宝塚の四季、季節の道標3月(梅だより、中山寺、大願塔、宝塚市長、公用車、ホリエモン、実刑判決)
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宝塚の徒然草

平成20年3月2日(日) 往生際が悪い国家
餃子事件で中国公安当局は相も変わらず自国での混入の可能性が極めて低いといっている。 日本の警察が科学的検証結果を示したのにこの態度である。 誰がどう見ても中国側で混入したのは明らかなのに、100%の確率がない(でも99.9999%の確率)からと言って下手に出ればこの木で鼻を括ったような話し方で来るのである。

いつかテレビで金美齢(キンビレイ)さんが「中国人は決して自分が悪いとは言わない」といっていたが、正しくその通りである。 しかし、こんな態度をその昔見たことがある。 そう、かつてのソ連も物の言い方がこれとそっくりで、自国を悪いとは決して認めない言い方をしていた。

両者に共通しているのは共産主義国家であるという点だ。 さすれば共産主義国家というものは、国家も悪いことがあるという事を認めない考え方なのであろうか。 そんな事はないと思うが、現実はどちらもこの通りである。

傍から見れば、一見一枚岩のように見える国家だが、こうした国こそ、その実内側は案外もろいのではないだろうか。 何故なら、不満のマグマが外に排出出来ずに内側に貯まり、圧力を増すからである。

しかし、日本から見ればそんな中国は非常に滑稽で幼児的でもある。 日が付く新聞社さんはどうなのかな、頭隠して尻隠さずという言葉があるが、今の中国は正にそれである。 0.0001%の確率しかないのに自分の国に非が無いと恥ずかしげもなく堂々?と言っているのだらから。

どうやら、無理を通せば道理が引っ込むと思っているようだが、それこそ、中国の常識は世界の非常識。 更には知らぬ存ぜぬを通していれば、いつかはこんな事件を忘れてくれると思っているようだが、しかし、それは逆効果しか生まないであろう。

こうした場合、真相を究明しようという態度こそ信頼を回復する最も有効な手段であるというのに、情けない事に全く理解していない、否、理解しようとしない国家である。 体面というしょうもない物で目隠しされて。

それもこれも北京オリンピックを成功させたいという思いなのであろうが、それでもこんな事件を解決するのは真摯な態度以外ないというのに・・・・ が、悲しいかな現実は真実を餃子の皮で包み隠そうとしているのである。

これでは中国製品は世界から益々信頼されなくなるであろう。 ほんとに往生際が悪いったらありゃしない国家である。 おっと、お隣にも同じような国家がおましたわなー。

ありゃー確かアンパンマン、いや、ヤッターマンに出てくるようなトンチャン大魔王国家だったと思いますが・・・。 ほんま、こんな処はようー似てますわ。

平成20年3月8日(土) くじらの捕獲>スペインの闘牛
3月も3日の雛祭りを過ぎると日差しも温かくなり、中山寺の梅林も満開になってきた。 今年は厳しい冬であったが、ここへきて春近しの感がする。 とは言え、十何年も前のことであったが、3月にどか雪が降ったことがあったが、今年もそんな予感がする宝塚である。

ところで、アメリカの環境保護団体「シーシェパード」が日本の調査捕鯨船団に悪臭がする液体入りの瓶や白い粉の袋を投げ込む事件があった。 しかも、これで2回目である。

ビデオに映っているきゃつらを見ると、環境というよりも、クジラを盾にして単に面白がって物を投げているようである。 端的に言えば論理も何もない単なる苛め以外の何物でもない。

くじらという御旗を立てれば誰も文句を言わないであろうと云う白人にしか通用しない勝手な論理である。 こう言うのを典型的な白人優先主義者と言うのである。 中世によくあった、ヨーロッパ人が未開の土地に攻め入り、野蛮な奴らに我々文明人のルールを教えてやんだと云う、鼻もちならない論理、あれである。

その進んだ我々がくじらを補殺する習慣がないのに、野蛮な奴らがくじらを殺すなんて論外だ。 全く、何て残酷な、くじらを守れ!と言うのが彼らの叫びであろう。 かつて捕鯨の習慣があったにも関わらず?である。

但し、シーシェパードが心底そう思っているのか甚だ疑わしい。 が、この論理こそ他国の文化を尊重しない一番偏った論理である。 日頃、他国の文化を尊重すべきと声高に叫んでいる白人がこの程度の論理しかないのである。

そして、こうした白人が世界をリードしていると不遜にも思っているのである。 自然界は良くも悪くも他の命を奪って生きているのである。 そこには、自分が生きるか死ぬかと云う厳しい自然の掟があるからである。

だからこそ、そうした行為で一番大切な事は必要最低限の捕食しかしてはいけない事である。 つまり、日本の捕鯨をとやかく言うのであれば、スペインの闘牛はどうなのであろうか。 あれは、一番してはいけない生き物の命を面白がって奪っているのである。

古代ローマの剣闘士と同じで、人や動物の命のやり取りを観客席から面白がって見ているのである。 日本の捕鯨を非難するなら、まず最初にスペインの闘牛会場に乗り込むべきであろう。 しかし、おかしな事にこうした非難活動は今までも聞いたこともない。

更に、闘牛だけでなくそもそも牛を殺すのはどうのなのであろうか、牛も可愛らしい生き物である。 豚や馬はどないなん、あんたらはあの可愛らしい鹿に兎までも殺すようですな、おまけに、殺した動物をはくせいにして壁に飾るなどに至っては何をか言わん。

こうした事には目をつぶってくじらを殊更に標的にする団体は、否、捕鯨反対国は他国の文化を本当に尊重できない、非常に自分中心の考え方しかできない国であると云う事ができよう。 日本も威嚇射撃するなど、もっと反撃したらどない?なめたらいかんぜよ!と啖呵の一つでも切るべきであろう。

平成20年3月15日(土) ついに勃発中国の火種
三月も中旬になり、この処気温も上がり、電車の中でもコートを着る人がぐっと少なくなってきた。 やっと春が来たとは言い難いが、後少しと云った状況である。

ところでと言うか、ついに中国が内に抱える火種が再燃してきた。 今日の新聞によると、中国のラサで大規模な暴動が発生したとの事で、デモの規模は住民、僧侶ら300人から400人。

しかし、と言うか、お決まりの警察官の発砲により死者が二人出たと書いてあったが、これでこの種の紛争が治まるとは到底思えない。 死者が出たのであるから尚更のことである。

そんな思いでふとテレビを観ていたら、今度はインドのニューデリーでダライラマを信奉しラサの独立を志向するデモ隊が中国大使館を取り囲み抗議をしたと伝えていた。 こうした事がマスコミによって全世界に伝わることは、中国政府にとって最も避けたいことであったろう。

何しろ長年ずっと蓋をしてきたタブーなのだから。 が、いくら隠してきてもこうした不満のマグマは徐所に貯まるもの、そして何時かは爆発する時が来るのである。 それがこの時期になっただけ?とは思はないが、北京オリンピックと云うビッグイベントあるだけに、世界にアピールする絶好の時期である。

さて、これと同種の事がもう一つ中国には抱えている。 新疆ウイグル自治区の独立である。 こちらはテレビではいつぞやチラと伝えただけであったが、その時の印象では規模は未だ小さいように感じた。 しかし、鎮圧のトラブルがあったことは確かなようだ。

こちらの気運はその内表に出てくると思うが、本当に民族というものは難しいものである。 これらの民族の顔を見ていると、確かに漢民族とは明らかに異なっている。 自然な流れから云えば独立志向は当然のような気がしないでもない。

なにしろ漢の時代からこれらの国々は中国の支配下になったりならなかったりで、征服と排除の歴史を繰り返しを続けてきた地域である。 さて、今回火が付いた火種、蓋をしたい中国政府であるが、果たして見事消しおおせるか見者である。

だが言えることは、何時の時代にあっても人の口に戸は立てられない・・・これだけは確かな事である。

平成20年3月22日(土) ラサのデモに笑える中国政府のコメント
今日20日は春分の日だが、これから日も一段と長くなっていく区切りの日なのだが、夜の報道番組を観て、中国政府の外務省のコメントにはビックリした。 報道官曰く、今回のデモは殺人、暴動、破壊、暴動、こんなものがどうして自由なデモと言えるのだろうかと、外国のメデアに向けて臆めもなく言い放ったのである。

おいおい、冗談もいい加減にしてくれ、そんなら、ちょっと前の日本の常任理事国入りに対する中国人の暴動、破壊活動、あれはどうなんだろう。 駐留日本人に対する暴力、日本大使館の投石、建物の破壊、これは正当なデモだったのだろうか。

繰り返す、あれは正当なデモだったのだろうか。だとすれば、デモに参加した人を静止するわけでもなく傍観していた中国の軍隊の態度はどう説明するのだろうか。 もう一度訊ねたい、あれは正当なデモだったのだろうか、しかも日本政府はとうに悔い改めた60年前の出来事だというのに。

どこで聞いたか覚えていないが、中国人は恨みは岩に刻むと云うらしいが、それは何も中国人だけの専売特許ではないのである。 チベット族の人々においても同様なことが云えるようである。 無論ウイグル族も例外ではない。

ところで恨みを晴らす行動をもろに受けたご気分は如何なものであろうか。 しかも日本と違い中国政府の態度はチベットへ侵攻したその時のままである。 ここが決定的に違う処である。

中国のこの何とも云えぬ身勝手な論理は恐らく他の国々には通用しない論理であろう。 自分の身の上に非が降りかかると相手を激しく非難し、チベットを援助しようとすればその国を牽制する。 こうした論理は今や国際的に際立った光?を解き放ち、中国と云う国をくっきりと印象付けている。

平成20年3月29日(土) 塗炭の苦しみは中国の専売特許?
3月も末になり、宝塚の長尾山のあちこちから薄いピンク色の五月(山躑躅)の花が顔を覗かすようになってきた。 場所によっては群生している所もあり、そこは遠くから見ると一面淡いピンク色の霞がかかったような感じで、とても奇麗である。

又、いかなごの釘煮が食卓に上るようになり、これらの役者が揃うと関西に春がやって来たと感じるのである。 特にいかなごの釘煮については兵庫県の神戸を中心とした宝塚、尼崎、西宮、垂水方面ではこうした風習が盛んである。

只、大阪方面ではこうした風習はそんなに多くなく、いちがいに関西と一括りにはできないところがある。 ところで、最近どうしても注目してしまうのが中国の動静である。 無論、言わずもがなのチベットの問題である。

さて、今朝の新たな動きは、ドイツのメルケル首相が北京五輪の開会式に出席しないと明らかにしたことである。 更にスロバキアの首相も不参加を表明した。

これまでにポーランド、チェコ、エストニアが開会式の不参加を表明しているこのことであるが、こうした原因は中国政府のチベット人民に対する高圧的な態度にあることは言うまでもない。 特にダライラマ14世に対する居丈高な非難声明は何なのであろうか。

本来、チベットは歴史上は吐藩と呼ばれて、中国の唐や明などの時代では独立した国であったと思うが、清の時代に支配下に入り、清の滅亡後再び独立した。 しかし、1951年(昭和26年)に中国人民解放軍による侵略を受け、チベットは制圧されたのである。

と、これは急遽チベット情勢を調べた結果を書いたものであるが、 己の頭の中では「へえー知らなかった。人には占領されて苦しかったと言いながら、裏に回ればこっそり隠れて余所の国を何時の間にか占領している、とすれば、言ってる事としている事が凄く矛盾している」

「では、あの反日行動は一体何?」と言う疑問しか湧いてこない。 こんな素朴な疑問を持つ人は私だけ?・・・ が、これは学校教育の問題もある。 兎に角、近代史については憲法制定など極僅かのことしか学んでいないのである。

特に、戦後に至っては中国、韓国等、近隣諸国の情勢は触れてもいないので、知らないのはある意味当然?とも言えよう。 しかしである、あんなに日本の支配下で中国国民は塗炭の苦しみを味わったと言うなら、どうして独立したチベットを侵略したのであろうか。

1951年のチベット侵攻を、“封建社会からの解放”と中国側は言っているが、チベットの人々にとっては封建社会だろうが何だろうが余計なお世話である。 中国政府の知ったことではないからである。

正しく、現中国政府が世界の各国が抗議する人権に対する対抗要件としての「内政干渉」である。 それとも支配される塗炭の苦しみは中国だけで、チベットの人々はそうした苦しみは無いとでも言うのだろうか。

全く勝手な理屈が存在するもので、この態度は台湾政府、そしてウイグルに対する態度と同種のものである。 中国政府としては台湾を除き、絶対に国際的に知られたくない2つのアキレス腱、しかし、世界および日本のこうした経緯を知らない大方の民衆は、遂に秘密の扉を開け、その秘密を知ってしまったのである。

これまで「日本は中国に謝るべきだ」と贖罪の意識を声高に言ってきた日本のある種の人達は、今度の事態をどう見ているのであろうか。 圧政に対する塗炭の苦しみであればチベットも同じであり、ならば「中国政府はチベットに謝るべきだ」と抗議をしなければ筋が通らない。

が、そうした行動は取っているのだろうか、ニュースを観ている限りそうした行動は聞こえてこない。 であるならば、此れまでのそうした行動は自国と言う片方だけのものであり、60年を経った今、説得力は無いに等しい。

信念に基づく行動であれば、どこの国であろうと首尾一貫したものであってこそ、人はその人の言うことを信ずる?否、聞く耳を持つようになるのである。 又、「日本政府は謝罪せよ」と叫んでいた心根のさもしいone of chineseは、今度は自分の番である事をお気付きだろうか。

「中国政府はチベットに謝罪せよ」と叫ぶチベット人の抗議を真摯に聞く耳はお持ちであろうか、はてさてそうした度量はお持ちであろうか。 今の処、テレビで観ている限りにおいてはヒステリックに非難する態度に終始しており、自国の非を認める孔子が説く処の宗主国の度量は全く無さそうである。

なにせ、チベットと言う他人の土地を勝手に侵略して自分の国にしたのだから、それも自国が解放されて直ぐだというのに。 封建社会からの脱却というなら、まず、己の封建社会な態度を改めなければ世界の信用は得られないであろう。

兎に角、今のままでは、いずれ大きな動きに発展する予感がする。 そして、この民族の動きは誰にも止められないであろう。 そのトリガーは北京五輪後か、はたまた前か。 しかし、現在のように抑圧すればするほどこうしたエネルギーは限界点に向かって溜まっていく。

丁度、星々の爆発、ノバの様に・・・ そして、その原動力は中国政府の全体主義的な動きにあることは言うまでもないのである。 こうした解決策は最早独立しかないと言うのに。


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