

K.S.R.C ResearchReport FileNo.010002
ガンダムという名のモビルスーツ
1998/12/23 報告 報告者:Ken-chang
宇宙世紀(UC)0079.9月18日。サイド7がジオン軍のザクに襲撃された際に、偶然居合わせたアムロ・レイによってRX-78ガンダムが実戦に於いて初めて起動された。このときの戦闘はモビルスーツ(MS)同士による歴史上初の戦闘となった。
RX−78は実験機であったわけだが、その性能はジオン軍のMSを圧倒的に凌駕していた。しかし、それは当然かもしれない。RX−78を開発した連邦軍は、ジオン軍が開発しすでに実戦に投入されていたMS−06ザクを徹底的に研究した成果であったからだ。
また、RX−78はジオン軍のMSとことなり、ビーム兵器を使用できたのでその火力に於いて圧倒的に上回っていた。ジオン軍がビーム兵器搭載MSを実戦に投入できるのは1年戦争も終盤のMS−14ゲルググの登場を待たなければならなかった。(ゲルググは「もう1ヶ月早く実戦配備されていれば、ジオン軍の勝利に終わったであろう」と言われるほどの名機である)
またRX−78には自己学習型コンピュータが搭載されていた。これによって実戦を積めば積むほど機体の熟練度が上がり、実際のスペックも上がっていくのである。このコンピュータに蓄積されたデータは後の連邦軍のMSに反映されていったのは言うまでもない。
ビーム兵器の使用、自己学習型コンピュータの搭載とアムロ・レイの存在という要因が絡み合い、RX−78は一年戦争の最後までトップレベルの性能を誇ったのである。ジオン軍最後のMS、MSN−02ジオングとは相打ちとはなったが、1年前のMSが最新型(ジオングは開発途中の試作機であったが)と同性能だったということは、いかにRX−78が優れていたことの証明となるだろう。それにしても、連邦軍の試作機RX−78がその役目を終了させた相手がジオン軍の試作機であったというのは、運命の因縁であろうか。一年戦争終結から7年後。
公国軍残党撲滅組織ティターンズと反地球連邦運動エゥーゴによる「グリプス戦争」が勃発する。この戦争においてもガンダムの名を冠したMSが登場している。
RX−178ガンダムMk−IIとMSZ−006Zガンダムである。
一年戦争後、ジオン公国最大の軍事企業であったジオニック社はアナハイム・エレクトロニクス社に吸収合併された。にも関わらず、Mk−IIのテクノロジーは連邦軍系のテクノロジーに偏っている。これは、Mk−IIが地球至上主義組織であるティターンズによてそのフラッグシップとなる機体を開発すべく極秘裏に開発されていた機体であるためである。
しかし、Mk−IIはティターンズのフラッグシップとはならなかった。エゥーゴによって奪取されたMk−IIはその機体色も塗り替えられエゥーゴの中心的なMSとして活躍した。
Mk−IIは基本設計がしっかりされている機体のため、MSの進化の激しかったこの時代ではあるが、UC.0089の第1次ネオ・ジオン抗争終了まで最前線で活躍していた。そのMk−IIの基礎技術(ムーバブル・フレーム)を手に入れたエゥーゴが新規に開発したMSがMSZ−006Zガンダムである。
Zガンダム(以降Z)はムーバブル・フレーム技術を最大限に利用し大気圏突入可能なウェイブライダー形態への変形という離れ業を成功させた画期的なMSであった。驚くべきはZの基礎設計はMk−IIやZのパイロットであるカミーユ・ビダンがおこなっている点である。彼はエゥーゴと行動をともにする前までは、まだ一般の学生であった。にも関わらずこれほどのMSを設計することができた裏にはMS設計ツール(MSスタジオ)の存在が大きい。このソフトはバージョンアップを重ねUC.0092にはアムロ・レイによってニューガンダム設計にも使用された。
Zはその後、アムロ・レイによって再設計される。RGZ−91リ・ガジィである(リ・ガジィ:Re−GZはリファイン・ガンダム・ゼータの略称からその名前がついた)。このMSは量産される予定であったが、その生産性の悪さから1機のみ製造されただけであった。その1機も戦果を期待されたが、ニュータイプ専用に設計された最新のMSに比べると性能の差は明らかであった。とはいうものの、Z設計から5年後の世界で再設計機とはいえ製造された事実を考えると、やはりZも優れたMSだったことがわかるだろう。
ガンダムと名の付くMSは数多く存在するが、その基本設計の高さや他のMSへの影響の強さを考えた場合、RX−78ガンダムとMSZ−006Zガンダムの2機のガンダムが突出しているといえるだろう。