平太はいつものように山で木を伐っていた。大きなまさかりをふるって大木の幹を切り込んでいく。それからうなり声をあげながら幹を押すと、めきめきっと大きな音とともに木が倒れていく。枝をはらった幹に縄をかけようとした時だった。近くの薮でがさがさという音がして、低いうなり声がした。
薮の方へ向き直ると大きな熊がこちらへ近づいてくるところだった。しまった、あたりに気を配るのを忘れていた、逃げるにはもう遅い、と思うより早くまさかりの方へ手をのばした。まさかりを手に取って構えた時には熊は目の前まできていた。相手が闘志を見せて身構えているのに気づいたか、熊の方も立ち止まって慎重なようすで平太を見まわした。
平太はうなった。これはまずい。とてもかなう相手ではない。かといって逃げる余裕もない。背中を見せたとたんに八つ裂きにされているだろう。こうなっては仕方が無い。何を思ったか、平太はまさかりの刃を自分のほうへ向けて振り上げた。哀れ平太。熊の手にかかるよりは死を選んだかと見る間に、平太は自分自身をまっぷたつにしてしまった。
「おい、左半身。お前はそこを川沿いに逃げろ。俺はこっちの道を逃げる」
なんということか、右半身と左半身が二手にわかれて駆け出したではないか。右半身は森の中の小道を一目散に逃げて行く。左半身は片割れに言われたとおり、急な流れの脇道を走り出した。面食らったのは熊である。なにしろ獲物がいきなり左右に分かれて逃げてしまったのだからどちらを追いかけていいのかわからない。迷っているうちに右半身も左半身も見えなくなってしまった。これはクマッた!
さて右半身だが、熊が追ってこないとわかると、なおも用心しながら木陰にかくれて一息ついた。どうやら逃げおおせたようだ。ひとまず村へ帰って片割れの帰りを待つことにしよう。まさかりは後で取りに行けばいい。山道を下って村へ近づくと子供たちがわっと集まってきた。
「こんな奴はみたことがないぞ、身体の真ん中でまっぷたつじゃないか」
「しかも片方だけだ。残りの半分はどうした」
「まてよ、こいつはどこかで見覚えがあるぞ」
「平太じゃないか。これは平太の右半分だ」
「そうだ、平太だ。百姓が嫌だといって山仕事ばかりしている平太だ」
正体がわかると村中が大変な騒ぎになった。いっせいに話しかけてくるものだから、何がなんだかわからない。いいかげんに相槌をうったり怒鳴り返したりしているうちに、山の中で天狗に左半身をとられてしまった、返してもらうために何やら悪だくみに加担する約束をしてきたのだ、ということになってしまった。何しろ右半身しかないものだから心の臓がない。それで一本調子の受け答えしかできないのだ。おまけに悪餓鬼どもからは、「右平」という名前を頂戴してしまった。ウヘェー。
こんどは左半身の行方を追ってみよう。川に沿って下っていくとだんだんと道幅がひろがり、どうやら平太の村とは逆の方向に向かっているようだった。しかし、戻れば熊と出くわす恐れがあったから引き返すわけにはいかない。どんどんと下って行った。山のちょうど反対側にある隣村に近くなると、やはり子供たちが寄ってきた。
わいわいと騒ぎながら口々に問いかけるが左半身は考え込んで答えない。虎口、いや熊だったか、からは脱したもののこんな身体になってしまった。父上、母上に申し訳がたたぬわい。本当は両親ともに、とうに亡くなっていたのだが、なにしろ半分の身体に心の臓がまるごとあるものだから、つい情があふれてしまう。黙りこくったまま涙を流して歩きつづける左半身に子供たちも気味が悪くなってきて、散り散りに行ってしまった。子供たちの中に平太の村を知る者がいて、去り際に「左平」という名前を奉った。
さて家に戻って片割れを待つ「右平」だが、いつまでたっても左半身は帰ってこない。熊に食われてしまったのではないことは感じでわかった。なにしろもともとは一つの身体だから互いに感応するところがあるらしい。かといって居場所やら考えがわかるほどではない。なんとも、もどかしいと思うと余計にいらだってくる。心の臓が無いせいで直情径行の性格になっているものだから、いらだってくるとどうしようもない。
「あの野郎、どこで油を売っているんだ」
柱やら壁を相手に怒りをぶつける有り様だ。そうこうしているうちに、はや何日かがたってしまった。もともとが貧乏暮らしであるから、ただ待っていたのでは食うに事欠く。仕方がないので野良仕事に出る事にした。ところがどうだ。働きはじめると、がむしゃらに仕事が続くではないか。これには皆して驚いたが、どうやら心の臓がなくて余計な心持ちをしないためらしい。
「左平」はというと、まだ山の向こうの村から戻って来る道中だった。山を越えて帰って行くのは危険な気がするので、山裾をずうっとまわって戻ることにしたのだ。しかし遠回りになったとはいえ何日もかかるような道程ではない。左平自身はそんな気はないのだが、つまり油を売っていたのだ。もちろん悪気はない。ただ、見るもの聞くもの、すべてが心に感じるのだ。風景が美しいといっては立ち尽くし、野の花を見ては涙を流す。気の毒な人をみれば、つい留まって声をかけたり何かしてやらないと気がすまない。半分余った心の臓のせいなのだ。
こうして野原を歩き回るうちに旅人たちの間で評判になってしまった。半分の身体のひじりが、野をさまよっているというのだ。噂が広まり始めると、もうどうしようもない。近在の村々から人が集まって来る。やがては、ありがたや、ありがたやと唱え始める老婆もおれば、天候を占えだの、はては病を直せなどという騒ぎになった。
人の心はあてにならぬとはよく言ったもので、左平が実際には何もできないとわかった途端、手のひらを返したように冷淡になった。なんだ、なんだ。ただ歩き回ってぼんやりとしているだけではないか。蛙だって雨が近づけば鳴いてしらせようというのに、こやつは何の役にもたたぬわい。文句を言って立ち去るだけならいいが、突き飛ばそうとする者、殴りかかってくるものまでいる。私が何をしたというのだ。とにかくこれではかなわんと逃げ出した。
逃げる者があれば追いかけたくなる。数人の男が棒を振りあげて後を追った。村の悪餓鬼どもも、いつのまにか集まって石を投げ始めた。たまらん、たまらん。ひたすらに逃げて、とある薮の中へ駆け込んだ時である。この中へお隠れなさい、と女の声がした。見ると桑の葉をいれる背丈ほどもある篭を指差している。左平を篭の中へ入れると上から葉をかぶせて隠し、女は弁当をひろげた。追っ手の男達がそれっとばかりに薮の中へ飛び込むと女はきゃあっと叫んで握り飯を投げつけた。これには男達も驚いて、しまった間違えたかと、ばつが悪そうに引き上げた。
女は隣村の娘であったが、そのまま左平の村までついてきた。村に着くと右平が待ちかねたとばかりに駆けてきた。娘が付き添っているのを見ると少し驚いたようであったが、そんなことを気にしている時ではない。それに左右くっつけば直にわかることだ。何日ぶりかで元の身体に戻ったが、しばらくはしっくりこないのは仕方あるまい。それに娘の方が気になる。左右の目でみると、うむ、悪くないどころかとても良いではないか。両眼の中の娘もまんざらではないようだ。そのまま夫婦になって暮らすことになった。
さて、とんでもない冒険の末に愛妻を得た平太であったが性根は相変わらず。百姓はいやだと言って、助けてくれた女房に苦労をかける有り様だった。ところがある朝のことだ。朝の涼しい空気に思わず大きなくしゃみをした。するとなんたることか、右と左に分かれてしまった。やはり元の身体に戻るのが遅すぎたのか、しっかりとはくっついていなかったらしい。女房が驚いて見ているうちに右平はさっさと野良仕事に出ていく。左平はやたらとやさしく妻をかわいがるではないか。
あっという間に何日かがすぎた。右半分は多少粗暴なところもあるが相変わらず働き者だ。左半分はやさしい亭主である。おかげで暮らし向きはだんだんと良くなっていき、やさしい亭主もいるというわけで、女房にとっては願ったりかなったりとなった。何年かたつと、田畑は増え使用人を置くほどになった。やがて平太夫婦は金持ちになり、村の名主に推されるまでになった。もちろん知恵者の女房が機を見ては亭主の鼻をくすぐってくしゃみをさせているからなのだ。めでたし、めでたし。
つづく
Dec/1997