックで、頭をかきむしるような注目をあつめたとても見慣れない記事がアメリカ中の新聞に掲載された。
アリゾナ州のフェニックスのアメリカ司法局は、「違法コンピュータハッキング行為」を全国的に法の力で取り締まるというプレスリリースをだした。この徹底的な捜査は、公的には「サンデビル作戦」とよばれていた。
プレスリリースの8段落では、このような事実が語られていた。27の捜査令状が5月8日に発行され、3人が逮捕、150人の捜査員がアメリカ中の「12」の都市で捜査を行った(地方紙では、「13」、「14」、あるいは「16」と報じたものもあった)。役人たちは、犯罪による電話会社の収入への損害は、「何百万ドルにのぼるかもしれない」と見積もっていた。サンデビル捜査の功績は、USシークレットサービス、フェニックスのUS司法局補佐ティム・ホルツェン、アリゾナの司法長官補佐の
Gail Thackeray に与えられた。
あらかじめ用意されたゲリー・M・ジェンキンズの意見がUS司法局のプレスリリースに載ったが、格別興味深いものだった。ジェンキンズ氏はUSシークレットサービスの長官補佐だったが、1990年のハッカー取締りで指揮をとった連邦の役人のなかでもっとも高い地位の者だった。
「今日、シークレットサービスは、コンピュータハッカーたちに明らかなメッセージを送りつけました。彼らは、比較的匿名と思われるコンピュータの端末に隠れ、発覚を無事逃れられるという誤った考えをもってこの国の法を犯しました」
「アンダーグラウンドのグループは、犯罪行為に関わるような情報を交換する目的で結成された。これらのグループは、『掲示板』というコンピュータを使ってメッセージを送りあうシステムで、お互いに連絡をとっている」
「われわれの経験では、多くのコンピュータハッカーの容疑者たちは、もはや道を誤ったティーンエイジャーでもなければ、いたずらで自分のベッドルームのコンピュータをつかってゲームをしているわけでもない。コンピュータを使ったハイテクのやり手で、法を犯す行為をしているものもいます」
これらの「アンダーグラウンドのグループ」や「ハイテクのやり手」とはいったい誰のことなのだ? どこから現れたのだ? 何が望みなのか? かれらは一体何者なのか? いたずらなのか? 危険なのか? どのようにして「道を誤ったティーンエイジャー」が、USシークレット・サービスを悩ませるようになったのか? そしてどのようにして、このようなことが広がったのだろうか?
ハッカーの取り締まりの主要な登場人物は、電話会社、法の施行者、市民のリバータリアン、そして「ハッカーたち」自身、ハッカーたちはとびぬけて神秘的で、理解するのも難しく、風変わりな連中である。
ハッカーたちはその行動が斬新というだけではない。さまざまな言語や動機や価値観をもち、さまざまな奇妙なサブカルチャーに加わっている。
もっとも初期のハッカーの原型は、世間には知られていないが、たぶん1878年にベル会社からすぐさま解雇されたいたずらな電話交換手の少年たちといっていいだろう。
正統な「ハッカーたち」、独立心に富むが、法を守るコンピュータに熱狂したものたちの精神的な祖先は、一般的にはエリートの技術大学、特に1960年代のM.I.Tとスタンフォードに求められる。
しかし現代のハッカーアンダーグラウンドの純粋なルーツは、たぶん今ではすっかり影が薄くなったイッピーとよばれていたヒッピー・アナーキスト・ムーブメントに求められるだろう。イッピーたちの名前はほとんど空想にすぎなかった「若者の国際的な政党(Youth International Party)」から取られていて、シュールレアリステイックな破壊や怒りにみちた政治紛争のポリシーを、声高にそして盛んに実行していた。その基本的な主義は、不謹慎な性的な行動であり、おおっぴらでさかんにドラッグを使い、政治的には30才以上のあらゆる政治屋を攻撃し、ベトナム戦争をすぐさま終結させること、そのためには手段を選ばず、超能力で国防総省を空中浮遊することさえ含まれていた。
もっとも目立った2人のイッピーは、アビー・ホフマンとジェリー・ルービンだった。ルービンは後年ウォールストリートのブローカーになっている。ホフマンは連邦政府から厳しい捜索をうけ、7年間もメキシコやフランス、アメリカで姿をかくしていた。潜伏中も、ホフマンはアメリカの無政府左翼主義者のアンダーグラウンドの支持者の助けをかりて、執筆と出版を続けた。逃げている間の大部分は、ホフマンは偽のIDと人目につかない仕事をして生きのびていた。最後にはホフマンは顔を整形し、「バリー・フリード」として全く新しい人格を手に入れた。1980年に自首してから、ホフマンはコカインの罪で一年服役した。
アビー・ホフマンは、米国連邦捜査局(FBI)にアメリカ市民の個人としては最大の捜査ファイルを作らせたといわれている(もしそれが本当だとしても、FBIがアビー・ホフマンを公への本当の脅威とみなしていたかどうかはかなり疑わしい。彼のファイルが膨大だったのはありそうなことだが、単にホフマンが行く先々で華やかな伝説を残したからだということだろう)。ホフマンは才能のある広報屋で、電子メディアをプレイグラウンドであると同時に武器だとみなしていた。彼はTVネットワークや他のだまされやすいイメージに飢えたメディアを、いろいろなとてつもない嘘やびっくりするような噂、他人のフリをしてにげたり、その他にも悪意に満ちた歪曲で巧みに操り、その全てがこの上なく確かに警官、大統領候補者や連邦判事を怒らせた。ホフマンのもっとも有名な仕事は、「この本を盗め」という名前の自己再帰的な本だ。この本は、ユーモアのかけらもない働き蜂に支えられているシステムの豊かさに寄食している、若くて金をもっていないヒッピーの運動家たちによって様々な方法で宣伝された。「この本を盗め」のタイトルは、まさにその本を手に入れる配布の方法に損害を与えるように読者に促すもので、コンピュータウィルスの精神的な祖先とも言えるかもしれない。
ホフマンは、後の多くの悪者と同様に、公衆電話を自分の運動に手広く利用した。彼の場合は、たいていは安い真鍮のワッシャーを電話コインとして使っていた。
ベトナム戦争のあいだ、電話サービスには連邦付加税がかけられていた。ホフマンとその一団は、電話サービスから組織的に盗みを行うことで、市民不服従を行っているのだと主張できるし、実際にそうした。道徳的に、税収が違法で社会的倫理に反する戦争に使われることを否定するのだと。
しかしのこの薄っぺらい体裁のベールは、すぐに投げ捨てられた。システムから詐取することは、保守的なブルジョアの価値観とは深い断絶があり、基本的にアウトローとしてそれらをばかにしていることもあり、正当化された。巧妙な、漠然と政治色を帯びたさまざまな詐取は、「ご都合主義アナーキー」ともよばれ、イッピーのサークルでは非常にポピュラーだった。そして詐取は利益になるので、イッピームーブメント自体より生き残ることになる。
1970年代の初頭には、まあ、そこそこの経験と工夫さえすれば、電話をだましたり、電気やガスをただで使うことができたし、小銭を手に入れるために自動販売機やパーキングメーターから盗むこともできた。この知識を広める仲間と、実際に盗みをやらかすずうずうしさ、図太さがあればいい。イッピーたちには十分にその資格があった。1971年の6月には、アビー・ホフマンと皮肉たっぷりに「アル・ベル」と名乗っている電話マニアは「Youth International Party Line」というニュースレターを発行し始めた。このニュースレターの目的は、イッピーの詐取テクニック、特に電話のそれを集めてばらまくのものだった。奔放なアンダーグラウンドの喜びのためとすべての普通の人々のばかげた怒りをかうために。
政治的な戦術としては、電話サービスを盗めば、組織化や訓練、費用やちゃんとした住所さえなかったにもかかわらず、イッピー支持者たちが長距離電話をいつでも連絡手段としてつかえることを保証した。
「パーティライン」はグレニッチビレッジで2年ほど続いたが、それからだんだん「アル・ベル」はイッピーの中で勢力を失っていき、ニュースレターの名前を「TAP、Technical Assistance Program」へと変えた。ベトナム戦争が終ると、アメリカの急進勢力からは急速に勢いがなくなっていった。しかしこのときまでに、「ベル」と一ダースばかりの投稿者の中心メンバーは、手ごたえのようなものを感じて、純粋な「技術の力」のもたらす感覚に自然と大きな満足を覚えるようになってきていたのだ。
TAPの記事はかつては政治的に高度なものだったが、ベルシステムの技術文書へのオマージュかパロディなのか、すっかり専門用語の飛びかう技術的なものとなった。TAPはベルシステムの技術文書を綿密に調査し、要点をまとめ、許可なしに再録した。TAPのエリートは、システムを破るのに必要な専門知識をもつことに大喜びで、満足していた。
「アル・ベル」がこのゲームから70年代後半にドロップアウトすると、「トム・エジソン」が後を引き継いだ。TAPの読者(公称1400部程度)はテレックスの交換機とコンピュータシステムの急成長にも興味をいだきはじめた。
1983年に、「トム・エジソン」はコンピュータを盗まれ、放火魔に自宅を放火された。ついには、これがTAPへの決定的な一撃となった。(しかしこの伝説的な名前は、1990年に若きケンタッキーのコンピュータの無法者「Predat0r」によってよみがえることになる)
スティンガーミサイル:
最近だとアフガンゲリラの使用で一躍有名になった武器。確かに携帯可能な大きさ。
TAP:
最後の編集者のRichard
Cheshireのサイトと、簡単な説明。
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