睡蓮の塔

第一話 沈める塔
第二話 王の嘆き
第三話 火祭りの踊り
第四話 金色の魚
第五話 城
第六話 ランプ
第七話 写し絵
第八話 人形
第九話 花園
第十話 睡蓮の塔
第十一話 影
第十ニ話 星祭り
第十三話 砂絵
第十四話 水中花
第十五話 貴石
第十六話 射手
第十七話 月光石
第十八話 ろうそく
第十九話 夜警 第一夜より第七夜
第ニ十話 時計
第ニ十一話 夜警 第八夜より第十夜
第ニ十二話 夜警 第十一夜より第十四夜

 水に囲まれた塔があった。赤茶けた石を、白い漆喰で縁どった塔をとりまく水路には、ひとつの橋も無く、睡蓮のみが無数の葉を広げていた。塔には一人の姫が住んでいた。わずかばかりの供の者と狭い塔に暮らすさまは、囚われ人のようであった。ようやく少女のころを過ぎようという姫であったが、ばら色の頬は誰の目にも触れることなく、瞳は、かなたの森をさまようしかなかった。

 姫を幽閉したのは他ならぬ父王だった。王は遅くして得た姫をことのほか愛したが、成長するにつれ、その美しさに不安をおぼえはじめた。姫の姿が人目に触れることを嫌い、王宮の奥にしつらえた部屋から出そうとはしなかった。亡き王妃を思いおこさせる容貌が王の心を乱すのであろうか。さらには、小部屋の周りを石壁で囲み、気心のしれた者以外は近づくことを許さなかった。

 それでも不安の去らぬ王は塔を築き、姫を住まわせることにした。塔のまわりには水路をめぐらし、国中に布礼を出して一切の舟を焼きはらった。ただ一艘、王宮の小舟のみが行き来のたびに運ばれるのだった。

 毎日毎日、姫は森を見て過ごした。通うものとて無いみおもは、いつしか睡蓮に埋めつくされたが、夜明けとともに開く淡い花の色も、姫をなぐさめることはできなかった。

 ある夜のこと、姫はそっと寝床を抜けだした。塔の上に出ると、初夏の夜は森の香りに満ちていた。かなたの森に目をやると、何者かの燃やす小さな火が見えた。姫は驚いた。王の怒りを恐れ、この塔に近づくものはついぞなかったはず。夜半を過ぎ、その火が見えなくなるまで、姫は塔に立ちつづけた。

 その日から、姫は毎夜のように寝床を抜けだした。塔に立ち、森の火をじっと見つめた。やがて、姫の姿に気づいたか、火は森を出て塔の方へ近づいてきた。

 姫は塔を降り、水辺に立った。対岸には火を持つ人影があった。水のおもては暗く、睡蓮の葉に宿った露が月の光に輝いていた。夜風がそっと吹きぬけると、小さな雫が銀色の光を映して踊った。水を渡るすべもなく、立ちつくした姫だったが、やがて、睡蓮の上に小さな足をそっと踏みだした。

 葉は銀色の光をいや増すように揺れると、姫の足をやさしく受けとめた。ほっそりとした姫の身体は、重さがないかのようだった。月光の下、銀色の径が姫を対岸の若者へと導いた。

 毎夜のように姫は水辺に立った。月は一夜としてかげることなく、銀色の径を渡し続けた。森のなかで、白い小さな足を夜露に濡らし、美しい髪は月と光を争うばかりだった。森の憂いを映したか、松明を見つめる瞳の色はいっそう深く、森の奥に住むという泉の精もかくやと思わせた。

 ある夜のこと、白みはじめた空に驚いて、姫は急いで塔へ戻ろうとした。しかし、睡蓮の葉は、もはや姫の身体を支えることはできなかった。足を濡らしたまま、姫は岸辺に立ちつくした。背後の森は音もなく、暗い枝を揺らした。

 夜があけるが早いか、王宮へと急使が走った。どのようにして姫が水路を渡ったかは、誰にもわからなかったが、姫の身体の異変は明らかだった。怒りに震える王は、ただちに山狩を命じた。姫は一言も口をきかず伏したままだったが、若者が捕えられるのに時間はかからなかった。

 王は若者を厳しく尋問したが、示しあわせたかのように口を開かぬさまに、怒りをたぎらせた。王は若者を塔に押し込めるよう命じた。明りとりも入口も塗り固め、何人たりとも近づくことを禁じた。

 姫は王宮へと戻された。あれほどにも逃れることを願った塔だったが、今や、塔の方角に開いた小さな窓だけが望みとなった。王宮では誰も塔のことを口にしなかった。姫の尋ねにも、目を伏せて口を閉ざすのだった。

 姫は病に伏した。顔色は蒼白に、そして、熱におかされた目はうつろな光を帯びた。見るみるうちに痩せおとろえていく姿に、王はろうばいした。なすすべもなく、弱っていく姫を見守っていたが、やがて、懇願を受け入れ、姫を塔のそばへと運ばせた。

 弱々しく水辺に立った姫だったが、供の者が押しとどめる間もなく睡蓮に足を踏みだした。姫の身体はたちまちのうちに水中に没した。ただちに助けの者が差しむけられたが、姫の姿は、どこにも見つからなかった。

 翌朝のこと、王宮に急報がもたらされた。あの塔に異変が起きたという。出向いた王の前に、一面の睡蓮の花が咲いていた。水面が見えなくなるほどに、淡紅色の花が塔の周りを埋めつくしていた。葉にも花びらにも銀色の露が宿り、森からの風に、はらはらと乱れ落ちた。

 やがて、王は力無く、塔の探索を命じた。壁をうがち、隅ずみまであらためたが、塔の中には何もなかった。冷たい石の上に積むほこりですら乱れた跡もなく、長い年月を経てきたかのようだった。

 睡蓮は毎年のように花ひらいた。初夏、目覚める者もない未明に、無数の淡い花びらをひろげた。数えきれないほどの花が塔を取り囲み、何者をも近づけまいとするかのようだったという。


おわり

Jan/2002