第一話 酒宴
第二話 髪飾り
第三話 岬
第四話 一の得手

 西風の吹きつける岬はすでに暗く、荒れた海には、ひとつの船影もない。冷たい風が扉を叩いている。人家の途絶えた岬のはてに、老人は一人住んでいた。岩陰に隠れるような低い屋根、なかば地に埋ずもれたような小屋だった。

 老人はときおり扉を細く開けては、暗い海をうかがっている。凍るような西風が年老いた頬を刺した。やがて夜半となって、人々が不安な眠りにつくころ、老人は炉に火を起しはじめた。

 薪のはぜる匂いが小屋の中に流れはじめた。老人がランプを消すと、炎が小屋の中を赤く照らした。

 旅の人よ。さぞかし不思議に思っているであろうの。このような夜半になって部屋を暖めはじめるとは。西風の荒れるこの時分に、客人があるというのか。それどころか、年寄りが一人、何を好んで、このようなところに住んでいるのか。

 激しい風が扉を打ちすえた。思わず振りむいた私に、老人は続けた。

 あれは風の音じゃ。これしきのことは毎晩じゃ。気にかけていては、眠ることもできん。しかし、今夜はいつにもまして荒れているようじゃ。

 老人は目を閉じた。それは、風の音に何かを聞きわけようとしているかのようだった。再び、扉が激しく鳴った。

 この岬への道筋に小さな村があったのにお気づきか。この海で暮らす漁師たちじゃ。西風に荒れる海にも恐れることなく舟を出す。みすぼらしい村とはいえ、なかなかに勇敢な男たちじゃ。

 しかし、あの者たちも、こんな夜には扉を閉ざし、耳をふさいでおののいておるのじゃ。暗がりを恐れるかのように、一晩中ランプをともしたままと聞きまする。

 屈強の漁師が何を恐れるとお笑いか。さもあろうて。本当のところ、何も恐れるものはないのですじゃ。

 さきほどから儂が海のかなたをうかがっていることにお気づきじゃろう。なに、嵐を心配しているのではござらん。このあたりでは、これしきの風は珍しくもない。儂は待っておるのですじゃ。

 ちょうど、いま時分、西風の吹きあれるこの季節。暗い沖あいにいっそうの船がやってきますのじゃ。激しい風と荒れくるう波の中というのに、揺れることもなく、ひっそりと停まっているように見えるそうですじゃ。

 風は一段と激しく吹きあれ、扉を叩き揺すぶった。

 お聞きなされ、風が扉を叩く音を。あれを何とお聞きなさる。あの悲しげな音を。あれは風などではござらぬ。

 老人は身を起すと、炉の火をかきたてた。

 あれは求めておるのですじゃ、この暖かい火を。冷たい息をとかしにやってきたのですじゃ。葬られなかった亡者どもが、おのが骨で扉を叩いておるのですじゃ。

 旅に倒れ、あるいは海に消えた亡者ども。人知れずむなしゅうなった者どもが、とむらいを求めて扉を叩いておるのですじゃ。

 儂はあの者どものために、夜半に火を起こしますのじゃ。冷たい西風の吹きあれる晩に。あの船が人知れずやってくる夜に。亡者どもは、この小屋で暖まったのちに、おのが骨を抱いて、あの船に乗りこみまする。そして、旅立っていきますのじゃ。

 この岬こそは西のはて。ここより先は行けども行けども海が続くばかりと聞きまする。それゆえに、これほどにも激しい風が吹きつけるのでありましょうぞ。

 旅の人よ、薪をくべるのを手伝ってはくださらぬか。小屋の中は冷えた息でいっぱいじゃ。燃せども燃せども炎は弱く、いまにも消えいりそうではござらぬか。旅の人よ、なにを震えておいでじゃ。炉端であたためた葡萄酒に口をおつけなされ。

 もうまもなくじゃ。風は激しく吹き続けてはおるが、扉を打つ音がやんだようじゃ。客人よ、葡萄酒をつぎたしてくだされ。今宵、あの船に乗って旅立つ亡者どもに、ふるまってくだされ。

 ようよう、小屋の中が暖まってきたようじゃ。むなしき魂も、すでに船に移ったとみえる。旅の人よ、何をしておいでじゃ。出立の刻限でござるぞ。


おわり

「亡者がおのが骨で扉を叩く」というモチーフは、アナトール・フランスの「昔がたり」の「ブルターニュにて」からの借用です。「昔がたり」は、ずっと以前に岩波文庫の復刻版で出ていましたが、今では入手困難かもしれません。

Jul/2002