リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」
みなさま、今回のリレーエッセイは2月1日から5日まで中学お受験を体験したつる家の出来事をお届けします。 題して”中学お受験寝てもさめても・・・・”(パート1)です。 なぜ、パート1なのか?は、最後まで読んでくださると、きっと、おわかりになると思います。
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2月1日(金)
戦いの幕は切って落とされた!
F女学院入試。 第一志望校。 ここの学校の制服を着ることを夢見て勉強をしてきた。そしてその力がいよいよ試される。
朝5時起床。 持ち物の準備は昨晩すべて整っているので、昨日あらかじめ下準備をしてある、朝食の用意にすぐに取りかかる。 今日から3日間朝食はお雑煮というメニューに決めてある。 一番腹持ちもよく、比較的すぐにパワーが出るということでこのメニューに決めた。 私の場合、緊張すると食事は出来なくなるのだが、成長期なのか緊張感がないというのかとにかく、どんな場合でもおなかが空くひーちゃん。 食べさせないことにはすべてが始まらない。 5時半にはひーちゃんも起きてくる。 自宅出発まで1時間強。 さすが緊張している。 時間だけが刻々と過ぎる。 今日は6時30分すぎにひーちゃんと私の出発。 いつもは見送られるとーちゃんから、見送られる立場に逆転。
6時30分過ぎのバスに乗り込む。 今日のルートは実際の通学ルートとは違う。 とにかく1日で金曜日ということで学校に着くまでなるべくラッシュにかからなくて、さほど時間もかからないそして、何よりも同じ学校を受験する学校の友達と顔を会わせないようにと考え抜いたルートだった。 この3日間は徹底してそのことを常に頭の中に入れながら行動をしなければならない。 適度な緊張感を持ちながら試験会場に送り出す。 これが私の役目でもある。 今日の学校は受付をすませた時点で、すぐに試験会場の方へつれて行かれるので、あまり早く着きすぎてもいけない。 細かい指定があって、参考書類は一切持ち込めない。 B5くらいまでの大きさの袋(リュックは不可)に筆記用具やハンカチなど必要なものだけを入れ、受験票を持って入ることになっている。 20分前に到着の予定だったが少し早めに駅に到着。 あらかじめ考えていた時間調整の場所で、少しだけ休憩をさせることにしたが、とにかくこんな状況にもかかわらず、一見落ちついているのか自分の状況がよくわかっていないのか、ノンビリとするひーちゃんに結局の所、20分前に試験会場に到着の予定が10分前となってしまった。
実は休憩中の彼女はノンビリを装っていたが、緊張はピークに達していて、ホットミルクを上手く飲めずにいたのだ。 休憩場所から受験会場までは、5分もあれば余裕で坂を上ってゆける。 ここで、あわてさせるわけにはいかない、少し心を落ちつかせることにした。 しかし、その後にもっと彼女をあわてさせる事態になってしまうのだったが・・・・
さて、時間になりいよいよ学校へ向かう坂を上る。 時間も間近と言うことで混雑はない。 恐ろしいくらい静かだ。 塾からも応援の先生がきているはず!・・・・・?だった。 見あたらない、学校の入り口にもいない。 どうした?ここで、彼女は頭の中に思い描いていた入試応援の図が実現出来ないでいる。 その時母は、あわてる娘を落ちつかせさっさと試験会場につれて入り、応援の先生がいなかったことを笑い話に転化させようとプラス思考に持ってゆく。 でもしっかり全然違う塾のN能研の先生が応援してくれたのだが・・・
これは、後日談だが、1日は山の上のほかの学校も入試だったので、山の上に向かう階段の両側は、各塾の応援の先生達と、受験生と付き添いの保護者、そして来年その学校を受験するランドセル姿の5年生達と、それを撮影するテレビカメラと相当な混雑だったので、私達親子はその混雑の中で応援の先生を見つけられず、そのまま会場に入ったのだと思われたらしい。
受付をすませ試験会場に連れて行かれるひーちゃんの後ろ姿に大きな声で声援。 しっかり落ちついた顔に戻ったひーちゃん。 彼女の力の限りを出してほしい。 そう思ったところで、私は保護者控え室に入らず、そのまま横浜に向かう。 横浜で用事を済ませた後、昼食を用意して控え室にはいる。 控え室の空気はピ〜ンと張りつめていて、呼吸するのもままならぬほど重たい。 この様子を事前に情報として得ていた私は、ここで待機をせず外に出ていたのだ。
午後の面接に備えて、ひーちゃん達が戻ってくる。 しかし、子ども達が戻ってきても緊張した空気は変わらず、親子で話をしてリラックスするという雰囲気でもないので、面接集合時間まで一旦教室を離れることにする。(これも、控え室によって相当差があったようで同じ塾の同じ教室の子が固まった控え室では試験が終わった子ども達の緊張の解けた声が明るく響いていたらしい。)
学校の近くの友達の家でしばし休憩させてもらう。 ひーちゃんはほっとするようで、友達の2歳の息子と遊んでいる。 とにかく出題が難しく、ボリュームもあることで有名なこのF女学院、こちらから”どうだった?”とあえて聞くのを避けていたにもかかわらず、ひーちゃんの方から試験についていろいろしゃべりまくる。 精一杯問題を解いたようだが、難しい上に相当なボリュームを時間内でこなさなければいけないので、とにかく落ち込みは激しい。 やはり厳しい戦いだったようだ。 そういう緊張した状態を一旦解き放つためにも、友達が家にいてくれてよかった。な訪問にも暖かく迎えてくれた友達に感謝。
再び戻った控え室は試験ではGパン姿だった子もすっかり面接ルックに着替えをすませ、ひーちゃんも靴だけローファーに履き替え、再び案内の生徒さんに連れられて部屋を出る。 待つこと50分。 帰ったひーちゃんは、相当に疲れ切っていた。 筆記試験が難しいのでグループ面接ではかなりリラックスさせてくれると聞いていたのにもかかわらず、彼女の面接官は、彼女の答えにさほど興味を示さなかったと言って、これまた相当落ち込んでいた。 グループ面接だと周りの様子がよく見えるのだろうか、彼女にとってはかなりつらい思いをしたようだ。
あとは2日後の発表を待つしかない。 午後4時学校を後にする。 その後ひーちゃんは塾に報告。 塾で少しだけ明日の試験の準備をするつもりだったらしいが、極度の緊張が長時間続いたせいかすぐに帰ってくる。
とにかく戦いはまだ2日は続く。 今日の疲れは明日に持ち越せないので早めの夕食と、就寝。 私も疲れた。
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2月2日(土)
戦いはまだ続く。 今日をはずすとかなりきついぞ!この戦い
OU学園女子。 本人は第2希望。 親は第3希望。 去年ぎりぎりでやっと決めた学校。
今日は5時前に起床。 6時半出発のため、昨日より今日がきつい。 今日は面接がないので服装は自由でいいので少しはリラックスできるか。 土曜日ということもあって通勤通学ラッシュは緩和されるだろう。 しかし、田園都市線の普通電車で、途中の急行待ち合わせ時間をも含め、また途中乗り換え世田谷線は、ほとんど受験生で占領されると思われる2両編成の電車なので、電車を1本見送る時間の余裕を持たせると、どうしてもこの時間の出発になる。 土曜日で会社が休みのとーちゃんが駅まで送っていってくれるので、少しはいい。 きょうも、途中で学校の友達に会うこともあるので、決して同調してしまわないように気を配る。 電車の中にはそれぞれの学校を受ける受験生の親子が多く見受けられるが、幸いにも知った顔を見受けないので安心する。 世田谷線で同じ塾の友達に出会う。 塾のお友達だと安心するらしく、学校までの道はかなりリラックスしていたようだ。 宮の坂駅からは平坦な道のりで約5分。 3回に分けて入試が行われるこの学校、今日が一番たくさん受験する。 塾のお友達も、昨日今日とひーちゃんと同じ受験校パターンで来ている。 とにかく第2希望としての併願が多い。 それだけに、第1希望に合格すればそちらの方に流れる子が多いので合格者数もたくさん出る。 それを承知の上でも、やはり、この学校を落としてしまうとかなりまずい事態になる。 かわいそうだが、もう一度緊張させて会場に送り込むしかない。 今日は30分前の到着だったので、塾の応援の先生にも会うことが出来、激励してもらって会場に送り込む。
さて、ここからが親が頭を悩ませるのが試験終了までの時間の過ごし方。 一旦家に帰るのも又すぐ戻らないといけないし、かといって朝8時30分から開いているお店もない。 ということで、一緒の塾のお母さんと控え室のホールで話をして待つことにする。 かなり話せるお母さんで、私自身もリラックスできた。 1日校の発表がまだでない不安と、今日の結果が出る今夜の不安。 同じ不安を抱えた母同士の話に、一番リラックスできたのは嬉しかった。
学校のお母さんだと、この逆で全くこうはいかない・・・・。 これはある程度予測はしていたし、ある程度覚悟はしていたので、(大規模集合住宅に住んでいるせいか)一切この手の噂情報は聞かないことにしていたが、後日我が家に関する噂情報を聞いてやっぱりか・・・と思ってため息をついたのは私もひーちゃんも一緒だった。
試験終了後、笑顔で”出来た!”と出てきたひーちゃんに不安を覚えたのは、私だけでなく塾の先生も一緒だった様だ。 そう、”出来た”時ほど恐ろしい。 みんな出来ているだろうし、チョットした凡ミスが命取りなのだ。 塾での採点の結果、満点ペースなので多分大丈夫と判断されたが、深夜のインターネット発表を見るまでは安心できない。 とにかく、ちっとも押さえの学校にならない強気の志望校の選択をしていた我が家としては不安だらけだった。 今夜の発表それまではきっと眠れないのだろう。 明日はまだまだ試験があるのだから緊張の糸を切るわけにはいかないのだが、やっぱり本人はそわそわしている。
インターネット発表という現代的な発表は自宅で見られるという便利さもある反面、ハッカーによる書き換えという事態も考えられ、必ず合格発表掲示で確認する必要があるのだが、とにかく、合格を1校でも決めて明日の難関に挑みたい。 午後8時過ぎから学校のホームページは2次試験合格者速報に切り替わっているが、まだ番号が掲示されない。 とにかく相当数がこの掲示板をのぞいているらしく、10分間でカウンターが数百単位であがってゆく。 こんな状態だとイヤでも緊張してしまう、それでもってひーちゃんを寝かせるのは到底無理。 それでも当初の予定10時30分〜11時の間には発表が出ないので、叱咤して寝かせる作戦にでる。
11時15分過ぎ、発表がでる。
番号は”・・・・あった!”
とにかく1校決まった。 その場で塾の先生の携帯に連絡。 だが、やはりこの時間に色んな学校で発表が重なっていてつながらない。 とにかくもう1人の先生だけでも連絡をつける。 その後、もう1人の先生から電話が入る。 とにかくこれで安心して寝ることが出来る。 明日は3日校の受験と1日校の発表がある。 一番大変な日になる。 とにかく早く寝ないと体はもたない。
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2月3日(日)
今日は戦いの天王山!そしてつらい一日でもあった。
G大S校(某国立)。 何たって学費が安いことで、親は第2希望。 本人は第3希望。 ここに決まればさらに3年後の高校受験がもれなくついてくる。
昨日の穏やかな天気が、一転冷たい雨となる。 ここの学校はとにかく私学と違って設備は到底望めないので、今日のように寒いと、しっかりとした防寒対策をして試験会場に入らないとつらいのだ。 出発は7時30分。 会場に8時30分到着予定で家を出る。 昨日と同じ田園都市線でしかも乗り換えはない。 が、徒歩20分の距離。 等々力からバスという手があるのだが、少し歩いて気持ちを落ち着けた方がいいだろう。 すこし、本人の緊張の糸が切れかかっているのが気になる。 昨日の発表が随分気持ちをラクにさせているのだろう。 この学校では、ほんとうに満点ペースできていても危ない。 問題が難しくない分1〜2点の差で涙をのむし、3日校で多少受験者が抜けてしまうが合格者30名という戦いは厳しい。 駒沢の駅から歩いている受験生はいない。 朝の冷たい空気の中、公園を抜け学校近くになるとさすが人が多くなる。 ここでも、各塾の応援の先生が歩道を埋め尽くす。 今日はひーちゃんの算数を担当してくれている先生の応援。 まず、先生に昨日の結果を報告し祝ってもらった後、握手をして会場に入ってゆく。
ここで私もひーちゃんと別れ、再び20分歩いて駒沢の駅まで戻り1駅先の三軒茶屋へ。 ここで、昨日の学校の10時の正式発表までしばし時間をつぶすことに。 スタバで、サンドイッチとホットラテで一息。 とにかく、ここ3日間まず、ひーちゃんを優先に考えてきたのでほとんど自分がゆっくりすることは出来なかったし、空腹を感じることすらなかった。 ひーちゃんはといえば、戦えばおなかが空く、食欲だけは落ちることはなかった。 3日間4時間近く机に向かって問題を解き続け、極度の緊張に相当の精神力と体力を使い果たして、今日は最悪のコンディションになった。 幸い水筒の持ち込みは可能な学校だったので暖かいハーブティーと会場で体調が思わしくない時に眠くならない鎮痛剤を持たせた。 かなりの関節痛と、男の子のようになってしまった声は、この3日の戦いが想像を絶するものだった事が伺える。 これはある程度覚悟した上だったが、それでも覚悟以上ものがあった。
それで必ずよい結果ばかりがもたらされるというわけではない。 むしろ、受験するだけならまだ気が楽なのだ。 これから結果を待つそして、その結果をどう受け止めるかが一番苦しいのだ。 今日の我が家ではよい結果とつらい結果の両方受け止めなければいけなかった。
昨日結果をいただいた学校で合格の書類をもらい再び駒沢に戻る。 保護者控え室の体育館では今日の問題が張り出してある。 問題の販売はないので、とにかくここの学校の過去問対策はほとんど出来なかった。 といっても文部科学省の管轄なので私学のように学校独自の考えさせる難問は出ない。
試験終了後、男女別に出てくる。 ひーちゃんの学校の子も同じ試験教室にいるのは、2次の願書提出でわかっていた。 その子も1日は同じ学校を受けている。 発表がかち合わないように極力気を配る。 とにかく、今日が一番神経を使う日だろう。 会場でひーちゃんを見つけだし、バスで自由が丘へ向かい電車で横浜へ。 1時発表で、3時までしか掲示をしてくれないこの学校。 ほんとうは、とーちゃんに発表を見てもらうつもりだったけれど、雨ということもあり、本人が厳しい現実を受け止めるべく発表会場に向かうのだ。 とにかく本人は全く落ち着きがない。 落ちつかせようとするとかえって興奮してしまう逆効果。
駅に着き学校への200数段の石段を急いでひーちゃんは上ってゆく。 そして次に見た顔は、涙をいっぱい浮かべた顔だった。
”ない!”
と一言言った彼女に、私は何も言う言葉はなかった。 というか、ここでひとこと言うと、私の方も泣いてしまいそうだったのでここでは絶対泣けなかった。 一番悔しいのは彼女だから。 ここの制服を着たい、ここで学校の生徒になりたい、それだけを目指して猛勉強をしただけに、その結果が出せずに終わったことは12歳の子どもには厳しいものだったかもしれない。 確かに番号はなかった。 何度探してもなかった。
しかし、これはゴールではない。 今はこれからどうするかを考えよう。 すぐに塾に報告。 電話をするひーちゃんは、泣いている・・・声にならない。 合格・不合格どちらにしても塾に向かうことになっている。 本人がF女学院でなければS女子学院を受けたいと希望していたので、あす出願しようと思った。 とにかく、半分気乗りしないひーちゃんを説き伏せ、とにかく1〜3日まで受験する学校の穴埋めといっては学校に失礼だが悩みに悩んだ末学校を決め、あわてて学校の説明会に行き、学校主催の受験直前体験試験を受けさせ、本人にある程度納得させて受けたOU学園。 今日の試験結果は5日に出るのだが、本人が直前まで第2希望にしていた5日のS女子学院。 本人も受けたい気持ちは充分にある。 しかし、もうそこまでの気力と体力が残っていないような気がする。 そのこともあって、塾に向かう。 電車の中で寝ているふりをしているが、ずっと涙を流している。 母親の私はタダひたすらそれを見守るしかない。 どんな言葉もかけることが出来ない。
塾では、まず先生が笑顔と握手で”おめでとう”と迎えてくれる。 全員の先生が。 それで、ほっとしたらしく、少しの笑顔が戻る。 合格者速報でOU学園の自分の名前を確認した後でF女学院の合格者を見る。 ”やっぱり、ここに自分の名前がほしかった・・”(友達4人中2名合格)そうつぶやく娘に、先生達は精一杯がんばってきたんだから、結果は僅差だったかもしれないこと、そして次に進む学校のことを考えようと、気持ちの切り替えをすすめる。 本人希望のS女子学院は五反田の山の上、高輪台にある。 自宅から1時間40分ゆうにかかるかもしれない。 繁華街渋谷を通らずに通学するルートを考えるとどうしてもこれくらいはかかる。 しかも登校時間は8時10分。 6年間の通学を考えると限界を超えるかもしれない。 まずは、先生の説得が始まる。 同じレベルなら、絶対に近い学校の方がいいという先生の説得に、周囲を見渡せば結構OU学園出身の人も多いし、同じマンションからも1つ上のお友達も通学している。 ひーちゃんとは波長もよく合うお友達なので、母としては心強い。 心のケアーは塾の先生に随分と助けられた。 塾の先生は毎年、たくさんの合格者を出す陰で、たくさんの涙を見る。 むしろこの涙のケアーに先生達は心を砕くことになる。 私たち親子はとにかく必死にこの1年を駆け抜けてきた、特にこの2ヶ月は死闘だった。 傍観していた私の母から見ればなんとのんきな親子だろうと思ったらしい。 わたしも、もっと彼女を鍛え抜き、極限まで受験勉強をすすめれば、またそのような塾であればもしかして栄冠を手に納められたかもしれない。 しかし、彼女の器を知る私にはそれは出来なかった。 40歳を過ぎた私でも、大学を卒業して20年近くなる今でも、自分の選んだ音楽の道を紆余曲折しながら今だ色んな事を模索し続ける自分を思い、これが最終ゴールではないこと、そしてこの挫折が挫折に感じられないまでにはまだ相当時間がかかるだろうけれど、きっとこの挫折はひーちゃんは自分の力として次につなげてゆける力があると信じて、長くかった中学受験を終了することにひーちゃんと私は決めた。
話はこれで終わらない。 ほっと、落ち着き空腹になったお腹を満たしたところで、彼女はまず家に帰って、とーちゃんに最終報告(途中で結果は本人が連絡済み)して、ここまでのお礼を言って、学校の担任の先生に報告し、何度も書いてくれた報告書のお礼と、明日は体調を立て直すために欠席させてほしいこと、そしてあさっての発表は自分で結果をしっかり見て(本人が苦手な理科の力学が出題されていたので結果は出ないと感じている)自分の、受験に終止符を打ちたいので欠席させてほしいという旨を自分の声で伝えたいと言った。 その言葉を聞いて私はこの受験は心も彼女を成長させたのではないかと思った。 親だけではなく、子どもと一緒に走った小学校3年間の受験は燃え尽きる受験ではなく、次に向かう受験になったと思う。
ほんとうに、今日から親子ほっとして眠りにつける・・・・明日は好きなだけ寝かせてあげよう。 そして好きなパソコンをさせてあげよう。
がんばったね、ひーちゃん。 そして、合格おめでとう。
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2月4日(月)
遊び方を忘れた?!昨日までの受験生
今朝は、無制限に眠らせてあげよう・・・と心に決めておいた。 世間ではまだ、受験は続いている。 今年は3日が日曜日ということで、サンデーショックでプロテスタント系の学校が試験実施日を1日ずらしてきている。 ひーちゃんが入学を決めている学校も3次試験が今日実施される。 来年は確か1日は日曜日。 再来年も1日は日曜日。 もしかして、今年より厳しいのかもしれない・・・と不安になる。
昨日先生へのお礼を申し上げたときに、”しばしゆっくりさせていただき・・・・”と言おうとして先生の目が、”ゆっくりできませんよ〜。 次はもう始まっていますよ”という目の笑いを見て、何も言うことが出来なかった私。 そうだ、2つ下のさっちゃんの学年は2004年の受験に向かって走り始めているいる。
今回の受験であちこちに、受験情報でお世話になったので、そのお礼と報告をひーちゃんが起き出してこないうちにすませる。 気持ちはまだまだ吹っ切れはしていないようで、昨日も思い出しては時々涙ぐんでいた。
さあ、昨日までの受験生は一体何時に起きたかと言うと、12時だった。 まあ、よくこの時間まで眠れたね。 ご立派である。 起きた後はお腹がすいている。 遅い朝食の後、早速パソコン復帰を果たした彼女。 しかしおかしいのだ・・・・・。 しばらくするとあんなにやりたかったパソコンがおもしろくないらしい。 さっちゃんが学校から帰ってくると一緒に塾に行ってしまった。 しっかり勉強道具を持って。 ”遊び方を忘れた!”と一言言い残して。
塾にお迎えに行ってみれば、さっちゃんの学年のお母さんからお祝いのお言葉をいただき半分照れくさそうにしてしている傍らで、A中学の問題を解いている。 たしかに、A中学の問題も好きだったけれど、何で今頃? そう、遊び方を忘れるくらい勉強したのだ。 塾では”今日は来る日じゃないよね?”と聞かれ”遊び方を忘れた!”といったらしい。 先生から”とにかく、遊びなさい!! 遊ばないと先に進めないよ!!”と、さんざん脅され、必死に遊びを思い出すリハビリ中といったところだろうか。 きっと、学校に復帰したら遊び方を思い出すはず・・・・
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2月5日(火)
そしてすべて終了!
G大S校(某国立)の発表。結果はやっぱり・・・・・
今日は、最後の発表。 ここも、掲示時間が短い。 1時間ちょっとの間しか掲示がない。 その後入学説明会へと続く。 実は、5日まで受験がもつれ込めば、友達にこちらの発表を見てもらうつもりだった。 もう、その必要もないし、ひーちゃん本人が発表を見て、万が一合格の時は、自分の希望と家庭の台所事情を電卓で3年間にかかる教育費等をはじき出し、自分の中学校生活のお楽しみはどちらが大きいかを天秤にかけて重さ調べをして、死ぬほど悩んでどちらに進学するのか決定をすることになっている。 が、さんざん塾でG大S校はやめておいた方がよいと意見を吹き込まれたようで全くこの学校には興味がない。 親がここの受験をすすめたのも、受験料が5,000円だったからという理由というのも大きい。 とにかく、1校の受験が20,000円〜30,000円。 それがこの5日間続く、W出願、午前午後入試W入試に、試し受験。 受験費用だってバカにならない。 で、体は1つしかないのだから行く学校だって一つしか選べないのだ。 とにかく必要最低限の出費ですませたいという事で、3日日曜日はサンデーショックで女子校が4日に移動というのが多くてとにかく、3日までの出願枠を埋めなくてはというので、この学校を選んだのだ。 3年後の受験というのは本人がもっとも気乗りがしない事だったが、”とにかく3年後私学に行ってもいいから”と飴をちらつかせ、受験させたのだ。
さて、今回も足早にそして軽快にステップを踏みながら学校へと向かう。そして今回は・・・・
次に見た彼女の顔は満願の笑みを浮かべている! その瞬間”ダメだった!”事はすぐにわかった。”ない!”と言う彼女の顔の嬉しそうなこと。 やっぱり、本人が気乗りしない学校を受験させると、失敗したときはこういう顔になると言うことを学習した。
その後、再び彼女は塾へ報告に向かう。 塾ではSFCの一次試験合格発表があったようで、その対応に先生達は追われていたようだ。 今年のSFCは厳しかったようで、例年ほどの一次合格の人数は出なかったようだ。 例年一次はかなりの底上げで合格者を出していただけに、今年は厳しい戦いを強いられたようで、涙をのんだ友達が多かった。 さあ、そして、KO中等部入試スタート。 中学入試はいよいよ佳境を迎える。
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そして受験終了後・・・・
OU学園の入学手続きをすすめつつも、電話のコールや、郵便の配達にとても敏感になりました。 (F女学院は電話連絡で繰り上げ、G大S校は速達郵便繰り上げ通知) そう、ぎりぎり滑り込みセーフという、繰り上げを期待したのです。 ほとんど期待できないというものですが、やはりSFCの2次試験合格発表や、KO中等部発表、またそれに伴う繰り上げに一縷の望みをかけていました。
しかし、それも、一日で神経がもたなくなり、さっさと頭をOU学園に切り替える娘に対し、私はなかなか思いを振り切りることが出来ませんでした。 なんせ、F女学院は私の母校(大学だけですが・・・)ですし、結婚後出産までほんのわずかの時期ですが、職員をしていたこともあって、今度は再び親としてこの学校にご縁があればと思っていました。 そうした思いも、OU学園の制服発注で吹っ切れましたし、ネットという便利なもののおかげで、某ホームページでOU学園在学中の親御さんとメール交換でき、第一志望でなかったものの、こうしてご縁のあったOU学園での6年間を思いっきり楽しもうと思っています。 実際娘は”行くたびに好きになる学校”と言い、4月からの中学生活に夢をふくらませています。
さてさて、この5日間の死闘を間近で見ていた次女のさっちゃんは、これに懲りて”やだ〜ぁ”と、言い出すかと思いきや、一気に自分一人で受験モードに突入してしまいました。 勝手に、自分でお弁当を作り、塾で勉強をしてくる姿を見て、親は喜んでよいのか・・・・
”もう少し待ってくれる?ノンビリ行こうよ”と言う私に返ってきた言葉はこうでした。
”ひーちゃんの時は手打ちラーメンみたいに手間かけて、私の時はインスタントラーメンみたいに手軽にするつもりではないでしょうね?”
おもわず、”座布団3枚!!”と叫びたくなるこの言い草に毎週欠かさず見る”笑点・大喜利”の成果を思わずにはいられません。
そうなんです、つる家の受験はこれで終わりません。 2004年のさっちゃんの受験へ向けて、今年もまた学校説明会、学園祭巡りがはじまります・・・・・2年後まだ、このリレーエッセイが続いていればそして御希望があれば、”中学お受験寝てもさめても・・・・”(パート2)をお書きしましょうか?