| 不遇の入門前夜 |
初スキーは、実は中2の冬であった。それはホワイトスクールという、2年生全員で行く旅行である。 行く数日前に、千葉県東海沖地震とかなんとかいう震度5の地震が起きたが(がけっぷちに建っている学校だったから、あたしゃ死ぬかとおもったよ)なんとか予定どおり出発する事ができた。 14年ほどまえである。まだ当時のスキーブーツは、普通の編み上げブーツのように、プラスチックよりも柔らかい素材でできていて、金具にヒモを引っ掛けて留めるタイプで、慣れないかじかんだ手でやるには、大変難儀なものであった。ビンディングも、骨組み?太い針金で出来ていた様な気がするが、あまり記憶にはない。 しかし、とても足の小さい私はなんだか皆より古くてぼろいモデルのようでいまいち納得がいかない面もあった。(普通のサイズは横で割れて後ろにバックルがついているタイプだったぞ!!!!いまでもレンタルなんかで見かけるね。)。極めつけはスキーウェアだ。学校指定の青ジャージに防水スプレーをかけて、上から借り物のナイロンのポンチョを被っただけでした。 さて、スキー場はと言えば、公共の宿泊施設の隣にある丘であった。何年か前まではロープトゥが設置されていたというが、そんなものはどこにも見当たらない。ただの丘。ロコロコロコスキー場もいい所だ(怒)。雪不足だったが前日30cm程降ったとの事で、黒い土の見える所はあまりなかった。 インストラクターは12人に一人。まず平らな所で板の履き方・板の尻を雪面に突き立ててするあのターン(名前忘れたよ。何ターンだ?)を練習。それから真っ平らなところを丘のふもとまでずるずると歩いた。あとは超緩斜面で逆ハの字のぼりや、横向いて登るのやらを練習し、汗だくで登っては少しだけ滑るという時間が続いていた。3泊4日の日程だったがずるずるとしたボーゲンを習った。 しかし、夜、布団に入ると、足の裏を心地よい滑っているときの感触が蘇ってきて、それが私を虜にした。また、千葉という土地柄、ほとんどスキー経験者がいなかったため、あまり体育の不得意さを感じる事なく楽しめたというのもあったと思う。 「いつかまた、スキーをやりたい。」そんな気持ちを芽生えさせるのには十分な3日間だった。 それから2年後の冬。高校で体育科教諭と行く、スキーツアーの企画がでた。中2のときのあの感触を味わいたくて、さっそく友達と申し込みに行った。たった一度の2年前の経験をもとに、レベルを初級者で申し込んだ(今となっては初級者で申し込んだなんてぜったいやばかったと思っている)。父にインナーなどを買ってもらい、わくわくわくわくしていたが、雪不足で中止になった(怒)。 最近、実家で古い段ボール箱から、この時のスキー教室のしおりが出て来た。行き先は、白馬さのさかだったと思われる。間抜けな事に行くスキー場の名前すら書かれていないおそまつなしおりである。青木湖が麓にあって、五竜岳がバックにある手書きのマップから推測した。白馬五竜かもしれないが、あまりに汚い謄写版なので実態は不明。(加筆2003/9/26) 短大生の時、友達にスキーに誘われた事もあったが、学校行事なら親にお願いして費用を出してもらう所だけど、遊びで行くとなるとそうは行かない、その頃はビンボーだった。学友の皆にもけっこービンボーだと思われていた。お金がないのにその頃は「学生競技ダンス(いわゆるソシアルダンス)」をやっていてスキーに出すお金はこれっぽっちも持っていなかった。 就職して一年目の冬。こんどは同じ部署の皆で1月の3連休を利用して、野沢温泉に行く事になった。会社の先輩のシバタクンがAlpenに一緒に行ってくれて、ウェアだけ買った。 上着(光沢のあるエンジ色。3年型おちモデル。フードにボアつき)5000円 パンツ(白。ブーツの中にしまうスパッツタイプ)ワゴンセールの1000円 レッグガード?(スパッツタイプのパンツには必需品のブーツの中に雪が入らなくするやつ)1800円 を購入。グローブは中2の時に使ったやつがまだあった。 就職してるのになぜこんなに節約を・・と思われるかもしれないが、当時私はだんなのまさおさまと札幌/千葉で遠距離恋愛をしており、お給料は飛行機代にばけばけらっただった。また、まだダンスを続けていたりした。 まあとにかく準備万端だったのだが、なななんと父が病気になり、手術日付近とスキーの日が重なってしまったため、今回も行く事が出来なかった(悲)。いろいろ買ったのに・・・ そのあと、そのスキーのビデオ上映会なぞをやったりして。見れば見る程悲しかった。トレインなんかしていた。 そしてそのシーズンは結局スキーに行けなかった。 初めてスキーを体験してから、8年の月日が経とうとしていた。 [レポートトップへ][次へ] |