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過 去 の つ ぶ や き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

179. My Playlist

2005年3月11日

 

"曲名 / アーティスト名 [アルバム名]"になってます。曲名をクリックすればiTunes Music Storeに飛ぶので、30秒間の視聴ができます。iTunesをインストールしてない人はこちらからどうぞ〜。曲名をクリックするとiTunesが立ち上がって該当曲が選択された状態になるので、その曲をダブルクリックすれば視聴できます。ちなみにIrresistiblementはアマゾンのCDに飛びます。Go WestはiTunes Music Store UKに飛ぶので、国をUKにしておかないと飛べません。

 

1.

Walkei Talkie Man / Steriogram [Schmack!]
ゴキゲンになりたい時
2.

Maria (Spanglish Radio Edit) / Ricky Martin [Ricky Martin]
踊りたい時
3.

Irresistiblement(日本語名:あなたのとりこ) / Sylvie Vartan [Best Collection]
すがすがしい気分になりたい時
4.

End of the Road / Boyz II Men [Boyz II Men: Legacy - The Greatest Hits Collection]
愛を感じたい時
5.

The Goonies 'R' Good Enough / Cyndi Lauper [The Essential]
冒険したい時
6.

Go West / Pet Shop Boys [VERY]
ゲイとして鼓舞されたい時
7.

Take Me Home Country Road / Israel Kamakawiwo'ole [Facing Future]
自分の原風景を大事に思う時
8.

Vertigo / U2 [How To Dismantle An Atomic Bomb]
思わず歌いたくなる時
9.

Te Extrano, Te Olvido, Te Amo / Ricky Martin [A Medio Vivir]
情熱の時
10.

Sugar Baby Love / The Rubettes [The 70's - A Decade to Remenber: Chart Toppers]
パワーがほしい時
11.

Don't You Ever Leave Me / Hanoi Rocks [Two Steps from the Move]
ロックンローラーな時

 

 

今回は洋楽を中心にまとめてみました。選ぶのってけっこう大変(笑) もちろんこれらの曲は全部俺のiPod & iTunesのライブラリに入ってます。邦楽はiTunes Music Store Japanが開店したらね(^_^;) 

 

 

178. 2004年私的10大ニュース

2005年1月26日

 

年末に肝炎になったので今頃だけど書いてみました。

 

10位 世知辛い世の中に
 安心して子どもを外で遊ばせることができない、子ども目当ての犯罪が増えた、性教育への締め付け、HIV感染者は減らず、ブッシュは再選、などなど。ホントだんだん世知辛い世の中になってきてると思う。アメリカで起こったことが10年後に日本でもそうなるって言われているけどまさにその通りになってきてる。なんで国はアメリカしかみないんだろう。もっと上手にやっている国だってあるのに。何でもかんでもアメリカを見習う日本人根性に腹立つ。

 

9位 友達(♀)の結婚
 学部時代に同じゼミ生で、同じ時期に東京に来てお互い大学院で苦労して。そんな戦友みたいな友達がついに結婚。これは本当に嬉しかったなぁ。式はなぜか俺も緊張したし(笑)

 

8位 iTunes Music Store Japan始まらず
 ホント、日本の音楽業界はいいかげんにしてほしい。著作権を盾にして要は金が欲しいだけじゃん。

 

7位 シンガポール旅行
 これも彼氏と。彼氏からの誕生日のお祝いでした。お仕事抜きで二人で海外行ったのはこれが初めてでした。

 

6位 親を沖縄旅行に招待
 二人とも無事(?)にリタイアして、これまでいろいろ迷惑かけたから、せめてもの感謝の気持ちでした。親孝行はできるうちにしておかないとね。

 

5位 肝炎発症
 これを書いている時点でははっきりとはわからないけど、おそらくインドかタイで感染したウイルスが原因で帰国して1ヶ月後に発症。E型肝炎か薬剤性肝炎の可能性が濃厚です。

 

4位 彼氏との生活
 2004年も別れることなく、無事同棲生活が続いたこと。

 

3位 ソニー、ネタの宝庫に
 VAIO Pocketを皮切りにNW-HDシリーズ、挙げ句の果てにPSPまでも「これがiPodキラー」と 言い続ける。ウォークマン25周年記念で真のiPodキラーと言ってたNW-HD1はわずか3ヶ月後にマイナーアップ(その後も3ヶ月後に再びマイナーアップ)。大事な記者発表の時に安藤社長がNW-HD1を逆さまに持って発表。その数ヶ月後「我々は居眠りしていた」発言(居眠りしながらNWシリーズをつくっていたことに!)。
  まあ、挙げれば枚挙にいとまがないんだけど、最近では通称ゲートキーパー(略してGK)の存在が明らかに! GKとは自社(ソニー)製品をひたすら持ち上げ、他社製品をめちゃくちゃ卑下するソニーお抱えのインターネット部隊(あるいは社員)のこと。つまりソニーの内部の人間が自社製品をありえないくらい持ち上げ、他社製品はけなしまくってるわけ。2ちゃんねるはもちろんのこと、価格.comでも、ニンテンドウDSのファンサイトでも、どこでも大活躍です(笑) 時にはIPアドレス晒しながら、時には「GateKeeper.Sony.CO.JP」というドメインを晒しながらのさまざまな書き込みっぷり。GKドメイン晒してセックス相手を募集したり、ゲイのGKがデブ専乱交を募集したりとやりたい放題。会社ぐるみでネットで情報操作しようと頑張ってるけど、もうモロバレ。

 

2位 インド&タイ旅行
 2003年のキューバ&メキシコに続き、2004年も変わった所へ。すべては学会のおかげなんだけど(笑) それも彼氏と二人で行けたっていうのが大きかったかな。インドで体調を崩し現地の医者にかかったのもいい思い出。また機会があればインドに行ってみたい。タイはいつでも行きたい(笑)

 

1位 駒大苫小牧、夏の甲子園で優勝
 これは本当に嬉しかった。白川の関越えしていなかったのがいきなり津軽海峡を越えた。まさに道民の念願が叶った瞬間。この軌跡のビデオを兄貴に録ってもらったんで(道内でのみ再放送)、ゆっくり見ます。

 

 

177. AirMac Express導入記

2004年9月24日

 

いろいろ悩んだあげく、AirMac Expressを買いました。このAirMac Express一台で無線LANと、無線でのプリンタの共有と、iTunesから無線で音楽が飛ばせる(AirTunes)というスグレモノ。しかも出張先のホテルとかでも簡単に無線LANを構築することができます。もちろんWindowsにも対応しているよ。うちはすでにAirMac Extremeで無線LANは構築してるんで、それにぶら下げる形で使ってます(つまりExpressの方は無線LANの機能を使わないで、AirTunesのみで使用)。図にすると

こんな感じ。
メディアコンバータからLANケーブルでExtremeに。Extreameから無線で俺のPowerBookと彼氏のPowerBook、LANケーブルでCubeに。そこに新たに無線でExpressをつないで、スピーカーとの接続はオプティカル(光)。だから音楽を聴くときは、CubeであれPowerBookであれ、Extremeから無線でExpressに音をとばして聴く、というスタイル。

 

Expressを既存のネットワークにつなげるという接続だったんだけど、これが最初認識しなくてさぁ。数時間格闘して、ハタと気づきました。「もしかして、ステルスモード(非公開ネットワーク)にしてるから認識しないのかな?」と。んで、ステルスモードを解除したら、バッチリ認識しました。いやー、まさかこんなところに落とし穴があるとはね。ステルスモードにしてる方、Expressを接続するときは解除してね。1回認識したら、あとはまたステルスモードにしても大丈夫だから。最初の1回だけ。で、最初にも書いたようにうちはExpressをWDS(アクセスポイントとして使う)にしてないから、セキュリティもWPAのまま。ちなみにExpressをWDSとして使う場合はWEPにしないとダメです。

さて、ここまできて問題になるのはスピーカー。もちろん今使っているコンポとかでもいいんだけど、俺が持ってるのは昔のデカイのだったから小さいのが欲しかったのね。で、いろいろ調べて最終的に候補に挙がったのがONKYOのGX-77MとBoseのCompanion3の2つ。同じBoseのMediaMate llという選択肢もあったんだけど、MediaMate llはリビングに置いてあってiPod用のスピーカーとして既に持っていたのね。Expressは自分の部屋用だからさぁ。MediaMate llはかなりお気に入りのスピーカーなんだけど、Boseだけあって若干低音が強調される感じなのね。低音が効いている、つまりドンシャリ系の音を長時間聞いてると疲れるじゃん? で、Companion3はアップルストア銀座で視聴してきたんだけど、サブウーハーの低音がかなり効いてる感じ。これを部屋に置いたら下の部屋とかにもズンズン響きそう。

ということで、GX-77Mにしました。いろいろ調べて視聴もして、GX-77Mだと原音に忠実に音が出る感じだったし、何よりもオプティカル接続ができるという2点が決め手だったかな。長時間のリスニングには変に加工されない、素直な音が一番いいなと思って。まあ、音に関しては好みや個人の傾向があるから一概には言えないけど、俺はGX-77Mはいいと思うな。音も素直で長時間聞いていても疲れない感じ。あと買って初めて知ったんだけど、GX-77Mは極性管理もされているのね。あとオプティカルはExpressは丸形、GX-77Mは角形です。ただ本音を言うと、Boseの欲しかったんだよねー(笑) Boseというブランドイメージも好きだし、Boseのスピーカーって割と好きだし。ただ、オプティカル接続ができなかったのと、Boseのスピーカーってやっぱり大音量で聴くのが合ってると思うんだ。でもねぇ、集合住宅だとそんな大音量でなんか聴けないし…。サブウーハーも場所とるし。でもGX-77Mにはとても満足してます。やっぱりONKYOのスピーカーもいいもんだね。

 

今まではずっとiPodを使って部屋で聞いてたんだけど、1500曲超えた辺りからiPodを使って部屋で聞くのはなぁ、と思い始めたのね。外で聞く分にはプレイリストを作ってあとはランダムで聞いてるやり方でいいんだけど、家にいると「○○の曲が聴きたい」って言う時あるでしょ? そうなるとiPodで検索するのが面倒だったり、プレイリストに入っていない曲を聴きたいときは全曲の中から探さないといけないのがね。あとはiPodよりもiTunesで聴いた方が音もいいし、インターネットラジオも聴ける。もともとiTunesに登録されているインターネットラジオ局の以外にもここのページで各国のラジオ局を検索してiTunesに登録できるので、各国の音楽が気軽に聴けるっていう利点もあったわけ。

Expressは値段が安い割には多機能でいろいろできるのが魅力的。パソコンを使ったこれまでとは違う音楽の聴き方も提案してくれているし。一度iTunesなどのジュークボックスソフトで音楽を管理し始めたらやっぱりそれを使って気軽に手軽に聴きたいじゃん。そういう希望を叶えてくれるものだと思うな。あと、小さいこともあって帰省や出張なんかにExpressを持って行ってその場で手軽に無線LANということも可能だし。とりあえず、「Goodbye コンポ」しちゃいました(笑)

 

 

176. 尾崎豊トリビュートアルバム

2004年6月18日

 

友達から「BLUE〜A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」を借りた。というか、貸してくれた。それがかれこれ1ヶ月以上前。貸してくれてから1ヶ月以上、このアルバムは聴けなかった。いや、正確に言うと聴きたかったんだけどなぜかためらいがあった。何か、聴くことに抵抗があった。もともと「トリビュートアルバム」というもの自体が嫌いなのもあったし、しかも今回のは尾崎だったということもあった。でもいつまでも借りているわけにもいかないし、思い切って今日聴いてみたんだ。

やっぱり最初は抵抗感があった。でもその抵抗感は1分ももたなかった。いろんなアーティストが尾崎の歌を歌っていて、尾崎の歌なのに尾崎の歌じゃないような感じもした。一通り聴いてみて思ったのは、尾崎が歌っているのを聴いている場合、歌は近いんだけどどこかで遠い感じがあったのかもしれない。誤解を恐れずに言えば、拝聴しているという感じかもしれない。だから今回のアルバムを聴いてみて、同じ歌なのにより近くに感じた。言い方は悪いかもしれないけど、「聴く」んじゃなくて「聞く」というものだろう。遠くから言われていたものが、耳元で言われているみたいな。Coccoもミスチルもマッキーも175Rも宇多田ヒカルも。歌を聴いてゾクゾクと魂が揺さぶられたのは久しぶりな気がする。尾崎が歌っている時とはまた違う良さが感じられた。

 

須藤晃氏のライダーノーツを最初に読んだ時に、「尾崎の歌を解放したい」ということが書いてあって、でもそれの意味が全く分からなかった。でも一通り聴いてみて、須藤氏の言いたかったことが解ったような気がする。一つ一つの歌にもっといろいろな可能性や広がりや意味をもたせてもいいんだな、って思った。尾崎が歌う歌はそれはそれで確固たるものがあるけど、それだけに固執するんじゃなくて。ファーストインプレッションで文句無しにいいと思ったのは、マッキーとミスチルと斎藤和義。同じ曲が歌い手が変わることで、こんなにも変化するものかと驚いた(もちろんそれは他の曲に言えるんだけどね)。

でもさ、このトリビュ−トアルバムを聴いていると上記のような想いと同時に、悲しくなる切なくなる。たぶんそれは喪失感からくるものだと思う。「尾崎はもういないんだ」という事実を否応無しに突きつけられるし、自分が成長してきた過程で失ってきたものを突きつけられるようだ(これはどうしようもない仕方のないことだけど)。今も昔も変わらない尾崎への想いがあるんだなってわかったよ。その想いは十代の頃から何も変わってないんだな。

ここ何年も、カラオケに行っても極力尾崎の歌は歌っていなかった。それがなぜなのかは言語化できないものだった。でもこのアルバムを聴いてみて、俺の中で尾崎豊は尾崎豊であることに固執していたのかもしれない。俺の中の尾崎豊も解放してもいいのかもしれない、と感じた。

 

 

175. 親孝行

2004年4月2日

 

3月31日の日記に書いたように、母親が円満退職しました。親父はもう2年前くらいだったかな、既に定年退職してるのね。今まで、生まれてこのかた29年、いろいろあったけど育ててもらって、大学院まで行かせてくれて、カミングアウトも受け入れてもらって、野菜や魚や肉とかもいろいろ送ってくれて……………ホントたくさんの愛情を注いでくれたと思う。それなのに俺はいつも迷惑や心配をかけてばかり。申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちがいつもあるんだけど、そのことを親に言っても特に母親は「親からみれば子どもは何歳になっても子ども。迷惑かけて当然なんだから」と言い切る。タフガイな親だ。本当、いい意味で女性にしておくのはもったいないよ(笑) 男に生まれたらいろいろなことができたろうに。

ま、ちょっと話はそれちゃったけど、そういうね、両親とも退職したし、俺も就職してちょっとは貯金もできたし、今までのお礼じゃないけど、自分の気持ちとしてね、思い切って沖縄旅行に招待することにしたんだ。もちろん俺も行くし、親二人だけっていうのもアレなんで仲の良い親戚のおばさんも一緒に行くことになった。その方がなにかと母親も気が楽だしね。俺にもっと貯蓄があれば全員まとめて、ってこともできるんだろうけど、今はまだ…ね。旅行は東京発のツアーにして、それのツアー分の代金を俺がもつことにした。だから、それ以外の新千歳−羽田間の飛行機代や、(どうせなら東京も観光したいとのことで)都内のホテル代は自分たちで負担、ということになった。本当は全部出せたらいいんだけど、ま、今回はとりあえずそういうことにした。今回の旅行のこと、彼氏に悪いなって思ったけど、本人も「行ってきなよ」って言ってくれたんで。

 

今日、やっとチケットもとれて、沖縄は22日から24日までの2泊3日。なんで沖縄かというと、母親は一度も沖縄に行ったことがない(北海道からほとんど出たことがないし)、親父は何回か出張で行ったことはあるんだけど最近俺が送った泡盛のせいですっかり泡盛にハマってる、どうせなら思い切って北から南まで行って同じ国内といえども北海道とは全然違う文化に触れてもいいだろう、と。そういう理由から。

親は……喜んでる〜。ちょっと遠慮しながらね(笑) でも、そんな親を見ていると俺も嬉しくなる。だから、ワクワクしてるんだ。実はこの話、2月の頭くらいから親に打診してたんだ。兄弟に言った時も『いいんじゃない」って言ってくれたし。だから、3月に仕事があんなことになって4月から無職の危機で、一時は旅行の話もダメかもって思ったんだけど、自分が一度言ったことを理由はどうであれ取り消すのは嫌だったし。それに仮に今回の旅行を中止しても、次回があるとは限らないよね。次回までの間に何らかの理由で親が死んでしまったり体を悪くして旅行どころじゃなくなったら?ということも考えられるし、次回の時に俺が行かせてあげられるかどうかは100%の保証はない。そうなったら「あの時行くべきだった」と後悔すると思うんだ。

だからたとえ4月から無職になって金銭的に困って「あの時旅行に行かなければ…」って後悔したとしても、同じ後悔するなら、やらないで後悔するよりやって後悔した方がいいと思ったんだ(これを彼氏に言ったら奴は意味がわからなかったみたいだけど)。それに、リンクしている真矢さんに仕事のことも含めてこのことを話したら「絶対やるべきだ。なんならお金は貸してあげるから」とまで言われた(本人、かなり酔っぱらってたから覚えているかは謎だけど 笑)。言われてすごい嬉しかった。そこまで言われたし、これは絶対やろうと思った。幸い、4月から無事に就職できたからことなきを得たわけだけど。

 

この旅行のことを別な友達に話したら、「あんた(の考え方)は相変わらず戦前派ねぇ」と軽〜くからかわれたけど(笑)、人の想いや気持ちや行動に古いも新しいも関係ないし、自分が素直に「いい」と思えるものには、それを信じて行動すべきだと思うんだ。古いものでも大事なものは大事だし、新しいものでもいいものであれば取り入れていくべきだとは思う。俺は古いものでも大事なものは大事なものとしてとっておきたいし、新しいからといってそれが必ずしもいいとは思わない。いいか悪いか、新しいか古いかじゃなく、もっとその奥にある本質をみるべきだと思う。

またちょっと話はそれちゃったけど、ま、そういうわけさ〜。心配なのは当日の天気と無事に帰って来れることと、出発前に体調を壊さないことと、親が東京の電車をちゃんと乗れるかどうか(笑) ま、できる限り一緒にいてナビゲートはするけどね。都内のホテルは理由あってうちの近くのホテル。もしかしたらうちにも来る気なのかもね(笑) そのことを彼氏に話したら「死ぬほど緊張するから僕のいない時にしてね」だって。つれねーな。ま、その気持ちもわかんないわけじゃないけどさ。逆パターンだったら俺はいつでもOKなんだけどね。金額の問題じゃないけど、もしかしたらこんなにちゃんとした親孝行は初めてかもしれない。だから嬉しい。

 

 

174. 無線LAN導入記

2004年2月25日

 

こんなことを書くとまた某M氏に「パソコンオタク!」と罵られそうだけど、まーいいや(笑)  さて、うちのネット環境だけど、光を使っていて、それを無線で俺のパソコンと彼氏のパソコンに飛ばしてるわけ。使っているのはもちろん、AirMac ExtremeベースステーションIEEE 802.11gに準拠してます。IEEE 802.11aには対応してません。俺のも彼氏のもAirMac Extremeだから当然電波は「802.11gのみ」で飛ばしてます。

AirMac Extremeベースステーションを購入して最初にしたのはもちろんセキュリティ。これは当然だよね。何もセキュリティをかけてない電波(通称・野良電波)に乗っかるのは違法にはならないからね。セキュリティがかかっていれば、セキュリティを破ることは違法なので訴えることもできるけど、野良電波は無理。俺がAirMac Extremeベースステーションを買ったときはまだWPAに対応してなかったんで、暗号化はWEP128bit 。しかしWEPだけでは心もとないので、「非公開ネットワークを作成する(いわゆるESS-IDステルス。個人的にはステルスモードと呼びたい)」と、MACアドレス(無線LANカードやEthernetカード固有のID)の制御をかけました。つまりこれで、WEPで通信自体を暗号化して、ステルスモードで通信していることをわからないようにして、MACアドレスの制御で俺が許可したカード(またはパソコン)からしかアクセスできないようにしたわけ。 

さて、この時点で通信速度はだいたい上下16〜17Mbpsだった。ちなみに有線だったらだいたい上下60〜70Mbpsくらい出ました。

ま、こんな感じでセキュリティは施したんだが、調べたり聞いているうちにこれでもダメなのね、っつーことがわかった。WEPを128bitにしても全パケットを数時間捕捉されたら解析できるし、ステルスモードもパソコン同士を無線で接続させるとモロ見えだし、MACアドレスは偽装できるし…。でもま、とりあえずMac Stumblerという無線LANのスキャニングソフトのMac版を入れて使ったところ、とりあえずうちのマンション(というか近辺)では無線LANをやっている人はいないもよう。といっても、相手もステルスモードにしていたらわかんないんだけどね。

でもま、これ以上は何ともできないんでそのままにしてました。そしたらAirMacのアップデータが出て、WEPよりもよりセキュアなWPAに対応してくれました。で、早速暗号化をWEPからWPAに変えました。WPAにするといってもうちはただの家庭なんで、WPAのパーソナルで設定。現在、AirMac ExtremeベースステーションはWPA & TKIPにしか対応していない。これは802.11bなどの下位モデルとの互換性を重視しているからなのだろう。ハード自体は対応しているはず(希望的観測)。ソフトウェア的に対応しているので、当然TKIPだと速度も落ちます。うちはこれに設定すると12Mbps程度まで落ちました。早くAESも選択できるようになるといいのにな。AESだとハードウェアで対応してくれるので、速度低下がほとんど起きないのだ。それにAESの方がTKIPよりも今のところはセキュアだしね。

確かにTKIPを使うことで16Mbpsから12Mbpsに落ちたわけだけど、すごい体感速度が違うわけでもないし、若干速度が落ちても俺はよりセキュアな方を選ぶね。そりゃーね、こんな個人の住宅の無線なんていちいち解読の対象にもならないだろうけど、やっぱり気分的に低いセキュリティは嫌だよね。少なくとも野良電波だけは絶対嫌!  野良電波を見つけてそこにお邪魔はしてみたいけど(爆)

ま、ちゅーことでこれから無線LANを導入しようとしている人は、LANカードやルータがWPAに対応しているかどうかをきちんとチェックした方がよろし。その上でAESに対応しているのを選ぶのが今現在のベストでしょ。

え? 何言ってるかさっぱりわからんって? そういう人はここここを読んでみて。とりあえず、無線LANを導入して野良電波状態にするのだけはやめた方がいいよ、ってこと。

 

 

173. 作曲

2004年2月7日

 

すでに「日記」でiLife '04というソフトの中に、GarageBandというソフトが入っていて、それが音楽作成ソフトだっていう話は何回かしたし、1曲だけ俺が作曲してみたのもアップしてみたよね。このソフトで音楽を作るのは本当に楽しいし、簡単。つーことで、いろいろ作曲はしてみてるんだけど、作って一人で聞いているのもつまんないっつーことで、思い切ってこのページに載せてしまおうと考えたしだいで(笑)

もちろん、ページ自体に貼付けるわけじゃなくて、あくまでもリンクね。日記にもアップしたやつと、新曲(?)の2曲をアップしてみるよ(笑) 今回俺が作った曲は、以下の2曲です!(笑)

 

曲名:はじめての….mp3(40秒)

曲名:飲みたりねー.mp3(1分07秒)

 

まーどちらの曲も完成度とかそんなもんは関係なく、ホント自己満で公開してみました(爆) 

曲を作ってみたけど、どーしよー?と思ってさ。ページのコンテンツ的には入れられる所はないしなぁと思って、強引に「つぶやき」に入れてしまいました…。このシリーズが増えちゃったらどうしよう??(爆)

 

 

172. 彼氏のいない生活

2003年11月24日

 

彼氏が帰省中のため数日間は一人。俺が仕事の関係や帰省とかで家を空けることはあっても、彼氏が里帰りとかで家を空けるのは珍しい。彼氏が一人で留守番してる時の気持ちってどんなんだろ?って思ったことはあったけど、多分今の俺と同じような感覚なのかな。ずっと一緒にいて、たとえ数日間でも相手がいないってのはなんだか寂しい気もするね。「彼氏がいないから遊んじゃおう」ともあんまり思わないし。そのかわり誰かと飲みたくなるね。

彼氏の部屋、当たり前だけど出かけた時のまんま。ひっそりとしてる。そんな部屋を見ながら考える時がある。「今はいいけど、もし彼氏が死んで、その上でのこの光景を見たときどう思うのかな」って。主を失った部屋。そのままにしておくのがいいのか、ちゃんと整理した方がいいのか。彼氏の物を捨てるべきかどうなのか。きちんと彼氏の親に渡すべき物は渡さないといけないだろうし。恋人としてじゃなく「同居人」としてね。

普段から「(俺と一緒に)いてくれるだけでありがとう」って思ってるんだけど、こうやっていなくなってみると改めていろいろなことに気づく。自分でも気づかないうちにすごい彼氏の存在って大きくなっているんだなって。いて当たり前の人間がいないってのは、自分の心も半分になる気がする。なんか完全じゃないんだよね。数年ぶりに、独り身だった頃の「寂しさ」を感じている気がする。あの頃はこういう気持ちになることが多かったなぁって。今の彼氏と出会っていなかったら俺は今頃どんな生活を送っていたんだろう。

時々考えることがある。俺が先に死んで彼氏が遺ったとき。あいつはちゃんと一人でやっていけるだろうかって。それが心配でね。死んだ人間が心配するのもおかしいだろうけど。お互いいついなくなるかわからないし、最後は死別という別れはくるわけだし。俺の位牌を抱えて泣きながら生活していくような、そんな生活は送ってほしくないな。ちゃんと新しい相手を見つけて幸せにやってくれればいいな。ちゃんと周りの友達が彼氏をサポートしてくれるだろうけど、改めて俺の方からお願いします。俺に何かあった時は彼氏のことをよろしく頼みます。あいつがちゃんと立ち直って元気を取り戻せるまでフォローしてあげてください。なんか彼氏からそういう「生命力」を感じることが少ないんだよな。

こんなこと書いてると「じゃあお前はどうなんだよ?」って彼氏から言われそうだけど、俺はしぶとく生き続けてやるよ。部様に生き続けてもいい。這いつくばっても石にかじり付いても生き続けてやるさ。奴との思い出をきちんと抱えて生きていくよ。

奴が帰ってきたら何て言って出迎えてあげよう。いろいろ考えるけど、きっといつもの調子で普段と同じように出迎えるんだろうな。ちょっぴり優しくしてあげようかな。帰ってきた日は何食べようかな。そんなどーでもいいことをあれやこれやと考えてられること自体、素晴らしいことなのかもしれないね。

 

 

171. 青春の1曲

2003年10月21日

 

先日、うちで飲んでいたときにシュランダー(「酒乱だー」にかけているらしい。本当は先頭に○○○○戦隊がつく)1号のみやっぺから、「青春の一曲って何?」と聞かれ、思わず「う〜ん」と考え込んでしまった。聞いた本人は酔ってて記憶なさげだけど、改めてそう言われるとけっこう考えるよねー。いろいろ考えて、まず青春時代をいつにするかを考えて、俺は高校時代にしたのね。中学の時よりも高校の時の方が楽しかったし、活発だったし、今の俺の原点みたいな自分がいるからね。で、高校時代の青春の一曲と言ってもいっぱいあって、なかなか一曲に絞れないさ。

まずアーティストで絞っていって、俺の場合は最終的に尾崎豊とZIGGYが残ったのね。でね、これがどっちがどうとは言えなくて、結局二曲で勘弁してもらった(笑)  で、俺の青春の二曲は尾崎豊の「15の夜」と、ZIGGYの「I'M GETTIN' BLUE」。やっぱりこの2つになるかな。でもどれも僅差ですごい難しかった。「15の夜」は「誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜」という部分がね。自由になったんじゃなくて、なれた気がしたっていうところがすごい入ってきたし、自分でもそう思った。今この時間(夜のことね。しかも飲んでる時)はいろんなことから解放されてるんだけど、また朝日が昇ってきたらまた日常に戻される、という。そういうのはすごく感じてたね。別に日常が嫌だったわけじゃないんだけど(笑)

「I'M GETTIN' BLUE」は初めて聴いた時に、すごくかっこいい曲だなって思った。1回聴いただけで好きになった歌の一つ。「あの日からハートの行方を捜してる」とか「どしゃぶりの雨が 通り過ぎる頃には 探していた言葉 見つかるかもしれない」なんて、すごい心にグッときたね。前者の方はこれから自分自身がどこへ向かっていくのかとか、要は自分のアイデンティティ確立とクロスしたんだろうし、後者の方は嫌なこととかつらいことがあってもそのうちいいことあるさとか、つらさを経験して人間は成長するんだ、みたいなふうに感じたよね。ちなみにこの「I'M GETTIN' BLUE」、SNAKE HIP SHAKESというバンド(ZIGGYが一時的に改名していた時のバンド名)が2001年にセルフカバーをしたんだけど、2001年バージョンもかっこいい。

俺の青春の曲はこんな感じ。そういえば、なんだか最近は昔の歌ばっかり聴くなぁ。前もどっかで書いたかもしれないけど、新しい歌で「いいな」と思えるのがホント少ないんだよねぇ。なんでだろ?? 単に歳をくっただけかなぁ。それともやっぱり昔の歌の方がよかったのかなぁ。最近CDが売れないとかってよく言ってるけど、ファイル交換などに影響もあるのかもしれないけど、単に「買いたい」とまで思える歌がないんだよね。普通にいい曲はあるんだけど、心底惚れるような曲はないね。あっ、邦楽に限ってね。洋楽はあんまり聴かないからよくわからん。

 

 

170. 親へのカミングアウト

2003年8月28日

 

全然更新していないネットラジオ(注・現在はない)を聴いてくれていた人なら既に知っているだろうけど、2001年11月の初旬に親と家族に自分がゲイであることをカミングアウトして、それと同時に、彼氏と一緒に住むことも伝えました。あれから1年と9ヶ月経ったわけだけど、「もうそろそろ書いてもいいかな?」と思ったんで書こうかと。結果から先に書いちゃうと、カミングアウトして1ヶ月後くらいで家族は受け入れて(受け入れていこうとした?)くれました。

もともと俺は「親にカミングアウトできたらいいな」とは思っていたんだけど、それが彼氏ができて一緒に住むことになってようやく腹を括ったわけ。それは親に対しても彼氏に対しても。自分のためにも彼氏のためにも、そして親のためにもカミングアウトした方がいいと思った。なぜか? 

自分的には簡単に言っちゃうと長年つかえていた胸の内をなくしたかったから、というのと、一緒に住むにあたって自分の逃げ道をなくしたかったから。それくらいの覚悟をみせないと親は到底納得しないだろうし、親へ大見得を切ることで自分自身への責任と彼氏への責任をもちたかった。ノンケの恋愛でいうと結婚みたいなもんだね。「自分たちは結婚します(一緒に住みます)」と周囲に言うことで、そう簡単に別れるわけにはいかないと。つまり、自分のケツは自分で持つということかな。あとは、ちゃんと親に筋を通しておきたかった。たとえ結果がどうなっても、筋を通しておけば、後々違うと思ったし。それに俺は恥ずかしいことをしているわけじゃないしね。堂々と自分のやっている(やろうとしている)ことに自信を持ちたかった。

彼氏的にはもし俺に何かあった時、例えば俺が死んだ時に立場的には彼氏が喪主になるわけじゃん? でも当然のことながらそれは無理なわけじゃん。だから、もし俺がカミングアウトしていなくて死んだら、彼氏は単なる友人としてしか葬儀に参列できないわけで。でもそれってものすごいつらいことだと思うんだよ。本当は誰よりもつらい立場にいて、本当は一番目の前にいたい、もしかしたら骨も拾いたいと思うかもしれないのに、それができないというのはすごくつらいと思うんだ。入院した時なかもそうだよね。俺の家族に単なる友人として気を遣われるのと、恋人として気を遣われるのだと全然違うと思うんだよね。だからこそ、俺がカミングアウトしておけば喪主とかは無理だとしても、何らかの対応はしてくれると思ったわけ。家族が知っていれば、彼氏だって線香をあげに行きやすいだろうし、墓参りだってしやすくなるかもしれないでしょ。反面、彼氏には重いものを背負わせちゃう気もして、それは申し訳ないと思ったけど、彼氏もわかってくれたんで。

親的には、いつまでも結婚しない息子にやきもきするよりも、一時はつらくても、知っておいた方が長い目で考えるといいんじゃないかと思ったわけ。あきらめもつくだろうし。カミングアウトしないことで俺か親が死ぬまで傷つくよりも、カミングアウトして傷ついた方がお互い納得できると思うんだ。どっちに転んでも傷つくなら、やって傷ついた方がまだましだと思った。もちろんカミングアウトする時に、「受け入れられないだろう」と思ったのと同じくらい、「うちの親だったら大丈夫だろう」という想いもあったことはたしか。仮に受け入れられなくて親子の縁を切られても、それはしょうがないと思ったし、もちろんそれくらいの覚悟はあったよね。反面、縁を切られたとしても、ノンケで俺がゲイであることを解ってくれて応援してくれる友達もたくさんいたから、そうなったらそうなったで、でもやっていけるだろうという想いもあったよね。もちろん、親に対しては申し訳ない気持ちで一杯だったけど。

カミングアウトをする方法はいろいろ考えたけど、結局手紙にしました(もちろん直筆)。それが一番いいかな、と思って。俺も時間をかけて自分の言いたいことを書けるし、向こうも電話よりは感情的にならないだろう、と。手紙の内容はちゃんと保存してあるけど、さすがに全文を紹介するのは恥ずかしいから流れだけね。最初に「自分がゲイだということとそれは正常な発達であること」を書いて、「ゲイとして、それを隠していることがつらかったこと」、「彼氏の存在と二人の将来のこと」、「周囲の友人・知人にはカミングアウトしていてみんなそれを受け入れてくれていること」、「親へのフォローと何かあれば直接自分に聞いてくれ、ということ」、「親へのさらなるフォロー」って感じ。字数にすると1358文字。

親が手紙を受け取って家族全員で見て、電話がかかって来た時はさすがにショックを隠し切れてはいなかった。平静を装ってはいたけどね。向こうもつらかっただろうけど、俺もつらかった。でもそのことを親はちゃんと解っていて「確かにショックだったけど、これを書いたあんたもつらかっただろうね。正直に言ってくれたことに関しては嬉しいけど…」って言ってくれた。カミングアウトした場合、最初はショックを受けてもそれは時間とともに解決されることはわかっていたから、特に俺からは何も言わなかった。なるべく親を傷つけないように、妙にカウンセリング的対応になっちゃったりして、早く時が経てばいいな、なんて思ったりした。

で、最初に書いたようにようやくショックから立ち直って受け入れ始めたのが、だいたい1ヶ月後。これは早い方だと思う。でもなんで2001年11月頃にカミングアウトしたかっていうと、一緒に住む前に言っておきたかったっていうのもあったし、ちょうど10月頃だったかな、兄貴夫婦に二人目の子が生まれてそれが男の子だったというのもあったし。言い方は悪いけど、とりあえずこれで跡取り候補ができたわけだし、そういう意味でもショックを受けても立ち直れる時期だと思ったし、ショックも少ないだろうとも思った。反面、そういう嬉しい時期にこういうことを言っちゃって、ショックを与えてガッカリさせてしまうことについては本当に申し訳なかったけど。1ヶ月後くらいの電話の時に「ショックでいろいろ考えて寝れない日もあったけど、そうなんだからしょうがないよね。べつにあんたが犯罪を犯したわけじゃないし。」って言ってくれた。犯罪云々はちょっと「ん?」って思ったけど、理由はどうあれ受け入れようとしてくれているんだからそれでいいと思った。その後しばらく経ってから母親に「実は前々からうすうすそうなんじゃないかって思ってた。親なんだからわかるよ」って言われた。やっぱ親ってすごいと思ったよ。

その後は、カミングアウト後の初めての帰省の時は、豪華な海の幸を用意してくれていた。彼氏とのことや俺がゲイであることには特に触れることはなかったけど、その気持ちというかその対応だけで俺は幸せだと思った。カミングアウト後に話していたのは全部母親だったから、父親がどう思っているのかを直接聞くことはできなかったわけだけど、帰省したその時のその対応でわかったし、それで十分だった。言葉ではなく行動で示してくれた親に本当に感謝しているんだ。今も時々野菜とか送ってくれるけど、ちゃんと二人分入ってるもんね。今でも彼氏とのことなんかは聞いてくることはないけど、話さなくてもちゃんと解ってくれているっていうかな、話さない方がいい場合だってあるしね。なんでもかんでも話せばいいってもんでもないしさ。本当はいろいろ話ができた方がいいんだろうけど、今はそれでいいと思ってる。いつか彼氏を実家に連れて行って、親と家族にきちんと紹介できる日を夢見ながらね。