読書日記:日記ということで、日付順にさらさらと書きながしていきます。
ただ日付はついてるけど、すぐに古くなるような内容にはしてません。過去分も読んでみてください

●はその本を読むに至った動機、▲は主に印象に残ったフレーズの引用


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2001/02/15 伽藍とバザール エリック・スティーブン・レイモンド 山形 浩生訳

あらら、ネットワークからダウンロードして読んでるんじゃないの? 翻訳で疲れたときにいまいちパソコンの画面を見たくはなかったりするわけだ。

となんやかんやで、本も手元にあるわけ。まあとにかく論文の方はとにかく必読でしょ、読んだあとにプロジェクト杉田玄白なんかで行動もつけ加わればいうことなしかな(笑) インタービューから引用を。ガンマニアなのに武道もするのかと問われて

ぼくは銃の使い方を修得しない武道家はインチキだと思うな。だって武道は、そもそもはある種の戦闘技術として生まれてきているわけだ。だから、その時代で支配的な攻撃手段についてきちんと勉強して、それに対してどういうふうに抵抗するかを考えない武道というのは、現実に対して目を閉ざしているわけだ。銃ってものがあることを否定するわけにはいかないだろう。それがないふりをするのはごまかしだよ。

こう活用してみましょうか。

僕らみんなの中に何かをしたい気持ちはあるわけで、それはお金のためでもなければ、誰かに誉められたいからでも認められたいからでもない。その気持ちがないふりをして、なんにもしないで生きてくのはごまかしだよ。

ちょっと感傷的ですか。

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2001/02/14 賢いはずのあなたが、なぜお金で失敗するのか ゲーリー・ベルスキー トーマス・ギロヴィッチ 鬼澤 忍訳

バレンタインデーに最適な本か? 題名が上手いよなぁ、買う人の自尊心をくすぐるのかな、でも「賢いはずのあなたが、なぜお金で失敗するのか」、それは実はあなたが賢くないからじゃないのかな。

この本の218ページ以降を読んで賢くなりましょう。

年に9パーセントから10パーセントの収益をあげる投資対象は、最近では動きが鈍く思えるかもしれないが、実際はめったにない優良株なのだ。

適正な基準は何事にも必要なわけだが、どうやって適正な基準を持てるか、またその適正さに満足できるかがポイントなんだろうな。投資に関わらず。

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2001/02/13 鉄道員 浅田 次郎

まあ、明日はバレンタインデーってことで、おおまけにまけて最近読んだ中でこの作品を。とくにこれのなかでラブレターなんぞ取り上げて見ましょうか。

どこかで一番よかった恋愛小説なんて書いてあったけど、かわいそうに。いい小説読んだことがないんだね。たしかにいい小説になれる可能性を秘めてたことは認めるけど、なりそこねてるよ。

もし会えたなら、お願いひとつだけ。私を吾郎さんのお墓に入れてくれますか。

もっとましなお願いを思いつかなかったんだろうか、この話では手紙の外が汚れていれば汚れているほど、手紙の中がキレイじゃなきゃいけないはずなのに、そのキレイさが徹底していない。例えば中国語でももっとキレイな言葉を見つけられるはず。そこらへんの書き飛ばしを感じずに、一番よかった恋愛小説なんていってるのはやっぱりかわいそう...

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2001/02/09 夫婦善哉 織田 作之助

じゃあ、いい書き出しってどういうもの? って具体的な例がないと分かりにくいわけ。

短編は作者も書き出しと結末は最大限の力を注ぐので、すばらしいものが多い。これを引用しておこう。

年中借金取が出はいりした。

いい書き出しの3つの要素は、1.短いこと、2.抒情ではなく叙述的、3.引きこまれること でしょうか。でも僕が一番好きなのは、めおとぜんざいを食べにいくラストの最後に、てれかくしみたいにして書かれた後日談だったりするけど。

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2001/02/08 海峡の光 辻 仁成

“つじひとなり”って誰? あぁバンドのときと名前を使い分けてるわけね。その他にも女優と結婚してたよねぇ、新聞もテレビも見ない割にはどうしてこんなにゴシップに詳しいのかなぞだ。でもこういうゴシップでも書きつらねたいくらいこの小説はつまらん。

解説でほめられている冒頭を引用してみようか。

陸に上がった後も海のことがいつまでも忘れられない。

それほど絶賛するような書き出しだろうか? 海を横糸に2人の絡み合いを縦糸に話は進んで行くが、網目が粗くて指がひっかかりそうなくらい。ちょうどいい長さで切り上げる手腕だけは認めるけど。

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2001/02/07 時計じかけのオレンジ アントニイ・バージェス 乾 信一郎訳

映画とその原作の小説がともによいことはまれである。映像の圧倒的な迫力が原作を追い越すのはよくあることだし、だってスターウォーズの原作読みたいなんて思わないでしょう? 映画も見たくないかもしれないけど(笑) 逆はもっと多いね、原作がよかったらその映画は見ない方がいいくらい、がっかりしたくなければ特にね。

でも何事にも例外があるもので、「時計じかけのオレンジ」もそのうれしい例外のひとつ。映画はそのスピードあるテンポと映像の美しさ、音楽でみせるし、原作はそれに輪をかけてよい。訳はかなり大変だったと思うが、ルビつきで上手く処理している。でもこういう小説こそ、その音の響きを楽しむためにも原作を読もうかな<という気にもさせる。ルビなしで引用してみようか。

そこでおれたち3人が店へはいって行った。ビートは表でチャソー。といっても別に大して心配はいらねえんだ。店へはいりこむと、おれたちはまっすぐデブデブ主人のスラウスんとこへ。こいつめ、すぐ様子を察しやがって、奥へととびこもうとした。そこには電話と、よく油をひいた六連発のブーシカがあるんだろう。ディムが鳥みたいにスコリーカウンターをまわって、

と全編こんな調子、楽しめそうでしょ。「1984」なんかと同じで管理社会や犯罪をロボトミー手術で解決なんて話で要約されているのをよくみかけるけど、それだけで読んだ気になるのはいかにも残念。

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2001/02/06 1973年のピンボール 村上春樹

眠れない夜に、ごそごそとベットから這い出して、寒い中電気をつけて本だなをあさる。本だなの隅でこの薄い本をみつけ、ベッドにもどり眠りにつくまでと思ってページをめくる。

つい引きこまれて最後まで。村上春樹の初期の小説は、きちんとした構成の中にふっとかいまみせる生が部分があって、読ませたりする。

僕とピンボール・マシーンの短い蜜月はそのようにして始まった。大学には殆んど顔も出さず、アルバイトの給料の大半をピンボールに注ぎ込んだ。ハギング、パス、トラップ、ストップ・ショット……、大半のテクニックを習熟した。中略。スコアが15万を越えるころに本当の冬がやってきた。僕は冷え切って人影もまばらなゲーム・センターで、ダッフル・コートにくるまり、マフラーを耳までひっぱりあげたままピンボール・マシーンを抱きつづけた。

賭けてもいいけど、村上春樹はピンボールやったことないと思うな。短編ではこの集中力が持続するんだけど、長編ではもちろん集中ばかりじゃ続かないのはわかるんだけど、それに代替する大きな枠組みやカタルシスをもたらせないんだよね。羊をめぐる冒険のサーチ&ロストはよかったけど、なんだっけ「地獄の黙示録」を研究して書いたなんて話も読んだことあったな。

ピークを過ぎてなおがんばっている作家をみるのは少し哀れでもあり、心のどこかではそれを裏切ってくれるのを望んでたりもするんだけどね。

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2001/02/05 ザガットサーベイ

外食日記をさぼりがちな昨今だけど、外食のネタ本としてはイチオシでしょう。簡単にいえば、アンケート方式の東京のレストランガイド。

ここでもバザール方式の利点は見えてて、みんなせっせと50円切手を貼ってアンケートを書いて出してて、このコメントは僕の/私のだよなんて密かに悦にいったりしてるんだろうな(笑)別に評価ポイントとかはそれほど参考にならないんだけど、コメントにはときどきにやりとさせられることもあり。

駒形どぜうの「商売上手」とかね

あとは、ローマ字が併記されてるのもうれしかったりする。あの店はそう読むのかぁ。すっかり記号としてとらえてたよ。

心配なのは1999年、2000年(2001と表紙には書かれているけど)と厚さも値段も1.5倍くらいになっていること。コメントは十分に集まるようになったら、あとはレフリーがきちんと評価して選別しないとね。次が今回より厚いようだったら、それだけで買う必要なしかな...それはすでに広告だよ。

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2001/02/02 誰も教えてくれない聖書の読み方 ケン・スミス  ●山形浩生訳 

おもしろーい、聖書を原典からどちらかというと「誰も教えてくれない」部分だけ集めた本とでもいいましょうか。それぞれの聖書からの引用にアイコンがついてて、それこそ一目でわかる。ちなみに「天罰じゃぁっ」アイコン最高! 確かに記憶を探っても、残酷な話には事欠かないよ、聖書って。それにしてもこういう目の覚める話は大好き! おもわず眠い目をこすりながら読みました。訳者も注目の山形浩生!

聖書を読んだのはお約束のように読むものがなくなったホテルで、旧約ちょっとと新約だいぶ読んだけど、まあ当時全部読めなかったのも無理はないなぁ。あらためて納得だよ、××××な話が満載の本をすらすら読めたりしたら、それこそ××××だものなぁ。

聖書の分析でもう一つ問題になるのが(原理主義者どもは絶対に言わないことだけれど)聖書といってもみんなちがうってこと。どの翻訳も、そのスポンサーの政治的な立場や教義を反映している。

ヒドイ翻訳になると、自分の都合のいいように改ざんしたりするからなぁ。しかも翻訳の口調なんかが余計な書かれている以上のメッセージを伝えちゃったりもするし。本当に聖書こそプロジェクト杉田玄白みたいな翻訳プロジェクトで、まず最低限、聖書の原典と訳の関係が誰の目にも明らかになるといいのにね。

この本自体の翻訳は、あの山形浩生。読みやすい。でもせっかく文の下にスペースがあるのに訳注は少なくない? アイコンだけのスペースとしては寂しすぎるよ。それにしても訳者紹介で「その異様にでかい態度と節度なき罵詈雑言で悪名高い」っていうのは自虐的すぎると思うが。

最近僕が訳したJFKの大統領就任演説にもイザヤの引用があるんだけど...他の言葉を読むと、いささかその演説自体の内容にも疑いをはさみたくはなるよなぁ。まあアメリカみたいな国家を一つにまとめる方法論としてのキリスト教もわからないではないけど、それにしても言葉を引用する人はよく選ばないと。

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2001/02/01 亀がアキレスに言ったこと キャロル・ルイス  永江良一訳 プロジェクト杉田玄白

本当に楽しい、こういう短い話は大好き! 本当にノートが有限でよかったし、最後のオチは英文と読み比べるとさらに楽しめるっす。

でもキャロル・ルイスの英文も読んだことなかったけど、素直で分かりやすい。アリスシリーズもこれを機会に読んでみようかな。

いろいろ読み物がふえて、嬉しい悲鳴だな。ひとまずこんなところで、プロジェクト杉田玄白シリーズは一段落、かな。

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2001/01/31 空家の冒険 コナン・ドイル  double crown訳 プロジェクト杉田玄白

ホームズ物である。この話は復活話、でもコナン・ドイルはぜったい自分の喜びのためというよりは、リクエストに応じてか、お金のために書いてるんじゃないのってぐらい荒れてるねぇ。

がけから落ちた話は記憶にあった気がするけど、こんな復活だったのは記憶になかったなぁ。シャーロキアンって言うんだっけ?は必読だね。

訳者のdouble crownさんからは、僕の翻訳環境なんぞを聞かれたんだが、言えるような環境じゃなくて困ってしまったりする。GENIUSとたまーにロングマンを使って、あと気が向くと携速でHDDに置いてるBookShelfを使ったりというくらいですか。もちろんわかんないやつは図書館へでかけていったり、ネットを適当に検索してみたりと、ホントにこんなほのぼのとしたことでいいんだろうか? あとは英文とテキスト(とかメーラー)を開いてどんどん訳していってるといった具合です。いやいや、もっと効率化できるのは分かるんですが、英文を直接置換して訳していくとかね(訳語の統一も図れるし) あえてやっていることといえばエクセルのマクロで最後に一番最後だけど、。」をなくしたり、!や?のあとに空白を入れるといった日本語の整形くらいですな。いやー訳している人それぞれの環境を、アンケート形式とかで聞きとって集めたら興味深いと思いますよ!

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2001/01/29 チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン コナン・ドイル  枯葉 訳 プロジェクト杉田玄白

ホームズはなぜかプロジェクト杉田玄白に関わらず、翻訳プロジェクトで人気があるねぇ。ほどよい長さなのと訳した末の報酬というか、解決があってカタルシスが得られやすいところにその原因があるのかなぁなんて思ったりするけど。

でも昨日の20則にはぜんぜんあてはまってないぞ! この話なんて、How To 恐喝みたいなもんじゃない(笑) 最近じゃあ、電子メールでやれば成り立たない話かも? そもそもそのメールを誰が書いたかって証明できないか、認証とかしないとね。

いやいや、そんな話がしたいんじゃなくて、とにかく自由な翻訳がネットワークにあふれるのに、僕も少しは力をかせるかもしれないと夢想したりするわけだ!

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2001/01/29 探偵小説を書くときの二十則のチェック ヴァン・ダイン  sogo 訳 プロジェクト杉田玄白

20もチェック項目があるなんて大変だねぇ。本人の探偵小説がこれに従ってるかの検証もあるけれど、とにかく書いてある基本的な内容には全面的に賛成!

とにかくフェアに頼むよ、長編・中篇・短編をとわずに。お願いだから、探偵しかしらない犯人を構成するのに必要な情報の隠匿はやめようよ。どうして最近は特に決められたルールの中でプレイする楽しさをしらないかなぁ(笑)

これを皮きりにヴァン・ダインシリーズも再読してみようかな、確か1ダースあるんだっけ?

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2001/01/26 計算する機械と知性 アラン M. チューリング  新山 祐介 訳 プロジェクト杉田玄白

うーん、早く翻訳くらい機械でやってほしいもんである。翻訳に必要とされる知識を分野でみるとそれほど多くもないように思うんだけど、なんてことを考えながらこいつを読んでみた。

今じゃチューリング・テストの翻訳版でも翻訳ソフトと人間見分ける自信あるなぁ。それも5文くらいでさ。いや、人間の方の能力が足りなくて共に「翻訳できません」で見分けられないかもしれないけどね(笑)

翻訳ソフトで自信ある人なんて、だれかプロジェクト杉田玄白に翻訳ソフトで翻訳した作品を登録しちゃえばいいのにね、けっこう短いやつだったらいけたりして!

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2001/01/25 真夏の世の夢 シェイクスピア sogo訳 プロジェクト杉田玄白

実際の演劇をみて、かなりがっかりした記憶が。やっぱり自分の頭の中にしかない世界ってあるよなぁ。でもどこにがっかりしたのかはもう忘れちゃって、失望感だけが残ってるんだけど。また演劇見に行ってみたい気もする。ちょっと怖いものみたさでね。

ちなみにこのシリーズで僕の感触としては、ヴェニスの商人くらいがあるといいかなぁなんて勝手に思ったりするんだけどね。ちなみにまわりに「証人」だと思ってた人がいてビックリしたよ、まぁ話としてはそれでもありか? いやなしでしょ。

だいたい焼き林檎にばけてお酒にもぐりこむなんて、謙虚な姿勢がぜんぜん足りないよ!

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2001/01/24 あらし シェイクスピア sogo訳 プロジェクト杉田玄白

うわさのお話! 演劇好きと自称する女の子はこいつを知らないと、つきあってる男の子の趣を損ねるかも(笑)新教養主義宣言読んでください。

まあ便利な世の中だねぇ、ネットでダウンロードして要約版は読めるよ。これで演劇大好きっていっても大丈夫っす。それにしても小さい頃はエアリアル大好きだったなぁ、真夏の世の夢のパックは調子に乗りすぎ!と幼な心に思ったけど、エアリアルはかわいいんだよ。

この妖精のエアリアル、力の限りお役に立たせて頂きます。

やっぱりこういう謙虚な姿勢が必要だよね。謙虚シリーズ

どうぞ、お許しを。お指図通りに何でも、おとなしく妖精の務めを果たします。

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2001/01/23 ロミオとジュリエット シェイクスピア sogo訳 プロジェクト杉田玄白

まあ、読んだことがないっていえない話はあるわけで、ロミオとジュリエットもその一つでしょうか? 意外と戯曲は取り組んでも最後までよめなかったりすることもあるので、要約版もありかも。本当はあんまり要約版は好きじゃないんだけど...

それにしても、何回読んでも僕にはよさがわからないなぁ。映画とかはまずまずだった気がするけど、やっぱり劇向きなんでしょう。

O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?

それにしても、Romeoはいい名前を選んだねぇ。個人的に一番好きなのは、

young men's love lay not truly in their hearts, but in their eyes

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2001/01/22 はつ恋 ツルゲーネフ 神西清訳 新潮文庫

短くて、比較的単純な話だとは思うんだが、何度手にしても微笑ましさを感じるのは、その題材がはつ恋だからだろうか? それにしてもロシアの小説らしく、最初のエピソードが言い訳するような説明で始まるあたりも含めて微笑ましい。

それにしても、ちょっとしたエピソードもはつ恋らしくて、夜明け方にちょっと目をさましたりするんだよなぁ。

寝支度をしながらわたしは、どういうつもりだが知らないが、三遍ほど片足でくるくる回って、髪にポマードを塗りたくって横になるなり、まるで死人のように、ぐっすり朝まで眠った。夜明け方にちょっと目をさまして、頭をもたげ、感きわまってあたりをぐるぐる見回したが―それなりまた寝入ってしまった。

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2001/01/19 斜陽 太宰 治

ふと子供のことを心配する母親の話を聞いてこの話を思い出した。あらゆる意味でローカルな作家によるローカルな作品だとは思うが、そのローカルさが、細部において輝いているのもまた事実かと思う。

直治は高等学校にはいった頃から、いやに文学にこって、ほとんど不良少年みたいな生活をはじめて、どれだけお母さまに御苦労をかけたか、わからないのだ。それだのにお母さまは、スウプを一さじ吸っては直治を思い、あ、とおっしゃる。私はごはんを口に押し込み眼が熱くなった。

その他にも昔からこういう食べ方をしてたので、個人的に読んでうれしかったところも。

スウプに限らず、お母さまのお食事のいただき方は、頗る礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さくきりわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。

最後に戦後派としての宣言? にあたる部分もみておきましょうか。

敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりにいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。

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2001/01/18  色川武大

弟はいるだろうか? 兄弟姉妹をもつっていうのは不思議な感覚で、それは明らかに親に対する感覚とは別種のものである。幼い頃から長い期間をへて醸成される不思議な感覚がそこには存在するのである。その感覚が十人十色だろうし、実際に該当の兄弟姉妹がいないことにはその感覚は知りようがない。

姉から弟への思いについては、幸田文の「おとうと」や太宰治の「斜陽」あたりがあがるだろうが、兄から弟については、この本の同題名の短編「百」を勧めたい。

特に次のあたりが実際、弟がいる身としても感じるものがある。

殴れば泣いてしまう。そのくせどこまでも後をついてくる、あの不思議な関係。

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2001/01/17「英文法」を疑う 松井力也

ここで●取り扱っているのを見かけて、英文法にも興味があって手にしてみた。

確かに漠然と思ってたことや、どうしてこうなっているかということを解き明かしてくれている部分もある。三単現のSや時制の話などはなかなか参考になったりもする。ただいかんせん、理論の演繹には無理なところもあって、まあそれが生きてる言語が対象である証拠だったりもする。

ただこの“「英文法」を疑う”は導入部で、もっと突き詰めて“英文法を作る”をしなきゃだめだなって気もしないでもない。つまり0から初めて英語を習得できる本格的な英文法の本を書いてほしい気もするわけである。ちなみにその本は横書きにしてもらうと読みやすいかったりするけど。

あとは繰り返し出てくる6年も勉強して...って表現だが、英文法っていうのは、どちらかといえば英語を話すためというよりは英語を読んだり書いたりするためにより役にたつような気がするんだけど、つまり6年勉強したあとは簡単な英文なら読めるんじゃないかと思うけれども、どうなんでしょう?

英会話ってそれこそ特定表現の丸暗記でそこそこOKなのではないだろうか?

まあ、日本語の読み書きさえもあまりしない昨今だから、英語の読み書きより、英語を話したり聞いたりを教育の目的として重視する気持ちはわからないでもないですが。

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2001/01/16山椒魚 井伏鱒二

単行本でも16ページの短編である。そこには印象的な場面もなければ印象的なセリフもない。決してそのような表現が書けなかった作家ではない。干武陵の五言絶句「勧君金屈巵/満酌不須辞/花発多風雨/人生足離別」を「このさかづきを受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ “さよなら”だけが人生だ」と訳した作家でもある。

余談だが、この翻訳は肺炎の子供を見守って眠れない夜に不安をまぎらわすために行なわれたということである。たしかに翻訳には、なにか心を落ち着ける不思議な作用がある。

まあ、とにかく山椒魚だが、ネタの話があるということも聞いたことがあるが、その置かれた状況こそがこの話の主題となっている。閉塞され身動きのとれない状況において、山椒魚、蛙、そしてあなたはどのようにふるまうのか? 重要なのは置かれた状況ではなく、そのおかれた状況でどのようにふるまうかである。最後の放り出されるような「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」というセリフこそがその重要性を裏書している。

自分がどのような状況に置かれているかではなく、その置かれている状況に対してどのようにふるまってきたか、ふるまっているかこそを問い直させる秀逸な短編である。

それにしても同じ山椒魚をとりあつかっても、あらゆる意味で「山椒魚戦争」チャペックとのかけ離れ具合は微笑ましくさえある。

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2001/01/15フランス料理の「なぜ」に答える エルヴェ・ティス 須山泰秀訳

話題って改めて考えてみると、意外と限定されてるもの。仕事、TV、友達の動向、自分の悩み、携帯とパソコン以外の害のない話題が必要なときってあったりするわけだ。

この本なんて●害のない話題のネタ本としては最適ではないでしょうか? 題名はフランス料理〜となっているが、料理全般の話題があり、1ページ読み進めるにつれ、その科学的な説明に納得がいき、次のページの内容が気になる楽しい本。

料理がおいしい、まずいって日常的に言う言葉で、それはそれでかまわないんだけど、たまにはどうして? って考えてみるのも悪くない。愛情が入ってるからなんて答えられるのは別の技能なので置いておくとしても、やっぱり一歩一歩積み上げる近道への入り口はこの本からでしょう。

昔からサーモンのレモン漬けがおいしいなぁと思ってたんだけど、どうしてレモンにつけるのかようやくわかったよ。酸によってたんぱく質が凝固して、それが加熱処理によるたんぱく質の凝固と同じ状態になるわけだね。なるほど、なるほど! こうやって身近な疑問にきちんと答えがでていくのは、楽しいことだ。他にもなぜ、肉を揚げるときに、卵に浸してパン粉をまぶすか、また小麦粉を使う場合もあるのはなぜか、そしてより衣が材料と分離しない方法は? など簡潔に説明されている。おまけに肉をやくと凝固した皮が肉汁を閉じ込めるなんていうのが全くのでたらめだってことや、小さい頃サラミを食べさせてくれなかったわけ(そうか、そんなわけがあったのか)にも触れられてるのはうれしいかぎり。

訳者による訳も、原文と異なる場所は注で明示されていて、原文を尊重する姿勢がみられ非常に好感がもてる。

それにしても、水より湯の方がこんなわけで早く凍るなんて驚きだな。ほんとかな、実験してみよう!

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2001/01/12砂漠の反乱 T・E・ロレンス 柏倉俊三訳

映画「アラビアのロレンス」の原作となるだろうか、自伝の知恵の七柱の簡約版である。映画「アラビアのロレンス」の原作、あるいは自伝の知恵の七柱の簡約版と紹介した方が適当だろうか。もともと簡約版には、原作にあった一番重要な部分が抜け落ちてしまっているようで好みではないのだが、手元にあるこちらから取りかかってみた。

それにしてもヒーローの条件が、アウトサイダーで陰がありながら大きな夢をもち、一時的に華々しく成功を収めながらも若くして死ぬこととしたら、全ての条件がきちんと満たされてるなぁ。

私がアラビアに上陸したとき、ダマスカスは私の剣を収めるべき鞘の場所であるとは思っていなかった。けれどもいよいよこれを占領してみると、私の行動の主要な源泉が枯渇してしまっているのに気がついた。始終、私の行動のおもな動機といえば、まったく私の個人的なものであり、それがなにかということは、ここではいえないが、とにかくこの二年のあいだ、夢に現に自分の念頭から離れなかったように思う。はげしい苦しみと喜びは、振りかえってみると、高い塔のようにあざやかに浮かび上がってくる。

最後に残る問題は、歴史に名をのこしたいという野心である。しかしそれだけでは動機として薄弱である。かつて私はオクスフォードに学んでいたころ、近づきつつあるアジアの新しい台頭に、微力を尽くすことができれば生命を賭けてもいいと夢想したこともあったのである。

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2001/01/11鉄砲を捨てた日本人 ノエル・ペリン 川勝平太訳

鉄砲は1543年に、日本に漂着した最初のヨーロッパ人がもたらし、それはたちどころに採用され、それから百年間広く使用された。その理由としては戦国時代で、天下の覇権争いがされていたこと。産出する銅、鉄の品質が高かったこと、すでに高級な刀剣の作成により技術水準が高かったこと、日本の人口がその当時のヨーロッパのどの国より多かったこと、その教育程度が高かったことなどが挙げられる。その結果として当然の結果ともいえるが、少なくとも鉄砲の絶対数では、16世紀末の日本は、まちがいなく世界のどの国よりも大量の数を抱えていることとなった。ところがそれを過ぎると、徐々にではあるが、鉄砲は放棄されていった歴史上の事実を描き、現代の「技術の進歩は決して止められない」という神話への挑戦となっている。

その放棄の理由にはさまざまなものが挙げられているが、着目すべきはその方法ではないだろうか。確かに対外的に侵略の心配のない環境はあったものの、強力なリーダーシップのもとに生産を規制していき、鉄砲は放棄されている。

いま話題の「銃、鉄、病原菌」13章でもこの要旨は取り上げられているが、「武器」という技術の性質を鑑みてみれば、単純に技術が後退した例としてだけ考えるのが適当であるのかどうかは疑問であるが...

その事実関係の確認といい丁寧なしごとぶりで、いい訳者に訳されて幸せだと思う。

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2001/01/10パワーエリート C・W.ミルズ 鵜飼信成 綿貫譲治訳

ミルズの本はここでも取り扱っている。エリートってきくと、ベスト&ブライテストやメディアの権力あたりも思い浮かべるかな。でも日本でエリートってきくと最近はあんまり印象もよくないねぇ。プライドばっかり高くて、ロクなことをしないイメージがあるしねぇ、なんてイメージだけの話じゃなくてエリートの(アメリカのだけど)果たす役割についてデータを背景に分析している本書を手にとってみるといいかもしれない。

われわれは当面の危機、または身近に迫りつつあると感ぜられる危機を越えて、その先を見ようとはしない。われわれは、運命とか神の摂理などを信じない。口にだしていわないが、われわれは、国民としての「われわれ」は未来を形成する力をはっきりと持っているが、個人としての「われわれ」にはそのような力はないと考えている。歴史が意味をもっているとすれば、それをあたえるものは「われわれ」の行動である。だが、実際には、われわれのすべてが歴史の中にあるとはいえ、皆が皆、歴史をつくりだす同等の力をもっているのではない。もっていると考えるのは、社会学的には馬鹿げていることであり、政治的には無責任なことである。

しかし有名人とはいったいなんであろうか。有名人とは名前であり、それ以上なにも付け加える必要はない。中略。有名人の行くところ、到るところでかれらは人々にそれと知られる。しかもなんらかの程度の昂奮と畏怖をひきおこすのである。かれらのあらゆる行為は、パブリシティ・バリューをもっている。かれらは多かれ少なかれつねに―といっても一定の期間だが―コミュニケーションと娯楽の媒体にたいして素材を提供する。そして、その期間が終わり―かならず終わりがあるのだが―、しかも有名人がまだ生きている―たいていの場合は生きているが―ようなばあいには、「かれをおぼえているかい?」という問いがときとして人々の間で交わされる。有名人とはこういうものである。

アメリカ人が讃美する対象のなかで、若い女ほど万人に讃美されるものはない。あたかもアメリカ人は、若い女を自分たちの女王として祭りあげ、日夜その国民的肖像を描いているかのようである。

いい本を書くとその内容の寿命が長いってことがよくわかるね。

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2001/01/09 ニコライ・ゴーゴリ ナボコフ 青山太郎訳

外国語で小説を書かざるえなかった作者が、翻訳と言葉の持つ意味と魅力を丁寧に整理した本。言葉の響きも最近では失われたものの一つで、メロディのない言葉の響きをどれだけ集中して聞くことができるのか自分でもかなりの疑問だ。

わたしには時としてこれら古い英訳(誤訳)が、かつて中国において盛んに行われたいわゆる「一寸刻みの刑」にすこぶる似ているように思える。これは罪人の体を5分間かそこらの間隔を置いてキャラメルほどの大きさずつ切り取ってゆき(その個所は999回の切除まで罪人が生きているよう、注意深く選ばれる)、こうしてついにはその体を巧妙にもすっかり取り除いてしまうという刑罰である。

諸君の健康な二流作家のみが、感謝に満ちた読者の眼に、読者自身の人生観を巧みに詳説してくれる賢い年老いた友と映る。偉大な文学は非合理を掠める。「ハムレット」は神経病にかかった一学生の騒然たる夢であり、ゴーゴリの「外套」は生活のくすんだ模様に黒い孔を穿つグロテスクに物凄い悪夢である。

あなた方は先ずアルファベットを覚える。唇音、舌音、歯音、ぶんぶん唸る字音たち、蜜蜂、円花蜂、ツェツェ蝿・・・・。母音のひとつがあなた方をげっそりさせ、人称代名詞の変化でもうあなた方の精神はひきつり、しびれを切らすことだろう。しかしわたしはゴーゴリに行き着くのに、これ以外の方法をしらないのだ。(というより、ロシアの作家の場合みなそうだ)。彼の作品はあらゆる偉大な文学的達成の例にもれず、言葉の現象であって思想のそれではない。その名は“Gaw−gol”であって、“Go−gall”ではない。最後のLはとけゆくごとき柔らかいLであり、この音は英語には存在しない。人はその名前さえ満足に発音できない作家を、いったい理解しうるものだろうか。

うーん、確かにある種の一流の作品が原文で読む価値をもってることは間違いない事実ですけれど、誠実な翻訳にもその価値があると信じたい。まぁ誠実さによるか?

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2000/12/28 新教養主義宣言 山形浩生

来るべき21世紀のために、今世紀の最後はこの本で。でも最後の後書きにもあるけど、ほとんどの部分はWebにアップされているけれど、本人は「これだけのテキストをダウンロードする接続料金を考えたら、ぼくはこの場で買っちゃったほうが圧倒的にお買い得だと思う」なんて書いてるけど...

でもふられて納得しないもの、アゾットを夢見るのも、この文章をWebで全部読んじゃうのも結局同じ心の働きなんじゃないの? 

ふつうの人がいくら金をつまれてもやらないようなことを、ボランティアでやらせてしまうだけの面白さというのは何なのか。きちんとそれを記述すれば、必ずそれは伝染して追随者を生むにちがいない。

プロジェクト杉田玄白参加者としては、翻訳する“面白さ”をいつか記述してみよう。それにしてもふつーテンペストぐらいは知ってるよねぇとふとまわりに聞いてみたら、ほんとに知らなかった。そんなもんだねぇ、教養なんて...

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2000/12/27 ●限りなく透明に近いブルー 村上龍

昨日の本を読んでいてこの本を思い出した。本棚の奥から探し出して、手にとってみる。Almost Transparent Blueだっけ。朝帰りの空を見て、この言葉をつぶやいてたこともあったけなぁ。

この本を読んでこんな感想を持つのも珍しいかもしれないが、とにかく描写がよいと思う。それは熱くぐちゃぐちゃにたぎるストーリーを、急速に冷やしてくれてとにかく気持ちいい。

空は曇っていて、白く柔かい布のように僕と夜の病院を包んでいる。風がまだ熱をもった頬を冷やすごとに、木の葉の擦れ合う音がする。風は湿気を帯びて、夜の植物の匂い、ひっそりと呼吸する夜の植物の匂いを運んでくる。

ちなみに装丁も本人がやったらしいけど、いい装丁だな。ちゃんと記憶に残ってたよ。

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2000/12/26 ●ひざまずいて足をお舐め 山田詠美

むかしから聞いたことあるけど読んだことがなかったので、改めて手にとってみた。うーん手にとることなかったかも。裏のカバーの虚構的半自伝小説なんてこういうフレーズ嫌いだな。どういう意味? 売らんかなの「自伝小説」と予防線の「虚構的」「半」が見え見えなんだよなぁ。

読み終わっての素直な感想は「密度がうすいなぁ」といったところだろうか、これだけの話をこんなに延々と語る必要があったのだろうか? 後書きには味方にしか読んで欲しくないなんて甘えたことが書いてあるけど、少なくとも読んだ人を味方にしようとは考えないところがつまるところ限界って気もするね。

若い娘ってこれだもんなあ、なんて思っちゃう。嫌なものを見つけ出すのだけは、うんと得意でさ。それと裏返しのいいことを捜すのがすごく苦手なんだよね。これから死ぬまでに何十年とあるっていうのに、そんなんじゃ、私だったら、つまらなくって生きていけないよ。

心の痛みは歯の痛みと同じかぁ、両方ともあんまり痛まないし。

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2000/12/25ロボット チャペック 千野栄一訳

むかしからよく聞く題名なので、手にとってみた。ほうほう、山椒魚戦争のチャペックの作品なんだ。確かに主題は共通しているところもあるような...

それにしてもなぜか戯曲って読みにくい。これもそんなに長い本とはいえないのに、とっては置いて、置いてはとってといった感じだった。耳から聞くことを前提に書かれているからかなぁ

私は人間が主人になることを望んだのだ! もうひときれのパンのために生きなくていいように!

生産の主人公が社長だなんて考えているのかね? そんなことなんて、生産をつかさどっているのは需要です。世界中が自分のロボットを欲しがったのです。われわれはただその需要の雪崩に乗せられていたのです。

話の結末は予想されるそれなので置いといても、労働力の代替としてロボットを作ることで人間はより創造的な仕事を行う未来像はけっこう一般的な気もするんだが、本当にそんな21世紀が訪れるのだろうか?

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2000/12/22 ゲリラ戦争 ●エルネスト・チェ・ゲバラ 五十間忠行訳

むかしからよく聞く題名なので、なにかの折りに手にとってみました。別にもちろんゲリラ戦争をやろうってわけじゃないんだけど、その理論にとどまらない実践に読ませるものがある。

ゲリラ戦の積極的性格とは、まさにゲリラ戦士の一人一人が死ぬ覚悟をもっているけれども、それはなにかの理想をただ守るためだけではなく、その理想を現実に転化するためなのだということである。

まあ、現代だとそもそもなにに反乱するかの方が問題なわけだけど...

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2000/12/21 アフリカの日々 ディーネセン 横山貞子訳

物語の楽しみを味わう本として、懐かしく思い出されるのはこの本だろうか? 映画の愛と哀しみの果ての原作だが、物語の一番いいところは当然のように映像化には向かない部分なわけで、以下に印象的な部分を...

デニスには私にとって大変貴重な特徴があって、それは物語を聴くのを好むことだった。というのは、あるいは私はフィレンツェでペストが流行したときに異彩を発揮できたかもしれないと、いつも思っていたからである。あの時代にくらべて流行はかわり、物語に耳をかたむける技術はヨーロッパでは失われた。文字を読めないアフリカ人たちは今もこの技術を身につけている。「ある男が野原を歩いていました。歩いていると、そこでもう一人の男に出会いました」という具合に物語をはじめれば、語り手はもう完全にアフリカ人をつかむことができ、彼らの思いは野原にいる二人の男たちの歩く道を想像し、そこをともに歩くのだ。だが白人は、たとえ耳をかたむけなければと思っていても、物語を聴くことはできない。そわそわしてきて、今すぐしなければならないことを思い出したり、そうでない場合は眠り込んでしまう。そのおなじ人たちがなにか読み物をほしがり、内容はなんであれ印刷物を渡されると、座りこんで夜遅くまで読みふけるのだ。彼らは演説でさえ印刷されたかたちで読みたがる。白人は目を通じて印象を受けることに慣れきってしまったのだ。
聴覚で生きているデニスは、物語を読むより聴く方を好んだ。農園にくると彼はこう尋ねる。「なにか話ができた?」デニスがいないあいだ、私は沢山の物語をつくっておくのだった。彼は毎晩暖炉の前にクッションを長椅子のかたちに並べてその上にくつろぎ、シェヘラザードさながら足を組んで床に座った私の話す長い物語に、はじめから終りまで、眠そうなふうも見せずに聴きいるのだった。デニスのほうが私よりも話のあとさきを良く憶えていて、ある人物を劇的効果満点に登場させると、そこでこう口をはさんだりした。「その男は話のはじめのほうで死んだのだけれどね。でも気にしないでいい」

バルベット氏の77歳の誕生日に、彼とデニス・フィンチーハットンと私の三人は、ンゴング丘陵の頂へピクニックに出かけた。座って話しているうちに、こんなことが話題になった。ほんとうの翼を生やしてやろう、ただし、いったん生えたらもう取れない、と言われたとしたら、その申し出を受けるか、それとも断わるか。
老バルベット氏は眼下にひろがるンゴングの緑の大地から、さらに西に横たわる大地溝帯にわたってはるかに見おろし、今すぐにでも飛び立ちそうな様子を示した。「わたしならお受けしますな。もちろん、そうするでしょうな。気に入るにちがいありません」そしてしばらく考えたあと、こうつけくわえた。「しかし、わたしがもしレディーだったとしたら、ちょっと考えものですが」

白人なら、耳ざわりの良いことを言いたいとき、「あなたのことを忘れられません」と書くだろう。アフリカ人はこう言うのだ。「私たちのことを忘れるようなあなたではないと思っています」

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2000/12/20 窯変 源氏物語 7 橋本治

この巻では、最近の本や映画で論じられているような●物語と現実の境の話がでてくるが(そもそも物語の中だけど)、話の流れはすぐに男と女の話に落ち着いて、源氏物語としてみれば“ごもっとも”なんだけど、いまいち腑に落ちない感じはつきまとってはなれない。

物語と現実の違いをつきつめて考えてみることこそが、物語とはなにか、どうして物語を読むのかを僕らに教えてくれる手がかりになりそうな気がする。

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2000/12/19 あすなろ物語 井上 靖

●ASUNAROってみてたら無性にこちらの話が懐かしくなって。孤独というのではないけど、なんていうんだろう、どこか第三者的な感覚がつきまとってはなれない。疎外感とでもいったようないつまでも自分の物にはならないような感覚が全編を貫いている。それにしても放り投げだされたように終るラストは、昔はものたりなかったような気もしたけれど、今読むとすがすがしくさえある。

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2000/12/18 希望の国のエクソダス 村上龍

●村上龍のストーリーテーラーとしての本来の能力からは、はなはだ疑問の残る作品だけど、いくつか読ませるところもある。まあ主人公と思われるジャーナリストにも中心的な役割を果たす中学生にも感情移入をさせない書き方なので、ストーリーが流れるはずもないんだけど。少し周辺的なところから

居酒屋で群れているサラリーマンを見てください。彼らにしかわからない貧弱な言葉で、群れの中で笑い、群れの中で叫ぶだけです。個人として対面すると何も話せない。話すこともないし、話し方も知らないし、コミュニケーションが努力なしでも成立すると思っています。フリースクールの子どもたちは、まず孤独です。不登校という大変な状況の中で、自分を確認しなくてはいけないので、自然と言葉を獲得しようとするわけです。彼らは本をよく読むし、これから自分はどういう風に生きて行けばいいのかということを考えていて、他人の話をよく聞きます。必死で理解しようとするわけです。自分の生き方を他人に説明したり、他人の意見を理解するということは彼らにとって死活問題なわけです。

彼らは徹底して無駄を嫌う。

「無駄を嫌う」っていうのが少し近いって気もするんだけど。

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2000/12/15 漂流街 馳星周

サッカー話とか中途半端な時代の取り込みがいよいよしらけさせる。うーんこの人は場所の作家だと思ったんだけどねぇ。例えてみればロスのレイモンドチャンドラーみたいにね。かなり無理があったかな。

それにしても、どうしてこんなに粗製乱造させるんだろう。作品を追うにつれ確実に散漫になっている。特にこれほど長いなら長さに応じた枠組みとカタルシスが必要だと思うんだけど、この小説にはどちらも全く欠けている。それにしてもかえすがえすも●不夜城がよかっただけに残念。

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2000/12/14 バブル 日経ビジネス

●高橋治則に着目してバブルの胎動から膨張、転落から崩壊までを描いた本。背後の原理・原則の話がとってつけたようで、いささか手軽に現象だけをまとめすぎた感じはあるが、今の世の中の仕組みを把握しておく点で一読に値する。バブルを心理的に描いたものとしては、もう一冊地上げの話で小説っぽく仕上げた別の作品があってより読ませたんだが、題名は忘れたなぁ。バブルで心がかわっていく様を興味ぶかい人物をそろえて描いたいい本だった記憶があるんだが...まあ、この本でいくつか気になるところを

「そんな話を聞きたいんだったら、もう会っても仕方がない」
彼がインタビューを打ち切ろうとしたほどに気に障った質問は、結婚に到る過程を尋ねたものだった。日航入社6年目の時、彼はある女性と結婚している。その女性の名は岩澤滋。「北海道の天皇」の次女だった。中略。高橋は岩澤と結びつけられることを異常なまでに嫌っていた。だが、彼が顔を紅潮させ,声を荒げてまで否定する姿は、その影響の大きさを、図らずも露呈していた。それを裏づけるように、高橋に近い人たちは、異口同音に「岩澤靖の強い影響を受けていた」と指摘する。カネをばらまいて政界や財界に人脈を張り巡らせていく手法、すべてを自分の思い通りに動かそうとするワンマン経営、矢継ぎ早の事業拡大、金融や相場による錬金術に魅せられての破綻劇・・・。

後に「地価暴落の引き金」と批判された総量規制も、発動した当時は「当然」と受け止められた。大蔵省の銀行局担当審議官だった西村吉正はこう語る。「今から振り返ってみれば、総量規制はもっと早くやるべきで、そうでなければやらない方がよかったと思いますよ。でも後になって考えるからそう言えるので、当時、反対したのは不動業界ぐらいでした」地価の高騰は、都市部の人々から住宅取得の夢を奪いかけていた。国民は諸手を挙げて、この政策を歓迎していたのだ。
この金融当局の2人が言う、「当時は世論が支持していた」という言葉は確かに間違っていない。だが、そのことによって政策責任を回避できるわけではない。そもそも、国民の多くが望んでいる政策を実行するだけならば、誰にでも出来るからだ。悲しいことに、日本には未来を見据えて政策を打ち出せるような人材は、少なくとも金融当局にはいなかった。すべては、日本全体を覆う“空気”によって決められてしまった。

「時代の寵児」と呼ばれ、不動産から株式、さらには絵画にまで手を広げた高橋治則。彼の事業膨張の糧は紛れもなく、こうした政官財の権力中枢との癒着にあった。また、事業拡大を支えた長銀からの莫大な融資は、護送船団の下で長銀が国内の他銀行との競争ばかりに駆り立てられた結果だった。
バブルは決して低金利政策の長期化という金融政策上の失敗だけで発生したのではない。日本を代表する大企業や金融機関に横並び意識を強く植えつけ、同じように投資し、同じように損失を先送りするように導いた張本人。それは、変化を拒絶して既得権益にしがみつく政官財の権力機構に他ならない。仮にそれが今も変わっていないとしたら、バブルの悲劇は再び繰り返されるのかもしれない。

先日の本と違って射程は短いんだけど、わりあい的に当たっているかなぁ。いまいち真ん中を撃ち抜けてない感じがぬぐえないけど...

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2000/12/13 鎮魂歌 馳星周

犬好きの殺し屋ってとことんリアリティないなぁ、鉢植の植物を大事にする殺し屋(レオンだっけ)はリアリティあるのに。こんな人もしくは刑事がくずれたような人が主人公じゃあねぇ。前作の魅力ある主人公はどこにいったの? 

と思ったらちゃんと出てくるけど、やけに中途半端な登場。でも作者の寵愛もあきらかに前作の主人公にあるので、そこがストーリーの分裂にもつながっているかなぁ。まあ一回読むには楽しめるかもしれないけど、●前作「不夜城」にみられたような歌舞伎町を書ききった迫力はどこに消えてしまったんだろう? まあどちらにせよ前作を読むことをお勧め。

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2000/12/12 ホワイトカラー C・ライト・ミルズ 杉政孝訳 東京創元社

●ひとつの物事についてじっくり考えることの大切さを感じさせてくれる本。なにが本当に大切なのか、本質なのか? 的にむけて短い射程の銃を撃ちまくるのか、長い射程の銃をじっくりねらって撃ち抜くのか。その的と打ち方は、結局自分の頭の中でしか作れないわけだし、忘年会とかいって浮かれて飲んでばっかりいちゃいけないねぇ。

アメリカの各職種に関するイメージは、実際の経験を総合して、注意深く作り上げられるのでなく、習慣や教科書にもとづいて、安易に類型的に作られているものが多い。そして、現代では、大衆娯楽や、マス・コミュニケーションによって、それらのイメージはおぎなわれ、はなはだしい場合は、捏造される。

職人は、生産の過程においても完成後にも、生産物を自己の生産品として悦びをもって眺めることができたが、ホワイト・カラーには、そのような対象がない。彼はその労働の生産物からは切り離され、連日きまりきった事務書類をくり返しているだけであり、やりきれなくなって暇な時間には、彼に売りつけられる安っぽい娯楽に気をまぎらしたり、結局は精神的緊張をやわらげることにはならない一時的な興奮に身をまかせたりする。こうして仕事には倦み疲れ、娯楽にも真の休息は得られず、このやりきれない悪循環をくり返しているうちに、貴重なエネルギーを消耗しつくしてしまう。

アメリカの農民は、アメリカ資本主義発展の手段であり犠牲であった。余剰生産物のおかげで、高率関税の陰にかくれて工業を育成することができたという意味で、手段なのであり、資本家が支払うべき高い利息と運賃を、肩代わりして支払わされるとともに、関税で保護された国内製品を高い値段で買わされたという意味で犠牲となったのである。

それにしても労働の意義から政治的冷笑までを取り扱う本書は、ホワイトカラーであろうがなかろうが必読の書だと思う。1951年に書かれた本とは思えない。はるか遠くにある的の“ど真ん中”をしっかりねらって撃ちぬいた作品。

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2000/12/11 レオニーの選択 ブルクハルト・ヴェーナー 鈴木仁子訳 光文社2200円

どうして自分でも全く興味のないことを政策課題の中心に据えられるんだろう? あの首相が一本指で端末を叩いている姿は、たぶん世の中でもっとも悲しい光景の一つだと思う。いや、別に技術や知識がないことを責めてるわけではない。信じてないことを口にだす人の顔が大体傲慢で醜く見えること、本人だけがそれを知られてないと思ってることが悲しいのだ。

こういうときこそ●政治に何が必要で、何が求められるかを民主主義から丁寧に扱ったこの本を手にとってみたい。

ただ題名とかは「ソフィーの選択」っぽくするわけね。本の世界においても「真似っこ」戦法は有効なわけだ。映画のパート2ものみたいなもので、いかに選択するにも能力が必要かがよくわかるよなぁ。

近代民主社会では、政治は市民が言いつけるものというより、政治家が提供するものになっているんだ。

政党が約束する主張を眺めてみると、わたしたちが利益の保護と問題解決としてまとめたものが片っ端からみつかる。

政党の政策提言は、今日では、なにをさておき、感情に訴えかけるものを主体にしている―と。感情に訴えかける公約、これはさらに3種類に分けられる。1つ目はエンターテインメント、つまり娯楽的なもの。2つ目、イデオロギー。これは政治理論や概念や価値観が漠然と合わさったものを指す。そして3つ目が市民の心の中にある、感情移入への欲求を狙ったもの。

代表制民主主義が実際はそれほど国民を代表していないからだ。選挙を一つするだけで、摩擦や対立の一端は闇に葬られてしまう。それは正当な政治上の利害を闇に葬ることだ。

民主主義は、したがって民族に基盤を持つ国民、そしてそういう意識の下に民族主義的になりうる国民を必要とする。ナショナリズムが国内を求心的に統合する基本の合意を作り出すからね。

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2000/12/08 モンキーズ スーザン・マイノット

スーザンマイノットについてはここで別の作品を取り扱っている。この作品は7人の大家族を題材に、9つの月の何気ない日常の家族模様をそれぞれ短編〜中篇という形で描き出している。

最初から最後までどこか悲劇的な色合いに満ちていて、全体にモノトーンの風景をみているかのような、騒々しい中でふっと自分の周りだけ静けさを感じさせるような気持ちにさせる。どんな気持ちだって? 

それにしてもどうしてスーザン・マイノットに注目したんでしょ? 最近の英米文学の一環としてかな? これ以降もEveningとかFOLLYとか書いてるんだけど訳されてないみたい。まぁ最近は英語の本も手に入りやすくなったしね。

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2000/12/07 あ・うん 向田邦子

もっとも●日本的な作品を映画とセットでといわれたら、たぶん迷うことなく「あ・うん」だなぁ

こいつも感傷的ってやつかもしれないけれど、友情、初恋、純愛とか人がいるかぎり変わらないものってあるわけだしね

「むつかしいな。みすみす実らないと判ってたって、人は惚れるんだよ」

なるほど

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2000/12/06 世界の終わりには君と一緒に 桜沢 エリカ

世界の終わりにはどうします? 何を食べるかっていうのもありがちだけど、もう少しすすめて誰と一緒かっていうのもあるよなぁ

シンプルなストーリーの気持ち良さってあり。

昔付き合ってた女の子を事故で死なせちゃって、誰にも会いたくなくて、話もしたくなくて、ずっと家にこもってた時期が2年くらいあってさ。でもさすがにこれじゃいけない、外にでなきゃ。とりあえずどこか行かなきゃって思って。なんとなく来たのが競馬場だった。

こんなにたくさんの人がいても、オヤジとかみんなひとりで来てるじゃん。そんでそいつら全員が自分だけの競馬を黙ってやり続けてる。

当たり前だけど、結局、人間はひとりなんだって感じして。なんだかそういう空気がやけにここち良くてさ。リハビリのつもりで毎週通ってたんだよね。でもこんなに気持ち良くて楽しくて、そんで悲しい場所ってほかにないと思うよ。

感傷的にすぎるかもしれないけど、けっきょく“喜怒哀楽”なわけだしね。

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2000/12/05 青空人生相談所 ●橋本 治

昨日とは一転して「悩み」サイドから。悩みにもいろいろあって感心することこのウエなし。この本のなかにもあるけど、自分一人の悩みなんてものは存在しなくて、どこかでだれかが悩んでいるはずなのでそいつを参考にするっていうのは一つの考え方だよなぁ。

それにしても悩みが明確になるってことは、自分の好きなことが明確になるってことでもあるし、そういう時には実は悩みも解決してて、あとはえてしてやるだけだったりもするけどね。

自分の娘を箱入りにしようとするお母さんへの次のたとえはなかなかいいなぁ

あなたのお嬢さんは、世の中という、広いグラウンドの中にいるんです。そして、そこのバッターボックスに今立っているんです。バットを持ったお嬢さんに、ボールを投げるピッチャーは、多分、そのお嬢さんのボーイフレンドなのでしょう。ボーイフレンドばかりではなく、学校とか就職とか、色々なピッチャーが、たった一人でバッター・ボックスに立っているお嬢さんに向かって色々なボールを投げるでしょう。それを打つのがお嬢さんの試合なんですよ。そういうものが、人生なんですよ。あなたはお嬢さんをバッターボックスに立たせない“監督”なんですか? だとしたらあなたのお嬢さんの人生は、永遠にダッグアウトー控え室の中で腐って行くものでしかありませんね。

あなたは、「だって、娘の打った球がどこへ飛んで行くか分からないもの」というその理由だけで人生に反対している、訳の分からない人なんですよ。

あなたは、“保護”というものをカン違いしてらっしゃいますけども“保護”というのは、そういう幼い打者をバッター・ボックスに立たせないことではなくて、まだヘタクソなバッターが試合に慣れる為に、「どこにボールが飛んでったって大丈夫、いざとなったら、お母さんはどこにだって飛んでって、そのヘタクソなボールとっつかまえて上げるから」と言って、試合の場に送り出すことなんですよ。母親というのはそういうグラウンドを持っているようなものじゃありませんか?

そういうもんなんでしょうなぁ、グラウンドで乱闘とかする相手チームもいるから気をつけたほうがいい昨今だけど。

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2000/12/04 極上の憂鬱 フェデリコ・カルパッチョ 木暮修訳・註

●付け焼刃くらいの時が何事も一番楽しいものである。イタリア料理を始めとした“イタリア”もようやく付け焼刃くらいまではきた感じもするので、どれくらい付け焼刃か見てみることにしよう!

皆スパゲティを一皿と、せいぜい日本でサラダと呼ばれるクズ野菜の寄せ集めを付け合せにたべる程度で食事を御仕舞いにするのだとか。

スパゲティは二刀流で対処しながらピッツァになるとなんとナイフを使わずインド人のように手で食べてしまうという実に不条理な不可思議に外ならない。

と、軽いジャブから。でも“クズ野菜”は言い得て妙だよなぁ、クズ野菜。

ヤキュウの面白さはむしろグラウンドの外にあるのだ、と。中略。グラウンドのなかでは何か面白いかって? ふふふ、グラウンドのなかが面白いのはサッカーに決まっているのだよ。

イマフウの店の怖さは、このように何を考えているのか皆目見当のつかないあたりにある。そして、そうした暴挙を許容し助長し促成し育成し哀願するだけでは飽きたらず仲間に喧伝さえする女の二人連れにも問題はある。また安易な合体による思いつきの料理は、本来そなわっているもともとを両方ともそこないかねないことを知らないことにもある。あるいは、女同士で夕食をとらざるえないような人間には、魅力という点でそもそも問題がある。

まあ、それ以外にもいろいろ面白いことは山積なんだけどね。それにしても人生を愉しむってどういうことが実証的に研究するにはサイテキか?

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2000/11/27-12/1 窯変 源氏物語1-6 橋本 治

豊か、贅沢って言葉は、人それぞれにいろいろな意味をもつんだろうが、源氏物語みたいな長編をじっくり読むのも間違いなく「豊か、贅沢」って気がするよなぁ。

特に紅葉がきれいな高級旅館とかで温泉とおいしい夕食がついていれば、これ以上に望むものがあるだろうか? いや“なし”でしょう。ただそういうところで読み始めると、東京に帰ってきて会社の行きかえりに続きを読むのが多少ため息まじりになるのは、いたしかないところか...

源氏物語は、「あさきゆめみし」で始めて、与謝野晶子訳を読んだ記憶があるけれど、この「窯変」が一番原作を味わわせてくれている気がする。枕草子では勉強しながら訳している感じがうかがえてたけれど、この作品では十分にこなれているし、いい作品だと思う。今年中に全部読めるかなぁ?

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2000/11/24 日常生活の冒険 大江健三郎

大江健三郎の本はここで、書き出しで引きこまれる本はここかな? この本の書き出しも

あなたは、時には喧嘩もしたとはいえ結局、永いあいだ心にかけていたかけがえのない友人が、火星の一共和国かと思えるほど遠い、見知らぬ場所で、確たる理由もない不意の自殺をしたという手紙をうけとったときの辛さを空想してみたことがおありですか?

でセンチメンタルすぎるきらいはあるけれど、引き込まれるよなぁ。それに引き続いて、

ネコはイヌのごとくそれを使用する目的が異ならないので構成的相違の品種が少ない。20世紀後半の人間は、生きる目的が異ならないので構成的相違の品種が少ない、というふうにこの文章は活用できる。中略。そこで、おれは、自分の能力をフルに発揮して、自分だけでも他のホモ・サピエンスとは構成的相違のある別品種になりたいんだよ。

本質的なことはみな、いちどおれの頭で考えて、おれ専属の答えを用意しておこうと思うんだ。きみにしても、いま向こうからよぼよぼの婆さんがやってきて、わたしは癌なんだけど、死についてあんたの個人的な意見を聞かせてもらえませんか? といったとすると困るだろう。おれはそういうとき困らないように準備しているんだね。

それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ、錘のような恐怖心から逃れて!

なんて気持ちになることも、なかったとはいえないよなぁ。

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2000/11/22 国境の南、太陽の西 村上春樹

この話から、ふと思い浮かべた本。別にたいした本ではないと思うし、余計な部分が長すぎるとは思うけど、構成を含めて必要な長さに感じさせるところが作者の上手さなんだよなぁ。ディテールに全然リアリティがなく、それだけいっそう奇妙な“空中庭園”を感じさせる。

でも僕は時間をかけて、自分が口にするべき言葉を見つけ出した。

ここで見つけられた言葉が、それにふさわしかったかどうかはわからない。それでも、

どこでもいいから、二人で行けるところまで行こう。そして二人でもう一度始めからやりなおそう。

なんて気持ちになることが、なかったとはいえないよなぁ。

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2000/11/21 T.N君の伝記 なだ いなだ 福音館書店

T.N君って最後の方まで誰だかわからなかった、やれやれ。

でも確かに

名前とは不思議なものさ。なんべんも名前を聞いて、顔をおぼえると、それでその人間のことが、よくわかったような気がしてしまう。

からなぁ。

確かにTN君の思索の内容、ルソーの自由民権や唯物論に注目しがちだが、伝記ということでむしろその生き方にフォーカスしてみると、思索と行動、金儲けと金の使い方のバランスについて考えさせる。自分が何に向いているのか、何に向いていないのかを決して見誤らないことは、事を成し遂げるには必要なことだなぁ。ただ自分の限界を決めず、思索の中に行動を求めて行く姿が、人の心を動かし何かを残すこともまた確かなことだとも思うけれど。

TN君は、無神論者らしく、死後、医書で自分のからだを解剖させた。医学者をのぞいて、自分のからだの解剖をさせた文人は、TN君がはじめてではなかろうか。TN君は、宗教上の儀式は行なわせず、墓碑さえ建てぬように、遺言した。TN君にとっては、残した本こそが、墓碑だったのだろう。

残した墓碑をぜひ読もう。

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2000/11/20 ゼンダ城の虜 アンソニー・ホープ 井上勇訳

続きがなにかと気になって、図書館から取り寄せて読んでみた。もっと気にしなきゃいけないことは、たくさんあるような気もするが...

後日談のヘンツオ伯爵も一緒に読めてお買い得な感じである。まあ話はいつものとおりで、三銃士とかアーサー王とか騎士道もので安心して楽しめる。話としてみれば、最初の“大使館武官の話”のフリと最後のオチは別になくてもいいし、全般的に悪役にもう少しキレがあってほしいものである、カッコだけじゃなくて(笑) それにしても、人が何かをする動機づけとして自分の利益だけじゃない好例があるし、二人が拳銃を向け合っているとき先に下ろすのはどちらからか? というあたりは楽しめるか。

あとは勝手な法則だけど、物語において主要な場所+人物=10が、読みすすめていくのに限界に近い数字という意識をもっているのだが、この作品では場所3+人物7=10くらいのバランスが人の描き方の上手さとよくマッチングしていると思う。発言における性格づけが上手くて、後半になるとこの場面ではこう言うだろうなという発言がきちんと出てくるのである。そういう意味でも翻訳においては会話の訳し方が重要そうだなぁと思いながら、読了し、気になってたことが解消してなによりである。

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2000/11/17 天才数学者たちが挑んだ最大の難問 アミール・D・アクゼル 吉永良正訳

フェルマーの最終定理を解くまでを、数学の歴史をあわせてかみくだいて書いている。放浪の数学者の方の本を取り上げたかったけど、手元にないもので。その本の中でひとりきりでこもりきって数学の問題をといたことへの批判があって、その経緯が知りたくてこの本を手にとって見たが、そこらへんの経緯は一通りで真の理由はよくわからない。

まったくの孤独と言うわけでもなくて、協力者はいたみたいだけど、それにしても7年間も一つの問題を解けると信じて取り組むことこそ才能の証だよなぁ。

それにしても日本の数学者の書いた参考文献が英語だけで邦訳ないっていうのもなんだかねぇ。

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2000/11/16 死者の奢り・飼育 大江健三郎 新潮文庫

一転して狭い部屋に閉じ込められたような閉塞感ともなう小説なんぞを。大江健三郎といえば、ぜったい口にだしてよまない文章(最近こんな話を読んだな、ここ)の典型だな。ひとのせりふとか口にだしたらヘンだけど、文章の中では自然なんだよな、なぜか? 詩的なものを感じさせるようでもあるし...

このひとの文章もどこかを引用するものでもないような気がするな。でも「日常生活の冒険」が好きなんだよな。また読もう

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2000/11/15 ニュー・ニュー・シング マイケル・ルイス 東江一紀訳

SGIからネットスケープ、さらにヘルシオン(この企業はよく知らないな)を作った男ジム・クラークの本。80年代の宇宙の中心、投資銀行を描いたマイケルルイスが、90年代の中心、コンピュータ産業について語っている。

だいたいドットコム企業ひとくくりの悪い病気はまだ健在みたいだね。持ち上げる時は持ち上げて、落とす時はとことん落とす。ごくろうさま。ドンキホーテ講義のときもちらっと触れたけど、評価ができない人はジェットコースターに乗ってるようなもんだね。大体ドットコム企業なんて安易なひとくくりからして、認識力のかけらもないじゃない? 本物の実例をこの本でみてください。

つまり新しいアイデアもしくは新しいテクノロジーを見つけることを旨とし、それによって(a)財をなし、(b)業界全体を混乱に陥れ、(c)一般の人々に「おっ、何かが変わったぞ」と言わしめるような営為は、科学の範疇には入れにくい。かといって、思想家と呼べるほど真摯な思想に携わっているわけでもない。大金を稼がないかぎり、実業家とさえ見なされない。少なくとも、まともな実業家たちからは相手にされない。本人は起業家を名乗るかもしれないが、この言葉はもう使い古され、本来の意味を失っている。現実の問題として、このタイプの人間が果たしている役割を表す適切な用語は存在しないのだ。

その探求の対象となるものにも、名前がつけにくい。一般的には、それは、商業可能性の最先端にあるテクノロジーやアイデアを指す。先の先を行くもの−先の先を行くものとは何かを語るのは、先の先を行くものとは何でないかを語るよりむずかしい。それは必ずしも新しい発明である必要はない。新しいアイデアである必要すらない−ほとんどすべてのアイデアは、過去のどの時点かで誰かの頭にのぼっている。先の先を行くものとは、市場の注目を集める潜在的な力を秘めた着想のことだ。一般に受け入れられるまでには、あとほんのひと押し足りないが、そのひと押しさえあれば世界を変えることになるようなアイデア。

経済の進歩はおうおうにして、より高いレベルの快適さをもたらすが、進歩を担ってるのは、快適すぎることを好まない人間たちなのだ。

うーん38歳にして、仕事を首になって、2番目の妻に出ていかれた人生の敗残者がどのようにして成功に至るのか? それにしてもGPSのプログラムは日本製の方がいいみたい、今じゃめったに道からずれないよ、ということで

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2000/11/14 津軽 太宰 治

後書きでは太宰の作品でどれか一つを選ぶなら、この「津軽」だっていってるんだけど、正気? いや別に悪い作品だとは思わないけど、いくら後書きでもそれは書きすぎってもんでしょう。たしかに随所にいいところはあるけれど、最後にこんないいわけ交じりの紀行文だし

私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あればまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

おもいっきり優雅な虚飾の「斜陽」でも「人間失格」でも読んでください。

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2000/11/13 ナボコフのドンキホーテ講義 ウラジミール・ナボコフ

ナボコーフにしておこうか? ドンキホーテもそうだけどある程度みんなの共同の幻想の対象となると、正しく評価するのは難しいよなぁ。そもそも正しい評価って何って問題もあるわけだ。あとどんなところにも課題評価、過小評価はつきものでだからこそ市場で大もうけする人もいるわけだけど、物事を正しい評価に近づけるヒントはこの講義を受けてみてください。

だいたいまず本でいえば読まないのは論外! 当たり前なんだけどね、当たり前のことができてないわけ。ちなみにドンキホーテ読んだことある? 編集された短いやつとかだめだと思う、それは別の作品だよなぁ。

この「ドンキホーテ的」という語は、いまではまったく好き勝手な意味合いで用いられている。本当は「妄想にかられた」「自己欺瞞にかかった」「現実と衝突して芝居をする」というような意味合いであるべきなのだ。それなのにどのようにして「見事に理想主義的」という意味を持つように至ったのか?

えーと、講義なんて受けたくないよって人のために、一言。本文にもでてくるけど、ひとつずつ着々と進めていかなきゃいけないこともたくさんあるわけだね。

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2000/11/10 インターネットはからっぽの洞窟 クリフォード・ストール 倉骨彰訳

最近なにかと話題で、カッコウはコンピュータに卵を産むの作者でもあるクリフォード・ストールの本。まあ確かにインターネット&コンピュータは知的な作業の一部分を少しお手伝いしてくれるだけっていうのは、忘れがちだけど重要な事実だよな。

とにかくソフトウェアはすぐには使えない。ちゃんと使えるようになるまでに費やす貴重な時間に比べれば、ソフトウエアやハードウェアの購入代金などかすんでみえてしまう。

ビデオテープはどこにでもあるし、いたって簡単に利用できる割には優れ物で、データ4Gバイトも記録できる。だからレンタルビデオ屋の行きかえりに20分かかるとしたら、往復のデータ転送レートは、3メガバイト/秒という計算になる。

その他にも書籍の電子化とか興味深い話がもりだくさん。でもトータルでみると話はよくわかるけど、結局過渡期の問題であって、しまいにはよりよいソフト、よりよいネットワークで解決されるんじゃという気がしなくもない。結局、コンピュータの前にどれだけ座っていてもお腹は空くわけだしね(笑)

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2000/11/09 リバーズエッジ 岡崎 京子

山形浩生お奨めで前にマンガ喫茶で読んだ時は、Pinkの方がいいなぁなんて漠然と思って通り過ぎて行ったけど、マンスフィールドを読んで無性に再読したくなった。少女による1922年と1994年の死体と現実の扱いははこんなにもちがうんだよ!

わたしはね“ザマアミロ”って思った。ザマアミロって? その通りよ。“ザマアミロ”って。世の中みんな キレイぶって ステキぶって 楽しぶってるけど ざけんじゃねぇよって

ざけんじゃねぇよ いいかげんしろ、あたしにもないけど あんたらにも 逃げ道ないぞ ザマアミロって

その続きこそ読まないとね。詩が読まれなくなって久しいが、その一部は歌に、その一部はマンガに確かに受け継がれている。

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2000/11/08 翻訳夜話 村上春樹 柴田元幸 文春新書 740円

二人のてだれの翻訳者による翻訳の本。翻訳について非常に率直に語られていると思う。同じ作品を2人が訳しているものも収録されていて興味深い。中にライ麦畑〜には別訳があってもいいって話がでてくるけど、やっぱり普通は思うよな。でも

同じ意味合いで、前々から言っているように「グレイト・ギャッピー」もいつかやりたいですね。ただ「ライ麦畑〜」については、契約なんかのことでいろいろと難しい問題があって、現実的には僕が翻訳することは不可能に近いんですが。

ということらしい。どういうなんのための契約なんだか? その他にもいくつか参考になる話を

村上さんがフィッツジェラルドならフィッツジェラルドをただ読むだけではなくて、訳したいというところに向かったのは、何か理由があったんでしょうか

結局自分で文章を解体して、どうすればこういう素晴らしい文章をかけるのかということを、僕なりに解明したいという気持ちがあったんだと思います。英語の原文を日本語に置き換える作業を通して、何かそういう秘密のようなものを探り出したかったのかな。自分で実際に手を動かさないことにはわからないこと、身につかないことってありますよね。

ほとんどの作家は、訳者の質問にとても親切に丁寧に答えてくれます。彼らは批評家に対してはやっぱり、半分敵、半分味方と思っているようなところがあって、非常に警戒的な態度をとるんですけれども、翻訳者っていうのは、何かね、自分が寝ている間に働いてくれる小人みたいに考えているんじゃないかな(笑)。すごく好意的です。

それからジョン・アーヴィングのオウエンのために祈りを、あれも最近になってやっと出たけど、十年くらい翻訳にかかってますね。ジョン・アーヴィングぐらいの同時代作家になれば、やはり時系列に、あまり遅くならないようにして翻訳をだしていくべきですよね。これは翻訳者の義務であり、出版社の義務ですよ。それが十年も経ってその間に発表された作品の翻訳がいっぺんに出るというのは、これは問題だと思います。だから正確に一生懸命やるというのも大事だけれども、スピードも大事ですよね。

それは僕にとって耳が痛い話で(笑)。この間、ある作家の翻訳が遅れに遅れていて、その本人ではありませんが、エージェントから出版社に手紙がきて、見せてもらったら、お前んとこの選んだ翻訳者は評判はいいそうだけれども、いい翻訳でもでなきゃいい翻訳じゃないんだよって書いてあって。

僕は絶対言葉に出さない。というのは、音声的なリアリティーと文章的な、活字的なリアリティーってまったく違うものだから、音はあまり意味はないんですよね。芝居の台本のための文章を書いているんだったらもちろんそれはありますけどね。口には意識的に出さない。

翻訳の授業をやっていても、ここに点を打て、全体的に読点をもっと工夫しろとか、とにかくそればっかり言ってるんですよね。こないだなんか、「この授業では、読点は人格上の問題だ」とまで宣言した。

ということは村上さん、朗読会とかでは意図は伝わらないということですか

ああ、朗読会というのは、あれはひとつの余興だから、そんなに意味はないですよね。まあうまい人はいるけどね。だから、登場人物の科白なんかは口に出してしゃべっちゃうと、何かすごく変に響くときがありますね。目でみると普通なんだけど。で、僕は自分の小説が映画になるのが好きじゃなくてだいたい全部断っているんですが、それは自分の書いた科白がそのまま音声になるのが耐えられないからです。

そうですね。それはかなり違ってくる。逆に、しゃべるんだったらこうしゃべるのがリアルなんだけど、字にするとおかしいというのもありますしね。

まあでも、たしかに翻訳って不思議な作業だよなぁ。機械的なようで一番人間的な行為にも思えるし...やってみるとよく分かるんだけど(笑)

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2000/11/07 ゼロの焦点 松本清張 新潮文庫

昨日の短編集とか今日の推理小説とかはほとんど手にしないんだけど、たまにはいいね。特に松本清張のこの作品は、伏線の張り方が無理なく無駄なくで気持ちよく読める。でも推理小説から引用もなんなので...

青酸カリとか最後を英語の詩でしめるところなんかが、時代を感じさせるところもあるが、日本の推理小説のスタンダードと言った具合だろうか? それにしても解説に書かれている推理小説犯人当てゲームはおもしろそうだなぁ。

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2000/11/06 マンスフィールド短編集 マンスフィールド 安藤一郎訳 新潮文庫

マンスフィールドは代表作の園遊会、ガーデンパーティから少女の思いを綿密に書きおこしている。少年の思いを書き出すSome one like you あなたに似た人のThe Wishと双璧をなしてると思う。

ただまあ日本ではいくら豊かになっても、ガーデンパーティはまだ縁遠いよなぁ。

「人生って」と彼女は口ごもって、「人生というものは−」だが人生とは何か、彼女には説明できなかった。それでもかまわない。ローリーはよくわかってくれた。

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2000/11/02 騎馬民族は来なかった 佐原真 NHKブックス

さあ昨日の本からひるがえって●日本の古代史とかを振りかえってみると、お寒い限り。日本人の起源として騎馬民族征服王朝なんてトンデモ話はこの本を読んで誤解を解いてもらうとしましょう。(知らないならそれにこしたことなし、そんな説が一時期人口に膾炙した)

考古学は一見したところ、いや、じっくり見てもつまらないような小さな事実をいくつも積み重ねて検証を重ね、地道に日本の歴史を解明すべきです。

確かにもとの“騎馬民族説”をみるとそう言いたくなる気持ちもわかるけど、それは研究ベースの当たり前の話であって、本として発表する態度としてはなぁと思わなくもない。この本もいくつか興味深い点もあるんだけど、いかんせん誰に向けて書かれているのか? といった具合だろうか。それでも、騎馬民族説とともに消えてしまうにはおしい興味深い点をいくつか

日本人の考え方はいかにも農耕民族的だとか、ヨーロッパの人は牧畜民的だとか狩猟民族的だとかいうのです。これはきわめて不正確な、誤解をまねく、あるいは無責任な表現です。なぜなら日本の農業は世界的に新しいのです。p48の図は必見 農業の伝播がいかに悠長かもよくわかる。

床屋さんのしるしの赤・青・白が動脈、静脈、包帯をあらわすという説は、正しいかどうかわからないのだそうです。ただし瀉血(blood-letting)を仕事とした時の名残と解釈すれば話はおもしろくなります。

とにかく騎馬民族説を信じている方は必読。それにしても、日本のJダイヤモンドこそ出でよって感じだなぁ

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2000/11/01 人間はどこまでチンパンジーか? Jダイヤモンド、長谷川真理子・長谷川寿一訳 新曜社

昨今いろいろなところで“Guns,Germs,and Steel”で話題の●Jダイヤモンドの本で、ヒトの進化から話を始めて行くんだけど、例のなぜ言語をしゃべれるようになったかという大きな疑問(ここここを参照)とともに興味深い疑問を取り扱っている。以下にその一部を...

私たちが大きくなるまでに一緒にいた人々は、配偶の相手としては彼ら自身は適当ではないのですが、ともかく、私たちの美の基準とサーチイメージを作り上げる役割を果たしているのです。

(結婚相手における)肉体的な特徴の相関は平均0.2で、性格の特徴(0.4)や宗教(0.9)に比べるとそれほどではありませんが、それでもゼロに比べれば有意に高くなっています。いくつかの肉体的特徴は、0.2よりもずっと高い数字を示しており、たとえば、中指の長さには0.61というびっくりするほど高い相関があります。少なくとも無意識のうちに、人々は、相手の目の色や知能の高さよりも、中指の長さに注意を払っているようです!

まあ、あらためて指摘されるとふむふむといった具合だね。なぜそうなのかというところに一段と興味がひかれるけど...子供が子供を産めないことや女性の閉経については、なるほどと思うような理由が説明されている。

自然淘汰のなすべきことは、自己の修理と繁殖とに相対的にどれだけのエネルギーを費やすかを調整し、生産の平均で見たときに繁殖効果を最大にすることなのです。

その他にも、最近は常識になってきた狩猟採集生活や農業の生み出す余暇と芸術の話。

狩猟採集生活から農業に転換したことは、私たちがついに安定した食料供給を確保し、現代文明の進歩に不可欠な余暇を手に入れる契機となったとして、ヒトの進歩の決定的な一歩であったと一般には思われています。実は、この転換をよく調べてみると、別の結論が引き出されます。ほとんどの人々にとっては、この転換によって伝染病と栄養失調がもたらされ、そして早死にするようになったのです。

チンパンジーは飼育下で絵を描くのに、どうして野生では描かないのでしょう? その答えとしては、野生では彼らの生活は、食べ物を探し、生き延び、ライバルのチンパンジーを追い払うのに精一杯だからだと私は答えたいと思います。

後半なんてこう書き換えてあげたい。ヒトはどうして“自由な”作品を創造しないのでしょう? その答えとしては、彼らの生活は、食べ物を探し、生き延び、ライバルを追い払うのに精一杯だからだと私は答えたいと思います。そしてなぜ薬物中毒になったりするかや昔から疑問に思っていた地球外生命体の探索についても、

寿命が短く、求愛も短時間で行う動物だちが、素早く見てとれる指標を発達させる以外に手がないのは事実です。これからつがいになろうという個体は、それぞれの個体の真の能力をじっくりと測っている時間の余裕はないからです。しかし私たちは長生きし、求愛にも時間をかけ、ビジネスの関係も長続きしますから、お互いの価値をよく見極めるだけの時間があります。私たちはもう、あまり信頼のおけない表面的な指標に頼る必要はないのです。(酒やタバコといった)薬物中毒は、ハンディキャップ・シグナルに頼るという、かつては有効だった私たちの本能が、今では私たちの身を誤らせているという典型的な例だと思います。

私は何億ドルというお金をかけて地球外生命を探そうとしている天文学者たちが、もっとも明白なことについて何も考えていないのを見ると驚き呆れます。もしそんな生物がいたら、もし彼らが私たちを見つけたら、そうしたらどうなるのでしょう? 天文学者たちは暗黙のうちに、人類と緑の小人とはお互いに歓迎しあい、腰をおろして楽しいお話をすると考えているようです。ここでも、私たちの地球で起こった経験が教訓を与えてくれます。私たちはすでに、非常に知的ではあるけれども私たちよりは技術的に劣る生物を2種発見しています。コモンチンパンジーとピグミーチンパンジーです。私たちは腰をおろして彼らとお話をしようとしたでしょうか? もちろんそうではありません。そのかわり私たちは、彼らを撃ち殺し、解剖し、手を切り取って飾りにし、檻にいれて見せ物にし、エイズのウィルスを注射して医学の実験に使い、彼らの生息地を破壊したり奪い取ったりしたのです。そのようなことが起こるのは、わかりきったことでした。探検隊が、技術的に劣った別の人間に出会ったときにはいつでも、彼らを撃ち殺し、新しい病気を持ってきて彼らを大量に殺し、その生息地を破壊したり奪い取ったりしてきたのです。中略。私たちの地球がどこにあって、 私たちの地球がどこにあって、どんな住人が住んでいるかを知らせている天文学者たちのことを、もう一度考えてみましょう。この愚かな自殺的行為は、黄金に狂ったスペイン人たちが富を求めてやってきたときに自らの財宝がどんなものかを教え、道案内までつけてやったインカの最後の皇帝、アタフアルパの愚行にも匹敵するでしょう。

とにかく幅広く(もちろん浅くはなるが)次から次へと展開する議論が、いろいろな興味をかきたてるよい本だと思う。そしてお約束のようにFURTHER READINGSへ

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2000/10/31 ゴミ投資家のための人生設計入門 海外投資を楽しむ会

昨日の本で衣食住の常識を疑い、今日の本で●人生設計の常識を疑おう。これも山形浩生お奨め本。昨日のスケールの大きさに比べると、今日の疑問はいかんせん日本ローカルのここ10年くらいの話にすぎないのが寂しいが(ちなみにそれ以降は常識になると思われる)

子供を産むのと家を買うのを同時にするな。

日本の生命保険には加入するな。

まあ、当たり前のことを当たり前にするのが一番むずかしいんだけどね。でも上記の2つが当たり前だと思わない人は、急いで本書を取り寄せて読んで欲しい。悪いことは言わないので、手遅れになる前に!

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2000/10/30 さあ横になって食べよう バーナード・ルドフスキー 奥野卓司訳

すぐれた規格がデファクトにならないことは、ビデオやコンピューターの世界の話をまつまでもない。

私たちの文化では、食事をする時に横になるのはだらしなさを意味する。だがキリストの時代においては、それが中・上流階級の食事の際の週間であったし、その前後数世紀の間もそうだった。

たとえ私たちが食事用寝椅子に切りかえる欲求を(いわんや柔軟な身体)を持っていなかったにしても、そのメリットは考慮するに値する。それが消化に有益な影響を及ぼすことは明らかである。胃は、圧迫されていない時に最もよく作用するものだからだ。

うーん、当たり前のことって全然疑問に思わないんだよな。▲特に衣食住は、この本を読んで考える端緒をもつことは必須だな。山形浩生お奨め本。

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2000/10/27 愛という名の孤独 フランソワーズ・サガン 朝吹由紀子訳

フランスについて悪い面でみると、佐藤亜紀みたいに

気取るだけで情報量が少なく、独りよがりで、独善的である

となるわけで、ふむふむと思わなくもないが、結局●サガンがサルトルについて語るような前向きの表現の前では、独善的な批判はかすむよなぁ。

あなたは審判することを欲しないので司直に訴えることをせず、名誉をあたえられることを欲しないので名誉について語らず、自分が寛容そのものであることを意識しないので寛容についてさえ言及さえしなかったのですが、そのあなたはわれわれの時代の唯一の正義の人、唯一の名誉の人、そして唯一の寛容の人であったのです。そして絶えずはたらき、すべてを他の人に与え、ぜいたくもせずに、そうかといって苦行者ぶりもせずに暮し、タブーなしに、また書くということの圧倒的な愉悦以外のどんな華やかさもなしに、愛を行い、愛を与え、人を魅惑し、それでいていつでも人に魅惑される用意があり、あなたの友人たちをあらゆる点で越え、速度で、知能で、光輝で彼らを追い越し、しかしそのことを彼らに気づかせないように絶えず彼らの方を振り向くのでした。あなたは無関心であるよりは人から利用されたり、だまされたりするほうを選び、また、希望しないことよりは失望させられることを選びました。人の手本となることなど一度として欲しなかった人の、なんという模範的な生涯でしょう!

上手くまとめられたインタビュー集はいよいよ作家の仮面を厚くしているとおもうんだが、いよいよ薄いベールにみせるのは何故なんでしょう? インタビューという形式の可能性を再認識させるような本。それにしても最近興味深いインタビューって読まないな。そもそも対象が興味深くないとしょうがないっていうのもあるんだけど。まあ敢えて言えば、山形浩生のQ&Aくらいかな?

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2000/10/26 アマゾン・コム

いまやアマゾン・コムを知らない人はいないだろうと思うが、その名前の理由を知っているだろうか?

本書はそのCEOであるジェフ・ペゾスにフォーカスしながら、成功(いまのところは)の歴史をあざやかに興奮させるトーンで語る本である。たしかにインターネットでのビジネスを立ち上げた功績については、もう確立したものといってもいいだろう。

ただし、その強みがなんと脆弱な土台の上にあるかが読み取れる本でもある。ペゾスは何度も、「ブランド力」を手に入れることの優位性を強調している。でも少し考えてみれば、書籍の販売においてブランド力ってどれほどの力をもつのだろう? なおかつそのブランド力を人に示す(例えばグッチのマークね)にはどうしたらいいんだろう? それこそあとがきでも触れられているブックカバー(笑)でも必要というほかない。かつブックカバーでアマゾン・コムで買ったことがわかったからといってどうだろう? ブランド力は残念ながら商品を売る立場にとっては、インターネットにおいてもっとも価値がさがったものといってもいいかもしれない。確かにインターネットで本を買う場合、最初にアクセスするのは有名ブランドのサイトということは十分に考えられる。ただ継続的に大量に本を買う場合を考えてみれば、買った店のブランドを自慢できるなどという付加価値が一段と期待できない書籍みたいな商品においては、結局価格こそがもっとも強力な競争ポイントになるのは自明のこと。従ってアマゾン・コムにおいては、“ドットコム”みたいな宣伝は短期的なカンフル剤にすぎず、長期的に販売と配送を低コストで提供できる仕組みをもつかどうかが問われるのである。現在のところはそれにも上手く成功しているようだが、競争者も増えて行く今後はよりいっそうの厳しい努力が問われることになるのは間違いない。

さあ翻って日本である。日本語という壁がもっとも有効に機能する書籍という分野では、市場の規模からいってもかなり有望なビジネスではないだろうか? とにかく価格である。再販制度についてあれこれいうのはもうやめよう。ただとにかくはっきりしていることは、低価格で提供できる手段を講じなければならないということである。少なくともクーポンなどで割り引く手段は既にあちらこちらで見て取れる。インターネットではスピードが全て、なんて単純化された理解は間違っている。インターネットではグレーゾーンをとがめられる前にどれだけ有効に利用して、競争相手を二度と立ち上がれないくらいたたきのめすスピードこそ必要なのである。

ちなみに冒頭のアマゾン・コムの命名の理由だが、ペゾスが辞書でAの欄を探したということらしい。まさにインターネット時代のビジネスマンにして、ヒーローにふさわしいとは思いません?

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2000/10/2