第一話 子供十字軍
第二話 オフィーリア
第三話 婚礼の客
第四話 黒の騎士
第五話 落馬した男
第六話 いちじく
第七話 天上の離宮
第八話 隠者
第九話 笛ふき男
第十話 湖水
第十一話 少女
第十二話 塔守り
第十三話 予言の鳥
第十四話 白鳥
第十五話 虫
第十六話 空腹
少女には秘密があった。森に白鳥を隠していたのだ。森に入ってはいけないと言われていたけれど、明るい陽の射すあたりは内緒の遊び場だった。ある日のこと、森の暗い方へ少しだけ入ってみた。どきどきするくらい恐かった。でも、おかあさんから聞いた化けものはいないようだった。
だんだんと暗くなって、もう引き返そうと思った時だった。森が突然開けた。まるい形の草むらに、やさしく陽が射している。すこしばかりまぶしくて少女は立ち止った。
草むらのまんなかに小さな池があった。本当に小さな池で、少女が両手を広げたくらいしかなかった。白鳥はその中にいた。真っ白な羽毛を水に映し、黒い瞳で少女を見つめていた。
「まあまあ、白鳥さん、この池はあなたには小さすぎるみたい」
白鳥はすべるように向きを変え、少女の方に頭をめぐらした。長い首がすらりとのびた。池はどこから湧いているのかわからないほどだったが、水はきれいで冷たかった。
「あなたはどこから来たのかしら。お友だちはいないみたいだし、この池にはあなたの食べるものもないようだわ」
白鳥は答えず、口ばしで羽根を直している。少女は草むらに肘をついた。おだやかな風に少女の髪が揺れる。やわらかな陽射しが暖かだった。
白鳥を見ているのは楽しかった。真っ白な羽毛は、じっとしていると、まるで雪でつくった像のようで、それが水に浮かんでいるのがなんだか不思議な気がした。黒い瞳は遠くを見ているようだったが、ときおり少女の方におだやかな光を向けた。
少女はいつまでも見ていたかったが、夕暮が近づくと、白鳥は翼を揺らして少女を促した。
「わかったわ。もう帰らなくちゃいけないのね。あなたをずっと見ていたかったけれど。またあした来るわ、白鳥さん」
少女は白鳥のことは秘密にした。大好きなおかあさんにも話さなかった。でも、森の中の池のことは誰も知らないようだった。
少女には弟がいた。この前の冬に生まれたばかりだった。昼間は一人で寝ているが、おかあさんが家にいるときは、いつもその胸に抱かれているか、おぶさっている。少女は小さな弟が大好きだった。小さな手のひら。小さな足。すべすべしたおなか。本当にかわいかった。でも、わたしだって、少し前はあんなだったのよ。少女は思った。
大好きな弟のことは白鳥にも話した。白鳥はじっと聞いている。うまく話せなくて、少女がもどかしそうに手を振りまわしても、黒い瞳は深い色を変えなかった。息づく羽毛は、少女の話にうなずいているようだった。
「ねえねえ、白鳥さん。あなたには大好きな人はいるのかしら。大好きっていうのは、ほら、愛しているってことよ。わたしは、おかあさんも弟も、それからおとうさんも愛しているわ」
白鳥は少女に背を向けた。そして、長い首を曲げて口ばしを翼の中に隠した。じっと動かない。夕暮が近づいて少女が池を離れるまで、ずっとそのままだった。
少女は毎日のように森の中の池へと通った。白鳥は少女の一番のお気に入りになった。草地も池も、そして、森でさえ好きだった。白鳥はいつも待っていて、じっと、お話を聞いてくれる。
「白鳥さん、あなたって本当にきれい。白い羽根には汚れひとつ無くて、ふんわりと柔らかそう。さわってもいいかしら」
「あなたは赤ちゃんてさわったことあるかしら。とても気持ちがいいのよ。柔らかくて、あたたかで」
白鳥は少女をじっと見つめていたが、やがて、長い首を曲げると、少女の伸ばした手に頬ずりするように触れた。白い羽毛は思ってもみなかったほどすべすべしていて、少女はすこし驚いた。そのままさわっていると、羽毛ごしに白鳥の鼓動が伝わってくるような気がした。
「わたしが赤ちゃんだったときって、どんなだったかしら。きっと、とても小さくて、すべすべして、柔らかくて。きっと、そうよ。そして、おとうさんもおかあさんも、わたしのことを、ずっとずっと抱いていたかったに違いないわ」
少女はいつまでも白鳥に触れていたいと思った。しかし、午後の陽は思いがけないほどのはやさで暮れていく。やがて白鳥は首を起こすと、いつものように翼を揺らした。少女はすこし不満そうに唇をとがらせた。
「わっかてるわ、はやく帰らなくちゃね。白鳥さん、明日はいい物を持ってきてあげる。思いついたことがあるの」
少女はにっこりすると、白鳥に別れを告げた。
次の日、少女は森へ行く前に川辺のお花畑に寄り道した。流れの脇の草むらには花が絶えることがない。お花畑というのは少女がつけた名前だった。今の時分なら白い小花が野を埋めつくしている。遠目には真っ白な布で覆ったようだった。 v 少女は草むらに座ると花の冠を作り始めた。白い花のなかから、とりわけ白いのを選んで、ていねいに編みこんでいった。今朝は早起きをしてお手伝いをすませて、大急ぎで飛び出してきたのだった。
「白い花は雪のよう 白い羽は雪のよう」
花を編みながら、いつのまにか口ずさんでいた。
池についたのは、お昼を少し過ぎたころだった。白鳥はいつものように待っていた。
「まあ、もう気がついたのね。これは私が編んだのよ」
少女は白い花の冠をつけていた。長い髪に真っ白な花が美しく揺れている。そして、少女の服も真っ白だった。
「ほら、見て。あなたも私も真っ白。こうしていると、まるで姉妹みたいに見えないかしら」
少女は白鳥の前でくるりとまわってみせた。
「いいえ、あなたはきっと大人ね、白鳥さん。私よりずっとずっと年上のような気がする。おねえさんじゃなくて、おかあさんだわ」
白鳥が長い首をついと伸ばして少女の頬に触れた。少女は思わず目を閉じた。柔らかな羽毛があたたかい。そのままじっとしていると、とても心地良かった。
「この冠はあなたにあげようと思って編んだのよ。見て、とびきり白い花ばかり集めたのよ。あなたに似合うように」
「白い花は雪のよう 白い羽は雪のよう」
少女は目を閉じたまま、小さな声で歌った。白鳥はじっと動かない。きっと目を閉じているに違いない、と少女は思った。
花の冠は、もちろん白鳥には大きすぎたけれど、まるで首飾りのようでとてもきれいだった。やさしげに揺れる花びらに、羽毛はいっそう白さを増したように見えた。
少女がもう一度歌ったときだった。池から水が溢れ出し、ひとすじの流れとなって野を下りはじめた。陽射しの降りそそぐ緑の草むらに水が輝く。見る間に流れは幅を増していった。そして、白鳥は流れに乗って森のかなたへと去っていった。白い花冠を身にまとって。
おわり
APR/2003