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超法規的理系人間の父

算数で100点とってからものを言え!
 士農工商ではないけれど、子供時代、我家の勉強における教科の位付けは、圧倒的に理数系が上位だった。まずは理科と算数ができなければ家庭内での発言権が得られない。なんとなく暗黙の了解で、それが我が家のルールだった。それは、たぶん父が「超スーパー理系」人間だったせいなのだ。
 私が好きだった図工や音楽、家庭科などはいわゆる色モノ。隠れてコソコソやるような科目だった。理数系に次ぐ、すごく離れた2位は国語で、これは母が短大で国文科だったことに敬意を表したためだと思われた。私が好きだった作文や詩は、かろうじて認められることの接点。それでも、読んでよい小説は純文学に限られていて、娯楽小説は、やっぱりコソコソ読んでいた。

栄養素が問われる我家のごはん
 父は母がつくる料理について文句を言ったことがない。時間通りにきちんと栄養を補給することが重要なので、味などは二の次なのだ。まぁ、味オンチでもあるのだろう。食卓に座って父は言う。「あ、今日は動物性たんぱく質が足りなくないか?」。「カルシウムが多くていいな」ということもある。
 「こんなまずいモノ食えるか!」とちゃぶ台をひっくり返す話はよくあるが、「ビタミンB1もってこいー!」と暴れるおやぢの話はあまり聞かない。
 各部屋と廊下には温度計が設置され、海外旅行に行くときには、緯度と経度を聞かれるのがあたりまえの家庭だった。

5%未満は切り捨てられる
 そんな超理系の父と私はよくぶつかった。しかし、どんなに話し続けても、会話はねじれの関係のようにすれ違っていて、合意に至ることはほとんどない。
 マインドを語る私をさえぎって父は言う。「ちょっと待て。ここに100人の人がいたとする。おまえと同じ意見の人はせいぜい5人だ。95%の人はこう言うぞ!」。憮然として私は言う。「たとえ少人数でも、その5人がどんな思いで、どんな状況でその意見を言っているのか、それは無視していいの?」。一瞬の間ののち、父は不思議そうな顔をして苦笑しながら答える。「そりゃ仕方ないさ!」。どこが悪いんだと言わんばかりなのである。父の頭の中では、すでに数字的処理がされ終わって、どうやら5%未満の人々は切り捨てられてしまったらしい。

「とりあえずごはん」という平和的ルール
 「あー、この話し合いに接点はないな」と、思い切り脱力感に見舞われたころ、姉の「ごはんにしない?」という言葉で、たいがいの場合は休戦となる。あぁ、「とりあえずごはん!」、この我家の健康的ルールで、どんなに多くの争いが解決を見ずに収束したことか。どんなにモメていても、栄養補給しない事だけは許されないのだ。
 大人になってから私の1人暮らし問題で家族がモメたとき、最後に匙を投げた父が言ったシメの言葉は、話の流れからは全くはずれていた。
 「とにかく、ガスの始末だけには気をつけろ」。感情的になっていた私は、それを聞いてなんだかおかしくなり、思わずにやにやしてしまった。やっぱり父の思考回路は、どこかでワープしていて、私とは全然違うしくみでできている。
 そしてその後家族は、気まずい雰囲気の中、やっぱりとりあえず一緒にごはんを食べたのだった。

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