合宿ですか?このレポート本当に長いです。心して読め!!って感じだす・・

●2000.1.14〜18  戸隠スキー場  民宿・柏屋泊
●しょうじしゃんに連れて行って頂いたが、アットホームすぎてほぼ全ての方とお知り合いになった。
 偶然、ゆあさ坊が別の人に誘われて、来ていた。

 結婚して、ほぼ一年が経ち、「結婚したらスキーは無理かも・・」とあきらめかけていたつもりだったのだが、冬が近付いてきて、胸の奥がうずうずうずうずしてくるのを押さえきれず、同じ職場の人々に、「私をスキーに連れてってー」っとわめき散らした所、同じ係で仕事をするしょうじしゃん(通称/男らし〜いしょうじ(女性))が、毎年行っているという、戸隠のスキー合宿に誘われた。なぜ、ツアーと呼ばないのか、旅行と呼べないのかは、読み進めて行って理解してもらいたい。


1/14
 長野五輪のお陰で、長野新幹線も開通し、千葉県民には驚きの集合時間。AM8時20分千葉駅構内マクドナルド前。平日である。通勤の方々でごった返す千葉駅・総武快速に乗り込み、まずは東京へ。20人以上の暑苦しい(一部酔っ払いも含む)この団体は、大ひんしゅくを受けながらも、約40分、初対面のヤマザキさん、ヒロセさんらとおしゃべりを楽しみながら、到着。長野新幹線乗り場へ・・・
 指定席、乗ったらもうもう、2時間かからずにすーいすいと長野駅に到着。駅ロータリーには大型タクシーが2・3台チャーターしてあり、それに乗り込んで、一路、戸隠へと向かった。
 途中、並んで走っていたタクシーの一台が停車。だれかがトイレに行きたくなったとの事・・・朝から飲んでりゃね、出ますよ。でるもんが。
 なななんて、らくちんなんだろう。嫌いな飛行機にも乗らず、座りっぱなしでお昼には、今日から4泊5日でお世話になる、戸隠の中杜地区にある、民宿・柏屋さんに到着した。
 民宿と聞いていたので、宿にあまり期待していなかったしのんだったが、玄関に入ると、大きな石油ストーブ(上に鍋を乗せて煮物が作れるようなやつ)がでーんと私たちを迎えてくれてとても暖かい、また、新しくはないけれど掃除が行き届いて大変気持ちのいい館内。数年前にリフォームしたという事だったが、それにもまして、薄汚れた所が無い。(ホテルと名の付いた所だって、ずうっと汚い管理の行き届いていない所も多いのに。)そして、ここ30年来、毎年成人式を絡めた日程でここを利用しているという、幹事長の「イシイさん」おすすめの、ご主人のおもてなしにあふれた宿だと言う事だった。気さくな笑顔で、さっそくご主人が出て来られて、あいさつ。息子さんは中学生位で、イシイさんによると、赤ん坊の頃から知っていて、また、今のご主人が2代目で、初代ご主人がやってらした頃からのお得意さんだという。30年。わたしまだ30になってないからなぁ・・
 玄関の左横がスキー乾燥室となっていた。板をそこに残して、玄関右側の階段より大荷物を持って2階へ。というより、おじ様方に運んで頂いた。(当時、自分では、スキーのキャリーバッグを持って階段を上れなかった。2002年12月現在、板とバッグ両方一気に持って階段を上れる。進歩したなぁ。)
 さて、昼ご飯は電車の中でお弁当を食べてしまっていたので、早速スキー場へ。歩いて5分位。1人でだったら5分も登り坂を歩くのは嫌だけど、ぞろぞろとスキー板を担いで登って行ったので、それはそれで楽しかった。
 ベースに到着すると、しのんが今まで行ったスキー場では、にぎやかで派手なレストハウスやリフト券・レンタルコーナーがどどーんと建っていたのだが、中杜側のゲレンデ(国設)は、ふるびた木造のレストハウスが静かに佇んでいた。2本あるうちの1本しかペアリフトも稼働しておらず、しずかな雰囲気であった。そして私達以外に他に客はいなかった。こじんまりしたプレハブのリフト券売り場で、とりあえず半日券を購入。まずは中杜ゲレンデ下部で、初参加者のレベル確認兼、足慣らしをする事になった。
 ・・・しかし、2年のブランクは、私を初級者から、初心者に戻すのに充分な時間だった。
 曲がれない。スピードに乗れない。ハの字の板が先でからむ。片足加重なし。ひざ使用せず・・まったくコントロールできずに、中杜の初級者バーンをずずずずーっと10m程滑った所で、股関節がつった。
 「今日は、山越えは無理だ!」
 ドンのイシイさんの一言で、私は越水ゲレンデ側へは行けない事に決まった。そして幹事のヤマザキさんが、その日は半日、私の先生役となって、中杜ゲレンデに残ったのである。
 戸隠に行った事がある人なら、分かるかと思うが、戸隠には、ベースは2か所あり、怪無山をはさんで中杜(国設)と、越水(村営)に分かれていて、メインは越水ゲレンデ側である。そして、中杜から越水に向かうには、初級コースは無いのである。また、帰りも、越水から中杜へ戻るには、ぐねぐねで細いスイートコースを使うか、こぶこぶの上級コースになってしまうのである。初級者バーンでさえスキーをコントロールできない人を連れて行くわけには行かなかったのだ。
 皆は、中杜第2シングルリフトに乗り継いで、あっという間に行ってしまった。
 ヤマザキさんはすでに酔っぱらっていたが、丁寧に教えてくれ、私に付きあってくれた。当時流行っていた福山雅治の歌をへらへらと歌いながら、上機嫌だったのと、体型と声が、かつてのしのんのスキー先生「サカイサン」に良く似ていたので、今日初対面とは思えないくらいリラックスできた。
 スキーの方はと言うと、左右の板への加重や、上半身の姿勢を直してもらい、だんだん感覚を取り戻して行った。
 何本か滑ると、ひさびさだったのですぐに疲れてしまい、ベースの木造のレストハウスに入る。昭和30年代を思わせる様な古い作りのそれは、他にお客も無く、人のよさそうなじい様がカウンターに座っていた。厨房にも何人かのおばちゃんたちがすわって語らっていた。そして、すぐにビール。そしてシャキシャキの野沢菜に七味をかける。実は、朝、千葉で集合した時から酔っぱらっていて酒臭かったのはヤマザキさんで、それでまたビールかよ。と、妙に感心した。野沢菜は、もっとヘタッとしているものだと思っていたが、ここのは違い、シャキシャキで歯ごたえが良く、とても美味しかった。そしてヤマザキさんも毎年、ここで食べられる野沢菜を楽しみにしていたと言う。
 それから、また何本か、初級者バーンを使ってすべり、なんとかかんとか形はついてきた。ヤマザキさんも、
「明日は、山を越えようね。」
と、言ってくださったのが嬉しかった。実は越水側には、「やなぎらん(通称「八角」/八角形の建物だから)」というしゃれた喫茶店が、メノウコースの終点にあり、はやく行ってみたかったのだ。

 夕方になり、またレストハウスでだらだらしていると、何人かが越水側から戻ってきて、ちょっとした酒盛りになった。
 それから、夕飯(本当に家庭料理。味も量も良いし、食べつけないものが出てきてお腹を壊す心配もなし。)が済んだ後も、2階の大部屋で、大宴会になり、「寝るな、飲め!」という雰囲気ムンムンで、夜はふけて行った。


1/15
 昨日の宴会の疲れもとれぬまま、朝はやってきた。
 叩き起こされて朝食へ。これまた普通の家庭料理で、なんだか自宅に居るような気分になってしまう。
 こころづくしの朝食を食べてから、さっそくゲレンデへ。
  今日は「山越え」である。越水のベースまでは、中級または上級コースしかない。はたして無事に行く事が出来るのだろうか?。緊張の面持ちで、昨日皆が乗って行ってしまった、シングルリフトに乗車した。
 リフトを降りると、一番斜度が緩いしらかばコース(19°/26° 639m)に向かうため、シルバーコース上部を横切る様にコース取りをするのだが、私に取っては崖だった。斜面にしがみついて動けなくなったため、メンバーがコースの向こう側から「大丈夫だよー」などと口々に応援してくれていた。ストックを駆使して超へっぴりで、なんとかコースを横切った。
 けれど、それで終わりではなく、慎重な大ボーゲンを使って、しばらくは進んで行ったのだが、一段と斜度がきつくなり、しかもコース幅も狭くなっている部分に遭遇してしまった。「ぅぁ〜」と小声でうめき、それから、ゴーグルの中で目が半泣きになってしまった。立ち尽くして動けない私を置いて、昨日と同じくドンのイシイさんが、「ヤマザキ、お前が連れてこい。先行ってるぞ。」と宣言して、皆を麓まで降ろしてしまった。昨日に引き続いて申し訳ない気持ちになってはいたが、とにかく凄い斜面に感じてしまい、降りるのにかなりの時間を割いてしまった。(それでも降りた。降りるしかないからねぇ・・)
 それからお昼までは、越水のベースにある、第二ロマンスリフトを使用して、250m足らずのバーンで昨日の続きでヤマザキさんに教えてもらった。が、イシイさんに滑りを見せると、「だめだめ」の評価がくだり、「午後は俺が教えてやる。」と言い残して去って行った。ヤマザキさんが一所懸命に教えて下さったのに、生徒がだめだめでごめんなさい。
 昼食は、シャルマン戸隠だった。ひろびろとした食堂で、畳のフロアもあり、よくよく見ると、一緒に来ていたおじ様たちが、ごろごろと横になっていた(飲んだくれていたともいう。)
シャルマン戸隠の「戸隠カレー」は、キノコのカレーでマイルド。しのんイチオシです!!
 「戸隠カレー」をたべると、イシイさんと出発である。しょうじしゃんに以前聞いた話によると、ヤマザキさんと違って、かなりのスパルタとの事。びくついた気持ちで、イシイさんの後に続いた。
 まずは午前中に使用した、第二ロマンスリフトで2回ほど手ほどきを受ける。急に加重とエッジの角付けの感覚が蘇る。
 それからすぐに第3クワッド(DQ 956m)に乗り換え、怪無山の頂上へ。「昔、アタシ達の頃は、初心者でもいきなりチャンピオンコース(コブ28°/31° 645m)に放り出されたもんだよ。」というしょうじしゃんの思い出話が頭をよぎり、私を不安に陥れた。
 しかし、実際は違っていた。まず怪無山から、尾根づたいに第6クワッドを目指して下る(その部分は初級表示)。基本的には、イシイさんのシュプールをなぞる様に付いて降りてゆく。しかし、第6クワッド直前に短いコブ斜面があり、その横の迂回路をするーりと降りたら怒られた。そして、目の前に、あこがれの「やなぎらん」が現れた。が、やなぎらんはスルーして、第6クワッド(1170m 4分53秒)へ。このクワッドが、ほんの数年前までは、ペアリフトで10数分もかかる恐ろしく寒い乗り物だったという。フードこそ付いていないけれど、やっぱりデタッチャブルクワッドは良い。クワッドの終点からは、「お仙水コース(9°/17° 1500m初級表示)」と、「メノウコース(10°/18° 1500m中級表示)」があり、当然私は「お仙水」の方で練習をすると思っていたのだが、無情にもイシイさんは、リフトを降りて右側をストックで指し「右っメノウいくぞ」と、命令した。
 「しぇー」と、頭の中だけでびびっていたが、出だしは何の事は無い緩斜面。ちょっとコース幅が狭く、片側が切れ落ちている事を除けば・・ただ、この先に中・急斜面が待ち構えていると想像すると、すぐに足がすくんでしまい、ずぞずぞーっと地味に滑り出すしか無かった。そしてさっそく中斜面が現れた。しかもアイスバーンである。抜かして行く人々は「ごりごりごりごりーっ」と明らかに氷を削る様な音をたてて滑降して行く。
 まずはしっかりしたボーゲンの練習からだ。イシイさんは「どんな斜面に行っても降りるだけは降りて来れる様に仕込んでやる。」と宣言した。しのんはかつての志賀高原で、しらかばコースをヤマシタさんにつれられて無理矢理降りて行った時の事を思い出していた。しかし、あの時より雪質は格段に悪かった。特にコース真ん中の部分がアイスバーンだ。ハの字を限界まで広げ、恐る恐る滑り出す。まず体が怖がって後傾山側であったため、それを直す所から始まった。前傾過ぎる程に体を倒し、谷足に加重、エッジを立てる。そのまま我慢してターンしてしまえば、どんなにターン中にスピードが出てしまっても、山側にエッジが切れ上がって、斜面を登るから自然に止まる。故に怖がる事は無い。という理論を元にした練習が主になった。とにかくしのんは斜面そのものが怖い。これが「ターンに失敗したら下に落ち続けて行く」というイメージを払拭できれば、思いきった滑りが出来る様になるだろう。安心してターンが出来る様になるだろう。と言う事だ。
 でも、目の前はアイスバーン。またゴーグルの中でひっそりとべそをかきながらの練習となった。
 やっとのことでメノウコースが終わって、「やなぎらん」を通過すると、そこからは初心者でも滑れるゲレンデに出る。今度は練習方法が変わり、なるべく谷側の足だけで滑り、ターンは両足で・・と、プルークボーゲンっぽくなってきた。しかし当時、スキー以外何のスポーツもせず、筋トレもした事が無かったよわよわしのんは、スキーブーツと板の重さに、足がなかなか上がらなかった。
 怪無山から瑪瑙山へとのルートで練習を繰り返した。それから、3時も過ぎ、宿へ帰る事になった。怪無山頂上から。中杜方面へ向かって滑り出す。私は特に恐怖は感じなかったが、スイートコース(初級者迂回路)の入り口まで来た時に、「さっきの場所、午前中、お前が立ちすくんだ所だよ。あえて言わなかったけど。」とイシイさんに言われて、びっくりした。1日でこんなに変わるんだ。と。あしたは山越えも、もっと楽に出来るかな。と。
 しかし、中杜へ帰るスイートコースは、私の今の感動を打ち砕く程インパクトのあるコースだった。
 たんぼのあぜ道の様に細く、ボーゲンだと一人がやっとという幅のコースが、延々とぐねぐねと続いていた。ボーゲン体勢のままずーっとひざ・ももに力を入れてターン無し、ずーっと直進。斜度も結構ある・・。
 イシイさんの他にも、ナミちゃんも付き合ってくれていたが、メノウコースでの恐怖とはまた違った怖さと疲れがどどどっと襲ってきて、へこたれようにもまだまだぐねぐねと続いている所をずるずるずるずる大汗かきながらやっとの事で下った。
 そのあとまた、中杜ベースのレストハウスでビールを飲んでいるグループと遭遇し、小宴会した。そのあと、レストハウスで100円だか150円で板とストックを朝まであずかってくれると言うので、ヤマザキさんと2人で預けて、手ぶらになった。
 そこから宿に戻る途中、道は所々凍結していて、スキーのハードブーツでは結構危険なのだが、私もヤマザキさんも、荷物が無くてらくちんであった。しかし・・得意げになったヤマザキさんは、「テブラデー・スキーデス」と当時のザウスのCMを真似ながら、へらへらと笑って周りの板を持って帰ってくる組にアピールしていたが・・・つるるーんっとひっくり返って、ずでーんと尻餅を付いた。大きな笑いの渦が巻き起こった。(怪我が無くて良かった。)
宿に戻った。体中のあちこちが、筋肉痛になった。(でも、すぐなったから、若かったのね。)
 宿に戻ると、玄関の大きなだるまストーブの上で、直径2〜3cmの新ジャガが、大鍋一杯に煮ている所だった。どうぞどうぞと宿のおかみさんにすすめられて、一つほおばる。あまからい味付けで、皮が付いたままのちいさなジャガイモが、お口の中でほんわりととろけた。別に一皿300円と、言うわけでもなく無料、おもてなしの一つだと言う。皆がばらばらに宿に帰ってきては、ちょこちょことジャガイモをつまんで食べさせて頂いた。冷えた体にあったか〜い心が伝わってきた。ご主人が、奥からウィスキーをもって出てきて、水割りを少しずつご相伴にあずかったりした。
 親戚の家に泊まりにきている様な、自分の家にいる様な、不思議な感覚に包まれていた。
そして、2日目の夜も、大宴会で長い夜はふけて行った。(ヤマザキさんは、自前でペットボトルの大きな焼酎を持ってきていたが、鞄にそれを入れるか、フリースを入れるかで迷い、焼酎を持ってきた強者である。)
 一日おくれて、昼頃到着していたゆあさ坊とも顔をあわせ、にっこりの2日目だった。


1/16・1/17
 (正直言うと、5日間も行っていて、なんにも記録を残していなかった事を、3年経って思い出しながら書いているので、3日目と4日目のエピソードがぐちゃぐちゃになってしまっている。このため、この二日間は1日分とみなしてエピソードを積み重ねて行きますのでご了承ください。)
 異変が起きたのは朝だった、中杜から越水へ向かう「中杜第2シングルリフト」が運休になっていた。故障か、点検か、よく分からなかったが、シングルリフトのりばで皆でわらわらとしていると、雪上車とスノーモービルが現れ、「連絡コース」という、もの凄く漕ぐ越水からの帰り道のコースがあるのだが、そこをこれらでピストン輸送してくれると言う。スノーモービルの方が面白そうだったが、スキーの実力の関係上、雪上車にふりわけられてしまった。スノーモービルには、運転手の後ろにナミちゃんがのり、後ろのロープにしょうじしゃんや岡ちゃんがつかまって先に走り出した。すごくそう快だったらしく、「ぎゃーっはっはっはっはっ」という笑い声とともに、林の中に消えて行った。私はといえば、板をはずして雪上車へ。NHKと車体に書いてあるのをガムテープで貼って消したのがまた剥がれていた。中古車であった。雪上車は、けっこう排気ガスが車内ににおっていて、そしてよく揺れたため、3分程度しかのらなかったにも関わらず、酔いそうになってしまった。しかし、滅多な事では乗れない車に乗れたので、良しとしよう。
 そして午前中は、またイシイさんのスキーレッスンへ。今日はゆあさ坊と一緒だ。昨日の続き。メノウコースを中心にレッスンを受ける。谷側の板の先の上に胸がくるようなつもりで大げさに前に乗りなさい。などと指示を受ける。いつもそうだけれど、ゆあさ坊の方が断然飲み込みが早く、コブ斜面の滑降方法まで教わっていた。しのんは、ボーゲンを完璧にしようと精いっぱい頑張った。
 昼はまた、シャルマン戸隠へ。あの味が忘れられず、またしても「戸隠カレー」を注文。スキー場のレストハウスの飯は不味いと良く言われているが、ここのカレーは、業務用のどーでも良いカレーではなく、大変美味しかった。
 ゆあさ坊は、午後もイシイさんにレッスンをつけてもらっていたが、しのんは、今回の合宿に連れてきてくれたしょうじしゃんと、まだ一度も一緒に滑っていなかったので、しょうじしゃんとコースを回る事にした。
 2日目には恐怖で足がすくんだ「しらかばコース」に自ら進んで向かい、しのんなりの上達ぶりに、しょうじしゃんは素直に褒めてくれた。まだちょびっと怖かったけれど、しっかりしたボーゲンで、しらかばコースをクリアした。それから、メノウコースへ。メノウコースは戸隠で特に気持ちのいいクルージングコースなため、結構私たちのグループメンバーが滑っていた。チエ姉さんとも一緒になり、第6クワッドが、ペアリフトだった頃の思い出話等をきかせてもらった。しょうじしゃんは基本的にはパラレルで、ウェーデルン練習中との事、けれどスピードを調整して、時折少し先で待っていてくれたりして、一緒に楽しむ事が出来た。
 何度かメノウコースを滑った後、待ってましたと「やなぎらん」へ入る。もう何人かが、お茶を飲んだり、ちょっとお酒が入っている人もいた。おやつ時という事もあって、ぞろぞろとぐるーぷが「やなぎらん」に入ってきた。  それから、ちょっとベテランのおじさまがたに、皆でワインをおねだり。1本2500円のドイツワインBernkastelerを何本かと、チーズの盛り合わせ。ケーキ等、50席の喫茶店の半分位を自分達の団体で埋め尽くして、ワインパーティーが始まった。
 しかし、調子に乗ってがぶがぶと白ワインを楽しんだら、すっかり酔いが回ってしまい、
「よっぱらっちったから〜、もぉすべれ〜ん。」 と、言い残して、まだ3時ちよっとだったのに、ヤマモトさんはじめ4人のおじ様方に護衛されながら、「吉永小百合みたいだー」と、からかわれながら、真っ平らな帰りコースの「連絡コース」を、ストックでおもいっきり漕いで、とっとと宿に帰ってしまった。(しょうじしゃん談)という。(自分では覚えているやら、いないやら・・)
 ユアサ坊はその間にもめきめきと上達し、パラレラー&モーグラー入門を終えていた。すごい。
 どの日だか失念したが、夜には、中杜のベースで、戸隠伝統の「どんど焼き」が行われると聞き、夕食を済ませた後、寒い中をぞろぞろとスキー場に向かった。キャンプファイヤーよりも天高く木材や竹が積み重ねられ、だるまも一杯つるされていた。だるまさん昨年一年間おつかれさま・・ということだろうか。
 すあまなども配られたが、長蛇の列が出来てすぐになくなってしまった。たった一切れ、誰かが確保してきて、皆で一口ずつ分けあって食べた。大変な縁起物だという。
 凍る様な寒空の中を、空に向かって高く燃え上がる炎を眺めながら、ちよっと神秘的な気持ち。戸隠って、本当にいいところだなぁとしみじみと思った。今まで行ったスキー場も、それぞれの良さがあった。利便性が良かったり、優雅なリゾート気分を味わえたり・・、しかし、戸隠は何かが違う。懐かしく、あたたかい。はるばる旅に来たんだなぁ。都会からみれば、非日常的な雰囲気だが、ここはいつもこの懐かしさに包まれているのだろうか・・と。感慨深かった。
 そして、またまた夜は大宴会・・寝させてくださいー。学生じゃないんだからー


1/18
 長い様で短い5日間が終わる。本当は18日も午前中は滑れたのだが、しのんはくたくたで、リフト券も昨日で切れていたので、今日はスキー場へは行かなかった。しのん以外にも、何人か行かない人がいた。
 ゆっくりと荷造りをすませてから、チェックアウトも気にしなくていいこの宿でごろ寝。昼食には、柏屋のご主人手打ちの、戸隠そばが食べさせてもらえる事になっていた。しょうじしゃんから、「ここのを食べたら、もう他ではそばは食えん。」と、聞いていたので、期待に胸膨らませた。
 昼時に、じゃんじゃん皆が帰ってきた。そばを食べ損ねてはならん。という所である。
 絶品のそばと、あのコトコト煮ていたジャガイモとをいただいて、わたしたちはこの5日間の分をたくさんたくさんご主人、おかみさんにお礼を述べた。
 こんなに名残惜しいスキー場があっただろうか。こんなに別れがたい宿があっただろうか。また来ます。そう言う気持ちで一杯だった。


 帰りの新幹線内、夜の大宴会の時から、声が「おじゃる丸」の「でんしょボタルのデンボ」に良く似ていると言って、かわいがって下さったヒロセさんに、「うちのバンドに来ないか」と誘われてこれが縁で、2003年、このレポートを書いている現在も、バンド活動をしています。(活動先/自治体の祭り・保育所等のクリスマス会・慰問等)
 スキー以外にも、多くの方々との出会いがあり、新たな活動の場を広げてくれた5日間であった。

            


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