| ふ〜れふ〜れ雪よ〜!降り続け〜!!(やけくそ) |
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●2001.1.27 玉原スキーパーク 車中泊(怒)!!!! ●おおすぃ・とりにぃ・まのっち・しのん・(みきぞぉ・なみちゃん・しらとり氏) これは、南国千葉の若者が、雪と戦い続けた感動の、記録である。(プロジェクトえーっくす調で) また写真ないの。すんまそん。
1/27 同じ職場の若者7人で、「川場スキー場」へ行く事になった。2台の車に分乗して。 おおすぃの車は、4WDのスタッドレスタイヤ。メンバーは、おおすぃ・とりにぃ・まのっち・しのん しらとり氏の車はラジアルタイヤをはいていた。メンバーは、みきぞぉ・なみちゃん・しらとり氏 途中、三芳PAでまちあわせであった。 午前2時30分頃出発 おおすぃ、家を出る。しのんをのせる。小雪が舞いはじめた。暗い空の下、ヘッドライトに照らし出された雪。30分後、まのっちをのせる。その頃には、ワイパーはかなりの早さで動いていた。さらに30分後、携帯に連絡する前から、外で凍えながら待っていたとりにぃを保護。うっすらと地表に雪が積りはじめていた。 首都高はまあまあ流れて通過、関越に入ると混みはじめていた。三芳PAには、すこし予定時刻を遅れて到着。遅れてしらとり氏の車が到着。 ラジオからは大雪のニュース。PAではこの先の渋滞赤ランプがだだだっと点いている。この先が思いやられそうだ。けれど、ナビは到着時刻7:30を示していて、川場いっぱいのパウダースノーが私達を迎えてくれるに間違いない。と、確信した。いやがおうにも気分がもりあがるあがる。 突き進む私達。川越ICを過ぎ、東松山ICの頃には、期待は不安へと変わりはじめていた。のろのろのろのろと走る車車車。渋滞である。それでも花園ICを越え、しらとり氏CARに電話。おおすぃCARよりだいぶ遅れている様子である。三芳で5分位遅く出ただけなのだが、途中、チェーンを取り付けていたため、差が開いてしまった様なのだ。 そして、寄居PAを過ぎた頃、しのんに異変が。おおすぃCARは、しのん以外みんな男子だ。しのんはお手洗いに行きたくなってしまった。上里SAまで我慢したい所だが、分速数メートルか数十メートルと見まがう進み具合である。渋滞しまくっている高速にのっていても仕方が無いという空気も手伝って、おおすぃCARは「本庄児玉」で高速を降りた。コンビニを探すことにしたのだ。到着予定時刻7:30はとっくに過ぎ去っていた。 そうして高速を降りると、そこそこ車が流れていた。歩道には雪が15cmほど積もっていて、路駐した車から道路反対側のコンビニまで歩くのも大変であった。 お手洗いをかり、みんな小腹が空いて来ていたので、おにぎりやパンを買い求めた。もうリフトが動き始める時間だ。ここはどこだ、埼玉だ。 普通道をつたって、それでも車は流れていたため、じりじりと目的地「川場」に向かって行った。あと50km位の時に、しらとり氏CARのみきぞぉからTELあり。 「もうスキー場に着くのは無理だから、グルメツアーに切り替えて、引き返そうよ。どこかで美味しいものを食べて帰ろうよ。」 しらとり氏CARは、まだ本庄児玉に着いていなかった。全く車は動かないらしい。みきぞぉの言う事ももっともだ。がしかし、われわれは、あと50km弱で川場に着くのだ。もう高速を降りてからだいぶ走ってしまっている。引き返すのはもったいない・・・・・みきぞぉの申し出を断り、突き進むおおすぃCARの4人。これが運命の分かれ道だとは知らずに・・・ ぼくらは、9時も10時も走り続けた。そして途中で、「もっと近くにスキー場ないかなぁ?」との思いが強くなり、ナビで探す。あったあった。5kmぐらいしか変わらないが、「玉原スキーパーク」があるではないか。行き先は、玉原に変わった。一刻も早く、滑りたかった。 先ほどコンビニで購入したパンやおにぎりをほうばり、その後はどこにも寄り道せず、昼も食べず、ぼくらはがんばった。細い国道ぞいの家々の軒先には、雪だるまが作られて、かわいい・楽しい、と言うより、走行の邪魔であった。雪だらけの道。 午後1:30 ぼくらはとうとう玉原スキーパークに到着した。 はっきりいってばかだ。 でも、まだ、4人ははしゃいでいた。「着いたー!」と叫び、いそいそと準備し、リフト券を買い、まのっちとスキー場初体験のとりにぃは2人でボードを借りにレンタルへと走って行った。玉原はナイターは無い。ぼくらは昼食を諦め、4時にリフトが止まるまでは、とにかくスキーを楽しむ事にした。 最初のリフト(第一B線 696m)に乗ったときには2時を回っていた。場内アナウンスでは、関越が大雪のため通行止めになっている事を知らせていた。しのんがトイレに行きたくならなくても、高速を降りる運命だったのである。 一方、しらとり氏隊の3人は、本庄児玉で引き返し、インターのおじちゃんに「帰るのが正解だよ今日は。」と励まされ、なにか美味しいものをたべて、2時過ぎには千葉に着いていた。(と、後で聞いた。) まのっち先生と、とりにぃ生徒は、ボードの初心者練習をする為、ファミリーコース(750m 5°/10°)に残った。しのんとおおすぃは、第2リフト(1363m)で奥へと向かった。そして、まずは滑りはじめということで、緑の初級者ライン「チャレンジコース(650m 10°/16°)」へと向かった。(なんで初級者コースのネーミングがチャレンジコースなのか、一度聞かせてもらいたい。「チャレンジングなバーン」ではなく、「初心者さん、どう?ちょっとチャレンジしてみない?」という意味なのだろうか?) しのんは、この頃、板を揃えたい気持で一杯だったが、まだビミョーなボーゲンを抜け出す事が出来ずにいた。おおすぃは、「ぐっと」とか、「こう」とか、時々感覚的なアドバイスをしてくれたが、しのんの板を揃えるにはいたっていなかった。っていうか、「ぐっと」じゃわからん・・・ おおすぃはスクールに入った事は無く、スキー雑誌などの誌上講座をじっくり読んで、それを実践している人である。やっぱり運動神経のある人は違うなぁとしみじみ思う。コブだらうがなんだろうが、おおすぃはすぃすぃと滑り降りて行った。 雪面は、わりとふわふわだったが、降り過ぎて荒れている場所も見受けられた。ピステンしてほしい・・・。2〜3本滑ったら、まのっち、とりにぃと、上がって来て、4人で滑る事になった。フォレスターコース(1600m 10°/18°)を行く。チャレンジコースのが斜度は緩いのだが、片側切れ落ちで、しのんの不得意とする所である。フォレスターコースは幅が広く、ボウル状なので、コースアウトの心配が無い安心のルートである。 さて、とりにぃは、初ボードなのだが、ふだん運動神経がとてもよろしい人なので、もうなんとか形になって来ていた。30分前に始めたとは思えない状態で、思いきり良く滑り出した。とちゅうごろんごろんとひっくり返っていたが、「おもしれーなー、ボードって!!」と、すっかりスノースポーツにハマりはじめた様子。 そして、高速が通行止めだから、じたばたしたって無駄さ〜っという楽観的な気持が充満し、リフトが止まるぎりぎりまでスキーを楽しんだ。 夢の様にはかない2時間であった。 午後4:00リフトストップ。営業終了。 午後6時頃。前段にも述べたが、高速道路はいまだもって通行止めである。まずは温泉。と、たちより湯に向かい、本日の汗と疲れを流した。 午後8時頃。おおすぃお勧めのお店で、夕食を済ませた。高速道路の通行止めが解除される兆しは無かったが、まだ私達は上機嫌だった。 沼田インターの付近を通りかかると、閉ざされた入口に車が何台も止まっていた。私達は「まってても、いつ開通するか分からないのにねぇ」と言い、「下の道」で帰る事になった。千葉への到着予定時刻は12:30頃を示していた。何とかなりそうな予感。 しかし、その予感は間違っていたとすぐに認識をした。「下の道」は行きの高速道路の様に、行き場を失った車で溢れ帰り、渋滞を引き起していた。ナビの到着予定時刻は、1mも進まないまま1分経つと、1分遅れる状態を繰り返し、どんどん遅くなっていた。 午後11:30。当時携帯を持っていなかったしのんは、おおすぃに携帯を借りて、まさおさまに連絡。「高速が通行止めである事。下の道も渋滞している事。先に寝ていて欲しい事」の3点を告げた。 1/28 4人とも免許証を持っていたが、しのんは凍結した道路を他人の車を運転するなんて、と、ビビってしまい、他の3人が代わる代わる運転し、後ろの席では仮眠をとった。しのんはずっと助手席で一睡もしていなかった。それからまたトイレに行きたくなり、コンビニに寄ってもらい、コンビニに出来たトイレの長蛇の列に並び、皆をいらつかせてしまった。皆疲れきっていた。だんだん車内が険悪な雰囲気に包まれて来た。後ろの席に変わってほしいとまのっちにお願いしたが断わられた。しのんは助手席でウトウトしてしまい、「前の席なのに寝るなんて」と言われてしまったが、運転していないので、自分がまともに寝ていない事を言い返す事が出来なかった。 運転手までもがうとうととしはじめ、いつ玉突き事故を起こしてもおかしくない状態だった。じりじりと数分に数メートルという状態が続いた。 やがて、午前3:00頃、高速開通!! ナビで一番近い高速ICを探すと、なんと「沼田」だった。 この数時間は何だったのだろう。渋滞の中さまよい走った数キロ・・・。ナビは「沼田」にもどって高速乗りや〜と伝えていた。 「うぉぉ」 みながっかりした。哀しかった。そして教訓。 「大雪で高速通行止時は、インターから一番近いコンビニの近くで、車を止めてじっとしていよう。」 皆さんも、同じ状況にあったら、是非参考にして頂きたい。 高速に乗れたのは午前5時近くなっていたと思う。除雪され、オレンジ色の発熱ランプが中央分離帯にずらっと取り付けられていた。高速道路はとてもすいていて、8時前に、千葉県に戻ってくる事が出来た。最後は会話も無く、ただ、眠ってしまわない様に、標識がでてくると、「もうすぐだねー」と、つぶやき、運転してるまのっちが「そうだねー」と、力なく答えるだけであった。(けど、記憶の無い時間がまだらにあるので、多分寝ていたのだろう。)千葉にも例年稀に見る大雪が降り積もっていた。 行きとは逆に、とりにぃ、まのっちと車を降り、家に帰って行った。しのんがお家に送ってもらった時、8:30になっていた。おおすぃにお礼を言って、家の鍵を開ける・・・。「!」 プレステのコントローラーを持ったまま力つきているまさおさまが眠っていた・・・・ すぐに気配で目が覚める正雄さま。 「お前、いったいどこに泊まったんだ、え。」 まさおさまは怒っていた。しくしく。事のてん末を話して理解してもらったが、そうとう心配したらしい。人の携帯を借りて何度も電話出来なかったのだ。 わたしは携帯を買った。 それから、付け加えておくと、ひどい旅だったが、すぎてしまえは、強烈な笑い話の一つとなり、いつまでも語り継いでいる。(わしがだ。) [前へ][レポートトップへ][次へ] |