リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」

第13話 「港北ニュータウンの『まち』を歩いて」



世界で一番大きなものを作ってみたかったのかも知れません...
ダイヤブロック、プラレール...押し入れいっぱい持っていました。

家に、ホンモノの車がやって来ると、一番大きなオモチャになりました。都市
街中を走るバスを見つけては、運転手になってみたかったり、
初めて見る飛行機には、ワクワクしました。

建築家が、砂漠のド真ん中に高層ビルを計画...
そんなニュースが、小さな子供の心に大きな夢を与えました。
大きな建物がデザインできるなんて...

父が住宅関係の会社を起こしました。
小学校の卒業文集に「将来は父の仕事を継ぐ」と書いてあります。
担任の先生には、「工業高校に建築科があるから、そこに行け!」と奨められました。

中学の美術の時間に、自分の理想の部屋を描くという課題があって、
パース(透視図)にして、サッシのレール一本一本まで描きこんだのを見た先生には、
「絶対に建築の道に進みなさい」と言われました。

高校時代には、音楽に夢中になりました。
といっても、ステージに上がるよりは、ステージを作る裏方が好きで...
顧問の先生には、「空間を作る仕事をしなさい」と奨められました。

ミキサー
横浜は、世界でも有数の、都市計画・都市づくりに先駆けた都市です。
馬車道通り、開港広場、山下公園通り...
これらをデザインした先生と出会い、大きな影響を受けました。
「アーバン(都市)デザイン」・・・都市がデザインできるなんて...

 人よりやや遅れて(謎)就職・・・時代はバブル。
大きなオフィスビルや店舗の設計を担当しました。
先輩、同僚には、仕事だけではなく、遊び、生き方、人生...
いろいろなことを教わりました。


自分の仕事場を持ち、井の中の蛙にならないようにと、
パソコン通信(ニフティ)の世界に足を踏み入れ、
情報を求めてたどりついたのが「マイホームフォーラム」でした。

ニフティ全盛の当時、フリートーク会議室では、1日300発言を超える勢いがありました。
毎月のように、オフもありました。
だから、今でもその頃の人達は「戦友」だと思っています。
また、そこに、Joeさん、ぎっちょさんとの出会いもありました。

緑道
横浜の北の方に「港北ニュータウン」なるところがあるらしい・・・
一度行ってみようと思いたって以来、3年が経ち、
ずいぶん、ドップリと浸かりこんでしまいました(笑)
いろいろな人とも出会い、助けられてきました。


「街」と書くと、都市のハードな部分を感じて、縁遠いものに感じます。
「町」は、なんとなく「区割り」を感じさせます。

「まち」をつくるのは、行政でも、学者でも、企業でもありません。
そこに暮らす「人」によって、「まち」がつくられるのだと思います。

そこに「人」がいなければ、都市も建築も、その価値がありません。
「人」が暮らし、遊び、行き交う...それが「まち」
子供
人ひとりの力は、小さいものだと思います。
ひとりではできないことや、人が集まるとできること...
 それが実現できる場所が、人が暮らす「まち」なんだと思います。


人は人に影響を受けて育ち、人よって歩む道を与えられるのだと感じています。
まちも、そこに暮らす人に育てられ、道を与えられるのではないかということを、
改めて、港北ニュータウンの「まち」、「人」に教えてもらったような気がします。

● ● ●

さて、モードチェンジ。^^)家
リレーエッセイも1周年を迎えたんですね。おめでとうございます。

圏外在住メンバーとして、いつも遠くから(笑)冷静に(^^;NTを見てきました。
そうすることで、住民とは違うNTの側面が見えるかな? なんて。

「衣・食・住」などと言われながらも、「住」教育が不足しているニッポンでは、
型にはまった箱の中に暮らしを当てはめることが「住」であって、
狭さもさることながら、与えられた箱であることが
「うさぎ小屋」と言われてしまう所以なんですね。

すばらしい環境に生まれた港北ニュータウンが、
ひとりひとりの顔が見えるまちに育っていって欲しいと思います。


2001.11 EMO
http://member.nifty.ne.jp/LIDUM
http://www.machinet.org
http://sumaito.com/look/indexa01.html

 


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