「古今和歌集」のこころ

※あしや文学同好会で受講した「古今和歌集」を纏めています。

※講師は片桐洋一先生(大阪女子大学名誉教授)です。

※全対訳 日本古典新書 古今和歌集(片桐洋一 訳・注)
 <株式会社:創英社 発売元:三省堂書店 定価1700円>を参考にしています。
 この一冊で古今和歌集の全てが解ります。
 片桐洋一先生の研究成果が凝縮された本です。
 是非、一読をお薦めします。

                 仮名序

     (一)和歌の本質と効用
 日本の歌は、人の心を種子として生い茂り、さまざまな言の葉となったものである。
 この世の中に存在する人間というものは、かかわる事柄が多いものであるから、誰しも、心に思っていることを、見る物や聞く物に託して表現しているのである。いや人間だけではない。花の中に鳴く鶯、水の中に住む蛙の声を聞くとあらゆる生き物のうち、歌をよまないものは何があろうかということに気づく。
 じっさい、力をも入れずに天地を動かし、目に見えない霊魂や神祇をしみじみと感じさせ、男女の仲をもやわらげ、勇猛な武人の心をもなごやかにさせるものは、歌なのである。

     (二)和歌の起源
 この歌というものは、天地開闢(かいびゃく)の時から、発生したのであった。
  天の浮橋の下で、夫婦のとなられたことを言った歌である。
 そうではあるけれども、和歌がこの世に伝わることは、天上においては、下照姫に始まり、
  下照姫とは、天稚御子(あめわかみこ)の妻である。兄の神の容姿が岡や谷に映って輝くのをよんだ夷曲(ひなぶり)の歌のことであろう。これらは、文字の数も定まらず、歌のスタイルを備えていない言葉どもである。
地上においては、素盞鳴尊より確立したのである。神代には、歌の文字数も一定せず、素朴すぎて、よまれた言葉の真意がわかりにくかったらしい。人の代となって、この素盞鳴尊からは、三十一文字の歌をよんだのであった。
  素盞鳴尊は天照大神の兄である。女と結婚なさろうとして、出雲の国に宮殿を造営なさる時に、その所に八色の雲が立つのを見ておよみになった歌である。
   八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を
(たくさんの雲が立つという出雲の国に、幾重にも囲って、妻とともに住むために、幾重もの垣を作るよ、そんな幾重もの垣を)
こうして和歌の形が確立してからは、花を賞し、鳥をうらやみ、霞を見てしみじみと感じ、露をはかないと思う心と、その表現としての言葉が、さまざまの形に表れたのである。遠い所でも、出発する足下すなわち第一歩から始まって、年月を経過して到達し、高い山でも、麓の塵埃から出来あがって、天の雲がたなびくほどの高さにまで大きく高くなっていくように、この歌についても、まったく同様であるはずだ。
 難波津の歌は、朝廷内ことを和歌にした最初である。
おおさざきの帝が、難波津にいらっしゃって、まだ、皇子と申し上げていた時、東宮の位を、兎道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに譲り合い位におつきにならないで三年になってしまったので、王仁(わに)という人が、どうなっているのかと思ってよんで奉った歌である。この歌に言う「この花」は梅の花わ言うのであろう。
安積山(あさかやま)の言葉は、采女が遊興によんで。
 葛城王を陸奥へ派遣した時、国司の仕事がいいかげんだとおいかりになって、饗宴のしつらえなどしてあったけれども、座がしらけたので、以前、都で采女であった女が盃を取ってよんだ歌である。これによって、王の心はなごやかになったのであった。
   あさか山かげさへ見ゆる山の井の浅くは人をおもふものかは
(安積山の影までが映っている山の井戸のように、私もあなたを浅く思いはいたしません。)
この二つの歌は、歌の父母のようなものであって、手習いをする人が最初に習うものなのである。