超初心者スキーヤー誕生!

●1996.12.13〜16 テイネハイランド/キロロ  札幌グランドホテルステイ
●なぁ坊・あきちゃん・ゆあさ坊・しのん


 会社の労働組合企画で、スキーツアーが出た。行き先は北海道。初?スキーで北海道とはなんとも贅沢だが、じつは当初はまさおさま在住の札幌ステイが目的でスキーはおまけに過ぎなかった。しかも価格は\33,000-。初心者にはスキースクール無料受講つき。レンタルも組合で手配してくれてラクチンちゃんであった。
 ウェアは不遇の入門前夜にも書いた、昨年購入のものに、気に入らなかったスパッツパンツにかえて、今はなき「ビクトリア千葉駅前店」でだぼっとしたノンブランドの9000円のパンツを買い足した。お帽子はその昔セントラルプラザ前のショッカーで180円で買ったスキー用ニット帽。ブーツ(リヤエントリー式)・板はレンタルで当時つづりがよめなかったが「フィッシャー」だった。


12/13
 飛行機が千歳に到着し、すぐにバスに乗り換え、1日目はテイネハイランドへと向かった。
 また、テイネハイランドと言えば、三浦雄一郎さんだが、もちろん当時はそんなことは知らない。しかも組合のパンフレットには「テイネオリンピア」と行き先が記されていたので、後日'97 SKI MAPPLE 全国版を購入するまで、自分が行った所はテイネオリンピアだと思っていた。
 そんなことはさておき、ゆあさ坊と入り口でレンタルを受け取った後、とりあえず昼食をとり、いざ白銀の世界へ。なぁ坊と、もともと北海道出身のあきちゃんはさっさとどこかとおくに?行ってしまった(きっと難しいコースだろう)。ゆあさ坊は、たまにパラダイスコース(12°/24° 600m)を滑って行くのをみかけた。無料スクール受講は明日キロロでとなっていたため、今日は幹事のスワさんが教えてくれるという。私は中2のときちょこっと習った事があることで、ひょっとしたらけっこう低速ならいけるんちゃう?と思っていたが、考えが甘かった事この上なく、スキーセンター正面のほぼ平らな斜面でさえ、まず満足に板がはけない。はけたとたんずるずると傾斜に連れて行かれる始末。うううぁ〜とうなり声とも叫び声ともつかぬ奇声を発しながら、こけた。そして起き上がれない。さらにこける。この繰り返しであった。それから「ハの字法」を教わり、センター正面から、センター脇をとおり、センター裏の駐車場とパラダイスDW(デタッチャブル2人乗りリフト)に向かってずるずると、カメの様に滑り出した。するとゆあさ坊が「しのんちゃ〜ん」と手を振りながら滑ってくるではないか。私はよそ見をして、そして、こけた。スワさんに起こしてもらい、なんとか駐車場の所にたどりついた。そこからスワさんは板を外してくれて持って歩いて行ってしまった。ストックをつえにしてブーツでいたい足を引きずりながら必死について行き、スキーセンターの駐車場側入り口より中に入る。そこにはデパートのように、エスカレータがんごんごと動いていて、標高差きっと5メートルくらいのリフトがわりに私を迎えてくれた。(でもスキーブーツでのるエスカレーターってけっこう危険だよね)そんな事を2〜3本繰り返したらすっかり疲れてしまい、なんとスワさんにホットミルクをごちそうになった。それからまた、2本くらいすべった。「リフトいつになったら乗れるんだろう。道のりはとおいなぁ」とたそがれてしまった。
 そして、今日は半日なのであっという間に時は過ぎてしまい、初滑りを終え満足げな皆がかえってきて、一路札幌へと向かった。



12/14
 朝6:30に朝食をすませ、早々とバスに乗り込んでキロロへとむかった。  今日はまずツアー全体で記念撮影をし、それからおのおの好きなコースに散らばって行った。私は今日はスクールに入る事になっていたので、なぁ坊たちとお昼を一緒にたべる約束をしてから、幹事さんや添乗員さんとスクール受付へと向かった。スクールは一日4800円。これが無料なんてすてき!!
「さあ。リフト」と期待を膨らませてスクールに入ったが、午前中は一度もリフトには乗せてもらえなかった。まず片足で板を履き、5人程度の受講者が輪になって平らな広場でぐるぐるとまわった。それからボーゲンというあの「ハの字法」を教わり、またまた自力で超緩斜面を横をむいてこつこつと5m位登っては、「ずるー」とすべった。昨日「先は長いなぁ」と漠然と思ったが、だんだん確信へと変わっていった。午前中はこれでおわった。
 ちなみに、マウンテンセンター内、カフェテリアきゃろぱぽでは、イクラ丼がうまひ。
 午後もスクール。朝から一緒の人もいたが、午後加わった人たちもいて、これからクラス分けをするという。ファミリーゲレンデ(6°/6° 250m)へ向かい、乗った事も無いリフトに乗せられた。しかもただのW(デタッチャブルでないただのペア)。案の定下車のさい、おもいっきりひっくりかえってしまい、周り中の人々を巻き添えにした。
 それからボーゲンで(プルーク無し)順番に滑らされた。いっしょーけんめー滑ったが、「リフトにちゃんと乗れないから」という理由でファミリーゲレンデに置き去り組となった。なんかくやしくて涙ちょちょ切れてしまったがしかたない。合格組は、「余市第一エクスプレス」(HQ 1127m)フード付きデタッチャブルクワッドに乗って行ってしまった。コースの開始点がベースから見えない所へ行ってみたい。私のあこがれはどんどん膨らんでいった。そしてそのあこがれから、私の好きな形態模写「リフト」は生まれた。
ぴーんぽーん・・・おすすみください。
ぴーんぽーん・・・おすすみください。
ただいま・・お客さまの・・安全の為・・運転を・・停止しております・・
・・ぷるぷるぷるぷるぷる・・ぐぉーん(リフトが動き出した音)
これを一年中やってるから違う意味のスキーばかである。
 そして、午後はファミリーゲレンデでリフトを使ってストック無しボーゲンをがんばった。手を水平にひろげて上半身を傾けたり、ひざを押さえたりしながら体重を移動してターンする方法を学んだ。リフトはまだ恐かったが、なんとか転ばずにおりる事が出来るようになった。当然のことながら、自力で登っていた事をかんがえると格段に楽になった。
 スクールが終わって、札幌へ帰る時間となった。同室のゆあさ坊は、今日は知り合いのサカイサンに、余市第一Expであがった先のさらに奥の朝里第一Bコース(7°/15° 650m)などで教えてもらっていたという。サカイサンはなぁ坊たちが去年同じツアーで知り合った人で2級(当時)をもっているという。私はその資格がどのくらいかもよく分からずに「なぁ坊ってすごく上手でうらやましい」というと、「うーん。まぁまぁだよね。」と言われてしまったので「???」となってしまった。それから、明日はスクールが無いのだが、あした午前中はゆあさ坊とまとめて教えてくれると約束したので、「やっと友達とすべれる。」とうれしくなった。
 夜、すすきの付近できちゃない小さなお店でジンギスカンを食べた。全身くさくさになったがおいしかった。


12/15
   旅行は明日までだが、札幌ステイのため、滑れるのは今日限りだった。なんだかんだいって、すっかり当初の目的よりもスキーに夢中になってしまい、札幌のまさおさまとはちょっぴりしか会わなかった。とにかく今日が最終日なのでおもいっきり楽しみたいと胸膨らませていた。
 さっそくサカイサンとゆあさ坊とともにファミリーゲレンデへと向かい、リフトに乗り込んだ。午前中は昨日の続きというかんじでボーゲンを習い、でも一緒に習っているのがゆあさ坊で、かなり楽しかった。また、サカイサンが「褒め法」で「ばっちり」とか「完璧」といってくれたのですっかり上手くなったような錯覚に陥った。(それが悲劇のはじまりだったとは・・)
 そしてランチを楽しんだ後、「運命の分かれ道」がやってきた。
 午後をどう過ごすか。ということになった。
 私は皆と一緒にとうとう「キロロゴンドラ」(3300m)に乗り込んでしまった。私はこの時、スキー場にはファミリーゲレンデ(6°/6°)の様な斜面しかなく、それが長ーく続いているコースがあると思い込んでいた。というか、中・急斜面の存在を知らなかったのだ。
 ゴンドラからの眺めは、私の未体験ゾーンであった。見た事も無い急な斜面がどどーっと続いているのを眼下に見下ろしながら、「ここ、とおんなくても帰れるのかなぁ」と不安になった。
 ゴンドラを降りると、遮蔽物もなく見晴しの良い平らな広い斜面が広がっていた。
一番右の小さい(ピンク/グレー)がしのんです。
 とても天気がよく、(キロロは豪雪地帯にあって、晴天率が低い)どこまでもひろがる景色の開放感に感動した。それから、しばらくはとても緩やかで幅の広い斜面が続いていた。ところが、いくらも行かないうちに、私にとっての大壁が現れた。(ちなみに、コースは朝里パノラマコース(7°/16° 5000m)初級表示)皆はすいすいとあっという間に再び斜度が緩くなる所まで降りていってしまっていた。私は取り残されて、壁の前で立ち尽くした。下では「なんで連れてきたのよ」とか「連れてきたからには面倒見て」などと私が無責任についてきた為にもめていた。大変申し訳なくもなったし、はたしてベースまで帰れるのか?という不安でいっぱいになった。その後も、エキスパートコースと迂回路の分岐点まで3回の壁が私を襲い、ときには並走してもらい、時にはボーゲンの先を押さえてもらったりしながらやっとの事でおりてきたがすでに半べそであった。分岐点からは、あきちゃんとなぁ坊はエキスパートコースへ、ゆあさ坊と私は迂回の朝里パノラマへ、そしてサカイサンは私たちに付き添う事になった。そこには「緩斜面が得意なかた」と看板があった(当時)。
 迂回路のため、コース自体は細かったが、何の問題も無い緩い斜面が延々と続いていたが、私はすでにパニック状態になっていたため。「こわいー。ぎゃー」と叫ぶばっかりで、ちっとも前にすすまない。サカイサンは時計を気にしはじめていた。バスの発車時刻が迫っていたのだ。それでもなんとか迂回的コースをぬけると、余市第一Bコース(10°/25° 2050m 初級表示)と合流した。そこからまた壁がはじまり、とうとう板を外して歩いて降りると言い出したばかもの。サカイサンは時計をもう一度見てから、ゆあさ坊に「もうここからなら一人で行けるよね」と言い、自力でおりれる彼女が時間内にベースにつけるように先に行かせることにした様だった。当時ボーゲンちゃんだったゆあさ坊は、教わった基本どおりにストックを持った手を横に大きく広げて斜面の先にゆっくりと消えていった。それから、サカイサンは後ろからボーゲンで私をかこってスピードを調節して降りようとしたが、キャパ以上の斜面にぐにゃっと力がぬけ逃げ腰の私には通用しなかった為、ある決心をした。 それは、しのんがちっぽけでやせほそっているから出来た作戦である。私の板を外し、ストックを4本もたせ、右にしのん左にしのんの板を担ぎ、彼はすべりだした。私は後ろ向きになっていたため、斜面の恐怖をあまり感じる事無くそのままひっしでかじりついていた。
 ベースについたときは3:59バス発車予定時刻の、わずか1分まえであった。
 自己嫌悪と申し訳なさにぐぢゃぐぢゃになっていると、サカイサンが缶ミルクティーを買ってきてくれて、また、「気にしなくていい」だの「最終的にスキーを好きになってくれればそれでいいよ」と、なぐさめてくれた。
 のちになぁ坊に「しのんちゃんスキーもうやらないと思った」と言われた。
そしてそれ以降、スキー場ではサカイサンに頭があがらず、ちょっと調子のいい事を言う私に対しての決まりの台詞がうまれた。
「へへーん、サカイサンなんか●●のくせに」
「なんだと、ここをどこだと思っているんだっ」
「・・・・ゲレンデですサカイサマ」

そんなサカイサンはすきーの上手い者どおし、2年後になぁ坊と結婚して、今は2児のぱぱである。


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