とよた時さんの

「山のイラストばなし」   

会報「山嶺」より、3号分を掲載します。

会報「山嶺さんれい)」の見本誌をご希望の方は80円切手4枚を同封の上、会事務所にご郵送ください。


<山嶺12月号より> <(最終回)丹沢折花姫物語・姫次>
丹沢の主脈縦走すると蛭ヶ岳、原小屋平を過ぎると明るいベンチのある台地 ・姫次です。ここにはお姫さまの言い伝えがあります。
 姫とは、安土桃山時代「天目山の戦い」に敗れた武田勢の旗本小山田八左衛 門の折花姫。信長・家康連合軍に追われた折花姫は、神ノ川沿いに隠れ住みますが追っ手は執拗にせまってきます。
 それを察知した姫一行は必死に、袖平山からこの台地に逃げてきましたが、ついに追いつかれてしまいました。「もはやこれまで」と折花姫は、持っていた短刀で自分ののどを突いて自害。だからここは「姫突き」が語源だという。
 一方、かつてはこのあたりはウツギの仲間のヒメウツギがたくさん生えていたという。これを略してヒメツギとなり「姫次」の字を当てたとの説もあります。
 いまは姫次をヒメツグと読む人が増え、わざわざ「ひめつぐ」とルビをふる地図もあります。
・この連載は今回で終了となりました。長い間ご愛読有り難うございました。
機会があったらまたお目にかかりましょう。
<山嶺11月号より> <奥多摩・七ツ石山>
 雲取山から東南にのびる石尾根に、七ツ石山という変わった名前のピークがあります。七ツ石というだけあって大ざっぱに数えれば確かに岩が7つありますよね。この岩が、将門7部将の化身だというのです。
 10世紀の前半に起きた「承平・天慶の乱」で平将門は、藤原秀郷らの連合軍に追われ、ここ七ツ石山に陣取ったというのです。そこで、ひそかにわら人形で6人の影武者をつくり、将門はその中にまぎれてしまった。
追手の秀郷は、矢を放とうにも、同じ格好の将門がならんでいてどれが本物か分からない。
 しかし口から白い息がたなびくのを秀郷は見逃しませんでした。 秀郷の矢は、まっすぐ本物の将門に命中。とたんに7人の将門は石になったという。
 山頂直下にある祠は将門を祭り、かつては勝負師の神として、各地から親分衆がおまいりに馳せ参じ賭博が開かれたという。面白いことを考える人がいるものです。
 そういえば奥多摩には将門伝説が多いですよね。
<山嶺10月号より> <東北飯豊山・奇妙な境界線>
 山を歩くのに欠かせない地図ですが、時々奇妙なことを発見します。山形、 福島、新潟県にまたがる飯豊連峰は、三国山、種蒔山、飯豊山、御西岳、大日山、北股岳、エブリ差岳などが連なっています。ところが三国岳から飯豊山(飯豊本山)の西2キロ、御西岳先の御西小屋付近までは、細長く福島県山都町が食い込んでいます。不自然だとは思いませんか?
 それにはこんなわけがあるのだそうです。飯豊山は古くからの信仰の山。飛鳥時代、役ノ行者と知道和尚がはじめて飯豊山に登ったという。豊かに盛った飯のような山なので「飯豊」と名づけ五社権現をまつり、山麓の福島県山都町に薬師寺を建てて別当寺としたという。いまでも山頂に飯豊山神社の奥社があり、山都町一ノ木に里宮本殿があります。
 そのため飯豊本山・飯豊神社への登拝はもっぱら福島県側からで山形県・新潟県側からの登拝者はいなかったという。そんなわけで三国岳から飯豊本山、御西岳先まで、稜線づたいに開かれた約8キロの幅の狭い登山道は福島県側に属してしまったのだそうです。

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