『ハッカーを追え』の翻訳。特に誤訳、誤字などの指摘があったら、メールでもいただければ。
太字は英文のポップアップつき。2002/12/21 修正
Literary Freeware: Not for Commercial Use
THE HACKER
CRACKDOWN Law and Disorder on the Electronic Frontier by Bruce
Sterling
Afterword:The Hacker Crackdown Three Years Late
あとがき:ハッカー一斉取締りの三年後
サイバースペースでの3年は、現実の世界での30年くらいだろうか。この本を書いてからもう1世代は過ぎたかのようだ。コンピュータ機器の世代をみても、まさしくそのとおりといえる。
サイバースペースの基本的な形は、1990年からものすごく大きく変化した。アメリカでは新しい政権ができ、その政権はどちからといえば電子ネットワークの性質やそれが持つ潜在力に気づいているようだ。関係者にはアメリカメディアと電気通信における今がすぐに過ぎ去り、電子フロンティアのどんな場所であれ早い者勝ちだというのは明白なことだ。インタラクティブなマルティメディア、ケーブル会社と電話会社の合併、情報スーパーハイウェー、末端までの光ファイバー、ラップトップにパームトップ、携帯とインターネットの限りない成長、世界は目に見えて先に進んでいる。
1990年は、AT&Tにとってはうれしくない年だった。ただ1993年には、AT&Tはコンピュータ会社のNCRを敵対的株式公開買付で吸収合併するのに成功し、ついには電柱のぼりからデジタル世界での主要なプレーヤーになった。そしてやっかいなUNIXオペレーティングシステムの所有者であることをやめて、それを
NetWare の Novell へと売りさばいた。そうすることで Novell は、OSの巨人マイクロソフトと格闘している熾烈な市場への準備を整えた。AT&Tは大規模な合併で携帯電話の McCaw を手に入れ、もともとの自分の子供だった RBOC に対してワイアレスで潜在的に有利な立場にたつことになった。RBOC 自体は今では明らかにAT&Tの潜在的なライバルとなり、規制された独占と加熱するデジタル起業熱の間にあった大きな障壁(Chinese firewalls)は溶け出して、急速に崩壊しはじめた。
1990年に産業アナリストに嘲けられていたAT&Tは、1993年には評論家から絶賛をうけていた。交換機のそれ以上の大きなソフトウェア事故をなんとか回避していたし、その新しくなった「すばやい巨人(the nimble giant)」という評判はより耳に心地よく響いた。というのも多国籍コンピュータ企業の昔からのライバルの巨人、IBMの評判は1993年には地に堕ちていたからだ。IBMは将来の商業コンピュータネットワークというビジョン、「Prodigy」は9億ドルを費やしていたが、成果は全くそれには見合ったものではなかった。一方、AT&Tは対照的に個人通信の可能性の探索に挑戦し、手書きのインターフェースにも投資してリスクを分散していた。1990年にはAT&Tは落ち目に見えたが、1993年には未来そのものに見えた。
少なくともAT&Tの「広告」は、未来そのものに見えたということだ。同じような大衆の注目は、RBOCのBell Atlantic とケーブルテレビの大企業 Tele-Communications Inc の220億ドルの大規模合併にも集まった。Nynex は、Viacom International というケーブル会社を買っていて、BellSouth は Prime Management の株式を買っていた。Southwestern Bell はワシントンDCのケーブル会社を合併していた、などなど。それとは好対照に、インターネットは、非商業組織で公式に存在もしなければ、広告予算もまったくなかった。それにもかかわらず、政府や企業が気づかないうちに、インターネットはひそかにありとあらゆる場所をのみこみ、理解をこえる速度で成長した。5年ほど前だったらコンピュータ侵入にあこがれただろう子供達は、いまやインターネットをうろついている。かれらの持って生まれた探検をいそぐ気持ちは、驚くほど広大なサイバースペースへとかれらを連れ出し、それに比べてみればパスワードのハッキングなんてまるで時間の無駄といわんばかりだ。
1993年には、本物の、人を驚かしパニックを起こすような、ティーンエージャーハッカーによるコンピュータ侵入のスキャンダルは何ヶ月ものあいだ起きていない。もちろん注目を集める、上手い広告宣伝のような不正コンピュータアクセスは何件かあったが、そういったものは明らかに個人的、あるいは商業的な利益をもとめる大人のホワイトカラー企業のインサイダーが犯したものだ。子供たちはそれとは対照的にIRC
インターネット・リレー・チャットにはまっていた。
あるいは、際限ない個人掲示板の草の根ネットワークで遊んでいるのかもしれない。1993年には、アメリカには推定6万の掲示板が存在した。掲示板をつかっている人数は、1990年の Sundevil
作戦時から比べてもゆうに倍増している。その趣味はさまざまな変形をへて、ビジネスになっている。掲示板コミュニティは、もはや目立たない趣味としてやってる人だけではない。もちろん大部分はまだ趣味でやっていて、それを誇りにしている。しかし掲示板のシスオペや熱心に掲示板を使う人達は、はるかに団結した、政治的な意識も高いコミュニティとなっている。もはや目立たないままでいることはない。
1980年代後半のサイバースペースで恐ろしいものといえば、ティーンエイジャーハッカーの天才少年達を前にした恐怖にふるえながら、彼らの裏をかく権力の恐ろしさだったが、1993年にはそれはいささか時代遅れのように感じられた。法取締機関の力をいれるところは変化した。1993年に電子上で注目をあつめる悪者は、わんぱくな子供ではなく、子供を犠牲にするものたちだ。つまりデジタルな幼児ポルノ製造者だ。「Longarm作戦」、幼児ポルノ用コンピュータの押収は、U.S. Customs Service というサイバースペースではこれ以前はほとんど知られていなかった組織が行ない、規模はSundevil 作戦に匹敵するほどだったのに、ほとんど注目を集めることはなかった。
広範囲にわたる組織だった「Disconnect作戦」、FBI が電話詐欺師を取り締まった作戦は、じっさい Sundevil 作戦より大規模だった。「Disconnect作戦」は一時世間の注目をあびたが、すぐに忘れ去られた。Disconnect 作戦ほど明らかに上手くいった法取締機関の仕事、ティーンエイジャーハッカーたちより100倍は道徳的に許せない大人の電話犯罪を生業としているものを起訴することが、ほとんど注目も宣伝もされないというのは残念なことだ。とくに不首尾におわった Sundevil 作戦や基本的に災害を引き起こしたシカゴコンピュータ詐欺悪用タスクフォースと比べてみるときには。しかしだからといって電子警察官の人生が安泰といったわけではない。
もし、なんらかの法取締機関の事件が本当に新聞一面に値するとすれば(なんとかしてそれを避けようとすると思われるが)、それはニューヨーク警察の上級捜査員 Don Delaney とオーキッドストリートの Finger-Hackers の対決だろう。その話は、たぶんアメリカの電気通信犯罪のプロの将来像を示したものといえる。Finger-hackers
は盗んだ長距離通話電話用のパスワードをニューヨークの不法滞在の外国人のお客に売りさばいて、今でも売っている。不法滞在の外国人は自国に電話したくてたまらないが、みんな一般の電話をもてる合法的な手段がない。というのもアメリカにいること自体が違法なわけだから。オーキッドストリートの finger-hacker
たちは、本物の技術知識の類にはあきれるほど欠けているという点でとうてい通常の「ハッカー」とはいえなかった。それにもかかわらず、こうしたニューヨークの通話泥棒たちは、ストリートでみせるような器用さを一心に窃盗に生かしたわけだ。
Finger-hacker
たちは、情報の自由などといったハッカーの批判的な表現を借りることはなかった。かれらの大半はコカインを扱ってる集団の出身で、クラックを扱うギャングがやるような見張りとひったくりのストリートでのテクニックと同じものを使って、盗んだコードを売りさばいていた。かれらのやり方は汚く、都会の少数民族で、組織犯罪であり、毎日、何組もの犯罪者一家が前金をもらって、さわがしいストリートで商売をしていた。Finger-hacker は評判がよくない地域にある公衆電話を占拠し、失うものが何もないお客に他の誰も提供しないようなサービスを提供したのだった。
こうした電子犯罪が身近で盛大に取り扱われているとき、 Don Delaney は殺人課から
FLETC で2年ほど通信犯罪を教えることとなった。電話詐欺において、Delaney の実際のストリートレベルの経験にかなうものはいなかった。1993年時点で、まだ電気通信犯罪がまれで不可解だと信じているようなものは、Delaney と少し話した方がいい。また Don Delaney は、Joseph Grau の「Criminal and Civil Investigations Handbook (McGraw Hill 1993)」にすばらしいエッセイを二編書いている。
「Phrack」は1993年時点でもまだ、有能な Erik Bloodaxe の編集のもと出版されている。Bloodaxe は法取締り機関や企業のセキュリティ担当が本当のお金をだして「Phrack」を購入するようにしようとした。ただ、いつものことだがそういった熱烈な知的財産の保護者たちは雑誌の海賊版を手に入れることの方を好んだ。Bloodaxe
は、まだ1990年の3月1日の押収から自分の所有物を何も取り返せてはいない。Mentor もそうだし、ちなみにかれはまだ Steve Jackson Games の編集長をつとめている。
Robert Izenberg も所有物を取り返せていないし、マシンを取り返そうとする法廷闘争も中断していた。Izenberg が計算するには1990年に2万ドル相当の機器を押収されたが、1993年では高々4000ドルくらいにしかならないだろうということだった。同じく持って行かれてなくなったソフトもとっくの昔に入れ替わった。彼が言うには、訴えるのは主義のためであって、マシンを押収されるというのは信用を失ってしまうことだと思うし、もうこれ以上押収をさせないためということだった。たとえ自分のマシンが帰ってきて、ちゃんと修理されていたとしても、それはかなり疑わしいが、1995年には基本的にはすっかり無価値なものとなってしまうだろうということだ。Robert Izenberg はもはやIBMでは働いていないが、オースティンの大きな電話通信会社でプログラミングの仕事をしていた。
Steve Jackson はシークレットサービスに対する訴訟に1993年3月12日に勝訴した。それはかれの会社に連邦の押収があった3年以上後のことだった。「職業上の特権」という法律主義を使って引き伸ばす戦術のため、Jackson は戦術的には、William Cook、Tim Foley、Barbara Golden、Henry Kluepfel に対する個人的な訴訟は放棄せざるえなかった(しかしながら Cook、Foley、Golden、Kluepfel は裁判のあいだ証言は行なった)
シークレットサービスは裁判には激しく戦った。Jackson の弁護士たちと徹頭徹尾、(以前には試されなかった)Electronic Communications Privacy Act と Privacy Protection Act of 1980 の法律的な範疇について議論を戦わせた。シークレットサービスは、法的もしくは事実上、出版社の作品を押収した責任があることを否認した。かれらの主張は、(1) Jackson のゲーム「ブック」はそもそも本来の本とはいえない。(2) シークレットサービスは、押収時にはSJG Inc が「出版社」だとは認識していなかった。(3) 本はたまたま消してしまっただけで、それは捜査員が利用したコンピュータの中にたまたま入っていたからだ、ということだった。
シークレットサービスは、Jackson のところから押収した掲示板 Illuminati のたぶん「プライベート」だと思われる電子メ−ルを読んだり消したりする犯罪を否認した。USSS の弁護士は押収は Electronic Communications Privacy Act を犯すものではないと主張した。その理由は、かれらはじっさいに回線を送信されていた電子メールを「盗み見た」わけではなく、Jackson のコンピュータの中のディスクに置かれていた電子メールを「盗み見た」だけだからだ。またUSSSの捜査員は Illuminati
のプライベートな電子メールは読まなかったし、たとえそうしたとしても、どちらにせよ召喚状によってそうすることを許されていたと主張した。
シークレットサービスの弁護士がゲーム会社への連邦の押収がじっさいには全国的な宣伝をすることで「Jackson の会社のビジネスを好転させた」と主張するに至っては、Jackson の事件は特異な様相をみせていた。
長く複雑な訴訟だった。判事もひどく混乱しているようだった。それも不可解な電子法のあれこれにではなく、シークレットサービスはどうしてただ Jackson にすぐさまコンピュータを返却してすべての結果として起こったトラブルを避けないのだろうという事実にだ。シークレットサービスは、Jackson のコンピュータにあるものは何でも見ることができただろうし、全てを記録して、マシンを返せばいい。そうすればこんな大きなスキャンダルにもならなければ、連邦法廷での訴訟も必要ない。その反対に、全員にとっていい結果となる。不幸にも、こうした考えはシカゴを拠点とする捜査員達の頭に浮かんだことはないらしい。かれらは一方的に、法の定める手続きにも則らず、Steve Jackson がコンピュータを所有しない方が世界は上手く行くとでも結論づけたみたいだ。Golden と Foley は、Privacy Protection Act のことなんて聞いたこともなかったと主張した。Cook はその法案については聞いたことがあったが、自分で勝手に Privacy Protection Act は Steve Jackson には何の関係もないと決めつけたのだ。
Jackson の裁判は非常に政治的な裁判だった。どちらもわざとサイバースペースにおいて強力に自分たちの利益を主張できる長期にわたる判例をもとめていた。Jackson と EFF のアドバイザーは、
電子パンフレットに対する電子メールの意見でも、「ニューヨークタイムズ」に適用されるのと同じほど、憂鬱なくらい市民権の保護に値することを確立しようと必死だった。まったく正反対に、シークレットサービスの弁護士はあつかましくも電子掲示板の内容は葉書の束と同じでプライバシーを期待すべきではないと論じた。最終的に、確実に明らかになったことはほとんどない。公式には Jackson
訴訟の法的な決定事項が適用されるのはテキサスの連邦西部地区だけだった。しかしながら、こういったことは権力を持った人でも裁判所に行かなければならないような本当の市民の自由に関する問題であり、掲示板システムの押収は、現在も続いているが、押収するものにとっても危険なことだということを確立した。シークレットサービスはSteve Jackson に50000ドルの損害賠償を払い、怒って気分を害した掲示板の利用者3人にそれぞれ1000ドルを支払った。Steve Jackson は1990年に押収された一回線きりの掲示板システム lluminati を所有していただけだが、現在では何回線ものT1回線が接続しているはるかに大きいインターネットのノード「io.com」を所有して楽しんでいる。
Jackson は全てのきわめて詳細な事件の報告を、誰でも興味を持った人には電子的に利用できるようにしている。それに
Jackson の事件はまだ終わっていない。シークレットサービスはまだアピールしたいようだし、EFFも電子的な傍受の裁定についてぜんぜん満足していない。
アメリカの電子市民自由運動の本拠地である WELL はユーザーが2000人増加し、古くなった Sequent コンピュータをすてて、しゃれた新しい Sun Sparcstation になった。WELL
上での捜索と押収の論議は二の次となり、現在デジタルの世界における市民の自由で盛り上っている話題は、市民のプライバシーのための破られない公開鍵暗号である。
電子フロンティア財団はボストンの質素な本拠地を後にして、ワシントンのクリントン政権の内部へと入り込んで行った。新しい理事の、ECPAのパイオニアで、長いあいだACLU の活動家である Jerry Berman は、強敵と食事をとるのが上手いという評判を得ていて、EFF は高いレベルでのコンピュータと通信業界のネットワークをつくることに専念できた。EFF の暗号支持ロビー活動と反盗聴の先頭にたったことは特に注目を集め、同じEFFの屋根の下にさまざまな産業が集うのを成功に導いて、FBI
や NSA といった電子界において野望を持った団体と敵対する開かれて力のある地位をしめた。
EFF は雑然とした反乱軍から整然とした組織へとあっという間に姿をかえた。EFF の共同設立者の Mitch Kapor はふたたび成功による必然である官僚的なところから身をかわして、ボストンに残り、EFF
の精神的な指導者と影の大物としての役割を果たした。John Perry Barlow
については、ワイオミングを離れ、共和党も辞めて、山ほどの携帯電話といっしょにニューヨークへと引越した。 Mike Godwin もボストンを離れ EFF の電子的な問題における正式な法律アドバイザーとしてワシントンへ移った。
Neidorf の裁判後、Dorothy Denning
はさらに連邦政府機関による盗聴の有効性と社会的な価値について断固として主張することで、学者としての確固たる独立心を示して見せた。多くの市民自由運動家は盗聴を行なうなんておぞましいオカルトのホラーだとみなしていたが、全国的に「ハッカーへの共感者」として知られていた Dorothy Denning
が断固として、正式な盗聴なら警察と公共の利益を弁護するというコメディのようなおちにはがっかりした。しかしながら、どんな大衆の騒音も
「風変わりな」
Denning博士を少しも揺るがすことはなかったようだ。彼女は自分の心にきめただけではなく、公の場でも同じことを主張し、自分の立場を一歩も譲ろうとはしなかった。
1993年には、Masters of Deception のメンバー、Phiber Optik、Acid Phreak、Scorpion はとうとう法的な訴追機構と衝突していた。Acid Phreak と Scorpion は、コンピュータ犯罪の共同謀議で、6ヶ月の懲役と6ヶ月の自宅監禁、750時間のコミュニティ奉仕、おまけに50ドルの罰金をくらっていた。世界中でももっとも注目をあつめたといっていいコンピュータ侵入者 Phiber Optik は有罪をみとめるまでにもっとも長い時間がかかった。ただ10年の懲役の可能性に直面して、最終的には有罪を認めた。そして
1年と1日の懲役の判決をうけた。
アトランタの Legion of Doom に関しては、Prophet、Leftist、Urvile
の件だ。Urvile はアトランタのソフトウェア会社で働いている。保護観察中だし、巨額の罰金を返済している。あと15ヶ月でふたたび自分のパソコンをもつことが許されることになる。かれは未だに重罪を宣告された犯罪者だが、刑務所からでてきてはなんら法的な問題はおこしていない。Prophet や Leftist
とも連絡をとっていない。残念ながら、ぼくもそうだろうけど、正しくなろうという努力があるかというと、そういうわけでもないんだろうけど。
Knight Lightning は24才になり、ワシントンの連邦政府でテクニカルライターをしている。まだロースクールへの入学を認められてはいないが、規定以上の時間を弁護士事務所で働いていて、MBAを取ることの方がもっと肝心かもしれないと考え始めている。弁護士にまだ
30000ドルの借金はあるが、がんばって2つの仕事をこなしているので、総額は着実に減っている。Knight Lightning
はいつもスーツとネクタイを身につけ書類ケースを持ち運び、連邦の秘密取扱い許可も持っている。
屈服しなかった「Phrack」の共同編集者の Taran King もワシントンでテクニカルライターをしていて、最近結婚した。
Terminus は服役し、刑務所をでたあと、現在はシリコンバレーに住み、本格的な規模のインターネットのノード「netsys.com」を運営している。インターネットの衛生中継を専門としている会社のためにプログラムをして金を稼いでいる。
Carlton Fitzpatrick はまだ Federal Law Enforcement Training Center で教えている。しかし FLETC では掲示板にお金をだして運営する際の問題は、最初に考えていたよりもずっと複雑そうだということが分かったようだ。
Gail Thackeray は少しのあいだ、民間のセキュリティ会社にいくことも考えていたが、方針をかえて、マリコパ地区の検察庁に就職した(給与ありで)。彼女は未だにアリゾナ州フェニックスで電子詐欺の起訴に精力的に取り組んでいる。
第4回目のComputers, Freedom and Privacy Conference は1994年にシカゴで開催される予定。
Bruce Sterling については、なんも問題なし*8-). 現実での犯罪ジャーナリストとしての短いキャリアをありがたいことに捨てて、新しいSF小説「Heavy Weather」を書いたし、新しい短編集「Globalhead」もだした。ノンフィクションも定期的に「The Magazine of Fantasy and Science Fiction」の一般向けの科学コラムとして書いている。
ぼくは、ファンタジーと現実の境目から遠いところでの生活がすきだ。でも現実は不幸ながらも必然的にファンタジーを伴うことがぼくにはわかってきた。それが、EFFオースティン支部の市民自由運動グループ Police Liaison Committee(eff- austin@tic.com)
に加わった理由でもある。ぼくはハッカー一斉取締りでの自分の経験を忘れてしまうことがあるとは思わない。だからこれからは、電子的な市民自由運動に加わることにしたわけだ。
コンピュータ犯罪や市民の自由の問題について、もう1冊本を書くほどの材料をさがすのは難しいと思う。でもぼくはこれと同じだけの別の本が毎年書けるとも心のそこから信じている。サイバースペースは巨大だ。あちらこちらでいろんなことが起きているし、それは小さな、でも大きくなりつつあるネットワークのもの書きのグループで十分カバーするには広すぎる。ぼくはこのテーマでもっと本を書きたいと思っている。なぜならサイバースペースのいろんな人たちは、確かにたゆまぬ研究と注目を必要とするわれわれの社会の一部であるからだ。
ただぼくだけしかいないわけじゃないし、構想はいろいろあるけど、他のたいがいのSF作家と同じように、ぼくは規則正しくやるよりは想像力あふれているタイプだ。電子フロンティアの報告者としての仕事をしてみても、正直言ってぼくはそれを毎日やるような熱狂的なやつらには脱帽だと思う。いつかはこのテーマについてまた書いてみたいけど、現実的に計画があるわけじゃない。でもそういえば「ハッカーを追え」を書く現実的な計画があったわけでもないけど。最近もさまざまなことが起きていて、サイバースペースでも地響きがおこっている。ぼくも注意深く自分の足でたって、この場にとどまってトライしていかなきゃと思っている。
サイバースペースの風景はおどろくべきスピードで移り変わっている。われわれは人類の歴史上、もっとも技術的な変化のスピードが速い時代に生きている。サイバースペースの長い人生の一瞬を、大混乱でフラッシュをたくように、文章にすることができるチャンスにめぐまれてぼくはうれしい。この本はすでに時代遅れで、これからの5年には全く役に立たないだろう。でもそれも大したことじゃない。
でも50年でみれば、ぼくはこの本はとっても興味深い本になると思う。100年では、この本はビックリ仰天するような古めかしい奇妙なものに見られるだろう。たぶん現在の読者に対してそうであるより、2092年の読者にとってはるかにとっぴょうしもなく思われることだろう。
サイバースペースについていくには、常にいっしょうけんめい注目してなければならない。自分としては、すばらしい電子雑誌 Computer underground Digest を読むことで状況に目を光らせている(http://sun.soci.niu.edu/~cudigest/FAQS/cud.html
を参照)。あとは Jack Rickard の因習を破壊して元気づけてくれる、BBSとオンラインコミュニティの印刷されたニュースである 「Boardwatch Magazine」も読む。それにいうまでもないが1990年代にまさしくこの年代に属しているように見え、行動している「Wired」も読んでいる。もちろん他にもいろんな手段はあるけど、この3つをおさえておけば大概のことは事足りるだろう。
ぼくが何かを電子的に出版したいと思ったら、しばしばあることだとおもうが、たいがいは Texas Internet Consulting
の gopher
に置いている。そこはぼくの、そう、テキサス・インターネット・コンサルタンツ社だ(tic.com)。この本もそこにあるだろう。僕は、この本を自由(非商用利用に限り無料)にしておくことにも価値があると思っている。
そこから人の生命の糧のようなパンがサイバースペースの暗い流れにのって運び出され、いつの日か10倍になってもどってくるだろう。もちろんびしょぬれになり、奇妙な徹底的に腹をすかせたサイバースペースの海の生き物の全く驚くべき生態系をへて、かじられ穴ぼこだらけになってだが。ただ少なくとも作者にしてみれば、そんなことは全部計算に入ってる。
読んでくれて、どうもありがとう。
Bruce Sterling bruces@well.sf.ca.us
テキサス州 オースティン 1994年 元旦