中学生のとき、夏休みの宿題で、「作詞・作曲」があった。うちにあったオルガンで、何とかブーハーブーハー音符を並べた。 夏休み明けに、先生がみんなの曲を弾き語りして、合唱大会で歌うクラスの代表曲をきめるのだけど、 僕の作った曲は、もちろん代表などになろうはずもなく、それどころが、先生が「これ弾きにくいなぁ」と言い、 いつも、なんだか最悪の気がした。単に僕にセンスがなかったんだろうと思っていたのだが、 振り返ると、コードのことも知らずに音符を並べてもマトモな曲になるわけないんだよね。 歌謡曲であれ、ポップスであれ、音楽には理論と構造があることを知ったのが、数年前、テレビの深夜番組でやっていた「音楽の正体」。
「導音の役割」や「副5度による臨時転調」や「転回形を用いたベースラインの半音階的進行」なんて音楽のセオリーが、
ユーミンや竹内まりあの曲でどのように使われているかを、近藤サトの案内で紹介する番組だったんだが、
毎週、とても楽しみに見ていた。
ポップスで理論や技法がどう使われいるかを、楽譜とピアノとオリジナル曲で解説するのは、まさにマルチメディアで、
コンピュータ・ソフト化してほしいものだが、探しているうちに、本が出版されているのを見つけた。
たとえば、カデンツ(コード進行のお決まりのパターン)の課題曲は「結婚しようよ」
「音楽はI度に始まってI度に終わるもの」そして「ドミナントのV度からトニックのI度へ行って完全に終止」この2つの大原則を踏まえたら、 カデンツの最小単位は、I(C)→V(G)→I(C)となる。…サブドミナントのIVを入れても、I→IV→V→I、I→IV→I、で出尽くしてしまう。 バリエーションをふくらませるために使うのが代理和音。
代理和音とは、根音と第3音を共通にするもので、例えば、I度(ハ調ならドミソ)の代理和音は、VI度(ラドミ)になる。 ただし、代理和音から本来の和音への進行は禁じ手。和音の中でも第5音は省略可能なのだが、代理和音→本来の和音という進行になった際、 代理和音の第5音が、次で第3音というカナメの音となり、同じ機能を持ったコードの中で、いったん軽く扱われた音が、次に重要になって、気持ちの悪い流れになる。…
ところが、「結婚しようよ」で用いられているカデンツは、I→V→VI→I(C→G7→Am→C)。VI→Iは禁じ手であるが、 拓郎はこれを逆手にとって、カデンツの弱さ、不自然さを若者の頼りなさ、心の移ろいとして表現している。
表題の「結婚しようよ」という歌詞は、VI→Iというぎこちない進行のところに乗っており、「古いギター」や「白いチャペル」や「お花畑」という 歌詞とあいまって、フワフワとした頼りなさをかもし出す。そこへ初めて生活感のある言葉がサビに現れる 「2人で買った緑のシャツを 僕のおうちの ベランダに並べて干そう」その直後、最後の1節に「結婚しようよ」の歌詞が出てくるのだが、 その「結婚しよう」が曲中ではじめて安定感のあるV→I進行の上に乗るのである。
てな具合なのだが、やはり本では音が出ず、残念ながら、僕は楽譜が読めないし、楽器も弾けないので、「実際どうなってのか」が全くわからい。 仕方がないので、パソコンのソフト(鼻歌ミュージシャン)で音を出したりしてたんだが、やはり面倒なので、この興味深い本もしばらく眠っていた。
再読するきっかけは「鳥類学者のファンタジア」。本来は1オクターブのあいだには、無限の音があるはずなのだが、 その中の12の音のみを使うのが西洋音楽。その12平律を体現する最右翼の楽器がピアノであり、ピアニストの主人公は、
わたしの記憶の連続性は、ヴァイオリン型ではなくて、ピアノ型、つまり切れ目なく連続しているのではなくて、ひとつひとつの出来事や場面が、 点々とつながっているような連続性ではないか(p108)
と思い、その記憶の「あいだ」がこの物語のひとつのテーマでもある。 さて、12平均律…例えば、うちのカミさんの家にはピアノがあったのだが、 彼女は7つの白鍵と5つの黒鍵が1オクターブを均等に分けていることも、ミとファとの間が半音だということを知らない。それでも、 一応、ピアノは弾いたのであり、音楽は右脳のものであり、楽器も弾けいないくせに、こんな理屈をコネルてるよりは、よっぽど普通のことなんだろうな。 とはいえ僕は、音階の中で、全音の入る場所の違いが、長調と短調の違いになり、なぜそれが、明るいイメージと、寂しいイメージの違いになるのか、 なんてことは、もの凄く興味がある。そういうことに疑問をもつようになったのは、 「音楽の正体」によって理屈のサワリを知ったおかげだし、興味の持ち方も人それぞれあってもいいんじゃないかと思う。 少なくとも、中学生の僕に、いくらかの基礎知識があれば、あまりトンデモない曲にならなかったかもしれない。