リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」
二人目の子供が待望の女の子と聞き大喜びしたものの、その目に飛び込んできた赤ん坊は、親の目にも、それはそれはブサイクで、お世辞にも、「カワイイ」とは言えない。 (そんなバカな、だって)三才上の長男は、それはそれはカワイくて、会う人会う人皆、賞賛の嵐。 用もなく連れ歩き見せびらかしたいほど。 だから、次に生まれた女の子がカワイイのは当然。 のはず(なのになぜ?) 何かの間違い?
これは数十年前の私の母の話。 つまりその「超ブサイクな女の赤ちゃん」が私なのです。
それでもずっと女の子が欲しいと思っていた母は、少しでもカワイク見えるように、得意の洋裁でカワイイ洋服を作ってはあれこれ着せていました。 みにくいあひるの子がいつの日か美しい白鳥に変身する事を夢見て・・・いたかどうか確認してはいないけれど、タブン。
それは、赤ん坊だった私を抱いて里帰りした実家の庭で先でのこと。 となりに住んでいる小学生の女の子が「わー、赤ちゃん?見せて!」と寄ってきました。 半年過ぎても相変わらずブサイクで、おまけに髪の毛も薄く、とても女の子に見えなかったので、この時もなんとか「カワイイ女の子」に見えるように、フリフリのエプロンを着せていました。 ショッキングピンクに白の水玉模様という当時にしては珍しい綺麗な色の生地で、結構自信作だったそうで。
さて、腕の中の赤ん坊を覗き込んだ小学生の彼女は言いました。
「わー!カワイイ・・・・エプロン!!」 ゚ ゜( O )☆\ガビーーン
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この事件がきっかけかどうかは知らないけれど、私の記憶にあるかぎり、母が作る私の服はシンプルでトラディショナルな物ばかり。
ある時、近所のお姉さんが着てるジャンパースカートが私の心を捕らえました。 母もそのデザインが気に入り、縫ってくれる事になりました。 ジャンパースカートの型紙を取る為、雨の中、ウキウキしながら借りに、行ったことを鮮明に憶えています。 赤いジャンパースカートは、肩紐を大きな白い花形のバックルで留めるデザインでした。 で、出来上がったジャンパースカートは、地模様の入った紺色で、バックルはただの丸、しかも金。
またある時は、学校から帰ると、友達のお母さんが来ていて、二人で生地の裁断をしていました。 私達のワンピースを作るのだと。 その透け感のある桜色の生地はそれまで見た事もないほど美しく、私は嬉しくて、出来上がりが待ち遠しくて、ずっとミシンの側に貼り付いていました。 で、出来上がったワンピース、友達のものは私が想像していたとおりの、カワイイちょうちん袖でスカートはギャザーがたっぷり、ウエストはうしろでリボンを結ぶスタイル。 一方、私のは、袖口を絞らないパフスリーブ、ウエストは切り替え無しのプリンセスライン、くるっと回っても裾が広がらない(;_;) 上品なデザインではあるけれど・・
この頃の私は、母からもらう端ぎれが大切な宝物。紙の着せ替え人形の洋服を描くのが好きで、将来の夢はデザイナー。 中身は充分カワイイ女の子になっていました。
しかし、どうやら母は、「カワイイ女の子」路線をあきらめたようです。
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いろいろ試してみた結果、カワイイ服を着せたからといってカワイク見える訳ではない。 そこで、方向転換。 目指すは「清潔でかしこそうな女の子」。 赤ん坊の頃、薄かった髪の毛は、幼児期にはちゃんと人並みに生え揃いましたが、時すでに遅し。 その髪は一度もリボンを付けておさげにする事無く、「清潔でかしこそうに見える」ようにいつもショートカットにされていました。
髪が短いうえに、ひょろりとして少年のような体型だったので、かしこそうに見えたかどうかは別として(^^;) 「Gパンが似合う」とか「カッコイイ!宝塚に行けるよ」なんて言われてその気になって。 次第に「ボーイッシュ」に、、、そして、エスカレートし、思春期のころにはスカートをはく事はほとんどなくなり、ますます、カワイイとは縁遠くなってました。
成人して自分で洋服を選ぶようになってからも、紺白赤のニュートラファッションに始まり、その後モード系に走り、モノトーンばかり。クローゼットの中身がまっ黒という様な時期もありました。だんだんスカートもはくようになったのですが、そのデザインはヒラヒラとか、カワイイとか、ましてセクシーなどの形容詞がつくものでは決してなく、あくまでもモード系でした。
ウェディングドレスでさえも「カワイイ」をチョイスできなかった。
そんな、かたくなな私が変わるきっかけになったのは、長男を妊娠した時でした。
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つわりで洋服の締め付けをいっさい受付けなくなった時、とりあえず買ったのが、色味こそベージュに茶のチェックという相変わらずのシック系なのですが、そのデザインは以前なら決して選ばなかったフンワリギャザーの、丸衿で乙女チックなワンピース(^^;)
つわりがおさまって顔も少しふっくらしてきた時「あらやだ、私ってワンピースも似合うじゃん!」
妊娠すると食べ物の好みが変わるというのはきいた事があるけど、私の場合は洋服の好みが変わるタイプだったようで…・・・(^^;)
つわりの時期を過ぎれば妊婦生活は楽しくて、ふんわりワンピースも、「体形の変化で着るものがないから」と、自分に言い訳して更に2着目、3着目と新調し、最初のシックさは何処へやら、ちょとづつ大胆に。。案外好きかも(*^^*)
検診の時、超音波でみた医師に「女の子かな…」と告げられてからは、ずっと遠ざけていた " カワイイ、ピンク、フリフリ、花柄 " が身近に感じられるようになりました。 洋裁をする母の側で、お人形に端切れ布を巻き付けて、着せ替え遊びをしていた私は、その歳にして新しい着せ替え人形の入手を確約されたかのような気分でした。 頭の中では、カワイイ女の子に、かわいい洋服を作って着せる構図がすっかり出来上がりました。
二十数年前、母が夢見たのと同じように。
花模様のワンピース、ピンクにフリフリ、レースにピンタック、たまには母子お揃いで… 夢は広がり、「なんだか、最近顔つきも柔らかくなったような?」 「いよいよ、本格的にイメチェンね。うふっ・・」 すっかり夢見るヒロイン気分。 目の中にお星様、バックにはバラが飛んでいたかも…酔っていました。
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しかーし、 出産を一週間後に控えた検診で「こんなにハッキリ見える事は珍しい」と医師に言われ、のぞいたモニターに映っていた"それ"は「ボクは男の子だヨ!!」とアピールしていました。 確かに生まれてきた赤ん坊は男の子。 今度こそは!と、密かに花の名前を付けていた第2子も男の子。
かくして私は、永遠に新しい着せ替え人形を手に入れる事無く、妊娠中に変化した服の趣味も日々の育児生活ですっかり元通り…
そんな中、母になった事で吹っ切れた部分もあり、子供のいる生活に慣れてくると、妙なテレもなくなり、くまさんの付いたエプロンも、うさちゃんの毛布も、キティちゃんの食器も抵抗なくなりました。 しかし、やはり着るものにカワイイ系をもって来る事は、やめました。 好きである事と似合うと言う事は別で、事実、自分の顔や雰囲気に似合わないと再認識しましたので。
今でも、ローラアシュレ、リバティ、の花柄を見ていると涙が出るほど好きだけど(;_;)\(・_・)ヨシヨシ
洋裁をする母の側で布遊びをしていた私が、洋服作りをするようになるのはごくごく当たり前で、ワンピースや花柄には縁がないものの、子供達の洋服作りも結構楽しくやりました。 洋裁好きの友人(彼女も男の子二人の母)と 「女の子服を思いっきり縫ってみたいね」と、幼稚園のバザーに「女の子服のお店」を出す事にしました。 仕立てはもちろん、二人で生地を選んだり、デザインを決めたり、とっても楽しかった(*^^*)
この時は部屋中に綺麗な生地を広げてホントにシアワセな気分でした。 この作品達が仕上がった時、満足感と、記録の為に写真をとりました。 その後も、作品が出来上がると写真を撮るようになりました。
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先日、ひょんな事から過去の作品を人に見せる事になり、その手段として、取得後そのままにしてあったニフティのURLを使う事にしました。 ついでに、最近メール交換をはじめた友人(彼女の母と私の母は洋裁学校の同級生)に知らせたら、その夜に、実家の兄からTELがありました。
そう、その昔、カワイイかった三才上の兄。今ではどっからどう見てもただのオッサンになってしまっている兄(笑) いきなり 「URLを教えろ」と。 な、なんで???
http://member.nifty.ne.jp/MITSUO/
友人は、「コレを見たらおばちゃん(つまり私の母)が喜ぶだろうな」と思い、うちの兄嫁に報告したそうで。友人の息子が通っている保育園に兄嫁が勤務しているなんて、そんな繋がりを私は知らなかった。
インターネットなんて理解できない母は、不思議がりながらもえらく感心していたそうで何より(^^;) そして母は、私に女の子がいないのを「もったいないねぇ」と言っていました(^^;) そういう母も娘を持ちながらもフリフリワンピースを着せる夢が叶えられず 「ならば孫に・・・」と、密かにリベンジの時を狙っていたようですが、気の毒なことに7人いる孫は全員男の子なのです。。
そうか、私にはまだその手が残されている。 この夢は、孫に託す事にして・・(.。)☆\(--;)
小さな布切れをクッキーの缶に大切にしまい、人形遊びをしていた少女は、
数十年たった今、衣装ケース三個分も布のを持っていながら、
フラフラと生地屋巡りをしては、布の在庫を増やし、
時々取り出して並べては眺め。。
いまだに布遊びをしています。