| 宝塚の徒然草 |
| 平成19年10月13日(土) | レベル低き人々 10月になっても半袖と長袖が相半ばしていたが、12日になって長袖が暑く感じなくなってきたのは、季節を考えれば当然のことなのであるが、これも酷暑の名残りなのであろうか。 ところで、昨日は亀田選手対内藤選手のフライ級タイトルマッチがあったようだが、視聴率も高かったようだ。 試合は見る気もなかったが、今朝の新聞によると内藤選手の勝ちで、それも亀田選手の反則連発で最低の負けとのタイトルがついていた。 やはり、今までの試合は弱い外国人を相手に勝っていたことが、これで証明されたようだ。 「俺のパンチは宇宙一や」とか大口を叩いていたが、その宇宙というのは弱い外国人という極めて「閉じられた宇宙」におけるものであるらしい。 それにしても、試合前の相手に対する言葉使いが全くなっていない。 目上であれ目下であれ、戦う相手にはそれなりに敬意を払うのがこうした世界の礼儀ではないのだろうか。 少なくとも、かつてのボクサーが戦う前にはこんな汚い言葉は吐かなかったし、聞いたこともなかった。 それも、吐いている言葉が小学校の子どものレベルで、「この親にしてこの子あり」という言葉がこれ程ぴったりくるケースもそうないであろう。 偽腰痛サッカー横綱に「別に」の勘違い女優、どうやらボクシングの世界に限らずこんなレベルの低いガキ共があちこちにはびこっているようだ。 更に、土曜日の朝刊によれば、亀田選手のセコンドである兄や父親から「肘で相手の目を狙え」などの悪質な指示をしていたことが載っていた。 最早、語るに落ちるとはこのことであろう。 テレビのコメンテータなどの一部には、今だこうした亀田家をかばう発言も聞かれるが、芸能人特有の受け狙いを基本にした軽薄な考えでの発言はどんなものであろうか。 テレビという公共の電波を使っている以上、善悪に関する発言は視聴者のモラルにも影響を与えるのである。 特に、モラルが確立していない若い人達には悪影響を与えるのである。 それだけに物事を深く考えない軽い発言では困るのである。 しかし、こんな亀田家の人気を作為的に操ったTBS(とんでもない ボクサーを サポートする局)はこうした事態をどう見ているのだろうか。 こんなモラルがない、否、モラルが破壊された人々をさも英雄のように持ち上げてきた張本人である。 が、この局はこうした低レベルの選手が世間に与える悪影響よりも視聴率の方が遙かに大事らしい。 しかし、一方において、同局の報道番組などでは世間のモラルの低下を嘆いているが、これは明らかに自己矛盾しているのではないだろうか。 それもいうなら、まず己を改めることが先決であるが、何故かそうした気配は一向に見当たりそうにない。 「先ず、隗より始めよ」、この言葉をTBSを初めとしたテレビ関係者はどう聞くのだろうか。 マスコミは問題があった企業に対してはよく「自浄能力がない」と非難するが、果してTBSには自浄能力はあるのだろうか。 少なくとも、視聴者の一部であるこの身には、その機能は発揮されているようには見えないのだが。 |
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| 平成19年10月16日(火) | 見苦しきエクスキューズ 近頃巷を騒がせているものに亀田家という家あり。 この家の二男である大毅と申す者、先週金曜日のボクシングの試合において、王者である相手を投げたり、眼つぶしをしたりと、その卑怯な振舞い極まりなし。 のみならず、亀田家のセコンドにおいては「肘で相手の目を狙え」、「玉、打ったらええねん!」などの下品かつ野卑な指示があったとのこと。 これがテレビに流れ世間的に旗色が悪くなった途端、あれは亀田家独自のボクシング用語とのなんとも情けなき言い訳。 かような思いつきの、いささかお頭の足りなき言い様が世間様に通じるとでも思っているのであろうか。 ならば「亀田家は馬鹿」と言い、これは我が家独自の言い方で相手を褒めている意味である、と申せばこの家は納得するのであろうか。 とにかくお頭の中身は筋肉というか猿並みの言い訳。 又、試合を放送せしTBSの実況中継ではアナウンサーの亀田家よりの発言があった由、朝日や読売のワイド番組にては批判が挙がっている。 相手を投げし折は「若さが出ました」、内藤選手が流血せし折は「このままでは亀田が勝ちますね」などど、明らかに贔屓の発言であること疑いなし。 視聴率が取れ興行としては上々の首尾であったのかも知れぬが、テレビ局としての良心から見れば如何なものであろうか。 きたなき言葉で相手をののしり、相手に無礼な態度をとることをかなりの大衆が面白がり、視聴率が取れると見たテレビ局が強烈に後押ししおだてあげる。 その結果が亀田家を増長させ、こうした事態に発展させたは火を見るよりも明らか。 悪いときは悪いとはっきり申すべきであり、こうしたことも毅然と申せぬテレビ局は、最早、報道機関とはいえぬのではなかろうか。 係る事態にJBCは父親は無期限のセコンドライセンス停止、亀田大毅は1年間のボクサーライセンス停止、兄の亀田興毅は厳重戒告を発表したが、極めて当然のこと。 しかし、このTBSなる局はライブドアの折、堀江モンなる傲慢な輩をリーダーカンパニーよろしく積極的な持ち上げ方をしていたが、結果は皆様ご存じの通り。 そして今回の件とくれば、この局が煽て持ち上げる人物はろくでもない人ばかりと申すことができましょう。 一方で放送倫理委員会という組織があるが、ここは今回のTBSの放送をどう見ているのであろうか。 明らかに倫理観が喪失する人物であるのにそれを恥ずかしげもなく擁護するTBS。 同局のサンデージャポンという番組にては、今だに「この番組は亀田ファミリーを応援する立場」であると、同局の女性アナウンサーは恥も外聞もなく言い放つ有様。 もし何のお咎めもなしとなれば、一体何のための倫理委員会なるや。 もしかして実効性のなき対外的なエクスキューズ委員会と言われても何の申し開きができようか。 個人の考えはそれぞれ、自分のスタイルを貫けばいいとは亀田家の父親の言いよう。 しかし、この父親なる人物に決定的に欠けているのはその前提となる人としての倫理観と道徳観。 そして、TBSを含むテレビ業界に最も欠けているのは演出とか申す作為的に作られし虚像。 しかし、こうした愚かというも浅はかなるものはいずれメッキが剥げるもの、本物は作らずとも己ずから光を放つものである。 |
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| 平成19年10月23日(火) | 協会の人的能力 先週はとうとう大口亀太郎こと亀田家の話で終始してしまったが、今日の新聞を見ると、今度はTBSが朝青龍にバラエティー番組に出演させていたとのこと。 これも、日本相撲協会側は「取材の許可はしていない」としていたが、よく聞くと「最初はいいかと思ったが、時期尚早と思い取り消した」と言っているが、TBSサイドは許可の書類を貰っているとのこと。 新聞ではその辺のところは書いてないが、普通の会社であれば、書面で一旦許可したものであれば書面で取り消す処理をするであろうし、なおかつ、会社には控えを持っているであろう。 ところが23日付けの新聞では、TBSサイドからの申請は@ドキュメンタリー企画A帰国後のスタジオ収録とあったが、帰国後のことと勘違いし許可したとのこと。 しかし、後日そうでないことが分かり、TBSに取り消す旨FAXしたが時既に遅し、収録は行われてしまったとのこと。 勘違いか何かは知らないが、全く基本動作がなっていないというか、基本的な考え方がなっていない。 通常、いつ、何処で、何時に、誰と、どういう目的で収録するか、という初歩的な事項を確認しておけば「モンゴルだと分かれば許可しなかった」などと、たわけた事を言わずに済んだのである。 更にいえば、こうした申請用紙を事前に作っておけば何の問題も起きないのである。 こういう事にも思いが至らないとは、全く目も眩むばかりの組織運営能力である。 相撲取りとしては立派な成績を収めたかもしれないが、組織を運営する能力としてははなはだプアであると言わざるをえない。 野球界で言われるところの、「名選手必ずしも名監督ならず」というやつである。 人や組織は何かトラブルが起こったときに本当の力が発揮されるものであるが、とすれば今回の対応能力が本当の力ということになるのだろうか。 問題点を素早く見つけ改善できる能力、相手を説得できる能力、対外的に論理的に説明できる能力、こうしたものの土台となる豊富な知識等々、上部組織の人となるには様々な能力が必要なのである。 翻って協会の方々を見た場合、こうした能力は備えているのだろうか。 テレビを通して見る限りにおいて、失礼ながらこうした能力はあまり備えているようには見えない。 矢張りここはこうした能力をお持ちの方々に代わってもらったほうが良いと思うのだが、如何であろうか。 後一つ、又もやもめ事を起こしたTBSであるが、この時期は朝青龍にとって謹慎の時期であることは分かっているはずである。 なのに、どうしてかなり外れる占いの細木数子とやらの番組に出させるのであろうか。 最後に、テレビ局のディレクターと呼ばれる人達は、自分達がモラルハザードとなっていることに何時になったら気が付くのであろうか。 |
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| 平成19年10月26日(金) | 全国一斉学力テスト 先頃、43年ぶりに行われた学力テストだが、新聞に出ていた評点を集計すると結果は次のとおりとなった。
その昔、学力テストを受けた身とすれば、なんでこんな長い間実施されなかったのか不思議に思う。 実施に反対した理由は、学校間の競争に繋がるとのことであるが、何をいっているのかと思う。 競争はこの世間で何処でも行われており、学校だけがその例外でいいという理由はどこにもない。 過当競争は良くないものの、全く競争がない世界は逆に精神が弛緩し進歩が止まるだけである。 何事も過ぎたるは及ばざるが如しである。 今回のように実施すれば他県との比較ができ、その結果、自分の県の至らない点を見つけることができるのである。 そして、それを改善すれば学習指導力の向上、引いては学力の向上に繋がるのである。 ところで43年前、学力は都会が上で地方や田舎は下が世の常識であった。 しかるに今回の結果を見ると、世の中随分変わったものだと思う。 なにしろ、都会といわれる県が小学6年では6位の京都、7位の東京、中学3年では愛知が9位と、わずか3県だけとなっている。 特に総合ともなるとベスト10に一つも入っていない。それどころか41位の福岡に45位の大阪とワーストに二つも入っている。 この43年間でいつの間にか都会と地方で逆転現象が起きていたのだ。 特にベスト10では東北で3県、北陸も3県が入っており、ベスト5となると何と北陸3県が全て入っている。 つまり、地方別で見ると北陸地方が日本の学力No1ということになる。 こうなった原因は分からないが、言えることは都会の人達はこれまでの都会が上との漠然とした優越感を大きく変える必要があるということだ。 交通の利便性とか、店やビルが沢山あることによる生活の利便性と学習能力は何の関連性もないということである。 ところで、亀田家の謝罪記者会見が今日9時から行われたが、記者が反則があったと認めていいかとの質問に、そうであると答えていた。 父親はボクシング界から身を引くとのことであるが、当然とも思うが、会見の場に出てこないのはどうかとも思う。 今回の件で問われなくてはならないのは、スポーツをテレビ局が主導となって取り上げる事の是非である。 スポーツは何もしなくてもプレーをする事によって自然な演出力を持っているのである。 それを演出とかいうディレクターの浅知恵によって、受け狙いの不自然な形に捻じ曲げる事がいけないのである。 そこに不愉快さを感じるのである。 で、次なる問題は現在進行形の女子バレーボールである。 あの、不愉快なニックネームとプライベート映像の連続的な垂れ流し。 実力もないのにやたらスターのように持ち上げるあのやり方こそ、実はスポーツを冒涜しているのである。 |
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| 平成19年10月29日(月) | テレビ局の自己批判って? 宝塚の秋祭りも殆ど終わり、後は口谷の春日神社と荒牧・天日神社の秋祭りを残すのみとなってきた。 今年は残念ながら売布神社と清荒神・八坂神社秋の祭りでは不幸な事故があり、ゆっくりと引く地車(だんじり)であっても、本当に事故はいつ起きるか分からないものである。 ところで先週土曜日、折からの亀田問題に合わせたのかは知らないが、「たけしの日本教育白書」という特別番組で「亀田騒動ってなんだ」というのを久米、小倉、テリー伊藤で話すコーナーがあった。 久米氏が出ているので少しはまじめに論議するのかと聞いていたが、結果から言えば観るに値しなかった。 やはり民放が作る討論番組とはこの程度なのだなと思った。 まず、出演者が元アナウンサー、元ディレクター、タレントでテレビ局の利益代表者ばかり、つまりベクトルが同じ方向を向いているものばかりである。 滑り出しこそややまじめな感もしたが、亀田家を増長させたのはTBSを始めとしたテレビ局である、という投書の段になると、俄然雰囲気が変わり色めき立ってきた。 爆笑問題は「テレビ局に乗って亀田を持ち上げたのは世間、そして批判をしているのも世間、その同じ世間が批判できる資格があるのか」と言っていたが、世間全部が応援したのではない事を忘れている。 不可解なのはテリー伊藤氏、爆笑問題が「テリー氏が急に亀田を批判する側にまわったのは腑に落ちない。あれほど持ち上げていたのに」と問うと、 テリー氏は「前回の試合は反則をしたからである。それが無かったら、今までのあのスタイルでいいと思う」と答えたが、本当にそうだろうか。 更に同氏は、今回の謝罪会見の場において、「リポーターが追及をしていたが、あの追及は世間の反感を買うと思う。その内に、今度は亀田擁護が増えると思う」と一転して亀田擁護の構えを見せた。 つまりこの人は、大衆がなびく方向に自分の意見を合わせているだけであり、いわば風見鶏である。 反則の際は、ここで亀田擁護の立場に立てば、自分が世間から批判を浴びるのは火を見るより明らかであるので批判をした。 リポーターの追及については、内容云々よりその雰囲気だけで反発がありそうだと見て、直ぐに擁護の立場についている。 反則は駄目だとするなら、今までのモラルを著しく欠いた態度、言動はどうなのであろうか。 これらは社会のモラル、礼儀に対する反則であり、これについては「今まで通りの態度で良い」と言っているのであるから、明らかに矛盾した言い方である。 たけしや爆笑問題は、「新聞社は一斉に社説でテレビ局を批判する社説を載せたが、新聞社はお高くとまっている。同じマスコミで批判が出来るのか」といっていたが、少なくとも新聞社の態度はテレビ局とは明らかに違い、あおるような雰囲気はなかった。 やらせについては、テリー氏は「やらせは今までに沢山ある。やらせについては局内ではあうんの呼吸で言わない事がお約束になっている」。 「だからそれは問題ないと思うし、テレビ界は世間の人達にやらせの訓練を提供しているようなものである。だから世間の方がこれに慣れるべきだ」とまで言っている。 何という思い上がり、それはテレビ局内の論理であって世間に通用する論理ではない。 テレビという世間が注目する業界にいると、いつの間にか自分が娑婆の中心になっていると誤解しているようである。 久米氏は「テレビは番組という商品を買ってもらって、つまり消費してもらって始めて会社が成り立っている」 だから多少のやらせは容認して欲しい、と暗に言っているようだが、ならば、その商品は前提としてモラルが欠落しないようにすべきである。 全体的に言えるのは、こうした真面目な問題になると爆笑問題などは直ぐにおちゃらけてしまい、話を混ぜっ返してしまう。 こんな態度では亀田問題やテレビ業界の問題も含めたきちんとした検証ができるはずもない。 兎に角、自己弁護がだけがやたら目に付く、論議にもなっていない実に奇妙な話し合いであった。 真面目に見えたのは只一つ、題名だけであった。 |
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