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「古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉」について
― S氏宛メールによる ―
一 1999-4-20
いつも拝見、鮮やかな解説、まことに感心いたしております。水に飛び込む蛙を見たことはありませんが、初めてお便り申し上げます。偶々、「路通伝書」の中、「十体第一 心之感」に、「発句ハ」として「古池」の句と並べて、
蓑虫の音を聞に来よ草の庵
この句を挙げているのを見ました。これまで、あるいは庭の不審な音の正体を明かした句であるか、と思案しておりましたが、路通が(あるいは伝書であるから芭蕉自身が)、聞こえない音である「蓑虫の音」と並べるからには、「水の音」もやはり聞こえない音なのだろうか、と考え直しているところです。
二 1999-4-23
早速、ご返事を頂けるとは、びっくり、嬉しくなりました。それから、思案をまとめて、見て頂こうと苦心いたしました結果が、以下の通りです。山家集に、「かはづ」と詞書きして、
みさびゐて月もやどらぬにごりえに
われすまむとてかはづなくなり
この歌が直感されます。「みさびゐて月もやどらぬにごりえ」は古池。ある本に、古池とは、炎暑を前にして水底に散り積もった落ち葉などを浚い水替えをする、その前の池、人の手を入れてない春の池である、と見た覚えがあります。探してもどの本なのか、今は思い出せません。庭池は人工物であるに違いありませんが、造化の働きにしばらく随って、古池となります。そこに、「われすまむとて」、蛙が「とび込む」、「‥するするっとスムーズに入っていく」。蛙の「すまむ」と言う意志は、古今集いらい、その声がすなわち歌となって聞かれてきたのですが、俳諧においては、聞こえない水の音を聞くことで知られる。蛙の、月の代わりに「われすまむ」と言う意志は、歌と俳諧の境界上に表れた、造化の天工の小部分である。これを俳諧の側から認識する、すなわち造化の音を聞く。「笈の小文」に、「‥しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす」とあります。物理的には聞こえないが、存在を否定できない水の音を聞くこと、それが、「造化にしたがひて」俳諧としての風雅を表すことだ。
さて、「古池の」句は、このようにして、蛙の「われすまむ」という、造化の意志を示し得ましたが、一方、人の手によって火櫃に放り込まれた蛙の話があります。「枕草子」百七十七段「村上の先帝の御時に」(どうか、お手持ちの枕草子をご覧下さい)。「雪のいみじう降りたりける」日の、平穏無事な宮廷の人々の暇つぶしです。ある人、「(雪を)様器に盛らせたまひて、梅の花をさして、月のいと明きに」これで歌を詠めと、帝から賜ったものを、「雪月花の時」と奏したのは、含意必ずしも明らかではありませんが、「お暇なときは私こそが遊び相手」という返事でしょうか。そこまでは良いが、ついには火櫃に蛙を放り込む者がいたらしく、不審な煙があがるのを見てきて歌を奏す(歌は略します)。清少納言はこの話を、「蛙の飛び入りて焼くるなりけり」と説明してありますが、これは韜晦、自ら火櫃に飛び入る蛙があるものか、古池の蛙が、暇人の慰みものにされているかのようです。貞享の今に至るまで、俳諧をこういう話のようなもの、暇人の慰みもののように考える人々がいる。句は、新しい俳諧を宣言したもののようです。
ついでに、蓑虫の音は、「枕草子」四十一段「虫は」では、「ちちよちちよ」と鳴きますが、この蓑虫は「なぞ」だろうと考えています。蓑虫は、秋風が吹く折にはきっと迎えに来るからと騙されて法師にされた子。集歌に遍在する「なぞ」を聞く、その聞こえない音を聞きに来よ、「蓑虫の」句は、そういう俳諧をしようという誘いでしょう。
読み難いものを、お見せしてしまいました。ありがとうございます。
三 1999-7-3
先の4-23の私のメールは、やや調子に乗った勇み足であったと反省しております。おもわず、蓑虫の音に引きずられた、もしくは「水の音などするわけがない」というあなたの正しい観察に迎合したのでしょう。「聞こえない音を聞く」と言えば格好が良いかと。
と、ここまで書いて考えが纏まらずに中断しているうちに、テレビ・コマーシャルの、睡蓮の葉から蛙が飛び込む、水の音がハッキリと聞こえてきました。何という事をするのでしょうか、テレビは。あんなに綺麗な小細工が、鰐に乗ったバドワイザー蛙と同じ手口の嘘だとは、いったい誰が見破ることが出来るでしょうか。
先のメールの儘では、あたかも芭蕉句が、机上の西行歌と枕草子(角川文庫)百七十七段の蛙を取り合わせてでっちあげたかのようでした。やはり嘘でも、水の音はあったことにしたい。なにか、句の核となるものが、作者に与えられていなければならないから。
春になったある夜、庭池の不審な水の音を聞いて、芭蕉は月明かりに目を凝らして、水銹に覆われた水面を見た。造化の小さな身動きの音を核として、「なぞ」は俳諧として結晶しようとする。
魚の跳ねる音だったかもしれないが‥。朝になって、庭池に蛙が出現したのを見て、陽光の中では聞こえない音も、月明かりの静寂の中では拡大されるのだから、かの音の正体はこれこそと即断した。動く物が水に入るときに、彼の、「われすまむ」という意志が、音にならないならば不思議。造化の小さな身動きが発する音を聞いた。西行が彼の声を聞く、その声よりも一夜だけ早く、俳諧が水の音を捉えた。
繰り返すようだが、以上を手順として追えば、次のようでしょうか。ある夜、芭蕉は庭池に不審な水の音を聞いて(正体は見ていない)、「かれはなにぞと、見よ」という内語、すなわち一つの「なぞ」を得た。むろん「なぞ」の、問いと答えとは既に一組となっている。果たせるかな翌日の夜になって(日中にも、蛙の姿は見ていないというのが正しいのかもしれない、水の音と声についての句であるから)、蛙の声が始まる。古池を、彼が領有したという宣言である。庭池は、彼の、「われすまむ」という意志の道具立てを加えて、古池つまり春の池となり、「なぞ」は検証を終わって、句となった。すなわち、芭蕉は蛙の声を聞いてから、この句を作った。
さて、この貞享三年(定説の作句年次)とはかぎらない、春毎に繰り返すだろう水辺の出来事だが、芭蕉は貞享三年になってようやくこの事実‐ある夜から、水の音が聞こえる、翌日(あるいはその翌日、または翌々日)、蛙の声・合唱が始まる‐に気づいたのか、そんな筈はない。これ以前、天和二年の大火で芭蕉庵を失い、同所に新築後も、貞享元年八月以来九ヶ月の「野晒紀行」の旅に出ているなど、非定住者のイメージがあるが、芭蕉と庭池の蛙のつき合いについて、年表を探る。
延宝八年冬深川に居を移す、鯉屋杉風所有の生け簀の番小屋だった家という。池は、生け簀を廃したその跡。翌々天和二年暮に起こった大火でその芭蕉庵を焼失。三年冬、同所に新築なった第二次芭蕉庵に入る。翌貞享元年八月「野晒紀行」の旅に出て、貞享二年四月末江戸に帰る。
すなわち、大火前には、天和元年と二年の春、新芭蕉庵では、貞享元年の春と二年の旅後の初夏、そして定説である作句年次の貞享三年春、と、非定住者芭蕉のイメージにも拘わらず、家を失くしていた天和三年を除けば、毎年、庭池の蛙の声を聞いているのだった。
句の材料としたもの、すなわち庭池の水の音と蛙の声の関係、「山家集」の「みさびゐて」の歌、そして「枕草子」百七十七段、これらは貞享三年の芭蕉にとって、どれも新鮮な感興をもたらす筈のものではない。古池のできごとを含めて、「蛙合」の連衆にとってもそれは同じことだ。もう一つ加えれば、二条良基「筑波問答」序の冒頭の一節も。
過ぎにし春の比かとよ、旧池の乱草をはらひて蛙楽を愛することありき。彼の孔珪を学ばざれども、折にふれて声々すだく、霞がくれの水の面は、げに両部の鼓吹とも聞きなしつべし。‥
「ふる池」の語が「筑波問答」にあることについて、「古」と「旧(舊)」と、表記が違うので「‥ややもすれば、見落としてしまうかもしれない。」と「芭蕉古池伝説」復本一郎が、「随斉諧話」夏目成美の記述を紹介している。ありそうでいて滅多に見ることがない「古池」の語が、表記こそ違え、連歌論書の第一に数えられるべき本の冒頭にあるのだった。
句の材料となったどれをとっても、偶感、即興とは縁のない巧まれた句であることが明らかだ。恐らく、当季当座というものとも関係がない。俳諧のための俳諧、プロパガンダとしての句なのだ。水の音を聞かせた蛙は、その後、諸声にて鳴くのである。この句を「蛙合」の冒頭に置き、次いで、「筑波問答」序の冒頭の一節の蛙楽に連衆の句を準えれば、かの句合一巻は、げに両部の鼓吹とも聞きなすことができる。
枕草子の蛙は、この段にしかないが、
‥火櫃に煙の立ければ、(村上帝が女蔵人に)「かれはなにぞと、見よ」とおほせられければ、見て、帰りまゐりて‥
この不審な煙の正体でした。女蔵人の、この観察が、どのような歌になったかといえば、
わたつ海のおきにこがるる物見れば
あまの釣してかへるなりけり
見えない海原を見る幻視に、「熾火に焦がるる‥蛙なりけり」という報告を繋ぎ合わせた。これを褒めれば、歌の道が見苦しくなるのを許す、という種類の歌だが、実はこの歌は、藤六集(藤原輔相)の古歌であった。この借り物である秀句は、不運な蛙がどこから来たのかという、さらなる不審を明らかにできない。この不審の連鎖が断ち切られたのは、借り物の秀句が、偶然、帝の御心にかなった事によるもので、悪戯も、蛙を放り込んだ手も、直ちに無いことも同然となった。火に放り込んだ手が無ければ、蛙は自ら飛び入ったのである。だから、清少納言もこの聞き書きを、「蛙の飛び入りて焼くるなりけり」と説明して済ませたのだ。
この段は、「歌など詠むは、世の常なり‥」として、自らの歌を封じる人、又は封じられた人(そして蛙)の見立て・秀句を主題とする。和漢の借用または剽窃を事とする人について語るのである。これを語る作者自身の言葉も少なく、また自らの例にもよらず(有りそうなものを)、聞き書き・引用によって語った。談林の、「飛体」と難じられた、異体奇矯の風の内側にあるものを、芭蕉が、この段を借りて明らかにするのだ。「飛体とて日々の変化をあらはす」談林の風は、この段に物語る、自らの歌を持たず、「をりにあひたる」引用・借用または剽窃を事とする人の機知に近い。
句は、貞享三年閏三月刊仙化撰「蛙合」の一番左として出したもの。しかし、それよりやや早く、同年三月刊水田西吟撰「庵桜」に、「古池や蛙飛ンだる水の音」の句形で出ているのが初出だ。
西鶴側近である西吟の撰集に、「飛ンだる」と、江戸談林俳諧の「飛体」の衣装を着けて出句した。芭蕉に対して、西吟のどのような勧請の言葉があったのか、ともかく、古池のような談林俳諧の沈滞を一掃すべき撰集の目論見には違いない。「蛙飛ンだる」の句は、この意気込みに応えた出句であり、解釈は無論、西吟らに任せられた。
句の材料となったもの、どれもが見易く、かえって滑稽の在り処を捉えがたいが、蛙となった芭蕉が、「われすまむ」と、撰集の領有を宣言したと理解すれば、その歴然たる水の音も、「庵桜」の連衆の賑やかな騒ぎのなかにかき消されるようなのが滑稽。しかし芭蕉に、談林の興廃は責任がない。出句に、芭蕉の親切心の挨拶を見るならば、句解釈を別にしなけばならない。蛙は、西吟ら、新しい撰集「庵桜」に力を尽くす人々のことであって、彼らが「みさびゐて月もやどらぬ」古池にどんどん飛びこむ(芭蕉もこの句によって‥)。そろそろ水替えの時期がきている談林の古池である。その聞きがたい「水の音」が、遥かな江戸の芭蕉に届く、若しくは聞こえなくても、きっと大阪は、富田・池田の辺りで、音がしている筈だ。それはやがて「庵桜」に、世に鳴り響く、蛙の諸声・蛙楽の両部の鼓吹となって、かの古今集仮名序の精神の一端を示すことになろう。
さて現実は、「庵桜」が、決してそのような撰集にならないのが、さらなる滑稽。出句された、一匹の蛙である「古池」の句は、恐らく火櫃に放り込まれるだろう。はるか江戸の沖にあって、談林の殷賑を恋いこがれるものがあるよ。彼は何かと見れば、出句の誘いに釣られた、一匹の蛙であったよ。
蛙は、火ではなく、水に飛び込ませたまじないの効験があって、暇人の魔手を逃れた。ならば、江戸に帰った蛙は、「蛙合」の両部の鼓吹を聞かせるに至ったのか。そうだ、といえばあまりにも宣伝をナイーブに真に受けている。芭蕉庵の古池も、いつもの春の蛙の声が、今年に限って特別な筈がない。それに、「古池」の句を人口に膾炙せしめた人々は、彼の芭蕉の弟子たるの利益を守ろうとして、この後ややあって俳壇に登場したのだ。
「古池」の句を、縁あって宿題に与えられたアマチュアとして、責めを果たしました。私の匍匐前進的解釈はここで終ります。書けば読んで貰えるものと信じている人は幸せな人です。私は、あなたとの僅かな縁に期待して、読んでいただくことを冀う者です。