リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」
世界で一番大きなものを作ってみたかったのかも知れません...
ダイヤブロック、プラレール...押し入れいっぱい持っていました。
家に、ホンモノの車がやって来ると、一番大きなオモチャになりました。
街中を走るバスを見つけては、運転手になってみたかったり、
初めて見る飛行機には、ワクワクしました。
建築家が、砂漠のド真ん中に高層ビルを計画...
そんなニュースが、小さな子供の心に大きな夢を与えました。
大きな建物がデザインできるなんて...
父が住宅関係の会社を起こしました。
小学校の卒業文集に「将来は父の仕事を継ぐ」と書いてあります。
担任の先生には、「工業高校に建築科があるから、そこに行け!」と奨められました。
中学の美術の時間に、自分の理想の部屋を描くという課題があって、
パース(透視図)にして、サッシのレール一本一本まで描きこんだのを見た先生には、
「絶対に建築の道に進みなさい」と言われました。
高校時代には、音楽に夢中になりました。
といっても、ステージに上がるよりは、ステージを作る裏方が好きで...
顧問の先生には、「空間を作る仕事をしなさい」と奨められました。

横浜は、世界でも有数の、都市計画・都市づくりに先駆けた都市です。
馬車道通り、開港広場、山下公園通り...
これらをデザインした先生と出会い、大きな影響を受けました。
「アーバン(都市)デザイン」・・・都市がデザインできるなんて...
人よりやや遅れて(謎)就職・・・時代はバブル。
大きなオフィスビルや店舗の設計を担当しました。
先輩、同僚には、仕事だけではなく、遊び、生き方、人生...
いろいろなことを教わりました。
自分の仕事場を持ち、井の中の蛙にならないようにと、
パソコン通信(ニフティ)の世界に足を踏み入れ、
情報を求めてたどりついたのが「マイホームフォーラム」でした。
ニフティ全盛の当時、フリートーク会議室では、1日300発言を超える勢いがありました。
毎月のように、オフもありました。
だから、今でもその頃の人達は「戦友」だと思っています。
また、そこに、Joeさん、ぎっちょさんとの出会いもありました。

横浜の北の方に「港北ニュータウン」なるところがあるらしい・・・
一度行ってみようと思いたって以来、3年が経ち、
ずいぶん、ドップリと浸かりこんでしまいました(笑)
いろいろな人とも出会い、助けられてきました。
「街」と書くと、都市のハードな部分を感じて、縁遠いものに感じます。
「町」は、なんとなく「区割り」を感じさせます。
「まち」をつくるのは、行政でも、学者でも、企業でもありません。
そこに暮らす「人」によって、「まち」がつくられるのだと思います。
そこに「人」がいなければ、都市も建築も、その価値がありません。
「人」が暮らし、遊び、行き交う...それが「まち」

人ひとりの力は、小さいものだと思います。
ひとりではできないことや、人が集まるとできること...
それが実現できる場所が、人が暮らす「まち」なんだと思います。
人は人に影響を受けて育ち、人よって歩む道を与えられるのだと感じています。
まちも、そこに暮らす人に育てられ、道を与えられるのではないかということを、
改めて、港北ニュータウンの「まち」、「人」に教えてもらったような気がします。
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さて、モードチェンジ。^^)
リレーエッセイも1周年を迎えたんですね。おめでとうございます。
圏外在住メンバーとして、いつも遠くから(笑)冷静に(^^;NTを見てきました。
そうすることで、住民とは違うNTの側面が見えるかな? なんて。
「衣・食・住」などと言われながらも、「住」教育が不足しているニッポンでは、
型にはまった箱の中に暮らしを当てはめることが「住」であって、
狭さもさることながら、与えられた箱であることが
「うさぎ小屋」と言われてしまう所以なんですね。
すばらしい環境に生まれた港北ニュータウンが、
ひとりひとりの顔が見えるまちに育っていって欲しいと思います。
2001.11 EMO
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