環境問題と動物実験
動物実験の倫理問題というのがあります。基本的には日経サイエンスの
1997年5月号に掲載のローワン氏の意見「感情に訴える描写や事実の羅列だけの議論はもう止めよう。冷静にコスト・ベネフィット分析をしようではないか」に同意します。人間が生きていくために他の動植物の命を奪うということはどうしようもないことです。食用は良くて実験用は駄目だという根拠はないでしょう。かといって例えばバッファローの舌だけを食べるために殺すことが許され難いのと同じように、科学に何の貢献もしない実験は許され難いと思うのです。ただ現実には食用に特化した動物や実験用に特化した動物が豊富に供給されていますから、そういうものを利用している分には特別倫理が問題になることはないのでしょう。普通の範囲であれば。
動物実験独特の問題があるとすれば、それはより厳密な結果を要求されればより人間に近い動物が選択される、ということ。つまりネズミでいくら実験してもそれが直接人間に当てはまるかどうかはまた別の話、というわけで最終的には人間で実験しないといけないという主張があるということ。現実にはかなりの問題はさまざまな実験系を用いて厳密な研究を重ねることによって、ある程度予測はできます。ただしこれはかなり遠回りでもあるし、「絶対大丈夫か」と言われたら「多分」としか言いようがない。仮にある特定の化学物質のヒトに対する安全性が
90%くらい確認できたとして、さらにその数値を95%にするためにサルを100匹使うということがあったとします。これは倫理的には可でしょうか、不可でしょうか?判断は立場によって異なるでしょうが、個人的には不可という気持ちです。もちろんその物質の使われる量にもよりますが。何故こんなことを言うのかというと、最近世間を騒がせている内分泌撹乱物質の問題でマスコミの論調に「所詮ネズミの実験で物質Aが安全だと言われても納得できない」というのが目についたからです。ネズミが駄目なら犬猫、サル、そして人間で実験しろと言うのでしょう。「私たちは安心して暮らしたいだけなのです」というともっともなような話ですけれど、たかが「安心料」のために一体どれだけの犠牲を払えばいいのか?マスコミ関係者は自分たちが直接手を下さなくても、その言葉が犠牲の血を要求しているのだということを少しは自覚して欲しい。 他にも教育現場や科学の方法論でもいろいろと問題はありますが、それはまた今度の機会に。
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