『ハッカーを追え』の翻訳。特に誤訳、誤字などの指摘があったら、メールでもいただければ。

太字は英文のポップアップつき。


Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER CRACKDOWN  Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce Sterling

War on the Legion

Legion との戦争

連邦検察官の William J. Cook によって率いられているコンピュータ詐欺悪用タスクフォースは、1987年に創設され、すぐにもっとも積極的な地域での「熱心な対コンピュータ犯罪組織」の一つとなった。シカゴはもともとそのような組織ができる場所で、世界で最初のコンピュータ掲示板システムはイリノイ州で作られている。イリノイ州はアメリカで最初に、もっとも厳しいコンピュータ犯罪法ができた州のひとつであり、イリノイ州立警察は、はっきりとホワイトカラー犯罪と電子詐欺の可能性について警告を発している。

特に William J. Cook は、電子犯罪取り締まりでの希望の星だった。アメリカ検察局シカゴ支部の彼とその仲間の連邦検察官は、シークレットサービスとも、特にやり手でシカゴにいたTimothy Foley 捜査員とは密接に連携していた。Cook と彼の司法省の仲間が戦略を立案し、Foley がかれらの手足となって働くというわけだ。

1980年代を通じて、連邦政府は検察官たちにコンピュータ犯罪に新しい未知の法律の道具を与えてきた。Cook と彼の仲間は、連邦法廷での現実のはげしいやり取りを通じてそれらの新しい法令の利用における先駆者になった。

1986年の10月2日、アメリカの上院は「コンピュータ詐欺悪用法案」を通過させた。しかしあわれなほど、この法律での有罪判決はなかった。Cook のグループはこの法律から名前をとり、それはこういうことを意味している。つまりこの力はあるがどちらかといえば理論的な議会の法案を、コンピュータ詐欺を働くものや常習犯罪者を現実の世界で法律の力によって壊滅するエンジンに変えていこうと決めたということだ。

単に犯罪をあばき、捜査し、犯罪者たちを裁こうとするだけの問題とはいえない。シカゴの組織は、業界のほとんどの人たちがそうであるように、悪い奴らが誰かは知っていた。Legion of Doom と Phrack のライターおよび編集者だ。さしあたっての仕事は、こいつらを片付ける法律的な手段を見つけることというわけだ。

強い意志を必要とする検察官の仕事の現実になじみがないものにとっては、このアプローチは少し疑わしいもののように思えるかもしれない。しかし検察官は、犯した罪で犯罪者を刑務所に送っているわけではない。犯した罪の中で法廷で立証できたもので、犯罪者を刑務所におくるのだ。シカゴの連邦警察は、アルカポネを脱税で刑務所に送っている。シカゴは大都市で、乱暴だが有効な手段、素手でケンカをするような伝統が法律の両側のサイドに見られるところだ。

Fry Guy はこの事件を広く知らしめ、電話会社のセキュリティが問題とする範囲を変えた。しかしFry Guy の犯罪が3人を刑務所送りにすることはない。むちゃくちゃをやる Phrack のアンダーグラウンドのジャーナリストたちはなおさらだ。したがって、1989年の7月22日、Fry Guy がインディアナで逮捕されたのと同じ日にアトランタの3人は不意打ちを受けたのだ。

これは避けられないことのようにも思える。1989年の夏までには、取り締まり当局はアトランタの3人に少なくとも同時に6方向から迫っていた。ひとつは Fry Guy からの道があったし、アトランタの3人の電話線にもDNR記録装置が取り付けられていた。DNR によってもたらされた証拠だけでも、遅かれ早かれ 3人には致命傷になっただろう。

しかしもうひとつ、アトランタの少年たちはすでに Control-C とその電話会社のスポンサーたちにも有名だった。電話会社と LoD の接触は3人を自信過剰に、ふだんよりもっと自慢気にした。重要な地位に力がある友人が控えていて、電話会社のセキュリティには大目に見られていると思いこんだのだ。しかしベルサウスの侵入対策本部は、LoD をけんめいに追いかけ、努力や出費を惜しんだりはしなかった。

アトランタの3人はすでに名前も知られていたし、よくメンテナンスされた多くの名前が載っている対ハッカーファイルに名前があり、そのファイルは売りに出されていた。そのファイルは、デトロイトの民間のセキュリティ専門家 John Maxfield によって作られたもので、John は電話会社のセキュリティとアンダーグランドの多くの密告者と強いつながりがあり、Phrack の連中にはひどく嫌われていた。まぁ、お互いさまだったが。

アトランタの3人自身も Phrack の記事を書いていて、そういった自慢気な行動は電話会社と取り締まり当局の注目をまぬがれることはできなかった。

アリゾナの高校生ハッカーの Knightmare は、アトランタの LoD の親友であり弟子といってもよかったが、すでに手ごわいアリゾナ組織犯罪・恐喝班に逮捕されていた。Knightmare はとくに LoD のお気に入りの掲示板「Black Ice」に出入りして、その秘密にもよく通じていた。そして Gail Thackeray、アリゾナの司法長官補佐に跡をつけられることは、どんなハッカーにとっても差し迫った危機といっていいだろう。

そしてたぶん最悪だったのは、Prophet がベルサウスのコンピュータにあったファイルの不法コピーを Knight Lightning に渡すという大へまをやらかしたことだ。Knight Lightning はそれを Phrack に載せた。これから見ていくことになるが、これは関係者全員に悲惨な結果をもたらす行為だった。

1989年の7月22日、シークレットサービスは両親と同居していた Leftist の家に姿を現した。20人ほどの警官たちの一団が建物を取り囲んだ。シークレットサービス、連邦執行官、警官、たぶんベルサウスの電話会社のセキュリティの一団であろうが、混乱のなかではっきりとしたことはわからない。一階の事務所で仕事をしていた父親は、体格のいい見知らぬ私服の男が、拳銃をぬいて裏庭を駆け抜けるのを目撃した。見知らぬ男は何人もで家に押し寄せ、Leftist の父親はてっきり武装強盗に襲われているのだと思った。

ほとんどのハッカーたちの両親と同じように、Leftist の母親と父親は自分たちの息子が今まで何をやってきたのかほとんど分かっていなかった。Leftist は、コンピュータのハードウェアを修理する仕事をしていた。コンピュータへの熱中度合いは少し行きすぎていたが、害があるわけでもないし、給料のいい仕事のように思っていた。とつぜん押し寄せた手入れは、Leftist の両親に大きなショックを与えた。

Leftist は仕事を終えて仲間と外出し、マルガリータのピッチャーいくつかを囲んでいた。フロッピーディスクでいっぱいのバッグをさげて、歩道をテキーラでよっぱらった足をひきずって帰ってくるときに、Leftist は自分の家の私道に何台もの覆面パトカーが停まっているのに気がついた。全ての車に小さな無線アンテナがこれみよがしについていた。

シークレットサービスは玄関のちょうつがいを壊し、ほとんど母親を押し倒さんばかりだった。

家の中で、Leftist はUSシークレットサービス、アトランタ事務所の James Cool 特別捜査官に出迎えをうけた。Leftist はびっくりぎょうてんしてしまった。今まではシークレットサービスの捜査員を見たこともなかったのだ。連邦政府の注目をひくようなことをしているなんて想像したこともない。Leftistはもし自分のやっていることが限界を超えたら、電話会社でコンタクトのある社員の一人がこっそり電話をしてきて、止めるようにというくらいが関の山だろうといつも思っていた。

しかし今 Leftist は、容赦ない捜査員から武器をもっていないか体をさぐられ、フロッピーでいっぱいのバッグはすぐに押収された。Leftist と両親は、別々の部屋に押し込まれて、長々と尋問された。そのあいだ大勢の捜査員が、電子機器をもとめて家中を隅から隅まで捜索した。

Leftist は、自分の宝物の40Mのハードディスクがついた IBM AT のパソコンと最近買った100Mもの巨大なハードディスクがついた80386のIBM互換機がすみやかにシークレットサービスの保管倉庫に持ちさられて、ぞっとした。また全部のディスク、ノート、Leftist が電話会社の巨大なゴミ箱からかっさらってきた古くなった電話会社の書類の数多くの戦利品も押収された。

Leftist は、全てが大きな誤解に基づいていると思った。軍事コンピュータに侵入したことはないし、スパイでも共産主義者でもない。自分はただ単によきジョージアのハッカーなだけで、みんな外に出て行ってほしいだけだ。しかし Leftist がある種のことを話すまでかれらは出て行こうとはしないようだった。

だから、Leftist はあらいざらいしゃべった。

アラバマのタラデガの連邦刑務所で後になって Leftist が語ったところによれば、それは大きな間違いだった。

アトランタの地域は、Legion of Doom の3人のメンバーがだいたい同じ地域にいるという点で独特だった。残りの電話とコンピュータだけでつながっているような LoD とは違って、アトランタのLoD は現実にも強く結びついていた。シークレットサービスの捜査員がジョージア工科大学のコンピュータ研究所で Urvile を逮捕したときに、 Prophet もいっしょに見つけたことはとくに驚くべきことではない。

Urvile は21才のジョージア工科大学の学生で高分子化学を専攻していて、捜査員をひどく悩ませることとなる。Urvile はまた 他のハンドルとともに Necron 99 としても知られているが、というのはハンドルを一ヶ月に一度は変えていたからで、熟練したハッカーでまた熱狂的なシミュレーションゲーマーでもあった。

シミュレーションゲームもふつうの趣味とはいえない。しかしハッカーもふつうとはいえないし、ハッカーが気に入るような気晴らしも、ある意味ではふつうとはいえないだろう。一番よく知られているアメリカのシミュレーションゲームは、たぶん「Dungeons & Dragons」という多人数で集まってやる娯楽で、紙、地図、鉛筆、統計表、さまざまな変形したサイコロをつかうものである。プレーヤーたちは、英雄になってまったく想像の世界を探検してまわる遊びをするのだ。シミュレーションゲームの想像の世界はふつうは剣と魔術の中世の世界を模したものであり、そこには呪文を唱える魔法使い、鎧に身をつつむ騎士、ユニコーンやドラゴン、悪魔やゴブリンが存在する。

Urvile と仲間のゲーマーたちは、非常に技術的に高度なシミュレーションゲームを好んだ。「G.U.R.P.S」、Generic Universal Role Playing System として Steve Jackson Games (SJG) という会社からだされていたゲームだ。

G.U.R.P.S は、自分たちでつくる想像の世界のバラエティをかぎりなく多くしてくれるような枠組みを提供してくれた。Steve Jackson Games はいろいろな種類の本をだしており、そこには詳細な情報やゲームのヒントがもりだくさんで、GURPS の枠組みに多くのさまざまな空想のバックグランドを具体化してくれるものだった。Urvile は、GURPS High-Tech と GURPS Special Ops.という2冊の本を十分に活用していた。

GURPS Special Ops の作り上げられた想像の世界では、プレーヤーたちは陰謀と国際諜報の近代の空想の世界に入っていく。ゲームをはじめたときは、プレーヤーたちは小さく、力もない。まるで小物のCIAの諜報員や取るに足らない武器商人といったところだ。しかし何度もゲームを続けていくと(ゲームはたいがい何時間も続き、精密に企画された作戦が終わるまでは何ヶ月も続くことになる)、新しいスキル、新しい知識、新しい力を身につけることになる。例えば射撃、空手、盗聴、ウォーターゲートビル侵入といった新しい能力を身につけたり、みがいたりする。それからさまざまな想像上の戦利品、例えばベレッタ銃、マティーニを作るシェーカー、脱出用シートとヘッドライトの下にマシンガンがついた高速の車を勝ち取るかもしれない。

こういったゲームの複雑さから想像できるが、Urvile のゲーム用のノートにはこまごまとした果てしない書き込みがあった。Urvile は「ダンジョンマスター」であり、仲間のゲーマーのためにシナリオや、友達が解決していく巨大なシミュレーションゲームの冒険の謎を考えだしていた。Urvile のゲーム用ノートは、ページを次から次へとめくっても、ありとあらゆる奇妙な事柄で埋めつくされていた。リビアへの忍者の強襲とか暗号化された共産主義の中国のスーパーコンピュータへの侵入といったようなことだ。メモはくず紙に書かれ、ルーズリーフのバインダーに綴じられていた。

Urvile の大学の下宿の近くで簡単に手に入るくず紙といえば、ベルサウスのプリンター出力用紙や文書であり、Urvile は電話会社の巨大なゴミ箱からそれらをくすねてきたのだ。メモは不正に取得した電話会社のもちものの裏にかかれていて、もっと悪いことには、そのゲーム用のノートにはあちこちに Urvile の走り書きでじっさいに犯したコンピュータ侵入の記録が取られていた。

Urvile の想像上のゲーム用のノートをサイバースペースの「現実」と見分けるのが、ほとんど不可能というだけではない、Urvile 自身もほとんどその違いに気づいていなかった。Urvile にとっては、全部がゲームだということはあながち誇張ともいえない。Urvile はとても聡明で、想像力豊かであったが、他人の所有権といった考え方にはまったく注意をはらわなかった。現実とのつながりは、Urvile にとってはたいして注意をはらうようなものではなかったのだ。

ハッキングは、Urvile にとってはゲームだった。お遊びであり、楽しみでやっていることであった。そしてUrvile は強迫観念を抱く若者で、ジグソーパズルを途中でやめたり、Stephen Donaldson のファンタジー三部作を読むのを途中でやめられないようにハッキングを途中でやめることはできなかった(Urvile という名前は、Donaldsonの一番よく売れた小説からとられている)。

Urvile の空想にふける、尋問をものともしない態度は、捜査官たちをひどく悩ました。第一、Urvile はなにか間違ったことをしたとは思っていなかった。わずかにでも良心の呵責といったこともなかった。それどころか警察の捜査官たちが、自分たちの頭のおかしい空想の世界で捜査をしているんだと、Urvileは個人的に確信しているかのようだった。Urvile はこうストレートに口に出すには、あまりに礼儀正しく、行儀もよかったのだが、その態度は軽蔑にみちており、不安をいだかせるものだった。

たとえば、警察やシークレットサービスへの通話を監視することができる LoD の能力についての事柄があった。Urvile はそれが可能であることと、LoDにとってはなんの問題もないことには同意した。じっさい、Urvile と仲間たちはその考えを「Black Ice」掲示板あたりで、その他多くの気のきいたアイデア、たとえば個人用火炎放射器や応急装備の爆破雷管をたっぷりつくること、を論じるのと同じようにもてあそんでいた。アトランタの電話をしらべることで手に入れた政府の電話番号を何百ともっていたし、あるいはそれらは侵入したVAX/VMS のメインフレームのコンピュータから盗みだしたものである。

原則として、かれらはわざわざ警官の回線を聞くようなことはしたことがなかった。というのはわざわざやるほど興味深いことではないからだ。その上、シークレットサービスの電話回線を監視していたなら、そもそもからして明らかに捕まることもなかった、そうだろう?

シークレットサービスは、こうした即妙のハッカーが使うロジックに決して満足したとはいえない。

そして電話システムの故障の問題があった。問題ない、Urvile は陽気に認めた。アトランタの LoD は、いつでも好きなときにアトランタ全体の電話サービスをシャットダウンできる。「911サービスもか?」 べつに特別なことは何もない、Urvile は我慢強く説明した。たとえばUNIX の makedir のバグで交換機をダウンさせれば、911サービスもとうぜんのことながらダウンする。正直いえば、911システムにはこれといって面白いところはない。警官にとってはたいへん重要なものなのだろうが(かれらなりの独自の理由で)、技術的な挑戦という観点からは、911サービスはあくびをもよおさせるようなものだ。

だからもちろんアトランタの3人は、サービスを中断することができた。たぶんもししばらくそれに取り掛かれば、ベルサウスの全地域のサービスをとめることもできただろう。しかしアトランタの LoD は破壊者ではない。負け犬やネズミだけが破壊者だ。

Urvile は個人的には、技術的な専門知識だけが自分をありとあらゆる問題からときはなってくれると考えていた。自分に関して言えば、デジタルアンダーグラウンドでのエリートの地位が自分を警官や一般人が理解できる範疇を永遠に超えるものとしてくれていた。だから Urvile はたくさん学ぶことがあった。

3人のLoDの支持者のなかで、一番直接に被害をうけたのは Prophet だった。Prophet は、UNIXのプログラムのエキスパートで、とうぜんのことながらインターネットに出入りをしていた。だいたい14才くらいでハッキングをはじめ、ノースカリフォルニア大学でUNIXのメインフレームのシステムをいじくりまわしていた。

Prophet 自身では、「基礎の基礎からのUNIXの利用法とセキュリティ」という簡単な Legion of Doom のファイルを書き上げている。UNIX(ユニックスと発音するが)は強力で、なんでもできる、複数のユーザーが使うマルチタスキングコンピュータ用のオペレーティングシステムである。1969年に、UNIXがベル研究所で作られたころには、大企業や大学にしかそのようなコンピュータは存在しなかった。しかし今日、UNIXは何千台もの強力なホームマシンでも走らせることができる。UNIXはとくに遠距離通信のプログラムに最適化されたもので、この分野ではスタンダードとなっている。だから自然に、UNIXはエリートのハッカーや電話フリークにとってもスタンダードとなっている。

最近は、Prophet は Leftist や Urvile ほどは活動的ではなかったが、なんといっても彼は常習犯だった。1986年18才のときに、Prophet はノースカロライナで「コンピュータネットワークへの許可されていないアクセス」によって有罪判決を受けている。UNIXベースの電話会社だけの内部の公衆向けではなかったネットワーク、Southern Bell Data Network に侵入したのを見つかったのだ。そして一般的なハッカーの判決、6ヶ月の執行猶予、120時間のコミュニティへの奉仕、3年の保護観察を受けた。

そういった屈辱的な失敗のあとで、Prophet は違法なフリークやハッカーのデータの大半を捨て去って、まともになろうとした。なんといっても保護観察処分中だったからだ。しかし1988年の秋頃には、サイバースペースの誘惑は若いProphet にとっては抗いがたいもので、Urvile や Leftist と協力して、もっとも侵入が困難なシステムへのいくつかに取り組んだのだった。

1988年の9月初旬、Prophet はベルサウスの、AIMSXとか「Advanced Information Management System」とよぼれている中央自動システムに侵入した。AIMSX はベルサウスの内部事務ネットワークであり、電話会社の従業員が電子メール、データベース、メモ、スケジュールが蓄えられていて、文書処理をしているところだった。AIMSXには公衆電話網からのアクセスはなく、一般の人にはまったく見えないものと考えられていた。そしてセキュリティも不十分で、パスワードさえなかったのだ。Prophet は、電話会社の従業員の個人アカウントとして疑われないwaa1というアカウントを使った。waa1の所有者のふりをして、Prophet は10回ほどもAIMSX を訪れていた。

Prophet はそのシステムの何一つ壊したり、削除したりしなかった。AIMSXへの侵入は無害で、ほとんど目につかないものといってよかった。しかしProphet はそれには満足できなかった。

AIMSXにあった処理されたある文書が、Bell South Standard Practice 660-225-104SV Control Office Administration of Enhanced 911 Services for Special Services and Major Account Centers dated March 1988 として知られることになる電話会社の書類だった。

Prophet はこの文書を探していたわけではない。それは、不可解なタイトルの何百という同様の書類の一つにすぎない。しかしながら違法にAIMSXをうろうろしている中で、Prophetはその書類をトロフィーとして持って帰ることにしたのだ。いつか自慢したり、いばったり、見せびらかしたりするのに役にたつかもしれないと。だから1988年の9月のあるときに、Prophet はAIMSXのメインフレームコンピュータにこの書類を(今後は短く E911文書とよぶことにする)コピーするように命令して、そのコピーを自分の家のコンピュータに転送するようにした。

だれもProphet がそうしたことに気づいたものはいなかった。ある意味では、ProphetはE911文書を「盗んだ」といえる。しかしサイバースペースでは、所有物の概念はつかみどころのないものとなる。ベルサウスは問題には気づかなかった。なぜなら、ベルサウスにはまだそのコピーのオリジナルがあったからだ。文書それ自体を盗まれたわけではない。多くの人にこの文書のコピーをしてもらう必要があった。特に、アメリカ南東部に点在している19のベルサウスのスペシャルサービスおよびアカウントセンターで働く人たちにコピーしてもらう必要が。それがこの文書の目的であり、そもそもコンピュータネットワーク上に存在した理由でもある。だから電話会社の従業員には、コピーでき、読めなければならなかった。しかし今やそのデータは、見るとは思わなかった人物にコピーされていた。

Prophet はトロフィーを手に入れていた。しかしその上、E911文書の他のコピーを他人のコンピュータにしまって置くことにしたのだ。この何もしらない人物は、イリノイ州のJoliet の近くに住んでいた Richard Andrews という名前のコンピュータマニアだった。Richard Andrews の職業はUNIXのプログラマーであり、自分の家の地下室でJolnet というすぐれたUNIXの掲示板をやっていた。

Prophet は、Robert Johnson というハンドルを使って、Richard Andrews のコンピュータへのアカウントを取得した。それからE911文書を Andrews のコンピュータの自分だけのエリアに入れて隠しておいた。

なぜ Prophet はこんなことをしたのか? もし Prophet がE911文書を自分のコンピュータから削除して、何千マイルもかなたの他人のコンピュータに匿名でしまっておいたら、捜索や起訴からもまったく安全だっただろう。たとえそのずるがしこい行動が、明らかに疑われていない Richard Andrews を危険にさらすことは確かだとしても。

しかし多くのハッカーと同じように、Prophet も違法データを収集する癖があった。いざというときにも、トロフィーを手放すことには我慢できなかったのだ。ジョージア州Decatur のProphet の家が1989年の7月に手入れをうけたとき、E911文書は動かぬ証拠として存在した。そしてシークレットサービスにとらえられ、精一杯「説明」をしているProphet がいた。

ここでわれわれの物語は、アトランタの3人と1989年の夏の逮捕を離れることにしよう。大勢の捜査陣と「全面的に協力」しているアトランタの3人は置いておかなければならない。3人はじっさいに協力し、それはジョージア州北部地域裁判所から出された判決メモで説明されている。それは3人が別々の連邦刑務所に行く判決を、1990年の11月にうける直前だった。

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