宝塚の四季、季節の道標12月(宝塚市中抜け職員冬のボーナス、宝塚水と光の彩り、クリスマスイルミネーション、冬至、MBS、VOICE、団塊の世代)
 ホーム  徒然草   1月    2月   3月   4月   5月   6月   7月   8月   9月   10月   11月   12月

宝塚の徒然草

平成19年12月3日(月) 正しいお詫びの仕方
先週金曜日に朝青龍が日本に帰って来て、謝罪の記者会見を開いたが、恐らくお詫びについて来週のワイドショーはかまびすしいことになるだろうな、と思っていたら、案の定、出演者達は上げ足取りに一所懸命だ。

やれ、舌打ちをしただの、仕方なく謝罪をしているようだの、ペナルティーについては仕方ないとは真に悪いとは思っていないのではetc・・・。 いやはや物凄い大姑、小姑根性丸出しのコメントである。

更に、この手のワイドショーお得意の”申し訳程度の町の声”では、「十分に反省しているとは思えない」と言う声を中心に編成してあり、とどめはスタジオに来ている小母さん達に質問。 「貴方は今回の朝青龍の謝罪は納得できるか、イエスかノーか」ときたもんだ。

納得できない方へと誘導しようとする番組ディレクターの思惑どおり、スタジオの小母さん達は圧倒的に「ノー」の表示を出した。 これで番組ディレクターは得意満面、俺の意思どおりに民衆は動くのだ、と心で喝采を叫んだことだろう。

そして、この手の誘導はどのチャンネルでも同じで、どこかに違う視点で切り込む番組があってもいいのに、と思うが、金太郎飴よろしく切り口は全く同じ。 一人を寄ってたかって叩く一種の苛め状態、学校での集団苛めとあまり変わらない、こう言うのをメディアスクラムというのでしょうか?

過ちに対して、それを詫びる言葉は個々人が生まれた環境、大きくなる迄に何を学び、どう見てきたかによって出てくる言葉は異なってくる。 観ている限りにおいて、彼の言葉は適切さにおいて拙いところがあったかも知れない。

しかし、どんな巧みな謝罪会見であっても、今後の行動が一番大切なのはいうまでもない。 百の巧みな言葉よりも一つの行動が人々の信頼を勝ち取るのである。

だから、現時点においては彼の今後の行動を見てゆくしかないのである。 が、テレビ局はたった一日の謝罪で今後の全てを判断しようというらしい。

去年の秋田県殺人事件ではメディアスクラムが問題になったというのに、今回の香川県坂出市の報道ぶりはその反省の色もなく、またぞろ同じ事を繰り返しているマスコミが、である。

マスコミは操る言葉はブラッシュアップされて巧みだが、行動がその言葉ほどブラッシュアップされていないと感じるのは私だけだろうか。

平成19年12月5日(水) Getting beijing olympics ticket
3日月曜日のアジア野球選手権2007は野球で久々に興奮した試合であった。 こんなに興奮したのは昨年のWBC以来で、それ以前となるとグンと遡って、清原が西武に入った後の西武対巨人の日本シリーズになるだろうか。

それ程血潮が燃えたぎった試合であった。 これも国際試合という民族のプライドを賭けた試合であったからであろう。 テレビでは日本が台湾よりも実力が上であるように言っていたが、過去の対戦成績はアマチュアとはいえ負けていることがかなりあり、こうした楽観論にはどうかという思いで聞いていた。

それと国際審判というやっかいな問題もある。 昨年のWBCで見たようにとにかく審判のレベルが恐ろしく低い。 その恐れが早くも一回、新井の時に現れた。 明らかにデットボールなのに、御審判様の有り難いご託宣はファールとのこと。

スロービデオでは間違いなくデットボールなのに・・・、しかし、ここで抗議と怒りのタイムリーヒットで一点。 嫌な雰囲気を払拭する四番新井の貴重な一打であった。 しかし、ダルビッシュが本調子ではなく、無失点ではあるもののどうも不安がぬぐえない。

攻撃陣もその後無失点が続き、嫌な雰囲気が流れた六回裏、台湾のツーランを浴びて2:1で逆転を許してしまう。 Oh my god! 悲観ムードをこれでもかと煽るアナウンサーの絶叫、その声とともに観ているこちら側は時間が止まった。

試合の流れが一気に台湾に傾いた直後の七回表、球史に残る奇跡の反撃が始まる。 ノーアウト一、二塁で二塁ランナーをヤクルトの宮本に代えたのがミラクルの第一手。 ロッテ里崎のバントを台湾の投手は三塁に投げたが宮本はセーフ、その時、宮本は何と三塁手の足を払い一塁に投げられないようにしていたのだ。

何というハイレベルの技、正に珠玉の走塁、心憎いとはこの事だ。 そしてその次、ドリームチームでは誰も予想もできないミラクルの第二手、ロッテサブローの同点スクイズ。 これでビハインドが無くなりチームの緊張感が一気に消えた日本チーム、後はヒット、ヒットの嵐の連打。

今回のチームは以前に比べて長打力がないな、とやや不満に思っていたが、こうなると己の浅はかな考えはどこへやら、応援にボルテージは上がりっぱなしだから現金なものである。

九回新井のツーランで長打力も観れて完全に不満解消。 十分すぎるほどのダメ押しで、後は上原がキッチリ押さえて文句なしの勝利。 二失点とはいえ、気分はパーフェクトな勝利といっていいだろう。

総じて見れば、今回の勝利は明らかに監督の采配が大きくものをいっており、珍しいケースであるといっていいであろう。 こんな気分のいい勝利をもたらしてくれた星野ジャパン、大いに感謝すると共に北京での勝利に期待したい。

平成19年12月7日(金) ゆとり世代の学力低下
2006年国際学習到達度調査の結果、日本は前回の2003年に比べ、「科学的応用力」が2位から6位へ、「数学的応用力」が6位から10位へ、「読解力」が14位から15位へとそれぞれ順位を下げた。

これが2000年との比較となると「科学的応用力」は同じ2位から6位だが、「数学的応用力」は1位から10位、「読解力」は8位から15位へと大幅にダウンしているのだ。 そして、この調査の対象となった世代は、ご存じあの「ゆとり世代」なのである。

この順位を見て、ゆとり世代の学習指導要領を作った当時の中央教育審議会の先見の明に”うれし涙”が禁じ得なかった。 有り難う、貴方達の卓越した先見性のお陰でゆとりを満喫した、ついでに頭の脳みそもたっぷりとゆとりがある子ども達がこんなに沢山育ちました。

これで日本の将来は何の不安もなく安心して没落して行けることでしょう。 これまでのご尽力、ご指導に厚く感謝します・・・て、何でやねん、 ほんと、サザエさんちのカツオ君のテストを見た波平さんの心境がよく分かります。

そもそも日本は昔から資源が無く、そのため資源を輸入して高品質な製品を輸出する加工貿易の国であったはず。 そのためには、無から有を生み出す勉学が何よりも大切なはずではなかったのか。

戦後の知識重視型教育による詰め込み教育、受験戦争によって生じたとされる校内暴力や落ちこぼれ、そして苛め。 それらは子ども達の現状にゆとりが無いことがそもそもの原因であるとの認識から方針を転換したものであった。

そして、大幅とも思える教科書の削減に総合学習とやらの訳の分からない授業、加えて週5日制の実施。 ゆとりどころか赤塚不二夫の漫画に出てくるデカパン親父のようなゆるゆるの学習環境を与えたのである。

で、その結果はどうだったのか。 問題であった受験戦争はなくなったのであろうか、校内暴力はなくなったのか、落ちこぼれに苛めはなくなったのか。 答えはノーである、どれも無くなってはいない。 つまり、要因分析がそもそも間違っていたのである。

子どもにゆとりを与え、彼らの自主性を尊重すれば、子ども達はのびのびと自主的に勉強し友達を思いやる心が育まれる。 その結果、落ちこぼれや苛めがなくなり、校内暴力はなくなるという寸法だ。

ところがどっこい、現実はそうは問屋は卸さない。 ます、のびのびと勉強であるが、この時期の子どもにゆとりを与えればどうなるか、勉強どころか殆どが遊んでしまうのである。

子どもの自主性という声もあるが、彼らはこの時期、自主性というものを学んでいる最中であり、学校はその場なのである。 それを最初から備わっているかのように扱うことが土台間違っているのである。

子どもはある意味馬や牛と同じで、ある程度強制しなければ子どもは勉強しないのである。 彼らの自主性に任せて出来ることといったら、給食の時間ぐらいであろう。 ほんの一握りの自主性のある子どもを捉えて全体に当てはめることは誤りの元である。

次に、苛めを無くするための人を思いやる心であるが、この心はゆとりを与えたからといって育まれるものではない。 これは主に家庭環境の中で、父母、祖父母、兄弟から学ぶところが多いものであろう。

更に言えばテレビの影響も見逃せない。 特に、有名お笑いタレントが人の欠点を指摘して笑いを取る場面があるが、こうした行いはその波及効果が人を集団で辱める、つまり苛めと繋がっている事をこれらのタレントは知るべきであろう。

十数年も前の事になるが、こうしたタレントがお年寄りを小馬鹿にして笑いを取る芸風があったが、思えば学校での集団苛めが表面に出てきたのはその頃からではなかったろうか。

さて、この苛めであるが、これは人の心の中に潜む悪魔で排除は永遠のテーマ、無くなることは断じてない。 しかし、少なくすることはできる。 それは、人の嫌がる事を体験をすることである。

人の嫌がることは、からかい、苛めに繋がる大きな要因である。 自分はその圏外にいて、そうした環境にいる人をからかい、ついには苛めに至る。 苛めの辛さは体験したものにしか分からない、だからこそ己がその立場を体験するのである。

具体的には既に実施している学校もあるが、老人ホームの介護を体験することであろう。 介護の実体験から言えるのだが、あの辛さは想像を絶するものがある。 それを体験することで人の弱さを知り、自分も将来において例外ではないという認識をすることで、弱者にたするいたわりの心が育まれるのである。

但し、こうした中にもそうでない人は必ずいる。 そうした例外はともかく、総合学習などという授業よりも介護体験学習を全国の学校が取り入れれば、苛めに対するいくばくかのアンチテーゼになるのではないだろうか。

平成19年12月10日(月) 吉兆コンプライアンス
我が家のベランダにある小さな鉢の梅の木、よく見ると枝に小さい梅の蕾が沢山出来ているではないか。 この時期に、と、思うのは人間の勝手な考えで、梅にしてみれば来年の開花に備えて早くも準備段階に入っているのだ。 こんな小さな木にも自然の移ろいは着実で、その歩みはしっかりと感じ取ることができる。

ところで、船場吉兆であるが、この店で扱った多くの商品には原材料の不適切な表示や賞味期限の偽装があったとの事。 しかも、この賞味期限ラベルの張り替えは約10年前から行っていたとは、何ともいやはや・・・。

なんて、この経営陣のコンプライアンスを嘆いてみたところで、こうした店とは縁遠い身なれば、この店の害が直接己に関係するわけでなし。 見る人が見れば、単なる貧乏人のやっかみ、ごまめの歯ぎしり程度のもんであろう。

こうなりゃ落語に出てくる貧乏長屋の熊さん、八っあんよろしく、「へん、ざまーみやがれってんだ」、英語でいうなら「Look at zama-」、 「最初の会見で全て正直に言ってなかった罰だ」ぐらいに言っとかないと腹の虫が治まらない。

ま、いくらこちとらがこんな事を言ったところでこの料亭がどうにかなるでなし、所詮は別世界の話。 が、無責任に見れる対岸の火事とは正にこの事。 にしても、なんでもそうですが、初代は様々な苦労をして店なり会社を立ち上げるもんですが、代が下がるに従って気概、気骨が減少してくるのは本当のことなのですね。

三代目が身代を潰す、というのはよく聞きますが、今回の件は潰れる云々は分からないにしても、二代目というのはあまり聞きません。 それというのも、二代目さんは初代の苦労を見ていますから、モラル的には高いものを持っているというのが一般的な見方です。

とはいえ、全てにこうした法則が当てはまるというものでもありません。 「熊さん、よくお聞き、何事にも例外はあるものなんですよ」と、大家さんの言葉が聞こえてきそうな気がする吉兆コンプライアンスでございます。

平成19年12月12日(水) 日本サッカー界のエポックメーキング
サッカークラブ世界一を決める「トヨタ・クラブワールドカップ」で浦和レッズがイランのセパハンに3:1で勝った。 しかも、このチームは先日アジアクラブチャンピオン決定戦でも勝っており、今回の勝利は単なるフロックではないことを証明した試合であった。

これで13日(木)にはイタリアのACミランと対決することができるが、まさか、あの欧州チャンピオンのACミランと戦うことができようとは、本当に夢にも思わなかったことである。 しかも、親善試合ではないのだ。

それにしても、今回の浦和レッズの動きは攻守共早く、ボールを持った相手に対しても寄せが速かった。 更に、ルーズボールはよく拾っており、それがボールの支配率を上げた要因にもなっていたように思う。

こうした原動力は何といっても全世界に中継されている、つまり、全世界のクラブから見られていることが大きいと思う。 当然、活躍次第では有名クラブからお声が掛ることだって有りうる話で、選手達のモチベーションも嫌がおうでも上がろうというものである。

疲れていたとは思うが、つい先だっての天皇杯でJ2のクラブに敗れたチームとは思えない動きをしていた。 勿論、ビッグな賞金というインセンティブもこうした動きに拍車をかけたことであろう。

試合を観ていて、特に二点目のワシントンのシュートは凄かった。 ゴールキーパーにフェィントをかけて、わずかしかない角度からゴールを決めた技術はワールドクラスのシュートであった。

只、難点は失点のされ方。 敵陣でスピードのない横パスをインターセプトされ、そのままゴールされてしまうのであるが、この姿、ワールドカップでも見かけた失態である。 どうも、日本のパスのスピードは全般的にスロー、時にはお嬢さんパスも見られる。

これを指導者が言っているのかどうかは知らないが、いつまでたっても改善されない。 世界の上位チームのパスはもっと速いのを知らない訳でもあるまいに。

とはいえベスト4に入ったのであるから、うまくいけば3位になる可能性は十分有りうる。 只、現実的に考えて優勝争いするまでの実力は現時点ではないであろう。 しかし、3位になれば日本のクラブを世界にアピールする大きなチャンスになると思うし、アジアの実力、地位も見直されるきっかけになると思う。

頑張れ、浦和レッズ!

平成19年12月14日(金) トヨタ・クラブワールドカップ準決勝
12日(水)夜七時からの準決勝の第一戦、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズとチュニジアのエトワール・サヘルは、前半にボカ・ジュニアーズが1点を入れ、 後半にボカ・ジュニアーズがレッドカードで一人減ったもののそのまま逃げきった。

点数はたったの一点、しかし、その一点の入れ方に技術の高さをとても感じた。 ボカは左サイドにボールを持ち込み、相手ディフェンス二人に挟まれたものの、その足の間を抜いて早いパスを出し、それを受けた選手はすかさずボールをツータッチでコントロールし、 迫りくるゴールキーパーももののかは、見事マウスの中央上にゴールした。

これが、下手な選手であれば余裕がなくてシュートを外すところであるが、流石一流チームの一流選手。 J1やJ2の多くの選手とは明らかに力量が違う。 更にいえばロングパスの精度がとても高い。 1m以内の精度でパスを出しているが、これはJリーグの今後の課題であろう。

一方、13日(木)に行われた浦和対ACミランは、得点こそ0:1であったが、内容は明らかに大きな差があった。 ボール支配率は全体を通じて61:39でACミランが支配していたが、見た目には7:3のように感じた。

前半こそ0:0で善戦していたが、後半になると彼らの本来のスピード、リズムが出てきたように見えた。 パスの繋がり、スピード、精度、どれをとっても数段上。 早いパスも足に吸いつくように受ける。

更に感じたのはボールのキープ力。 レッズがボールを持って相手陣営に攻めこもうとしても、相手ディフェンスに直ぐに取られるのに対し、ミランがボールを持っている時はレッズが囲んでもなかなか奪えない。

後半68分、相手に点を入れられた場面では、あまりの速さに危ないと思う間も無い程であった。 カカからの早いバックパスをセードルフがトラップもせずにそのままボレーシュート。

誰も反応できない・・・これが世界一流チームのプレーだということを改めて見せつけられた。 が、うつむく必要はない。 日本にとって初めての世界を体験できたことが貴重なのである。

三位決定戦に向けてチームは気持ちを切り替えていることであろう。 もう一回、貴重な経験ができる場があること、そしてそれを観れることに感謝したい。

<世事雑感>
話は違うが、大阪府知事選挙に橋下弁護士出馬とのこと。 今週日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」では出演者から出馬の件でからかわれていたが、番組の最後にたかじんさんが軽く出馬要請をしたような気がするが、記憶が定かではない。

橋下氏は記者会見で、たかじんさんの「今しかない、行け。後は俺が全部責任持ってやる」との後押し発言で出馬を決めたと言っていたが、 この言葉、責任を押し付けあう人が多い中、久しく聞かない男気のある、そして管理職の鏡となる発言である。

パートに責任を押し付けようとした船場のどこぞの経営者とは大違い。 ところで、私の見る限り、この「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は、橋下氏の考え及び姿勢が一番よく現れている番組で、他局での受け狙いのちゃらけた発言とは全く別次元の彼の姿を見ることができるのである。

民主党の鳩山幹事長は、橋下氏を単なるタレント兼弁護士と思っているようであるが、そうであればとんでもない見込み違いをしている事に後で気付くであろう。

平成19年12月17日(月) ビバ!浦和レッズ、世界三位の栄冠
いやーよくやった、浦和レッズ、大沢親分は今度の日曜日に褒めてくれるだろうから、こちらが先に褒めましょう。 「天晴ー」、しかし何ですね、毎年開かれていたトヨタクラブ世界一決定戦、正式名称は「トヨタ・クラブワールドカップ」。

此れまでは日本のチームはお呼びでなかっただけに、何とはなしに観てはいましたが、今一つ力が入らなかったのが正直なところです。

ところが、今回はスポンサーの力でJリーグ枠が出来たと思ったら、どっこい、アジアチャンピオンになってしまって、お金の力でなく実力で出ることができた訳ですから気分も違います。 なんていうか、後ろめたい気分がないのがいいですね。

さて、この大会に出た浦和レッズ、サッカーを知らない人は兎も角、恐らく大半の人は決勝戦は無理、希望は三位ぐらいに思っていたんじゃないでしょうか。 で、試合展開は大方の予想通りの三位決定戦に進んだんだから、芝居だってこうもうまく筋書きは運べません。

さてお立ち会い、相手はアフリカ王者のエトワール・サヘル、南米王者のボカ・ジュニアーズといい試合をしたのですから、実力は浦和と互角かそれ以上。 気も何も、鼻毛だって抜ける相手じゃございません。

その不安が早くも的中。 前半5分、浦和デフェンスのファールでペナルティーキック、1点を取られていやーな気分で試合は進む。 しかし、35分にワシントンが同点ゴールで観ているこちらは一遍に勢いづく。

後半70分にワシントンが二点目のゴールを決めた時は、勝負の女神はこちらに目を向けてくれたのでしたが、 その5分後、相手の執念ともいえるゴールで再び同点。 勝利の女神は相手FWのあの手の顔がお好みなのか。

正にはらはらどきどきの試合展開、そのまま互いに決め手を欠いて胃の痛くなるあのPK戦。 ここで、サッカーの忌まわしいジンクス(自分の世界限定)を見ることができたのです。

それは、シュートをゴールポストに当てたチームは決して勝つことはできないという魔のジンクス。 エトワール・サヘルの一人目はシュートをゴールポストに当ててしまい、その魔のジンクスに触れてしまったのです。

こうなりゃ、このジンクスを抜け出す術はございません。 で、結果はご覧の通り、この魔のジンクスに魅入られたら、どんなチームも敗れるしかないのです。 逆にこちら側とすれば、ほぼ安心してPK戦を観ることができました。

それと気になったのが相手チームの四人目の選手。 意表をついたつもりの中央のソフトシュートでしたが、浦和のキーパーにコースを読まれて失敗の憂き目。 PKのシュートはソフトは厳禁というのが私の考えです。

全力で打てば、例えコースを読まれてもボールをファンブルする可能性があるのに対し、ソフトシュートは確実に阻止されるのです。 この手のシュートはテクニシャンの選手に見られがちで、ガンバ大阪の遠藤選手、浦和の小野選手などが上げられます。

ところで、この日の浦和は戦力的にはベストメンバーとは程遠い状態ではあったものの、見事世界三位の栄冠を勝ち取ることができました。 三位と四位はたった一つの違いであるが、名声というとてつもない栄誉が手に入るか否かの境なのです。

そしてそれは単に浦和レッズだけでなく、Jリーグ、更にはアジアサッカーの地位を大きく向上させる大きな力になったのです。 こんな歴史的瞬間を見ることができた浦和レッズの選手に改めて感謝したい。

それにしてもACミランは強かった。 あのボカ・ジュニアーズを4:2ですからね、野球でいえば8:4ぐらいに相当する点数です。 こんな状態のACミランと当たったらこてんぱん、当たらなくて本当によかった。

平成19年12月19日(水) 気がつけば年末
気がつけばメリー・クリスマスならぬニアリー・クリスマス、こんな変な言葉はないが、正しくは年末、また一つ年が行く。 人生に色々節目はあるが、二十歳は嬉しい節目、しかし、三十路は最初に迎える嫌な節目である。 若いという言葉はもう使えない、ま、二十歳代でもないから別段気にすることもないか。

さて、今年を振り返るに当たり、今年読んだ本で面白かった本ベスト3を列記してみる。
1:天切り松闇がたり(浅田次郎)
2:中原の虹(浅田次郎)
3:天璋院篤姫(宮尾登美子)

この他に憑神(浅田次郎)もあったが、今年は私にとって浅田次郎氏の別の面に魅せられた年である。 天切り松は単行本で読んだが、この本は1999年に集英社より出版されており、同氏のファンからすれば随分遅く読んだことになる。

<天切り松>
過去において本を読んで泣いたことはないが、この本を読んで初めて泣いた。 時代は大正ロマンの雰囲気溢れる大正初期で、場所は花の東京。 登場人物はスリの名人、中抜きの芸を持つ目細の安吉親分を始めとして、玄の前の技を持つスリのおこん姐さん、夜盗(ノシ)の説教虎弥、天才的な天切りの技を持つ盗人栄治兄貴、偽東大生の天才詐欺師書生常。

そのどれもが困った人を助けるために、その持てる天才的な技を駆使してお宝を頂戴するのである。 しかも、盗んだお金やお宝は殆ど自分のものには使わない。 更に、盗む先は取られても生活に困らない金持ちが対象である。

正に、日本人の好きな鼠小僧次郎吉の義賊の精神が底辺に流れているのである。 (若い人、この人知ってる?) 全ての話は最近の日本人が忘れかけていた人情話で、日本人の持つ琴線を心憎いばかりに突いてくるのである。

誰から聞いたか忘れたが、浅田次郎氏は別名「泣かせの次郎」というのだそうで、読んでみて、成程と頷ける。 只、電車の中で涙が出そうになったのは正直困った記憶がある。

<中原の虹>
中原の虹は、明治、大正時代の列強に翻弄される中国が舞台。 そこに、張作霖(チャンヅオリン)という満州馬賊の統領が満州を制圧し、中国(中原)の覇者となるべく山海関を越えるまでの話を縦糸に、虎視耽々と中国を狙う列強諸国に対抗すべく孤軍奮闘する西大后の話が横糸となる。

彼女に仕える宦官の李春雲(リィチュンウン)、東北の寒村に生まれ、貧しさのため自ら男性のシンボルを切り落とし、紫禁城の宦官となり、やがては最高位の大総管大鑑にまで昇りつめる過去を持つ。

光緒帝を戴き西大后暗殺を謀るも袁世凱(ユアンシイカイ)の裏切りで失敗し、日本に逃亡する科挙No1の梁文秀(リアンウエンシウ)、そして紫禁城の小島に幽閉される光緒帝。

更には、ラストエンペラーとなる宣統帝溥儀(プーイー)などを始めとする時代に流される清朝末期の皇族達。 これに軍を掌握する風見鶏の袁世凱(ユアンシイカイ)が加わり、こうした政変の流れを横から見つめるアメリカと日本人の記者、同じく張作霖を横から眺める日本軍の軍人など、こうした人々を抱き込んで清朝は最後の時に向かって突き進む。

これだけでも登場人物の多さに辟易するのだが、これに明から清へと王朝が代わる1600年当初の女真族の山海関越えまでの話が同時並行して描かれるのだから、読んでいる此方側は腹一杯になる。 そして、天命を受けた者のみが手にすることができる龍玉が象徴的だ。

更に、この本の凄さは、何年か前に出版された「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」と話が繋がっているのだ。 この二冊は既に読んだが、まさか三冊で話しが出来あがっているとは、想像もできないことであった。

中原の虹第四巻を読み終わった今、この時代の中国の世情が良く分かると共に、列強の介入を排除し中国人による国を創ろうとした当時の人々の強い思いがひしひしと感じられた。 それと、西大后はなかなかいい婆ちゃんになっていた。

最後に、張作霖のこの言葉がかっこいい。 「神でも仏でも、鬼でも魔物でもねえ、俺様は張作霖だ」

<天璋院篤姫>
さて、三番目の天璋院篤姫であるが、ご存じ来年のNHKの大河ドラマである。 この話は、最初に島津斉彬(なりあきら)が藩主になるまでが一つの話となっている。 27代薩摩藩主島津斉興(なりおき)の時、傾いた財政を調所笑悦の力により立て直したものの、何故か嫡男斉彬を疎み、なかなか家督を譲ろうとはしない。

斉興は側室お由羅が生んだ久光を後継ぎにしようとし、島津家は斉彬派と久光派の二手に分かれる。 ある時、斉彬の二男が亡くなった折、病間の下から調伏の人形が見つかる。

これを機に両者の対立は一気にヒートアップ。 が、久光暗殺を企てたことが露見し、怒った斉興は斉彬派四十数名を逮捕、死者も多数出たが、その後、幕府の介入により島津斉彬に家督を譲ることで事件は決着する。

さて、こうしたお家騒動と並行して於一(おかつ、篤姫の幼名)は成長していく。 16歳になったある日、篤姫は島津家の養女に要請されるが、これが島津斉彬の考える膨大な謀事の序章であった。

島津家の養女は表向きで、実は次期将軍家定の御台所として大奥に送り込み、更に次の将軍に一橋慶喜を擁立し、新しい政府を創ろうとしていたのだ。 更に、斉彬は家定の病気のことは既に知っていた。

そうとは知らぬ篤姫は、斉彬の思惑通りに江戸表へ出向くことになる。 斉彬は水戸家、老中阿部正弘などと政治的駆け引きを重ね、ついに篤姫は正式に御台所として江戸城へ入城の運びとなる。

この時、篤姫は島津斉彬から次期将軍は一橋慶喜を推薦するよう秘かに要請を受けるが、徳川家の御台所となった立場からこの使命は果たさないこととなる。 病弱で癇癪持ちの夫、家定との間は形だけの夫婦となったが、それもほんの三年弱で家定は死んでしまう。

次期将軍が紀州家からの家茂となり、公武合体のため天皇家の妹、和宮が降嫁することとなる。 しかし、大奥に入ってから習慣の違いから京方と江戸方に分かれ、争いが始まる。 告げ口や陰口、妬み嫉み、それに女性独特の心理描写が細やかに書かれていて、大奥の生活が読んでいる側に伝わってくる。

やがて幕府討伐の命を受けた薩長軍に幕府軍は敗れ、慶応4年4月江戸城明け渡し。 和宮は京都に一旦帰るが、その後、東京に戻って後、篤姫と仲良くなる。

大奥三千人の総責任者として、表向きの事は口出しできぬものの、激動の世の中を気丈に、そして賢く生きたその姿は稟という言葉がぴったりくる。 爽やかな読後感がある本であった。

平成19年12月22日(土) 冬至の日に思う事
「早いもので、もう一年」、年末になるとこの言葉がよく使われるようになる。 ご多聞にもれず当方もよく使う。 早いもので、もう一年が終わろうとしている、今日22日は冬至、一年で昼が一番短い日である。 下の写真は我が家から見た宝塚の日の出を一年間追っかけたものである。



夏至から冬至まで太陽は左から右に大きく移動する。 そして、春分、秋分の日はほんまに丁度半分の場所、この至極当たり前の事に何故か感動を覚えるのは、こうした天体の動きを教科書レベルでしか理解していないからであろう。

11月に入ると太陽は生駒山の端から昇るようになり、冬至になると大阪平野を望んで生駒山の真ん中当たりから日の出が拝めるのである。 しかも、生駒山に雲が低くたなびいていると、まるで地平線から太陽が昇ってくるような感じにさえなる。

冬至の日は、午後五時近くなるともう日が沈み辺りは薄暗くなってくる。 家々の窓には明かりが灯り、五時15分頃になるとすっかり暗くなる。 今夜のお風呂には柚子が浮かんでいるのだろうか、夕食には南瓜が並んでいるかも知れない。 明日から地球にとってまた長い一年が始まるのだ。

ところで、最近見た某メーカーのコマーシャルで「最近いろいろなバイ菌が増えてるし」というがあったが、ちょっと待て、と言いたくなる。 この手の言い方はテレビのワイドショーなどでよく耳にする、「最近何々が増えて」とか、「最近人気がある」などと同列の軽い言い方である。

しかも、こうした言い方で共通するのは、増えたとする証拠となる客観的な数字やグラフの提示は一切ないのである。 どうも、かのテレビ局のやらせ番組に似たような胡散臭い臭いがするのは気のせいなのだろうか。

言いたいのは、こんな軽い脅迫観を煽るような言い方をして商品購買の原動力にするのは如何なものだろうか、ということである。 もし、バイ菌が本当に増えているのであれば、具体的にどんな種類のどんなバイ菌が増えているのか。

更に、ここ十年間と比較して最近一年のバイ菌の種類はどれだけ増えたのか、その具体的な数字を示して欲しいものである。 とまあ、本来は何もここまでしゃかりきになって言うこともないのだが、バイ菌というものは我々にとってある種の恐怖感を煽る存在である。

それだけに、こうした言葉を使うにはそれ相当の注意がいると思うのだが、このコマーシャルからはそれに対する配慮が全く感じられないのである。 広告業界の実際を知らないで印象だけで言うのも何だが、何か特有の軽薄で軽い言いまわしを感じるのである。

今年を象徴する漢字は「偽」であるが、思わず「ほんまやろか」と言いたくなるようなコマーシャルである。

平成19年12月24日(月) 聖夜の大英断
最近、話題となっている薬害肝炎問題について、福田首相は一律救済との政治的大英断を下した。 クリスマスに近いこともあり、傍から見ている此方側とすればプレゼントという言葉が頭に浮かんでくるが、原告側の人々にとっては不謹慎な言葉で、切に願った末の回答である。

とはいえ、第三者であれば「皆救ってあげれば良いのに」と簡単に言えるのだが、一国の首相ともなれば様々な判断をしなければならず、簡単に言えるものではない。

テレビのワイドショーでは、アナウンサーを始めゲストコメンテーターも「全員救うべきですよ」とあっさり言うが、それなら、貴方が一国を背負う立場であればそんなに簡単に言えるかどうか、聞いてみたいものである。

一度、こうしたやや感情に委ねる政治的決断をしてしまうと、その後、同様なケースが発生した時も前例となってしまい、冷静な判断を歪めることにもなりかねない。

それだけに、首相も裁判所の判決が下されたこともあり、私情でこうしたいと思っていても、なかなか決断を下せなかったのではないだろうか。 しかし、矢が放たれた今、首相の決断に素直に拍手を送りたい。

クリスマス・イブにもたらされた嬉しいニュースは、今年を表す漢字の「偽」ではなく久しく聞かれなった「義」であった。 数々の「偽」により、この国には「義」は滅んだかの感があったが、未だ「義」は滅びていないことを証明した一事であった。

平成19年12月26日(水) 政治討論番組
政治討論番組が好きである。 数えてみると、「TVタックル」、「サンデープロジェクト」、「日曜討論」、「報道2001」、「太田光の私が総理大臣になったら」、「たかじんのそこまで言って委員会」などかなりある。

この中でも、よく観るのが「TVタックル」、「太田光の私が総理大臣になったら」、「たかじんのそこまで言って委員会」の三つで、次に「サンデープロジェクト」、「報道2001」。 残念ながらNHKの「日曜討論」はほとんど観ていない。

これらの中で、番組の古さもあるが、かなり前から観ているのが「TVタックル」である。 初めて観たときは、その討論の激しさに随分やかましい番組だと思った。 とにかく相手の言うことを遮って自分の言いたいことを一方的に喋るのだから、やかましいはずである。

傍目には、討論ではなく持論を相手に負けずに喋る独演会に映る。 それ以前はNHKの日曜討論的な静かな番組が多く、がなり合うような、少し品のない番組はあまりなかったように思う。 それだけに、随分毛色の変った番組が出てきたな、というのが正直な感想であった。

しかし、この番組の影響かどうかはわからないが、こうした、バトル気味のトークにふざけた味を加えたのが「太田光の私が総理大臣になったら」であろう。 只、この番組はチャラケたところが多すぎて、真剣な討論がスポイルされるところが物足りなく感じる所以である。

これらの番組で現在一番気にいっているのが、「たかじんのそこまで言って委員会」である。 出演者は「TVタックル」とかなり重複しているが、司会者の役割が全く異なっている。

「TVタックル」のビートたけし氏は、番組の中では話を混ぜっ返して傍観しているのに対し、やしきたかじん氏は話の展開やゲストに話しを振る等、本来の司会者の役割を果たしている。

更に討論であるが、圧倒的に「たかじんのそこまで言って委員会」の方が、他の番組に比べ話の内容が濃くかつハイレベルである。 又、一人一人の持論を述べる時間が長く、聞いていても発言者の考えがよく分かる。

更に良いのが、「平和と言えば平和が来る」論者に喝をいれるべく、徹底した現実主義者が多い点である。 尤も、こうした人達ばかりでは話が一方に傾くことから、反対の人も入れてある。

こうした番組に比べて「サンデープロジェクト」は、政治家の討論よりも司会の田原総一郎氏が全面に出すぎてうんざりする。 貴方は司会者なのかインタビュアーなのか立場をはっきりすべきである。

今の状態を見ていると、司会者の立場を悪用したインタビュアーになっている。 それと、政治家やゲストの話を途中で遮るのも宜しくない。 観ている者にとって高漫な態度に映るし、第一、相手に対して失礼である。

もう一ついえば、観ている者にとっては貴方の興味のある話だけを聞きたい訳ではないのである。 いくら自分の聞きたいことでなくても、相手の話を聞いてやるのが司会者の役目である。 こういう点がこの番組のキム・ジョンイルになっている所以である。

最後に「報道2001」の竹村健一氏の番組冒頭の挨拶、どーでもいいようなあっちゃ向いた態度は観ている者に対して失礼である。 尤も、七十過ぎの爺さんに今更何を言ってもどうにかなるでなし、しかし、礼の大切さをどうやら忘れているようだ。

平成19年12月28日(金) ロボコン、セカンドステージへ
12月27日と28日は宝塚にある清荒神清澄寺の納三宝荒神大祭、別名終い荒神ともいわれています。 この日、参道には老若男女といいたいところですが、実際は老若男女−若=老男女の群れが溢れます。

しかし、歳をとると女性は益々若くなるというのは本当のことだとつくづく感じます。 まあー、婆ちゃん達の騒がしいこと、そして元気なこと、実にパワフルです。 年齢は、おおよそオーバーセブンティといったところでしょうか。

参拝に出かける人の群れを見ていると、婆ちゃんのグループが多く、次に爺ちゃん+婆ちゃん、爺ちゃん同士はそんなにいません。 そして、爺ちゃん+婆ちゃんのパターンでは、圧倒的に婆ちゃんが爺ちゃんをリードしています。

兎に角、目がらんらんとしており、野に放たれた野獣のようにも見えます。 「私の生きがいは正にこれやわ」とでもいうように。 そして圧倒的に騒がしい声、但し、かつてのような黄色い声は望むべくもなく、長年の結婚生活のやつれからか、黄色+黒にトーンは変化しています。

こんな集団が荒神さん目指して参道を登って行くのですが、後ろから見ていると、この人達はもしかしたら死なないのでは、とさえ思ってしまいます。 清荒神の参道は正月飾りや神棚、それに煎餅を売る店などが軒を連ね、丁度、「Always三丁目の夕日」の臭いがするノスタルジックな商店街です。

話はどんと飛んで21世紀の現在、26日放映のNHKロボコン、今回は風林火山ロボ騎馬戦とのことで、今までと異なり一つ進化したようだ。 というのも、今までの対戦は非接触型でお互いにぶつかりあう事はなかった。

しかし、今回はお互いの旗を奪い合う形式でぶつかることが必至となるルールである。 スポーツでいえば、テニスやバレーのようにネットを挟んでするものから、サッカーやラクビーのように肉弾戦となったのである。

当然、此れまでとは違いロボットとロボットがぶつかり合うので、激しさは比べ物にならない。 観ている此方も自然と熱くなる。 しかし、待てよ、こんな場面、どこかで見たような気がする。

そう、かの鉄腕アトムの中で出で来るのだ。 あの漫画では、ロボット世界選手権のような名前であったと思うが、円形の闘技場でロボット同士が戦うのだ。 無論、現実は漫画のような高度なヒューマノイドロボットとは程遠い姿形のロボットである。

しかし、相手の懐に飛び込んだり裏に回り込んだり、はたまた上から攻撃したり等、攻撃にも様々な工夫が見られ、観ていてもそのアイデアに感心すると共に、とても楽しめるものであった。

今後はスピードや耐久性、攻撃の仕方など、従来に無い課題が数多く待ち受けていると思うが、参加学校の生徒達の柔軟な頭脳に期待したい。 来年は更にレベルアップしたロボットが出てくると思うが、どんな戦いになるのか、楽しみである。

平成19年12月31日(月) 偽、疑、欺
近くの公園の寒椿が満開、天気は良く青空が広がっているが、白い雲が早く流れて風が少し強い、そして頬に当たる風が冷たい。 今日は大晦日、今日現在生きている人類は又一つ冥土に近くなった。 正月は冥土の道の一里塚、目出度くもあり、目出度くもなし。

今年も本当に色々なことがあった。 矢張り「偽」が象徴的な年であったが、最初は不二家の賞味期限切れに始まり偽兆ならぬ吉兆に終わったが、偽装は何もこうした製造業や飲食業だけに留まる問題ではなかった。

なんと、社会正義を盾としてこうした事を叩きまくるテレビ局も同じ穴のむじなであったのだ。 関西テレビ製作の「あるある大事典U」での納豆ダイエットが捏造。 更には、TBSの朝の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」での不二家問題における不正確な報道と従業員のやらせ。

この手の番組はかねてから胡散臭いと思っていたが、こうなると他局の番組もホンマかいなと思わず偽(疑)惑の目で見てしまう。 関西テレビがバレで、他局は「偽クッ」として慌ててぼろ隠しをしたのでは?

更に、「集団自決日本軍の強制削除」の抗議集会における参加人数の偽装。 新聞各社やテレビでは11万人となっていたが、実際は1万人台とのこと。 確かに上空からの写真を見たが、参加者は公園内だけで、11万人はどう見ても大袈裟である。

お堅いイメージがある新聞社が、他の産業の不祥事については1日のミスでも大騒ぎをするのに、自分のことになると糞を隠すように黙っているのは何故なのだろうか。 しかも、その誤差たるや7倍もあるのに、これは我々の目を偽、いや欺くことになると思うのだが。

一度、記者会見でマスコミが問題企業によくする質問を自身でしてみたらどうでしょうか。
主催者のいう人数を鵜飲みにして、その数が正しいかどうか、何故チエックしなかったのでしょうか。

記事を書いた記者は写真をみたら当然おかしいと思うでしょ。 更に、新聞社の責任者は記事をチエックする立場にあるのに、写真と人数を見ておかしいとどうして思わなかったのでしょうか。

おっと、これはテレビ局も同様です。 人の振り見て我が振り直せ、問題企業の姿勢は誰よりも多く見ているマスコミだと思うのですが。 フィードバックはしないのでしょうか。

ところでNHKの紅白歌合戦、昔はその年に流行った歌をもう一度聞く番組であったが、最近はその年に流行った歌を初めて知る番組になってしまった。

ベテランは新曲がなく、かつて流行った唄をもう一度歌う懐かしの昭和の歌メドレー型となり、若手はどれも一小節を四度繰り返して歌い、最後に少し変調を加えただけのウルトラ・ワン・パターン型簡易作曲ソングになったようだ。

歌詞は小学生レべルで中味が無くものが多く、ここにも学力低下が現れているようだ。 亡くなった阿久悠さんのように歌詞にドラマを感じたいものである。


先頭に戻る