リレーエッセイ「ニュータウンの街かどから」
<起の章; ちびMON(Kazu)大変な状況を乗り越える>
2002年2月ごろ、MONの母が糖尿病昏睡という病気を起こし、「意識が戻らないかも」と宣言された。 Hiruは例によって出張中。 実家に戻りNaoとともに、病院に通ったり、母の代わりに家計を預かり銀行関係のことをしたりで大忙しだった。
まだ安定期に入りきっていない頃、心配だったけど生き抜いてきて、安定期に入った頃、おなかの中で「大丈夫だよ」と言うように、足を蹴ったり胎動を感じるように。 母も意識を取り戻し回復し、一時退院となりました。
ところが今度は立てなくなり再度入院という事態となり、検査等にHiruと一緒につきあってもらうなど5月頃までバタバタしていました(敗血症から来た糖尿病昏睡、と同時に敗血症の菌が背骨に入り込み溶かしていたという状況だったのです)。 その母も今では、ようやく立って歩くリハビリまで行き、ホッとしています。
それでは、「超どたばた」出産記のはじまり、はじまり〜
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<承の章; 7月9日>
実は…MONは体重管理を今回は徹底する暇がなく(序章参照)、気がついたら10Kg+。 先週の検診より2Kgも+となってしまっていたのだ。 検診で怒られると思い、いつもはしない多摩川の散歩をした(1時間弱)。 時々おなかが張るなぁとは思ったけれど、運動をして体力もつけなきゃなどと、今更ながら努力していた(遅いって…)。
午前中助産院で検診があり、「陣痛が来たら早そうなので、早めに連絡下さいね」と言われる。 いつ来てもおかしくない状況だと説明された。 出産は、潮の満ち引きや月とも関係があるといわれていて、予定日は7月17日だったけれど、新月や満月の時に生まれやすい…新月は7月10日。 怪しいと思ってはいたけれど、本当に来るとは思わなかった。
Naoと「もうここの駅でお昼ご飯するのも最後かもね」などと言い、モスバーガーでお昼を食べ、家に帰る。 何となく「直樹とゆっくりできるのも最後かなぁ」なんて思い、目の前の公園で思う存分遊んだ。 そのあとシャワーをあび、ご飯も早く食べてのんびりとすごしていた。 Naoにはわかっていたのだろうか? その日は妙に甘えてきて、出産までやめるといっていた「おっぱいを飲みたい」と言って飲んだのだ。
Hiruの帰りが遅くなることはわかっていたので、テレビを見ながら時間をつぶしていた。 しっかり「ナースのお仕事4」を見終わり、何となく腰の重みがいつもと違う気がして、Hiruから電話がかかってきたとき「ひょっとしたら陣痛かも知れないから早く帰ってきて」とお願い。 実は京急川崎まで帰ってきていたので、すぐだった。
(10分後 10:50)
助産院に何度か電話、「内診の影響かも知れないからもう少し様子を見て」と言われ、Hiruの買ってきてくれた冷凍みかんをほおばった後、布団の上でごろごろしていたが、痛みが強くなってきていた(時間を計っていたとき、15分間隔、後で記録を見てわかったことだが、7分間隔くらいになっていたのだ)。
そうこうしていたら破水してしまった。 そう、赤ちゃんを包んでいる羊膜が破れたのだ。 急いで布ナプキンを当てて助産院へ車を出してもらう。 Hiruは運転、直樹はチャイルドベストをつけ、わたしは後部座席のシートを少し倒し、陣痛を逃れるための準備をして出かけた。 Naoの時はHiruに支えてもらっていたが、今回はそれができないので、できるだけ同じ姿勢に近い形にと、とっさに考えたのだ。
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<転の章; 車の中で出産>
車は途中までは順調だった。 多摩川の横をどんどん走っていく。 ところが、すいている道路に初心者マークが2台…とたんにのろのろ運転となってしまった。
わたしは、どんどん陣痛が強くなっていくのを感じた。 その時自分を支えるためにいっていたのは、「陣痛の間に休みはある」、「がんばれがんばれ」、「まだ助産院まで生まれちゃだめよ〜」だった。 息はできるだけ腹式呼吸で乗り切ること。 それと、なが〜く息を吐くのをずっと意識していた。 実は妊婦本(夫婦でいいお産をという本)を読み、思い出していた。
そうこうしているうちに耐えきれなくなり、頭でぐんぐん押されているのがわかった。 出てきてしまうかも…なんかよくわからないけれど、「まだだめ〜」とか言いながら押さえていたけれど、無理そうだったので前を向き、やはり押さえていた(後からマンガで読んだとき会陰を保護するには、胎児が出てくる方向と逆に押さえなきゃいけないと言うことだった。 つまりわたしの叫びながらしていたことは、結果的によかったらしい(^^;A)。
すると突然、「するっ」と頭も体も出てきたのだ。 7月10日午前1時08分。 Kazuが「車の中」で産声をあげたのだ。
急いでしたこと、それは「布でくるむこと」、感染症予防のために必要だったのだ。 次にしたのは「初乳を飲ませること」、これをすることは子宮収縮にもつながり、産後の母体の回復を促すはず。 「生まれちゃったぁ…」「1:08だね」なんて会話をしながら、助産院へ電話してもらったが、助産院の電話番号を間違えて登録していたらしく、通じなかったのだ。
生まれてから20分後、車は助産院へ到着し、Naoのチャイルドベストをはずしたら一人で助産院の中へ入っていった(正確には「知らせに行かせた」)。 助産婦さんに後から聞いた話だと、「なおちゃんが『赤ちゃんオッパイ飲んでいるよ』って、一番に知らせてくれたのよ」とのこと。 急いで助産婦さん2人で車に駆けつけてくれた。
ホッとした…もう安心だ…感染症の危険だけが心配だけど…。 「感染症とか大丈夫でしょうか?」「大丈夫よ」との言葉にホッと一安心。 胎盤がまだ出きっていなかったので、おなかを押して胎盤を出す…。 汚れてしまった洋服を先生が丁寧に洗ってくれた。 Hiruは車のシートを掃除して後始末を終え、やっとKazuを抱っこすることができた。
助産院のベッドまで歩いて移り、休んでいると助産婦さんがやってきて、「へその緒、切る?最後まで自分でやってみよう」ということで、へその緒を切らせてくれたのだ(Naoの時はHiruが切った)。
最初Hiruに「抱っこするか?Nao」と言われたときには「しない」といったNaoが、「ちびMONちゃん抱っこする」と、Hiruがベッドに寝た後言い始めたので初の抱っこ(実はこの日は満室で、水中出産用のお風呂の蓋の上にふとんを引いて寝ました)。
翌日、朝ご飯を持ってきてくれたMさんに「よく冷静だったね」との言葉に、「夢中だったんです」としか言えない。 本のまめ知識が役に立った。 Mさんから「F先生とも夕べ話していたんだけど、お産としては満足いくものになったのかなぁ…って」と…。 「F先生やMさん」に辛い日々をずっと支えていただいたし、「前回のお産よりもよくしようね」って、いっていただいたこと忘れていませんでしたよ。 だから、「今回車内での出産となってしまったけれど、先生方がいてくれたから、本当に辛いことがたくさんあった妊娠期間、乗り越えることができたんだと思います」なんて、泣き虫MONはここでも泣いていた。
偶然に、その日Naoのお友達ママである、ゆうしママに会えた。 早速ちびMON(Kazu)をお披露目。 その後個室に移り、助産院での入院生活は快適なものだった。 Naoは昼間保育園に預け、夕方もどってくる。 送り迎えは助産婦さんがしてくれた。 昼間はゆっくりと体を休めることができたし、希望通りにできた。 さらにラッキーなことに、Hiruの会社は出産の時公休がとれるらしく、3日目から家族入院した。 洗濯物もしてもらい(Hiruの分まで)、とてもありがたかったし…ご飯もおいしかった。
何よりも妊娠期間、辛い現実がたくさん私の前に立ちはだかっていたのだが、先生方に精神的に受け止めてもらい、また優しい言葉もたくさんいただいた。 前回出産時の助産婦さんのように、辛い事は何一つなかった。 車内出産なんてと怒られるかと思ったが、「本当によく頑張ったね。合格点だよ」といってくださったのだ。 先生とお話ししながら、私の体調チェックをしてもらっていたのだが、またまたポロポロ…助産院で産めなかったけれど、有森選手じゃないけれど「自分で自分をよく頑張ったね」と褒めてあげたい。
「大変な状況の中よく頑張れたね」と思う。
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<結の章; 名前を>
さて、ちびMONちゃんというのは、我が家の胎児ネームなので正式な名前を…。 以前わたしは、母のことやいろいろなことで「この子は希望だ、いろんな事を乗り越えてきた希望」と感じ、希望のどちらかの字を使いたいと思っていた。 ある日書店で、「一希」という名前を辞典で見つけ「かずき」ってどうかな?といっていた。 私たち夫婦は、わりとインスピレーションで名前を決めている。 Naoは助産院の木をみて「まっすぐな樹のようにそだってほしい」だった。 音は決まったけれど字が…とHiru。 そこで「和希」。 しかし、希望の希よりも「光が入った方がいい」と言うので、「和輝」となった。
Hiru家はこれで一家4人となった。
・ Hiru
・ MON
・ Nao(直樹、現在3才10ヶ月)
・ Kazu(和輝、まもなく生後1ヶ月)
Naoは新入りKazuをかわいがっているが、しょっちゅう鼻にキスをするのが困りもの。 そうそう、Naoの卒乳?物語の続きがあり、出産後見事におっぱいに帰ってきたのだ。 「あかちゃん生まれたら、飲む」という言葉通りだった。 ただ、わたしの気持ちの中でかなり変化していた。 Kazuに対してNaoは巨大に見え、何となく「まだおっぱい?」という気持ちになってしまったのだ。 でもわたしのおっぱいは出すぎる方だから、ちょうどいいかもしれない。
これでいいや。 Naoは4才になったら「お兄ちゃん」だと言っていて、4才でやめるつもりらしい。 Naoの誕生日まで約1ヶ月ちょっと。 のんびりオッパイライフもいいかな?と思うわたしだった。
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-Hiru'sコメント
偶然とはいえ、「車中出産」を自ら経験するとは、正直思っても見ませんでした。 一歩間違えば、刑事事件になりかねない事ですからねぇ。 TVのネタに丁度良いかも。(^^;
実は私の予想では、7/10位には出産するだろうという頭でいましたので、ほぼ予定通りかなって感じでしたね(車中出産は本当に予定外だった)。 この前日(9日)は、別用(お勉強)で渋谷に居りまして、その用事が済んで帰る途中に電話があったんですよ。 「お、そろそろだな」と言う感じでしたね。 家に戻ってからMONが助産院に電話した後(「もう少し様子を見て」と言われたとき)、本当は「待ってられん!!」の気持ちが強かったんですね、私。
実は、家から助産院までの所要時間は電車利用で50分程度、自家用車でも50分〜1時間はかかります(二子玉川を経由するので渋滞した場合は、約1時間半かかります)。 そのため、早く助産院に入って準備しておきたいと言う考えだったんですよ。 でも今振り返ると、「車中出産」は和輝が望んでいたのかもしれない、家族みんなに出てくるのを見てもらいたかったのかもしれない、そう思えてきましたね。
そして、次の出産(だいぶ先の話ですが)の時は、「自宅出産でもするか??」などとお互い冗談交じりで話しています。 本当にそうなってしまうのも、ちょっと怖いけど…。