| ハッピースタッフ! |
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●2000.1.28〜30 会津高原高畑スキー場 花木の宿泊(多分・・) ●ウルトラマンブラック(ヤマシタ氏)・サカイサン等々Pityの方々・・と、しのん 1999.4.1に、かの真っ黒なヤマシタ氏が自分の所属する係に異動してきていた。しのんは、スキー関係で知り合っていた人が異動して来られると言う事で、めちゃめちゃ嬉しかった。そして、春・夏・秋とあたためていた目論見通り、「私をスキーに連れてって!」 のアピールをして、「ちょいと仕事をするなら連れて行ってやるぞ。」と、すんなり連れて行ってもらえる事になった。 ちょいと仕事の内容/スキー大会参加賞の仕分け&大会うぐいす嬢(しのんマイク大好き!!) 仕事の無い時は、勝手に滑ってて良いとのこと(しかもリフト券つき) 1/28 明け方、ヤマシタ氏の車で家の前まで迎えにきてもらった。先にサカイサンも乗っていた。 会津高原高畑スキー場は、いまどき珍しい、ボード禁止のスキー場である。2・3年前に「ボード禁止」を掲げていたスキー場が、入場者数の伸び悩みやらなんやかやで、どんどんボーダーを受け入れて来ているこのご時世に、ボーダーが苦手のしのんにとっては、とてもありがたいスキー場であった。(なにしろ、あの、背後からの「ずざざざーっ」という音を聞かなくて済むのだ) 大会専用のリフト券。宝物だ!!それから、高畑は、Pityでの練習に多く使われるスキー場と言う事で、ヤマシタ氏のスムーズな運転で、ちゃっちゃと3時間半ちょっとで到着する事が出来た。スキー場の更衣室でPityのサイトウさん♀と着替えを済ませ、いざゲレンデへ。とりあえずはたいした仕事は無いと言われて、ブラックラインリフト(W 897m)へ。(高畑には4本リフトがあるが、全部ペアリフトで、デタッチャブルではない。)コース名に、「ブラックコース(12°/20° 1300m 初級表示)」と、「スーパーブラックコース(20°/34° 上級表示)」があったので、ウルトラマンブラック/ヤマシタ氏をちょいとからかったら、「てんめー、スーパーブラックに突き落とすぞ!!」と、返されてしまった。ちょいとこわひ。けれどヤマシタ氏は、スキー2回目の先生(資格所持)なので、そういう無茶な事は、口では言っても絶対しない。(1997志賀高原編みてね)。私のその後のスキーぶりをしょうじしゃんを交えての会話で聞いたりしていても、実際に見てもらうのは久しぶりだった。 まずは「ブラックコース」へ、ブラックラインリフト乗り場までの道のりで、途中から中級表示になるコースでベース直前のちょい壁に「セフティウェイ(9°/16° 初級表示)」という迂回路が付いているコースだ。 私以外の人は皆、スキークラブ員、すいーっとスタートして、どんどん滑って行ってしまった。まぁ、勝手に滑ってて良いという約束だったし、皆は大会に向けて最後の練習をしているのだからと、のんびりと行く事にした。 ベースに向かって、少しずつ斜度がきつくなって行き、雪質が悪くなっている。上部はパウダーだったが、ベース付近は、ごろごろとした雪の固まりが雪面に転がっていて、砂利道状態だった。ずるずるとエセプルークボーゲンで滑って行くと、ベース前のちょい壁に到達。以前のしのんだったら「セフティウェイ」に逃げ込む所なのだが、前回の戸隠でイシイさんに教えてもらった通りにやればきっと行ける。というめずらしく強気の気持ちが湧いてきて、中級表示のメインコース側を降りて行く事にした。 プルークには出来なかったが、大きなボーゲンを作り、控えめなスピードでゆっくりと、しかし途中立ち往生する事無く、センターハウス前まで無事たどりつくと、たまたまヤマシタ氏とサカイサンが居て、お二人ともしのんのかつてのひどい滑りを知っていたため、大変驚き、「しのんちゃんは、迂回路使うと思ってたよー」とか、「まさかこっちを降りられる様になってるとは思ってなかったよー」と、褒めて下さった。(かつての酷さを知らなければ、別にほめる所では無いと思われるが・・)私は心の中でこっそり、戸隠のドン・イシイさんにお礼を言った。「とにかくどんな斜面でも降りて来られる様にしてやる。」という、イシイさんの言葉を思い出す・・。 私はすっかり得意になり、なんども「ブラックコース」を滑った。しかし、ベース付近のゴロゴロ雪が嫌だった。すると今度は、クラブの皆さんが、「レッドコース(16°/21° 360m 中級表示)」を利用して繰り返し練習している所に遭遇した。中級表示は基本的に、自ら進んでは行かないのだが、ヤマシタ氏に、「さっきのが滑れたんだから、これぐらい降りられっぺ」と、勧められて、ちよっとチャレンジしてみる事にした。コースも約360m程度で短かく、幅も広かったので、駄目でも何とかなると思った。 レッドコースは、ブラックラインリフトの終点よりさらに上部にあるコースで、ベース付近より雪質が格段に良かった。レッドラインリフト(W 315m)に乗車し、スタート位置に立つと、思っていた程の圧迫感も無く、何とか降りられそうなイメージが湧いた。 イメージが湧いてしまえばこっちのもので、また大きなボーゲンを作って、慎重にだが、滑り終える事が出来た。もちろんクラブの方達は、ショートターンやウェーデルンなど、それぞれの目標にあった練習をし、ビデオに納めていた。しのんは邪魔にならないよう、コースの端を使って滑った。しのんよりずっと上手な人たちが、いろいろ細かい注意を受けて、精進しているのに、こっちは「ちょっと急でもすべれた。」という理由だけで褒められた。まさおさまと行くと、絶対褒めてくれないので、しのんは気分が○印だった。 それから、今度は「ブルーラインリフト(W 732m)」に、皆さんが行くと言うのでついて行った。「ブルーライン」は、終点から、「ブルーハイウェイコース(9°/18° 1400m 初級表示)」「ブルーインコース(14°/28° 1000m 中級表示)」「ブルーセンターコース(16°/32° 800m 上級表示)」「ブルーアウトコース(15°/28° 900m 中級表示)」と、4種類のコースに分かれていた。明日行われる、千葉のスキーヤーのとある大会では、「ブルーアウトコース」にポールをたててレースを行う事になっていたので、クラブ員は、「ブルーアウト」に向かって滑り出したが、しのんは、最大斜度28°にびびっていたので、かわいく!?ブルーハイウェイへと孤独に逃げ込んだ。全体的に細めのコースで空いていた、先ほどレッドコースを滑ってしまった私にはちょっと物足りなくなっていた。 ブルーラインリフトは、ちょうど「ブルーセンター」と「ブルーアウト」のコースの間に架かっていた。「ブルーアウト」を次々とさわやかなスピードで練習するクラブ員の方々の様子が、リフトに乗りながらにして、見る事が出来た。知り合いがすいすい滑っているのを眺めていると、今度もまたまた強気に、滑れる様な気分になってしまい、ちょっとドキドキしながらも、「ブルーアウトコース」を、自力滑降してみる事にしたのである。 滑り始めは、緩斜面が少しの間続き、それから、最大斜度28°の壁へ、でも不思議と今日は強気だった。きっちりとボーゲンを整えると、ずるずると滑り降りて行ったのである。(その横を練習中の他のクラブも含む明日の大会の出場者たちがさっそうと滑って抜かして行った。邪魔してすみません。) 「楽しかった」 心の中は満足感で満たされていた。滑る格好など、今はどうでも良かった。キロロでしのんを搬送したサカイサン。志賀高原で「死ぬぅー」だ何だと言って、困らせた「ヤベさん」「ヤマシタさん」の前で、私は最大斜度28°を滑り終えたのである。特にサカイサンは一緒に喜んで下さり、「明日の大会、しのんちゃんも出れば?」とまで言って下さった。(しかし、ポールレッスンを受けた事が無く、ポールどおりにターン出来ない私は、「ポールの所以外でも何回もターンしても良い?」と聞くと、ヤマシタ氏にあっけなく「だめ」と、いわれてしまった。)でも、私は大会の「うぐいす嬢」としてここに来たのだ。自分が大会に出てしまっては、だれが「ほーほけきょ」という役目をするのだろうか。と、思い、サカイサンの折角のお誘いだったが、丁寧にお断りをした。 また、その間に、今回の大会に優勝候補No.1と名高い、コヤマさん(1997.12.12にも、キロロでレッスンして頂いた事がある/1998シーズンキロロ編参照)が、クラブ員の女性3名とともに、おまけでしのんにもレッスンをつけてくださって、充実した一日だった。 宿泊した、花木の宿は、村営だったか三セクだったが、とても趣のある宿でした。イチオシです。 宿では、明日大会に出場する方々が、あたためて溶かしてのばすワックスを何層にも塗って手入れをしていて、明日への意気込みが感じられた。しのんのワックスはスプレータイプでスポンジでぬりぬり〜である。 夜は飲みながら、明日の大会の話や、技術的な事が熱っぽく語られた。「クラウン」というなんだかすごい資格をもっておられるコーゾーさんとも、ちょびっとだけお近づきになれて、またまた嬉しくなった。よけいな事だが、サカイサンが部員の皆に口々に、「お前になぁ坊はもったいない」と言われて、「なぁ坊がどんなに自分の事を好きか」を熱く語っていた。ごちそうさまでした。 1/29 天気は良好!絶好の大会日和である。 今日も朝早くからスキー場へ向かい、まずは大会の準備へ。出場した人全員に参加賞が出るので、それを仕分けした。また、上位入賞者のメダルや副賞なども整理されていた。そして打ち合わせ。と言っても、滑降順のリストと、時系列で書かれた運営段取り表を受け取って、どこを読むかを指示された位だったが・・・(あと、参加賞を一つしのんにもくれるとのこと。ちょいと、うれしい。) 屋内での準備が終わって、本日は貸し切りになっている「ブルーアウトコース」へと向かった。「ブルーラインリフト」乗り場より少し上部に、小さな高床式の小屋があり、そこに放送器具が備え付けられた(石油ストーブも設置してもらった)。それから、大きなタイム表示時計がゴールのリフト乗り場付近に設置されていた。千葉県中から多くのスキーヤーが集まってきていて、10本20本とポールを持ちながら、あの急斜面をトラバースで降りてきつつ、ちゃくちゃくとポールが立てられていった。(すごいなー。こんな急斜面をあんなポール持ちながらするすると降りてくるよ・・)と、感心した。 ポールの準備が終わると、今度は、参加選手が一人数回に限り(ちょっと回数忘れてしまいました。)コースを確認する為に滑る事が出来る時間になった。すいすいと滑るのではなく、わざとボーゲンでゆっくりと滑り、コース整備も兼ねているのかな?と、思われた。(真実は分からないです。しのんが個人的にそう感じたので・・) さて、華々しく大会は始まった。しのんは「ゼッケンNo.○番。○○選手。(所属)○○。スタートしました。」と、200人分位読む。という仕事だ。横に座った大会役員のヤマシタ氏が、スタート地点より、無線で合図があると、しのんに指示をだしてくれるので、その度に、その次の選手について、名簿を読むだけの簡単な仕事だった。ヤマシタ氏自身も選手なため、途中、別の方が代わって指示を出して下さったが、競技は順調に進んで行った。 あるチームなどは、タイムもすばらしかったが、猿の全身タイツのコスチュームに身を包んで滑っていて、真面目な大会でこれをすることについて、賛否両論あるとは思うが、しのんの目は楽しまさせてもらった。 そして、やがて大会も終盤になり、最後の番号のゼッケンをつけた選手がゴールラインを通過したため、競技終了をアナウンスするように指示された。 「以上を持ちまして、競技は終了いたしました。」 と、はっきりと述べると、マイクのスイッチを切り緊張が解けた。・・・・がしかしその直後、コース上部から、最後から2番目か3番目の選手が降りて来た。「へっ。」放送小屋の中に気まずい空気がたちこめた。どうもその選手は、途中で転倒して板が外れてしまい、最後の選手に途中で抜かされてしまったらしい。との事だった。「あわ、あわ、あわ」その後、訂正のアナウンスをしたかどうか?あまり良く覚えていない。その選手にはちよっとかわいそうな結末となってしまった。 個人優勝は、予想どおり、Pityのコヤマさんだった。しのんは、改めて尊敬の眼差しで見てしまった。 チーム優勝は、どこのチームだったか、実は忘れてしまって覚えていない・・・また、2位3位の選手も、知らない方だったので失念してしまいました。 表彰式が終わり、今度はお片づけになった。スタッフですからね。滑る前にお片付けです。 そのあと16:30にリフトが止まるまで、また滑走を楽しんだ。 めったに出来ない体験をして、ご満悦のしのんであった。 そんなマイク好きしのんのアナウンスの歴史(おまけ) 小学校5年生で運動会の実況アナウンスをする。 中学校2年生でNHKの朗読コンテストにテープ審査であっけなく落ちる 中学校2年生で学校のキャンプファイヤーのアトラクションの司会をする 中学校3年生で体育祭の実況アナウンスをする 高校1年で、文化祭の後夜祭の司会をする 高校2年で、クラス対抗クイズ大会で司会をする(inマリンスタジアム) ただいま戸隠で知り合ったヒロセ氏のバンドで活動中(しかしMCは苦手。台本が無いと出来ない) その日の夜は、もちろん大会の結果等で盛り上がり、今日の大会に出場していたクラブの一つが、今日は同じ宿に泊まるとの事だったので、一緒に宴会をして、親ぼくを深めた。 しかし、何人かの方は、明日、用事があるとの事で、夕食を済ませた後、帰路についた。しのんは最終日まですべるぞ。 1/30 高畑にいる間は、ずっと天気が良かった。午前中の少しの間しか時間がなかったが、最後のひと滑りを楽しんだ。 それから、帰りはクラブ行きつけのラーメン屋に寄って、おいしい食事をする事が出来た。 スキーとマイク。しのんの2大好きな物をさせていただいて、また、大会運営の一端を担う事が出来て、戸隠でのイシイさんによって復活&強化された、しのんのボーゲンっぷりをみて頂く事が出来て、コヤマさんには忙しい中、レッスンまで受けさせて頂いて、もりもりもりもり盛り沢山な3日間だった。こんなスキーは、もう2度と体験する事は出来ないだろう。すばらしい思い出になった。でも、またやりたいな。(2002/12/26の涙の日記を読んでくだされ・・・しくしく) [前へ][レポートトップへ][次へ] |