当町は明治初期、大坂三郷天満組の臼屋町であった。明治12年2月北区に、 同22年4月市制の施行にともない大阪市北区臼屋町となった。昭和53年2月住居表示の実施にともない臼屋町は天満1丁目の一部となった。 町名の由来は、明暦3年(1657)の大坂地図に「うすや丁」と記載されており臼を取扱った商人集団の存在が推測される。又、 明治維新以前には当町に高槻藩(永井氏)の蔵屋敷があった。 平成6年10月