|
|
|
|
|
|
| |
|
| ■ チンチン電車
|
|
| なぜ、路面電車は「チンチン電車」と呼ばれるのであろうか考えてみた事はあるだろうか。「チンチン電車」と呼ばれるようになったのは、警鈴と伝鈴(電鈴)の2つの説がある。 警鈴とは、今で言う警笛のことである。当時の車両はまだ手ブレーキの時代で今のように圧縮空気を利用していなかった為、警笛が使えず(無かった)その代わりに警鈴(足踏み式のベル)を利用しており、その音が「チンチン」という響きだった為、そう呼ばれるようになった。 そして、伝鈴(電鈴)の説であるが、昔の都電(路面電車)はツーマンで運行していた。その際の運転手と乗客整理員(車掌)の伝達手段としてベルが使用されており、その「チンチン」という音からそう呼ばれるようになった。現在もその時の名残として扉が閉まると「チンチン」と自動的に鳴るように仕掛けられている。 |
|
| |
|
| ■ 路面電車の日
|
|
| 6月10日は路面電車の日。なぜ、6月10日が路面電車の日なのか・・・ 制定理由は実に単純、路面電車の路→6(ろ)、電→10(てん)という語呂合わせからきています。(少し無理がありますが・・・) この路面電車の日は、第2回路面電車サミット(1995年)で制定されました。路面電車の日には各路面電車事業者がイベントの開催などをしています。 ちなみに10月1日は荒川線の日です。昭和49年10月1日、27系統(三ノ輪橋〜王子駅前)と32系統(荒川車庫前〜早稲田)を統合し、名称を荒川線としました。この日を記念して10月1日を荒川線の日としたものです。 |
|
| |
|
| ■ 「都電」と「とでん」
|
|
| 東京都交通局で運行されている路面電車を通称「都電」と呼ばれ親しまれているが、この「都電」以外にも「とでん」の愛称で親しまれている路面電車がある。それは、坂本竜馬の生まれ故郷の高知を走る土佐電気鉄道である。土佐電気鉄道は明治37年開業の歴史ある会社で現在は御免町〜はりまや橋〜伊野(御免線・伊野線)高知駅前〜桟橋通5丁目(桟橋線)を運行する。また、土佐電気軌道を走る200形車両は「都電」の6000形をモチーフにした兄弟電車です。こんな、「とでん」に親しみを感じませんか? →補足 | |
| |
|
| ■ P.C.C.カー
|
|
| 都電が全盛期だった頃、P.C.C.カーと称される高性能車が存在した。P.C.C.とは、President's Conference Committee略である。1929年アメリカにおいてP.C.C.が結成され5年にわたる研究努力の結果1936年に初めて完成した路面電車です。交通局がこのP.C.C.カーの研究を始めたのは昭和28年頃で、当初は完成車を輸入する予定だったが、後にパテント(特許)を購入し、当時の最先端技術の電車を国産化することなった。そうして作られたのが5501号車(P.C.C.カー)である。5500型は7両製造されたが純粋にP.C.C.カーと呼べるのはこの1台のみである。台車や制御器等は従来の車両とは大幅に異なっている他、全電気式で空気圧縮機を使用しないのが大きな特徴である。また運転上の大きな違いは足踏み式のコントローラであることがあげられる。日本の技術と資材をもって製作された誇るべきP.C.C.カーではあるが、その本領を発揮する事は無いままに引退した。引退後は上野動物園に展示されていたが、現在は荒川車庫に移され保管(放置)されている。一日も早い復元を願いたい。 | |
| |
|
| ■ 15系統・19系統
|
|
| 現在の荒川線は27系統と32系統が統合されたのは周知のとおりだが、15系統と19系統も荒川線と深い関わり合いがある。 15系統は茅場町〜高田馬場駅前の路線である。当時の15系統は、早稲田・面影橋を経て高田馬場駅前へ向かっていた。要するに線路が32系統(現・荒川線)と繋がっており高戸橋(面影橋と学習院下の中間)で分岐していた。今では終点、そして行き止まりとなってしまった早稲田も当時はその先、飯田橋・日本橋の方まで線路が繋がっていたのであった。 19系統は王子〜日本橋の路線で、王子から飛鳥山交差点まで32系統(現・荒川線)と同じ線路を走って日本橋まで行っていたのである。当時の都電の線路はほぼすべて(14系統・26系統は除く)が繋がっていたそうである。 余談ではあるが、当時の車両の整備は芝浦の工場で一括しておこなわれていたそうだが、荒川車庫の車両がどのような経路を辿って芝浦の工場へ回送したか気になるところである。 |
|
| |
|
|
TOPへ戻る |
|