その15:ハヤオとジブリの仲間たち(前編)
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いまさらこんなこというのもなんだが、宮崎駿といえば、いまや日本で知らぬ者はないほどの有名監督だ。日本どころか世界にもその名を轟かせている。『千と千尋の神隠し』がアカデミー長編アニメーション賞を受賞したのも記憶に新しい。 もはや「宮崎アニメ」というのは、「黒澤映画」とか「北野作品」というような一ジャンルになったとさえ言えるだろう。 で、大体の人が宮崎アニメ、好きである。嫌いという人は少なくとも私の周りでは見たことがない。 なぜ皆が皆好きなのか?100人いて100人ともイイと言うことなんておよそありえない。嫌いだという人も水面下では確実に、それこそ江戸時代のバテレンのように存在するはずなのだ。
じゃあお前は嫌いなのか、と問われれば、
すいません、大好きです。
なぜなら面白いからです。 と、なんの面白みもない答えではこのテキストはここで終わってしまうので、自分にとっての宮崎アニメというものを少し分析してみたい。
確かに『ラピュタ』のパズーのような男の子や、『紅の豚』のような男性、というかオス豚もいることはいるが。しかし圧倒的に少女が多い。これはなぜだろう。可能性を挙げてみた。 @女性の社会的地位の向上を見据えているから。 ……どれもしっくりこない、というかちょっとヤバいのも混じってるので、この件は棚上げにしたい。 ただ、そんな少女たちを含め、キャラクターたちに見た目の魅力があるかといえば、そうは思えないところがある。今はすっかり慣れてしまったから気にならないが、あれは結構地味だと思うぞ。これまた地味である世界名作劇場の絵柄をずっと引きずってきたような感じだ。 まあ昨今のアニメ的キャラクターの範疇には収まらない、ある種のオリジナリティがある、とも言えるが。魅力的とは思わないが嫌われにくい絵柄でもあるかもしれない。キャラの魅力とは見た目ではなく、やはりその行動や言葉であるということだ。
話はそれるが、男にとって永遠の3大女性アニメキャラ、というのがある。いうまでもなく、峰不二子、メーテル、ラムちゃんの3名だ。君なら誰を選ぶ?といわれ、苦悶し、のたうち回り、
「一人だけッスか?一人だけッスか〜?!」 と叫んでしまう究極の選択だ。悩んだ末に私はラ……イヤイヤ、ここに宮崎キャラって入らないよね〜ということを言いたかっただけである。
さて特徴その2として挙げたいのは、「空を飛ぶことへの情熱」ではないだろうか。『ラピュタ』は言うまでもなく、『ナウシカ』のメーヴェしかり、『トトロ』の飛行ゴマ(なんて呼べばいいんだろう?)しかり、『紅の豚』なんてそのまんま飛行機ヤローの話である。 宮崎氏の大空を思う情熱というのは本人も語っているとおりだが、これを作品内に具現化する手法は見事としか言いようがない。ホントに空飛んでる気分なのである。これが観てて気持ちがよい。 特に『ラピュタ』だ。オープニングのシーンで、シータが飛行船からまっさかさまに落ちていくシーンは鳥肌が立つし、ドーラの船の凧から見おろす雲の切れ間の海など、ちょっとしたシーンでもその高度と爽快さ、ちょっぴりの怖さを味わえる。 『カリオストロ』でルパンがカリオストロ城の屋根に登っていくシーンでもその傾向が伺える。その際の屋根を走り降りて隣の屋根に飛び移るシーンは、なにげに名場面ではないだろうか(って、もっと他にあるだろう)。
『カリオストロ』で思い出したが、私も最近めっきりルパンのモノマネをやらなくなってしまった。かつては風呂に入ってるとき等に、一人モノマネしながら髪を洗ったりしていたのだが――ってこんなプライベートを書く必要もないのだが。 よしやろう。やるなら今だ。今しかない。 『カリオストロの城』より、ルパンが囚われのクラリスに一輪の花を渡す場面より。
「い〜まはこれがせ〜いい〜っぱ〜〜い」
……まだイケるじゃん。
さてさて、宮崎アニメの特徴として最たるものは、エンターテインメントとしての完成度が非常に高いという点ではないだろうか。 冒険とロマンにあふれた物語、主人公たちの成長、そしてクライマックスに訪れる感動。これらがわかりやすく、それでいて安っぽく見えず、かつ物語世界に引き込まれてしまうところがその最大の魅力だ。 その点がきっちりしているので、たとえば『もののけ姫』のような重いテーマを持つ話も成り立つし、『カリオストロ』でとっつぁんが最後にクラリスに向けて言う「あなたの心です」という、クサイにも程があるセリフもすんなり受け入れられるのだろう。 (後編へ続く) 2004/5/9 |