第一話 沈める塔
第二話 王の嘆き
第三話 火祭りの踊り
第四話 金色の魚
第五話 城
第六話 ランプ
第七話 写し絵
第八話 人形
第九話 花園
第十話 睡蓮の塔
第十一話 影
第十ニ話 星祭り
第十三話 砂絵
第十四話 水中花
第十五話 貴石
第十六話 射手
第十七話 月光石
第十八話 ろうそく
第十九話 夜警 第一夜より第七夜
第ニ十話 時計
第ニ十一話 夜警 第八夜より第十夜
第ニ十二話 夜警 第十一夜より第十四夜
老人は眠る。昼間の疲れというほどの働きはしたこともないが、うす暗い灯りは眠けをさそう。低い座に腰を置き、こっくりとこっくりと夢をむさぼる。小屋の中には老人ひとり。眠りを破る物音ひとつなく、低いいびきだけがもれ聞こえる。
卓の上には飴色に光るひょうたんの徳利。しわだらけの顔に赤らんだ鼻。どちらもよほど使いこんだとみえる。壁に映った大きな影がいびきとともにゆらゆらと揺れる。かたわらに立てかけた警杖が、老人の頭に角がにゅっと生えたかのような影を添えた。
城門から遠望する森は暗い枝を広げ、梢のあたりだけが月明りに青い。かつては陰惨な言伝えにいろどられていたというが、今は繁みの奥によからぬ輩を隠すこともない。森の小鬼も、とんと噂にのぼらぬようになって久しい。
日が落ちて大門の扉を閉ざした後は、門衛の務めというほどのものはない。もとより年寄りひとりになにほどのことがあろうか。物陰のこおろぎに誰何して夜は更けていく。一枚屋根からついと下がった小さな蜘蛛も、なすことなく糸の先でまどろむ。
小屋の外には灯りも届かず、夜陰を何が過ぎようとも気づきはせぬ。月が傾きはじめるころ、音もなく通り過ぎる軍勢。旗差し物が夜空にひるがえり、甲鎧が鈍い光を放つ。深くおろしたかぶりものの下は夜闇のように暗い。延々と連なる軍馬の列にも、老人は気づくことなく眠り続ける。軍勢は闇の中に無言のまま消えていった。
深夜、夜警の小屋に浮かぶ影。ぼんやりと定かでない人影がひっそりとたたずむ。燭台の灯りはいつにもまして暗い。ひとり、ふたりと影はその数をまし、小屋の中は霧のようにかげっていく。
いつものように眠りこける老人。このごろは歳のせいか酔いが早い。ちびりちびりとなめるように呑むうちに、心地よい眠りへと落ちてゆく。夢の中で追うは怪しき賊か。ときおり二の腕がぴくりと動く。
やがて、ふっと風が吹くとろうそくの炎が二度三度となびいたすえに消えた。月明りがわずかに差しこむ小屋のなかで、影どもがにわかに生気づく。暗い霧を脱ぎすてると、ちぎれた衣の下に青白い骨。しゃれこうべには乱れた髪が張りつき、眼窩の奥には赤い火が揺れる。
ある者は腕を失い、ある者はおのが頭骨を小脇に抱え、恨めしげに老人を取りかこむ。骨が不気味に音をたて、鬼火が宙を舞う。暗い小屋の中で浅ましき者どもが老人に襲いかからんとするさまは、恐ろしくもすさまじい。
しかし老人は何ひとつ気づくことなく、高いびきをたてる始末。亡者の冷たい指が頬をなでても、一向に目覚める様子もない。手足をだらりと伸ばし、なかば開いた口からはひとすじのよだれ。
浅ましき者どもも、正体もない眠りにはなすすべもない。空しく髪を乱し血みどろの口をかっと開くのみ。やがて目をつけたのは老人の腰の徳利。眼の中の赤い火がぼっと燃えあがる。奪いあうように徳利を手にするや、恐ろしい亡者たちの酒盛りが始まった。
久し振りの酒は腹わたにしみわたる。眼窩の炎は色を乱し、鬼火はふらふらと宙をさまよう。老人をとり殺そうとしたことも忘れ、酔いつぶれた亡者たちも居眠りを始める。生者の寝息に亡者どものいびきが混じる。空が白むころになっても目をさまさぬ老人と亡者。このまま朝を迎えてよいものか。
扉を叩く音がする。老人は、ひょいと腰を浮かすと燭台を手に戸口の覗きを開けた。実のところ、誰が訪れたかはとうにわかっている。この粗末な詰め所の扉をていねいに打つ者など他にありはしない。持ちあげた灯りに浮かびあがったのは年若い僧。色白の端正な顔立ちに青々とした剃髪、灰色の衣はしみひとつ無い。扉を開けると中へと招じ入れた。
老人の世間話に僧はひとつひとつうなずく。背すじをぴんと伸ばし、浅く腰をかけたまま相づちを打ち続ける。卓の上で揃えた指が白い。もとより、さほどの話があるわけではない。老人が話し疲れるころ、僧は手燭を取り出して一礼する。
毎夜、僧は決まった時刻に現れては、小さな手燭に火を移していく。老人は気軽に応じ、時には手もとの物を持たせてやることもある。僧はていねいに頭を下げて帰って行く。このような時刻に托鉢とも思えないが、どこぞのお堂にでも向かうのか。灰色の衣が夜闇に溶けていく。
深夜、人気の絶えた十字路に立つ僧。何本ものろうそくを路上に立て始める。間合いをはかり、確かめるように天を仰ぎながら、一本一本、慎重な手つきで並べていく。火をともすと衣を払い、なにやら祈祷を始める。頬をふくらませ一心に念じつづけるが、なにごとも起こる様子はない。低くつぶやくような声が風に流れる。やがてろうそくは燃え尽き、僧はどこへともなく去って行った。
月が美しい。日が西に没してほどないころ、山の端の空はいまだ明るさを残している。徐々に青みをおび、中天に近づくにつれ、紫がかった藍色が濃さを増していく。紫とも青ともつかぬ不思議な色あいのあたりに、ほっそりとした月がかかっている。中天はすでに、澄んだ群青に星がまたたいていた。
老人は警杖によりかかりながら月を見あげた。門の前で立番の最中だが、このごろでは日が暮れた後は通る者もない。せいぜいのところ、帰り遅れた燕が薄闇を突切るだけだ。月に見とれたところで誰がとがめようか。草むらのこおろぎだけがにぎやかに声を響かせている。
突然、老人がにやりと笑った。月を見あげる目はそのままに、しわだらけの頬だけを緩めて笑った。隙間だらけの歯を覗かせ、にやにやと想いにふけっている。ほっそりとした月にか、それとも迫る闇にか、目じりをさげ、笑を含ます。まばらな髪の間を夜風が吹きぬけていった。
老人の目に映ったは今宵の月の風情か、それとも若き日の浮名か。やがて月は傾き、老人は詰め所へと戻る。いつものように酒をちびりちびりとすすりながら、何を思うのか。
深夜、夜警の詰め所に人影が消えた。見まわりの時刻であろうか、無人の小屋はひっそりとしている。男は暗がりで息を殺し、板壁の隙間から通りをうかがう。灯りとともに呼びかわす声が近づき、あたりをあらためはじめる。二度三度とふし穴から光が差し入り、身を固くした男の上をよぎってゆく。
やがて灯りは遠ざかり、もとのようにひっそりとした暗がりの中で男が身を起こす。男は盗賊。寝しずまった街でひと働きの最中を見とがめられ、ここまで逃れてきたのだった。目の前には夜警の詰め所、ここぞとばかりに身を隠す。案の定、追手は物陰をあらためるのみで引きかえして行った。
ゆっくりと小屋の中を見まわしたが、もとより金目のものなどあるはずがない。早々に城外に逃れるに限る。門をのりこえれば森は近い。月はこうこうと明るいが、幾重もの枝葉の下には光も届かぬ。繁みづたいに隠れがに戻るのは雑作もないことだ。
せめて月が雲間に隠れるまでのあいだと小さな卓に腰をおろす。あの騒ぎでは夜警も当分は帰ってくるまい。悠然とかまえてはみたものの、実のところ懐が軽い。はやばやと発覚した今夜の仕事は何も獲物がなかったのだ。
このまま逃げ帰るのはしゃくにさわるが、さりとて追手の待つ中へ戻るわけにもいかない。やれやれと卓の上に目を落とすと、そこには飴色のひょうたん。さてはと手を伸ばすと手ごたえは重い。
やがて月が雲に隠れた暗がりにまぎれ小屋を去る盗人。手には酒の入った徳利。たまには月をめでるのも良かろう。望外の獲物とともに隠れがへと帰って行った。
今宵は珍しい客がある。老人の寝床でぼろにくるまった小さな姿。痩せこけた身体が静かな寝息をたてている。老人はいつものように酒をすすりながら、じっと寝顔に見いる。物音を立てぬように、そっと警杖を置いた。
子供の寝顔など久しぶりだ。このひとつ家におのがほかの寝息を聞くことすら憶えがない。実のところ子供は好きではなかった。夜警の務めを戯れうたにしてはやしたてるうるさい連中だ。
どこからやって来たのか、門の陰にうずくまる姿に老人が気づいたのは、もはや日の落ちかかるころだった。この街の子供ではなし、さりとて連れの姿も見えぬ。しかたなく詰め所へと入れた。
わけを聞いても首を振るばかり。ひとことも喋ろうとはしない。腹をすかせていることだけは、何も言わずともわかる。酒のさかなにととっておいた僅かばかりの食べ物を与えると、見る間にたいらげてしまった。
あわてて徳利を隠して振りむくと、不思議そうに老人を見つめている。あれこれと話しかけてみたが、相変らず返事はない。そのうちにゆらゆらと身体が揺れはじめた。よほど眠いとみえる。たちまち卓に顔を伏して寝息を立てはじめた。
やれやれと寝床へとかかえてゆく。薄汚れた顔を拭いてやると、驚くほど幼い。明日の朝には追いだすしかないが、今夜ばかりはこの屋根の下で眠るがよい。
幽霊がでるという。人気の絶えた街路が月明りに青く浮かぶころ、さだかならぬ人影がひそかにさまよう。その姿はうすく、月の光に透けるほどでありながら、伏せたおもては夜闇よりも暗い。目をそらすこともかなわず、にわかに立つ風に血は凍りつく。
人知れずむなしくなった旅人の魂か、あるいは戦に敗れ恨みを残す怨霊か。月が雲に隠れると、闇の中の姿は身の毛もよだつばかりに、気味悪くも恐ろしいという。
老人は緊張のおももちで夜警に立つ。すでに魑魅魍魎を信じる歳ではないが、人気のない夜道は気味が悪い。身の丈ほどの警杖を手に、しっかと足を開いて詰め所の前に立ち続ける。金の針で描いたかのような、ほっそりとした月が西の空にかかっている。
大路を風が吹きぬける。砂塵をまきあげ、老人の前を過ぎ、門の外、かなたの森のほうへと吹き去っていった。風の勢いに影が揺らいだ。
夜は長い。老いた身にはなおのこと長い。しだいに疲れを覚えたか杖によりかかり、夜半を過ぎるころには地面に腰をおろす始末。丑三つ時をとうに過ぎても何ごとも起らない。やれやれ憶病者どもよと、立番を終えて詰め所へと戻る。あっと腰を抜かしたは、あろうことか、酒も食べ物も何者かがきれいにたいらげたあと。これぞ怨霊の仕業か、はたまた、知恵者のいたずらか。
おわり
Nov/2003