最近サッカリンのサルを使った安全性試験の結果が発表されました。Journal of the National Cancer Institute, Vol.90, 19-25, 1988

この論文によるとサル20匹に生後すぐからサッカリンナトリウム25mg/kgを与え続けて24年間飼育したそ うです。対照群は16匹。実験終了後に全てのサルを殺して解剖して病変を検索し、結果 としてはサッカリンに由来する病変は何ら認められなかった、ということです。
このために犠牲になったサル36匹。費やした時間は25年。気の遠くなるような話です。実験開始が1970年代ですからその間にこの実験そのものの意味が随分変わってしまったようで、その運命について考えてみました。

サッカリンが雄のラットの膀胱に対して弱い発癌性を示すことが報告され、ヒトでも可能性があるとしてFDAがサッカリンの使用を禁止するよう勧告したのが1977年だそうです。ところがその後の研究で、サッカリンが雄のラットの膀胱にのみ発癌性を示すのは、高濃度の検体がもともと結石を作りやすい条件の雄のラットの膀胱で結石を生じ、その物理的刺激によるものだということが明らかにされました。これはヒトでは起こり得ないことで、その結果サッカリンは「ヒトに対して発癌性があると考えられる物質リスト」から外されています。ですから今回の報告を受けて朝日新聞が「サルの実験で、サッカリンの発癌性が否定された」と報じたのは正しくありません。ただこの報道は科学の世界と一般常識との乖離を象徴するものだとも言えます。

ラットの雄の膀胱に発癌性ありというのは事実です。ただラットの雌やマウスには影響がなかったのも事実です。本当に強い発癌物質ではこういうことは起こりませんから、その時点でサッカリンの発癌性に疑問があったと思われます。だからこそサルでの実験が計画された。当時げっ歯類でのデータを乗り越えるにはよりヒトに近いサルを使うべきだという考え方が多かったのでしょう。そして研究が進むにつれ、動物実験のありかたが見直されてきました。かつての実験はとにかく大量の検体を長期間投与し、どんなに弱い作用でも見逃さないことに主眼がおかれました。ところがそういうやり方ではあまりにもたくさんの物質(ヒトの生活に欠かせない食料まで)がクロと判断されてしまう。ヒトでは絶対有り得ないような条件で実験をすることにどれだけの意味があるのかが問い直され、さらにネズミが駄目なら霊長類でという考え方自体が動物実験をめぐる倫理問題として疑問視されるようになってきたのです。人間の安全性にとって必要なデータを動物を使わない実験でも得られる、というわけでさまざまな方面からのデータを総合して安全性を評価しよう、というのが現在の考え方です。これは科学の進歩であり、無用の犠牲は避けようということで私たち動物実験に携わるものにとっても喜ばしいことです。サルを解剖して全く平気でいられる人なんてそうそういるものではありません。そして当然のことながら、生物学に関わる人で、神による人類の創造とその人間がどう使ってもいいものとしての動物の創造という説を信じている人はまずいないでしょう。人間に尊厳があるのならサルにだってかなりの尊厳はあるはずです。

ところがこの進歩は必ずしも一般には共有されていない、ということが図らずも今回の件ではっきりしたわけです。生協などの市民団体の言い分では、未だにサッカリンは発癌性があるのだから使用は許されない物質のようです。朝日新聞の言い分もこのスタンスと大して変わらないようです。現在の「科学的考え方」は、特定の物質の生物に与える作用がどういうもので、ヒトにとってどういう影響があるかを判断するのに膨大な知識と高度な解析が必要とされるということでもあるのですから、「ネズミに癌ができた、サルにはできない」といったような簡単な、素人にも分かりやすいストーリーではなくなった。専門分野が細分化していて自分の専門のことしかわからない「科学者」にとってもこれはわかりにくい話です。だからこそしっかりした科学ジャーナリズムが必要なのですが、残念なことに今の日本では新聞のレベルは20年前のままのようです。

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