第一話 子供十字軍
第二話 オフィーリア
第三話 婚礼の客
第四話 黒の騎士
第五話 落馬した男
第六話 いちじく
第七話 天上の離宮
第八話 隠者
第九話 笛ふき男
第十話 湖水
第十一話 少女
第十二話 塔守り
第十三話 予言の鳥
第十四話 白鳥
第十五話 虫
第十六話 空腹
晩鐘が鳴った。塔の鐘が打ち鳴らされるたびに夕闇は深まり、家路へ向かう人の足は速まる。不安げにあたりを見まわしては、立てた襟に顔を隠して道を急ぐ。しかし、帰りついて扉をとざせば、家のなかは明るくあたたかいに違いない。良き村びとよ、疾く家族のもとへ帰れ。鐘の音は、そう告げているようだった。
鐘を打ち終えると、塔守りは手探りで石段をおりはじめた。ろうそくの灯りを手にしていても塔守りの老いた目には、もはや何も見えなかった。右の手を壁について一段一段とくだっていった。
しかし、何も見えずとも老人に不安はなかった。何十年ものあいだ毎日毎日、打鐘のたびにのぼりおりした石段だ。壁に手をつくのは弱ってきた足を気づかってのことだ。石段は目をつぶっていても何の不自由もない。老人はそう思った。
そうさ、この塔のことなら目をつぶっていてもお見通しだ。この季節、すこし肌寒さの残るいま時分なら、つばめの夫婦がいつもの場所に巣をかけるころだ。あと三段おりたあたりにも。壁の窪みの奥、雨風のあたらない絶好の場所だ。俺が餓鬼のころから、いつもいつも、あそこに巣をかけてきたのさ。
もちろん、あの頃と同じつがいのはずはねえ。孫だかひ孫だか、つばめの寿命なんざぁ俺は知らねえ。だけども、毎年あそこに巣をかけちゃあ、雛をかえすのさ。それだけは違いない。
塔守りは目が不自由になってきたことをひた隠しにしていた。目のきかない塔守りに国ざかいの張り番はつとまらない。気どられないために、鐘を打つ時刻には細心の注意をはらっていた。昼間の鐘はまだよい。昼の光の中でなら、老いた目にも時刻の移りかわりは見てとれた。つらいのは夜明けと夕暮の鐘だった。
年寄りのこととて目覚めるのは早い。しかし、寝床に身を起していても朝の訪れは容易にはわからなかった。鳥の声や風の音に耳をすまして鐘を打つべき時をさぐりあてた。夕暮はなおさらだった。徐々に夕闇が訪れるころ、塔守りの目の中にはすでに夜のとばりがおりていた。
つばめの巣は塔守りの楽しみだった。あわただしい羽音が行きかうのは巣作りにいそがしいのだ。やがて巣からにぎやかな声が聞こえてくる。見るまでもない。黄色いくちばしを頭が隠れるくらいに開いた雛が餌をせがんでいる。気ぜわしく餌を与える親つばめの憔悴。一日一日と声の調子が変っていく。そしてある日突然、巣は静かになっている。巣立ったのだ。
家族の無い塔守りにとって、つばめは身内のようなものだった。塔は巣でいっぱいだったが、どこに巣があって雛が何羽かえったか、塔守りはみんな心得ていた。餌を求める鳴き声から雛の育ち具合を聞きわけて、やきもきするさまは、初めて子を持った父親のようであった。
やがて隣国の異変の噂が伝わってきた。先王亡き後のいさかいが、国を分けての争いとなり、いまや、戦火はこちらへと向かっているということだった。塔守りは緊張した。国ざかいに変事があれば、いちはやくかがり火と鐘でもって急を告げねばならない。しかし、おとろえた老人の目に迫りくる戦のしるしを見わけることができるだろうか。塔守りの目には薄暮ですら夜の闇と変るところはないのだ。
塔守りは考えた。俺の目が役立たずだとわかったら、もはやここには居られまい。すぐにも代りの者がやってくるだろう。つばめたちともお別れだ。それだけではない。ここが戦場になったら。そんなことになったら、巣立ちを待つ雛はどうなるのだ。
塔守りは鐘楼に立った。目をかっと見開いて隣国との境をにらみつけた。くる日もくる日も、わずかな休息を除いては鐘楼に立ちづけた。雛の餌を求めて飛ぶつばめたちですら異変に気づいたか、行き来のたびに鐘楼のまわりをめぐっては、塔守りの様子をうかがっているようだった。
いくさよ、来るでない、来るでないぞ。塔守りは念じつづけた。昼も夜も鐘楼に立って念じつづけた。念じるうちに、それは目のおとろえの発覚をおそれてのことか、つばめの巣立ちを気づかってのことか、判然としなくなってきた。
ある夜、塔守りは雛の叫びを聞いた。重い疲れに頭を垂れていた時だった。親鳥の騒ぐ声も聞こえる。塔守りは、はっとして石段のほうへ向きなおった。だが、老人の視界は闇だった。すこしの間、躊躇したが手探りで石段に向かった。
雛が巣から落ちたに違いない。ほうっておけば一晩ともつまい。雛が巣から落ちるのはめずらしいことではない。なにしろ、あの狭い巣のなかでひしめきあっているのだ。親鳥も半日ほどは悲痛な声で飛びまわる。しかし、もはや助からぬとさとると、残りの雛の世話に戻ってしまう。
老人は石段をおりた。手探りでおりるうちにつまづいて、身体をしたたかにぶつけてしまった。痛みに息が詰まった。どうしたことだ。毎日毎日、やすやすとのぼりおりしてきた石段ではないか。やっとの思いで雛の声のするあたりまでたどりついた。
暗闇のなかで雛をさぐりあてた。やわらかな身体を傷つけないように、そっと手のひらにつつんだ。雛のあたたかみが心地よかった。どこにも怪我はないようだ。急いで巣へ戻さねば。
しかし、雛を巣へ戻そうとして愕然とした。巣はどこにあるのだ。懸命に目をこらしても、塔守りの目には暗闇の他には何も映らなかった。いつもなら騒がしいつばめたちも、夜のとばりのおりた今では、しんと静まりかえっていた。親鳥も警戒したのか声もたてない。
塔守りは雛を包んだ手に頬を寄せた。雛は身を守るかのように、弱々しいくちばしで老人の頬を突いた。憐れなやつよ、せっかくお前を見つけはしたが、わしにはお前を戻す先がわからぬ。この塔守り、お前の危急の声に駆けつけはしたが、なすすべをしらぬわい。塔守りは、しらず、雛を包んだ手を高く差しのべた。
その時だった。塔守りは袖口を何者かが引っぱるのを感じた。袖口をつまむようにして、何回も何回も引よせようとするのだった。それだけではない。羽音も聞こえるではないか。塔守りは思った。親鳥がわが子を巣へ引き戻そうとしているのだ。この年寄りの目がきかぬことに気づいて、わが手を導こうとしているのだ。
塔守りの手は壁の高いところへと引きよせられていった。その力は意外に強く、ぐいぐいと引かれるうちに、塔守りの身体が持ちあがるかと思えるほどだった。羽音は力強く、塔守りはおそれすら感じた。
結局、戦火は来なかった。塔守りに起こったことといえば、つばめの雛を助けたこと、そして、あちこちに怪我をしたことだけだった。塔守りは思った。落ちた雛を見つけるのもお勤めのうちよ。とにかく、いくさの火を見つけるよりは何倍もましに違いねえ。<
おわり
Jan/2001