リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」
「緑の小径」主宰者のJoeです。リレーエッセイの最初として、港北ニュータウンに住むことになった顛末を簡単に振り返ってみたいと思います。
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マイホーム取得の念願かなって、港北ニュータウンの中古マンションを購入したのが、1996年の1月末ごろ。住んで4年たった現在も、正直、いい所を選んでよかったなと思っています。決めた理由は、もちろんマンションの物件そのものを気に入ったからなのですが、街についても、緑とオープンスペースが多く、街が新しくきれいという環境の良さ、これから発展するという将来性が大きなプラス要因になりました。
でも、じつは、ここに決めるまで、けっこう大変でした。
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結婚して最初に住んでいたのは、大田区のちいさな賃貸マンション。通勤には便利でしたが、部屋はせまく、「ど街中(どまちなか)」で周辺に緑がなく、喧騒につつまれたおちつかない場所でした。住んで2年半になるころ、「そろそろ家を買うぞ」とモチベーションを作ったのは、私でした。「もっと環境のよい場所に、広い部屋を自分の資産として持って、腰をおちつけて家庭を築くのだ。それが豊かな生活というものだ。」という気持ちが大きくなってきていたのです。
そういう気迫に押されてか、最初はあまり真剣でなかった妻も、だんだんと「家の購入」というイベントに協力し始め、ふたりで週間住宅情報を見てはああでもないこうでもないと相談する毎日が続くようになりました。そして週末になるごとに、きのうはあそこ、きょうはここと、新築予定のマンションのモデルルーム巡りをしました。その他にも、@niftyの「マイホームと不動産フォーラム(FMYHOME)」、チラシ、実用書と様々に情報収集したものです。
しかし、いつまでに買う、という期限がなかったこともあって、検討が長引きました。中だるみの期間が生じたりもしました。
けっきょく見学した物件は30件近く、期間は10ヶ月におよんでしまいました。(^^;A
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そもそも、まず私と妻の、住む場所についての見解が当初、一致していなかった。例えば私は、当時勤務していた都心エリアへの交通利便をかなり重視していて、埼玉方面に興味を持っていました。でも妻の第一希望は田園都市線沿線というぐあい。さらに、二人ともどちらかというと優柔不断な性格でありました。
これがどういう結果を招いたかというと、まず、「エリアをしぼらずに、東西南北、あらゆる場所を見に行くことになった」。見に行った場所がどのくらい広範囲かというのを書いてみましょう。
最東:千葉ニュータウン中央(北総公団線)、勝田台(京成線)
最西:府中 (京王線)
最南:磯子 (JR根岸線)
最北:新白岡(JR宇都宮線)
よくこれだけいろんなところを見に行ったもんだと思います。(^^;A
また、当初は検討対象が「新築マンション」オンリーだったのが、日時の経過とともに「建て売り一戸建て」「中古マンション」も加わりました。小田急線・玉川学園のくねくねした狭い道を登ったところにあった建築途中の小さな一戸建てや、ほとんどひやかしのようにして見に行った超バブリーな中古マンションなどが記憶に残っています。
決めかけた物件が2つありました。ひとつは京王線・府中駅から近く、新築でしかも完成済み(要は売れ残り)のマンション。実際の部屋を見学できたことと、始発駅、駅への近さでグラっと来た。もうひとつは、埼京線の武蔵浦和駅の物件。京浜東北線の始発駅である南浦和にアクセスがよく、比較的のんびりした環境だったことでかなり気持ちが動いた。しかし、どちらも妻の「雰囲気じゃ無い」との主張により、結局、ボツとなりました。(^^;
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さて検討期間の前半は、主に私の希望に合わせた物件を見てまわっていたのですが、後半は次第に妻の意見に沿った地域を検討するようになりました。
あるとき、田園都市線エリアという妻の希望に沿うかたちで、まさか縁はないだろうと思っていた港北ニュータウンの新築マンションの見学に行くことになりました。
横浜市営地下鉄に乗り、降り立ったのが当時できたばかりの「センター北」駅。改札を抜けると、外はいい天気。その風景はと言えば、周辺に建物がほとんどなく、見渡す限りと言っていい更地に、ひょうひょうとただ風が渡っていくような感じ。むきだしの建築資材で手すりをつけた、仮設の歩行者通路を歩きながら、これはすごいところに来たものだと思いました。しかし、街中の喧騒とは正反対の、その何もない広々とした雰囲気に、むしろ自分の感覚になじむ、一種の心地よさを感じていたのも事実です。思えば、このときから「このへんに住むのではないか」という予感があったかもしれません。
このとき見た物件は見学のみで終わりましたが、これがきっかけで、妻が、同じ港北ニュータウンの高級マンション「港北ガーデンヒルズ」の中古に興味をもち始めました。横浜市営地下鉄「中川」駅の物件です。住宅情報でその物件を見つけ、担当の不動産会社に連絡。担当者氏と中川で待ち合わせ、物件を見せてもらったのでした。セミが元気に鳴き声を響かせる、8月の暑いさなかでした。
その物件そのものは、けっきょく間取り・広さと値段の点で折り合わず、決定には至らなかったのですが、その後同じ担当者氏に、同じ港北ニュータウンで2つ目、3つ目と、物件を見せてもらいました。担当者氏は若くて物腰がやわらかく、信頼できそうな人でした。
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3つ目の物件の見学をしたとき、直前に他の見学者があり、そのせいか担当者氏から、「決めるに決めないにしろ、明日までにお返事もらえますか。」と、ちょっとせかされるような感じでした。われわれは担当者氏と別れ、相談と昼食をかねて、付近のファミレスに入りました。
今回のはとてもいい物件だなと思っていました。最寄りの「センター南」駅からも比較的近く、建物自体の感じや環境もよかったこと、また些細なことですが浴室に窓があったこと(私は独身時代に住んだマンションで浴室内をカビだらけにしてしまった経験あり(^^;)などが魅力ポイントでした。
が、この段にいたって私はまだ「決め手」を感じておらず、いつまで家探しが続くのだろう、といささか不安になった、そのときでした。妻が言うのです。
「私、今見たところにしたい。」
「え。」
「ここがいい。決めよう。」
「い、いいの?」
「Joeはどうなの。」
「うん、いいと思ったけど。」
「じゃあ決めようよ。」
「う‥‥よよよしわかった、ででで電話しよう。電話(善は)急げ、なんちゃって。」
(多少フィクションあり)
というわけで、半分信じられない気持ちで、その場で公衆電話から担当者氏に連絡。急転直下、購入を決めました。それが、今住んでいる家なのでした。
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「てんやわんやの末に決まった」ような印象がありますが、いまとなってはすべていい思い出です。いまでもたまに妻とふたりで、このときのことをなつかしんで話をしたりしています。(^-^
(この文は、1996/04/22の日付でとあるネットに書き込んだ文章を再編したものです。)