都の西のはずれに二人の姫の住まう屋敷があった。あたりは、都の賑わいからは離れた西の門の近くで、門を出てやや行くと原がひろがっていた。その先はなだらかな山の裾へと続いていた。
二人の姫の美しさは都びとの評判であった。普段は屋敷の奥深くにかくれるように暮らす姫たちの姿を見た者はごく少なかった。それだけに一度でもこの目で見たいという欲望が途方もなくふくらんで、信じがたい噂話をこしらえたかとも思われた。だが、その姿を垣間見た幸せ者の言葉によれば、その噂を百倍しても足りないほどだということであった。それを聞いた者どもは、ますます思いをつのらせ、姫たちを一目見ようと屋敷を凝視する視線は、今にも塀や壁を貫くのではないかと思えた。屋敷の奥深く、帳の内からいっかな出てこない姫たちであったが、身の回りの世話をするわずかの者が、姫たちの秘密を外界に伝えるのであった。
姫たちは、夕ずつ姫、暁け星(あけぼし)姫と呼ばれていた。姉姫の美しさは宵の空の明星にたとえられ、その輝きに満月も光を失うばかりだということであった。また妹姫の輝きは、せまりくる夜明けの無作法に、はかなげにふるえるような風情の美しさが比類なく、最後の夜露にやどる暁の明星のきらめきにたとえられた。
姫たちは月に一度だけ外へ出る。月の美しい夜遅く、屋敷の門がそっと開くと二台の牛車が姿を見せる。影のように付き添う従者とともに、朱塗りの牛車は都の西の門へ向かう。本来なら陽が落ちてから門を通ることは許されない。しかし、姫たちの牛車が近づくと屈強な番兵もその役目を忘れてしまうのだった。朱塗りの牛車は西の原をゆるゆると進む。ようやく中天にかかろうとする月の光が、御簾をはねあげた姫たちの身体を洗う。いつとはなしに笛の音が聞こえてきた。月光の中、夕ずつ姫と暁け星姫の笛の音は銀の鈴を振るように、からみあい、離れては、原の向こうへ消えてゆく。ひそかに後をつけた者どもは、笛の音に惑わされたか、白銀の月の光に眩まされたか、いつしか、牛車の行方を見失ってしまうのであった。そして夜更けまで笛の音は遠く近く、欲望にかられた者どもを悩ませるのだった。
とはいうものの、姫たちは狐狸妖怪などではない。父親は名の知れた家柄で、幼少の頃から誉れ高い秀才であった。母親は早くに亡くなり、姫たちは父親の手で育てられた。しかし、その父親も何年か前に西方の異国に遣いに立ち、長い間、便りのないままであった。姫たちが人目に触れなくなったのは、そのころからであっただろうか。姫たちが月を愛でるのは、遠国で同じ月を見る父の目に姫たちの似姿を映して見せようというのか。あるいは亡き母をしたって、黄泉の国へ通じるという月の門を開こうというのか。都びとの中には、これほどにも長く帰ってこない父親はすでにこの世にないかもしれぬ、などと噂するものもあった。あるいは真実かもしれぬ。姫たちの父親よりも後に出発した使者はすでに帰国しているということであった。あるいは姫たちのあまりの美しさがそのような予感を抱かせるのかもしれなかった。
ある日のこと、姫たちの世話の者の一人が異変を伝えた。姫たちが楽しそうに何かを待っているというのだ。もちろん、父を案じる身とはいえ、いつもいつも塞ぎこんでいるわけではなかった。少女らしく楽しげに話をしたり、たわいのない遊びやら音曲に時を過ごすことも少なくない。しかし、今度ばかりは様子が違うというのだ。父親の帰りを告げる使者の訪れがあったのだろうか。それとも年頃に近づいた娘にふさわしい慶事の予感であろうか。屋敷の外では、ああでもない、こうでもないと、そわそわした空気がたちこめた。月が満ちてくるにつれ、若い男の中には寝ずの番を試みる者まで現れる始末であった。
やがて満月がめぐってきた。その夜の月の出は一段とおそく、夜半ちかくになっても東の空は暗いままであった。いかなる異変かといぶかる都びとたちをよそに、星明かりだけの空の下を姫たちの牛車が進んで行く。屋敷を後にし、やがて都の門を過ぎ、ゆるゆると西の原へ入っていった。二台の牛車がゆっくりと進むさまは、いつもと変わらないように見えた。いつものように、後をつける者が見失うまいと闇の中で目を見開いていた。
牛車は原へわけいり、いくつかの起伏を越えてなだらかに続く山裾に近づいた。姫たちの笛の音が美しく、月よ月よと呼びかける。これほどまでに美しい笛声に誘いよせられぬものがあろうか。東の地平に白銀の光がちらちらと漏れあらわれたと見る間に、奔流のような光が流れた。地平から半ば姿を現した月から、輝く光の河が流れ出しているのだ。白銀の光の奔流が音もなく河となって西の山のほうへ走った。激しい流れが光輝くしぶきを飛ばす。しぶきは地に落ちると鈴のような音を発しながら草むらを転がった。姫たちは流れの脇に降り立ち、なおも笛を吹きつづける。
やがて流れの上を何かが近づいてくるのが見えた。姫たちの笛の音に喜ばしげな色がまじった。流れはこれほどにも激しいのに、そのもののゆったりとした動きはどうしたことか。まるで波ひとつない湖面をすべる小舟のようではないか。だんだんと近づいてくるにつれ姿形が見分けられるようになってきた。舳先に近くに座した婦人、艫には一人の男が櫂ををあやつっていた。舟はゆっくりとゆっくりと姫たちの待つ岸へ近づいた。ついに舟上の人物の顔かたちがはっきりとわかるまでになった。婦人は被りものをそっと上げてほほえみ、男は櫂を持つ手をやすめてこちらへ向き直った。姫たちは喜ばしげな調べを吹き終えると、そっと呼びかけた。
「おかあさま」
「おとうさま」
舟上の父なる人は小さくうなずくと舟を岸へ寄せた。
「おいで、暁け星」
父なる人が手をのばすと、暁け星姫は意外なほどの身軽さで小舟に乗り移ると舳先の近くに腰をおろした。
「夕ずつや」
父親の手をとった夕ずつ姫は、まるで水面を歩いたかと思えるしぐさで舟上の人となり、その横にすわった。
「暁け星、夕ずつ。待たせたな。これほど長い旅になるとは思っていなかったのだ」
母なる人もそっと頭をあげてほほえんだ。
「まいりましょう」
父なる人が再び櫂をとると、小舟はそっと岸を離れた。岸に残った従者たちが驚きあきれる中、小舟は白銀の流れの上をゆっくりと遠ざかって行った。激しさをます流れの中を、ふしぎなほど穏やかにすべるように流れて行くのだった。遠ざかるにつれ流れは激しさをいやまし、舟はどんどんと小さくなってゆく。白銀のしぶきが激しく岸に飛び散り、思わず後ずさってしまうほどであった。そして、小舟がついに見えなくなった時、月は地を離れ、それと同時に奔流も消えうせた。原には従者たちと、姫の後をつけてきた男が、ぽかんと口をあけて取り残されていた。
つづく
Apr/1998