『ハッカーを追え』の翻訳。特に誤訳、誤字などの指摘があったら、メールでもいただければ。

太字は英文のポップアップつき。


Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER CRACKDOWN  Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce Sterling

Strongholds of the Elite

自由な文書(ただし商用利用を除く)

エリートのたまり場

掲示板が存在すれば、かならずアンダーグラウンドの掲示板も存在する。その最初のものの一つが8BBSで、西海岸の電話フリークのエリートたちのたまり場だった。1980年の3月にネットワークにつながった8BBSは、Susan Thunder や Tuc そして一番悪名高いコンドルの後押しをした。コンドルは他人と相容れない性格の持ち主で、アメリカの電話フリーク、ハッカーが受けたうちでももっとも大きな非難を受けることになった。怒りに満ちたアンダーグラウンドの仲間たちは、コンドルのけんか腰の態度にうんざりして、怒りに満ち満ちたハッカーの伝説の山とともに警察につきだした。その結果、コンドルは7ヶ月の独房監禁をくらった。独房監禁なのは、彼が刑務所の公衆電話からミサイル発射基地の引き金をひいて第三次世界大戦を勃発させる恐れがあるとされたからだ(刑期を終えて、コンドルは自由の身になったが、第三次世界大戦はまったく起こる気配をみせない)。

8BBSのシスオペは熱心な言論の自由論者で、ユーザーの表現を制限する「いかなる」試みも憲法違反で社会的倫理に反すると考えていた。技術的な好奇心のかたまりの大群が8BBSに押しよせ、フリークやハッカーとして台頭していった。それも1982年までのことで、その年に一人の8BBSの仲間がシスオペにクレジットカード詐欺で手に入れた新品のモデムを渡した。警察はこの機会をとらえ、掲示板全体の手入れを行い、かれらが魅力のある危険物とみなすものを取り除いた。

Plovernet は東海岸の盛り上がっていた海賊掲示板で、ニューヨークとフロリダの両方で運用されていた。10代のハッカーである Quasi Moto がやってる掲示板で、1983年には500人ほどのやる気のあるユーザーを集めていた。エマニュエル・ゴールドスタインもかつて Plovernet の共同シスオペをやっていたし、Legion of Doomを作ったLex Luthor も携わっていた。Plovernetは、Legion of Doomの本拠地であるという栄光も手にしている。Legion of Doomについては、この後すぐにたっぷりと聞くことになるだろう。

Pirate-80 または P-80 は Scan- Man として知られているシスオペが運営していて、チャールストンでごく初期にこのゲームをはじめ、何年ものあいだ続けた。P-80 はあまりに堂々と盛んにやったので、過激なユーザーたちも神経質になり、Scan Man は企業のセキュリティとつながりがあるに違いないという中傷を行うものもいた。本人はこの非難を強く否定したが。

414 Private は、最初に目立ったトラブルをひきおこしたグループのホームの掲示板だった。そのグループはティーンエイジャーの414 Gangであり、そのSloan-Kettering癌センターロスアラモスの軍のコンピュータへの侵入は1982年の9日間の奇跡である。

同じころ、最初のソフトウェアの海賊版の掲示板がいくつか開設され、Atari 800 Commodore C64 のコピープロテクトをはずしたゲームがやりとりされた。とうぜんこういった掲示板にはティーンエイジャーがたむろした。そして1983年のハッカーのスリラー映画「War Games」の公開とともに事態は一変した。アメリカ中のすべての子供たちがクリスマスにモデムをほしがり、手に入れたかのようだった。浮かれて熱狂した子供の多くは、数週間もするとモデムを屋根裏部屋にしまいこんだ。残りの多くもおとなしくして、厄介ごとからは足をあらった。しかし粘り強くて才能のある頑固な子供たちは、War Games のハッカーの子供をかっこいいやつとみなしていた。かれらはアンダーグラウンドと接触するか、あるいはそうすることができなければ、自分たちでつくりあげるかするまでは、動きをとめることはなかった。

80年代の中頃には、アンダーグラウンドの掲示板はデジタルの菌のように拡がった。ShadowSpawn Elite. Sherwood Forest I, II, III などがそうだ。フロリダのほかでもないデジタル・ロジック彼自身がシスオペをしているDigital Logic Data Service では、Legion of Doom のレックス・ルーサーは目立った存在だった。フロリダはかれの市内通話の範囲だったからだ。レックス自身の掲示板「Legion of Doom」は1984年にはじまった。Neon Knightsは、アップルのハッカーの掲示板ネットワーク、Neon Knights North、South, East と West を運営した。Free World II は、Major Havoc によって運営されていた。Lunatic Labs は,この本を書いてる時点でも稼動している。シカゴの Dr. Ripco はなんでもありの長く騒々しい歴史をもつアナーキストの掲示板であり、1990年のサンデビルの捜査の日にシークレットサービスに逮捕されたが、すぐさま新しいマシンでいささかも元気をうしなわず再起している。

セントルイスの状況は、ニューヨークやロサンゼルスといったようなアメリカのハッカーの中心地とはくらべものにならない。ただセントルイスには Knight Lightning と Taran King に恵まれていた。2人はアンダーグランド生まれの注目に値するジャーナリストだった。Metal Shop、 Metal Shop Private、 Metal Shop Brewery のようなミズーリの掲示板は、禁じられた専門知識の点からみればそれほどたいしたものではなかったかもしれない。ただ、それらの掲示板はハッカーたちがゴシップを交換したり、国内あるいは海外で何が起こっているのかをつきとめようとする場所になっていた。Metal Shop からのゴシップはニュースファイルの形になり、それから総合的な電子出版物の Phrack としてとりまとめられた。Phrack とは、phreak と hack から新しく作られたタイトルである。Phrack の編集者たちは、ハッカーがマシンに興味をいだくように、他のハッカーたちに強く興味をいだいているのだ。

Phrack は無料かつ真にせまった読み物で、アンダーグランド全体に出回りはじめた。Taran King と Knight Lightning が高校を卒業して大学に入ると、 Phrack は BITNET とつながっているメインフレームのマシンに、そしてBITNET を通して インターネットにも登場しはじめた。インターネットはゆるやかだが、大きなポテンシャルをひめた非営利のネットワークで、学問、政府、企業のマシンが UNIX の TCP/IPプロトコルでデータをやりとりしている(1988年の11月2、3日のコーネル大学院生ロバート・モリスが作ったインターネット・ワームは、現在までのところもっとも大規模でもっともよく知られたコンピュータ侵入スキャンダルになっている。モリスは自分がつくったワームプログラムは害をおよぼさずインターネットに拡がるものだったと主張しているが、プログラミングがまずかったために、そのワームは制御がきかなくなり自己複製して、6000台ほどのインターネットコンピュータをクラッシュさせた。より小規模で大がかりでないインターネットのハッキングは、アンダーグラウンドのエリートにとっては当たり前のものだ)。

どうしようもなくダメで時代遅れの掲示板をのぞけば、ほとんどのアンダーグランド掲示板では Phrack を一揃いそろえている。そしてたぶんそれよりは知名度の低いアンダーグランドのスタンダードには、Legion of Doom Technical Journal、不愉快で耳障りな Cult of the Dead Cowファイル、P/HUNマガジン、Pirate、Syndicate Reports そしてたぶん無政府主義の Activist Times Incorporated があげられる。

ある掲示板に Phrack があるということは、行動に問題があるということのわかりやすい証拠となる。Phrack はどこにでもあるように思われるし、アンダーグラウンドの精神を助長し、けしかけ、広めている。そしてこのために、企業のセキュリティや警察の注目から逃れることはできなかった。

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