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たとえば。 目の前に肩を震わせうずくまる友人を見つけたとき。 どうすればいいのかなんて、誰も教えてはくれなかった。 けれども、そういうときは自分のしたいようにするのだと。 誰に教えられるでもなく、分っていたから。 だから、声を掛けた。 その肩に、手を乗せた。 彼女は、叫んだ。 何度も、何度も、私の名前を。 抱きついてくるでもなく、ただひたすらに。 この手を握り締め、とめどない涙を流して。 私が軽い既視感を覚えたのは。 多分、こんな風に私の手を握り締めて。 雨の滴に紛れるような綺麗な涙を流した。 あの人の事を、覚えていたからだ。 そのまま、繋いだ手を離さないまま。 二人で歩いた、ただ、淡々と。 薔薇の館に集う先輩たちなら。 友だちの一人がこんな風に弱っていたなら。 いつものように、いや、いつも以上に世間話や。 どうでも良い話題に花を咲かせてその場の気分を盛り上げるのだろう。 そう、丁度、去年のクリスマスのように。 でも、この場には、先輩たちはいないし。 彼女には、私しか居ない。 そんな風に考えるたびに、甦る何か。 比べたって仕方ないし。 似てるとかそんな事、一つもないのに。 ――乃梨子は、瞳子ちゃんの事が好きなのね。 あの人の声が、耳の奥で、こだました。 大叔母の家に帰ると直ぐに、彼女に自宅に電話を入れさせた。 勿論、私と大叔母も代わる代わる電話口に出た。 「良い若い者が家出の一度や二度しないでどうするかねえ」 そんな風に、片目をつむって笑って見せると。 大叔母は、色鮮やかなショールを肩に巻きつけて家を出た。 長年の友たちと集まっての飲み会だとかで。 多分、今夜は帰らないつもりだろうと思われた。 「……ごめんなさい」 帰り道でも、家に来てからも。 礼を逸しない程度の挨拶しか口にしなかった彼女が。 か細い声をぽつり漏らしたから。 「いいよ、気にしないで」 いつも通りの口調で、普通に返した。 実家に居る頃は、学校の友だちが何度か泊まりに来たりして。 代わり番こにお風呂に入ったり、手分けしてご飯を作ったり。 今夜は、お風呂は同じようにしたけれども。 晩御飯は、大叔母が何とお寿司を張り込んでくれていた。 「麦酒とか、欲しい?」 冗談のつもりでもなく冷蔵庫を開けながら呟いたら。 食卓についてぼんやりと、居間のテレビを見るとも無く見ていた彼女は。 驚いたような顔で振り返った。 ――未成年ですわ! 乃梨子さん! そんな声を期待しなかったといえば嘘になるけれども。 彼女は、力なく首を横に振った、ただそれだけだった。 大叔母が張り込んでくれたお寿司は。 正真正銘のお嬢様な彼女の口に合うだけの代物で。 自分の通う由緒正しいお嬢さま学校の出身だという。 大叔母の出自についてあれこれ思い出していたら。 「……ご迷惑じゃ、なかった?」 ぽつり、と。 彼女がまた、か細い声を零した。 「何で? てか、何が?」 何も考えないで、当たり前のように聞き返したら。 彼女は、少し躊躇うように唇を開閉して。 結局、言葉の代わりに小さな溜息だけをそっと吐き出した。 そう。 代わり番このお風呂の間も。 テーブルを挟んで向かい合って食べた夕食の間も。 私は、出来るだけ、いつも通りに、当たり前の顔を続けた。 そうしないと何かが、なんて考えた訳でもなかったし。 そうしてはいけないとも、思わなかったから。 ただ、彼女は、少し傷ついて、疲れて、ここにいて。 私は、彼女の、友だちだったから。 見たい番組があるわけでもなかったし。 切羽詰った宿題や予習があるわけでもなかったから。 疲れた彼女の横顔に、ぼんやりとしたものを見て取った頃合に。 その手を引いて、寝室に向かった。 いつもなら、帰宅するなり立ち上げる机の上のパソコンも電源を切ったまま。 そのまま、彼女をベッド際まで連れて行って座らせると。 押入れを開いて、客用布団を引きずり出した。 「で、瞳子はベッドが良い? それとも布団?」 手早く敷き布団、シーツ、毛布、掛け布団を整えながら。 最後に、枕をその上にぽおんと放り投げる。 「いつも家ではどっちなの?」 返事がないのを軽く受け流しながら、さて、と。 机の前の椅子に腰掛ける。 ベッドに座った彼女の顔はまだ、青白い。 まるでずっと、雨に打たれているように。 「……瞳子」 雨の中、一人でいるのは。 「寒いの?」 冷えた頬を流れ落ちるのは。 「それとも、一緒がいい?」 張り詰めた輪郭を失ったその髪も顔も。 土砂降りの雨の中にさらされたままの姿のようで。 「……それは、同情ですの?」 いつもの憎まれ口とは違うその言葉にも何の棘も無くて。 「違う、と思う」 だから、そう、答えて、手を伸ばした。 ――……もう、寒くないわ。 あの人の声が、また、耳の奥でこだまする。 夜の空気は肌に痛いくらい冷たくて。 なのに、二人分の体温を集めた布団の中は汗ばむ程に暖かかった。 二人並ぶとちょっと狭い洗面台の前。 鏡を睨みつけるようにして髪を整えている彼女の背中に。 私は自分の背中を押し当てるようにして歯を磨いている。 「……重いですわ」 「……狭いんだもん仕方ないじゃない」 一瞬、髪を梳く手を止めてつぶやいた彼女に。 私も、歯ブラシを口から出してつぶやき返す。 狭いのと寒いのと天秤に掛けた結果なんだからと。 私は、再びせっせと歯を磨き始める。 肩越しにちらりと流した視線の先。 鏡の中顰めっつらして髪をカールしている彼女の頬は。 もう、青白くなかった。 「……乃梨子さん」 昨日は散々呼び捨てにした癖に、口調さえ元通り。 「色々と御世話になりましたわ」 「私は何も」 「大叔母さまにもくれぐれもよろしくお伝え下さいね」 「うん」 まだ、起きて顔を洗って、髪を整えている段階なのに。 せっかちで気難しくてその癖、妙に律儀な彼女の様子が。 何だか無性に可笑しかった。 「……何を笑ってらっしゃるんですの?」 「んー? や、瞳子にも、かわいいとこあるなあって」 「なんですの、それは」 憮然と、でも、簡単に挑発には乗ってこない様子に。 私は、自然に顔が緩むのを覚えた。 彼女に何が起こっても。 私は、彼女の、友だち。 それが、どれだけ彼女の胸に届いたのか。 それこそ、マリア様のみぞ知る、それで良いと思った。 |